暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
42 / 272
第四章 王宮の主たち

3-3

しおりを挟む
 廊下に出、階段の向こうを見ると護衛がいる。どうやら殿下は自室にいるようだった。
 祖父に別れを告げ、イアルを伴ってそちらへ向かう。皆にニヤリとされ、軽く会釈をすると、すぐに取り次いでくれた。その上、扉を開けてくれ、背中を押されて中に押しこまれる。

 殿下は部屋の奥にある暖炉の前のラグに座り、剣の手入れをしていた。暖炉に火は入れられていない。一番座り心地のいい敷物がそこにあるからだろう。

「ソランです。診察に参りました」
「ああ。こっちだ」
「はい」

 ソランが傍で膝をつくと、剣を脇に退け、腕を出してきた。脈を診る。心なし速い気がして、殿下の顔色と熱を確かめる。

「どこか気になられるところは」
「ない」
「お酒を召し上がられましたか?」
「少し」

 ソランはたじろいだ。殿下と目が合いっぱなしである。
 彼はいつも視線を合わせながら話す方だが、今日は先程のことがあって、ソランも心中が泡立っていた。なるべくなら目を合わせたくない。また怒らせたらと思うと怖い。だが、こちらから目をそらすのも不敬である気がして、ソランはじっと固まっていた。

 殿下はふっと視線を落とし、夜着の上から肩に羽織った、軍服の上着の襟元を引いた。ガウンを羽織ればよいのに、取ってくるのが面倒だったのだろう。近侍をおかないくらい自分のことは自分でするのに、意外と不精なところもある。

「お寒いですか? ガウンを取って参りましょうか」
「……そうだな。頼む」

 殿下は剣の鞘に触りながら言った。ソランは立ちあがり、足を止めた。

「あの、すみません。ガウンはどこですか?」

 殿下が顔を上げた。意表を突かれた様子で、やがて、堪えられなくなったように笑いだす。

「寝室だ。壁に掛けてある」

 ソランは奥に進み、片開きの扉を開けた。それほど広い部屋ではなかった。主がいなくてもランプが数箇所に掛けられている。おかげですぐに目的のものは見つかった。

 急ぎ戻ると、まだ鞘を触り、何事か考えているようだった。

「ガウンを」

 ソランは横に膝をつき、声をかけた。

「うん」

 返事を受けて後ろにまわり、上着を取り除いて、ガウンを着せ掛けた。それからもう一度寝室に行き、ガウンの掛かっていたハンガーに上着を掛けた。
 再び殿下の許へ戻ると、それでは失礼します、おやすみなさいませ、と挨拶をした。

「待て。そこへ座れ」

 ソランは戸惑ったが、言われたとおり腰を下ろした。

「陛下との謁見はどうであった」
「大変良くしてくださいました」

 殿下が心配していたのを思い起こし、そう答えた。

「遠慮はいらんぞ」
「遠慮はしていません。始終にこやかにお話しくださいました」
「そうか」

 殿下はまた剣に目をやり、触った。さっきから繰り返されるそれは、今まで見たことのない仕草だった。何事か悩んでいるのだろうか。

「……なるほど」

 呟き、くっと笑う。それが酷く寂しげで、ソランは胸騒ぎがした。

「ミルフェのことはどう思った?」
「は。……ええと、お可愛らしいお方と」

 歯切れの悪い答えに、殿下が顔を傾けてソランを見た。自分の膝に頬杖をつく。

「遠慮はいらんと言ったが」
「……すみません。少々苦手です」

 ソランは、罪悪感と申し訳なさに身を強張らせて言った。

「苦手?」
「なんというのか、一度お手をとったら、二度と離してもらえないような」

 聞いた途端、くっくっくっく、と笑いはじめる。

「わかるぞ。狐や狼の化けた何かに思えるだろう? 外見を可愛らしく装っている分、よけいに不気味なのだ」

 正鵠を射た表現だった。可愛らしく邪気はないのはわかるのだが、正体が知れないのだった。

「まあ、あれはあれで慣れれば可愛いぞ」
「はあ」

 慣れるほどお付き合いしたくありません。との言葉は飲み込んだ。
 ソランは未だかつて女性に嫌われたことがない。むしろ熱烈に愛してもらえるタイプだ。ソランもまた、そんな彼女たちにフェミニストぶりを発揮してきた。

 それは自分が女性らしくないというコンプレックスの裏返しでもあったのだが、とにかくソランは、可愛かったり女性らしかったりする彼女らが大好きであった。女性に対して苦手だなどと思うのが初めてで、実はかなり困惑していた。

「だが、婚約者がいるのだったか?」

 からかうような口調だった。

「いいえ、彼女は違います」

 忙しい合間を縫って気を遣ってもらったのに、ソランがマリーと抱き合っているのを見て不機嫌になられたと言っていたのを思い出し、早口に言い返す。

「それにしてはずいぶん熱烈だったが?」

 口元は笑っているが、目が笑っていない。たぶん、怒っている。

「彼女は幼馴染です。それに」

 自分の言おうとしたことに気付き、とっさ口を噤んだ。だが、その失態を殿下が見逃してくれるわけがない。

「それに?」

 強い口調に押されて、ソランはかなり逡巡した挙句、しかたなく告白をした。

「彼女は既婚者です」
「は?」
「だから、結婚してるんです、別の男性と」
「ディーは恋敵だと言っていたが」
「親友ですから、心配してくれたんです」

 殿下は噴き出し、次いで大笑いした。

「あの、殿下、このことは他の人には内密に願います」

 腹を押さえて苦しげに笑う殿下に、頼み込む。

「わかった。それはさぞ心配であろう。このことは黙っておこう」

 笑いの発作の合間から、言葉が切れ切れに搾り出された。

「ありがとうございます」

 殿下にばれてしまったのは最早しかたがない。他に知れなければ良しとしよう。それに、殿下との間にあった気まずさもなくなった。
 ソランもやっと、安堵の微笑を浮かべたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす

遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

処理中です...