暁にもう一度

伊簑木サイ

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第四章 王宮の主たち

3-3

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 廊下に出、階段の向こうを見ると護衛がいる。どうやら殿下は自室にいるようだった。
 祖父に別れを告げ、イアルを伴ってそちらへ向かう。皆にニヤリとされ、軽く会釈をすると、すぐに取り次いでくれた。その上、扉を開けてくれ、背中を押されて中に押しこまれる。

 殿下は部屋の奥にある暖炉の前のラグに座り、剣の手入れをしていた。暖炉に火は入れられていない。一番座り心地のいい敷物がそこにあるからだろう。

「ソランです。診察に参りました」
「ああ。こっちだ」
「はい」

 ソランが傍で膝をつくと、剣を脇に退け、腕を出してきた。脈を診る。心なし速い気がして、殿下の顔色と熱を確かめる。

「どこか気になられるところは」
「ない」
「お酒を召し上がられましたか?」
「少し」

 ソランはたじろいだ。殿下と目が合いっぱなしである。
 彼はいつも視線を合わせながら話す方だが、今日は先程のことがあって、ソランも心中が泡立っていた。なるべくなら目を合わせたくない。また怒らせたらと思うと怖い。だが、こちらから目をそらすのも不敬である気がして、ソランはじっと固まっていた。

 殿下はふっと視線を落とし、夜着の上から肩に羽織った、軍服の上着の襟元を引いた。ガウンを羽織ればよいのに、取ってくるのが面倒だったのだろう。近侍をおかないくらい自分のことは自分でするのに、意外と不精なところもある。

「お寒いですか? ガウンを取って参りましょうか」
「……そうだな。頼む」

 殿下は剣の鞘に触りながら言った。ソランは立ちあがり、足を止めた。

「あの、すみません。ガウンはどこですか?」

 殿下が顔を上げた。意表を突かれた様子で、やがて、堪えられなくなったように笑いだす。

「寝室だ。壁に掛けてある」

 ソランは奥に進み、片開きの扉を開けた。それほど広い部屋ではなかった。主がいなくてもランプが数箇所に掛けられている。おかげですぐに目的のものは見つかった。

 急ぎ戻ると、まだ鞘を触り、何事か考えているようだった。

「ガウンを」

 ソランは横に膝をつき、声をかけた。

「うん」

 返事を受けて後ろにまわり、上着を取り除いて、ガウンを着せ掛けた。それからもう一度寝室に行き、ガウンの掛かっていたハンガーに上着を掛けた。
 再び殿下の許へ戻ると、それでは失礼します、おやすみなさいませ、と挨拶をした。

「待て。そこへ座れ」

 ソランは戸惑ったが、言われたとおり腰を下ろした。

「陛下との謁見はどうであった」
「大変良くしてくださいました」

 殿下が心配していたのを思い起こし、そう答えた。

「遠慮はいらんぞ」
「遠慮はしていません。始終にこやかにお話しくださいました」
「そうか」

 殿下はまた剣に目をやり、触った。さっきから繰り返されるそれは、今まで見たことのない仕草だった。何事か悩んでいるのだろうか。

「……なるほど」

 呟き、くっと笑う。それが酷く寂しげで、ソランは胸騒ぎがした。

「ミルフェのことはどう思った?」
「は。……ええと、お可愛らしいお方と」

 歯切れの悪い答えに、殿下が顔を傾けてソランを見た。自分の膝に頬杖をつく。

「遠慮はいらんと言ったが」
「……すみません。少々苦手です」

 ソランは、罪悪感と申し訳なさに身を強張らせて言った。

「苦手?」
「なんというのか、一度お手をとったら、二度と離してもらえないような」

 聞いた途端、くっくっくっく、と笑いはじめる。

「わかるぞ。狐や狼の化けた何かに思えるだろう? 外見を可愛らしく装っている分、よけいに不気味なのだ」

 正鵠を射た表現だった。可愛らしく邪気はないのはわかるのだが、正体が知れないのだった。

「まあ、あれはあれで慣れれば可愛いぞ」
「はあ」

 慣れるほどお付き合いしたくありません。との言葉は飲み込んだ。
 ソランは未だかつて女性に嫌われたことがない。むしろ熱烈に愛してもらえるタイプだ。ソランもまた、そんな彼女たちにフェミニストぶりを発揮してきた。

 それは自分が女性らしくないというコンプレックスの裏返しでもあったのだが、とにかくソランは、可愛かったり女性らしかったりする彼女らが大好きであった。女性に対して苦手だなどと思うのが初めてで、実はかなり困惑していた。

「だが、婚約者がいるのだったか?」

 からかうような口調だった。

「いいえ、彼女は違います」

 忙しい合間を縫って気を遣ってもらったのに、ソランがマリーと抱き合っているのを見て不機嫌になられたと言っていたのを思い出し、早口に言い返す。

「それにしてはずいぶん熱烈だったが?」

 口元は笑っているが、目が笑っていない。たぶん、怒っている。

「彼女は幼馴染です。それに」

 自分の言おうとしたことに気付き、とっさ口を噤んだ。だが、その失態を殿下が見逃してくれるわけがない。

「それに?」

 強い口調に押されて、ソランはかなり逡巡した挙句、しかたなく告白をした。

「彼女は既婚者です」
「は?」
「だから、結婚してるんです、別の男性と」
「ディーは恋敵だと言っていたが」
「親友ですから、心配してくれたんです」

 殿下は噴き出し、次いで大笑いした。

「あの、殿下、このことは他の人には内密に願います」

 腹を押さえて苦しげに笑う殿下に、頼み込む。

「わかった。それはさぞ心配であろう。このことは黙っておこう」

 笑いの発作の合間から、言葉が切れ切れに搾り出された。

「ありがとうございます」

 殿下にばれてしまったのは最早しかたがない。他に知れなければ良しとしよう。それに、殿下との間にあった気まずさもなくなった。
 ソランもやっと、安堵の微笑を浮かべたのだった。
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