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第八章 思い交わす時
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祖父は笑って横に首を振った。
「早すぎるものか。殿下はおまえを必要となさっておられる。そのおまえに力がなくてどうする」
「私にはまだ学ぶべきことがたくさんあります」
「ああ、そうだ。肩書きがなくなっても、私はおまえの傍におるよ。だが、これからは、おまえが殿下をお守りするのだ。そう誓ったのではなかったか?」
「でも」
「おまえは、なぜ、殿下に己が女だと告げていないのだ?」
突然変わった話題に、ソランはとっさに答えが出てこなかった。
「殿下を信頼しておらんのか」
「いいえ。信頼しております」
「ではなぜ、欺き続ける」
「そのようなつもりは」
「では、何が理由だ」
畳み掛けられ、答えられずに口を噤んだ。祖父の質問には絶対に答えが必要なのだ。答えが出るまで、何時間でも粘られる。しかも嘘は通用しない。ソランは幼い頃から、この質問攻めがとても苦手だった。
祖父は必ず、ソランの心を暴く。避けて歩き、見て見ぬ振りをしている恐怖を白日の下に曝す。それを見よと突きつける。それを思い出し、奥歯を噛み締めた。俯く。
そう。怖い。怖いのだ。殿下を不幸にするかもしれないことが。ソランの存在が彼の災いとなることが。傷つけあうかもしれないことが。
でも、それは予測でしかない。幼い頃から、いつでも最悪の予測をせよと、教え込まれている。ただしそれは、備えるためなのだ。今のソランのように、逃げるためではない。
また、恐怖から逃げてはいけない、とも諭されてきた。それは逃げるかぎり、つきまとうからだ。向き合ってその本質さえ見出せば、必ず道は開けると。
――そうだ。道を切り開きたい。
ソランは目を瞑った。
ふいに、殿下が、私が悪かった、と言ったのを思い出した。おまえがどうしても欲しかったのだ、と。
同じだと思った。同じ過ちを犯そうとしている。ソランも、正しい情報を渡さないことで、殿下に一つのことしか選ばせないようにしようとしている。
――ああ、浅はかだった。愛されたいとか、傷つけたくないとか、傍にいたいとか、それは結局、自分が傷つきたくないからだ。殿下のためでもなんでもない。隠して、偽って、自分を守りたいだけ。
「答えは出たか?」
祖父のあたたかみのある声に、顔を上げた。
「ああ、言わんでいい。もう小さな子供ではない」
頭に大きな手がのった。髪型が崩れないように、そっと撫ぜられる。
「あの頃は、これだけで恐れを掬い取ってやれたのにな」
祖父はいつもソランを抱き上げて、一緒に恐怖をはらってくれた。大きくてあたたかい彼となら、恐怖に立ち向かうことが出来た。
「もう、私の手には余る。すまんな」
ソランは目を見開き、横に激しく首を振った。
「恐怖に雁字搦めにされる前に、立ち向かわねばならんぞ」
ずっと言い聞かせられてきた教えだった。領主としての心得を、様々な解決方法を、骨身になるまで繰り返し教えてきてくれた。
「はい」
少し声が震えてしまった。息を整え、もう一度返事をする。
「はい、お祖父様」
「よし。おまえは私の自慢の孫だ」
手荒く頭を揺すられた。小さい頃はこれが好きで、ぐらぐらとして倒れる度に、笑ったものだった。思い出して、笑顔が心の底から浮かんでくる。
「そうだ。いい笑顔だ。それでいい。おまえなら、できるよ」
手が離された。自然とテーブルの上の書類に目が行く。ソランは、示されるままにサインをした。
ソラン・ファレノ・エレ・ジェナシス。口語では慣習的にそう読むが、実は文語では違う表記をしている。領主を指すエレは、女性の場合、エレッセと書き表すのだ。
そこに、王と祖父が承認のサインを入れた。一枚は王の手元に、もう一枚はソランに渡される。
「小麦の件は、アーサーと詳細を詰めるが、それでよいか?」
「お祖父様、お願いできますか?」
「ああ、任せておけ」
たっぷりふんだくってやろう。そんな顔で返してくる。ソランはにっこりとした。
「はい、陛下、そのようにお願いいたします」
「では、すぐに契約書を作らせる。今日中にそなたの許に届けさせよう」
「ありがとうございます」
「うむ。それとは別に、着任祝いを私からやりたいのだが、何が良いかな?」
思わず祖父を見る。せいぜいたかってやれと、目が言っている。
「では、王都で評判になっているお菓子やパンを」
王が目を瞬いた。どうも信じられないことを耳にした時の王の癖らしい。
「そんなものでよいのか?」
「はい。王都のいろんなお菓子やパンを食べ比べてみたいのです」
「ふむ。甘いものが好きなのかね?」
「はい」
実はソランはそれほど甘いものが好きではない。しかし、侍女たちは大好きである。
「可愛らしいことだ。わかった。毎日お茶の時間に間に合うように、菓子やパンを届けさせよう」
「ありがとうございます、陛下。気に入ったものはまた食べたいので、店の場所と名前もわかるようにしてもらえますか?」
「もちろんだ。そのように手配しよう」
祖父がおかしそうに笑っていた。彼にはソランの考えていることなど、お見通しなのだ。
こうして、たくさんの収穫を手にして、ソランは陛下の御前を辞したのだった。
「早すぎるものか。殿下はおまえを必要となさっておられる。そのおまえに力がなくてどうする」
「私にはまだ学ぶべきことがたくさんあります」
「ああ、そうだ。肩書きがなくなっても、私はおまえの傍におるよ。だが、これからは、おまえが殿下をお守りするのだ。そう誓ったのではなかったか?」
「でも」
「おまえは、なぜ、殿下に己が女だと告げていないのだ?」
突然変わった話題に、ソランはとっさに答えが出てこなかった。
「殿下を信頼しておらんのか」
「いいえ。信頼しております」
「ではなぜ、欺き続ける」
「そのようなつもりは」
「では、何が理由だ」
畳み掛けられ、答えられずに口を噤んだ。祖父の質問には絶対に答えが必要なのだ。答えが出るまで、何時間でも粘られる。しかも嘘は通用しない。ソランは幼い頃から、この質問攻めがとても苦手だった。
祖父は必ず、ソランの心を暴く。避けて歩き、見て見ぬ振りをしている恐怖を白日の下に曝す。それを見よと突きつける。それを思い出し、奥歯を噛み締めた。俯く。
そう。怖い。怖いのだ。殿下を不幸にするかもしれないことが。ソランの存在が彼の災いとなることが。傷つけあうかもしれないことが。
でも、それは予測でしかない。幼い頃から、いつでも最悪の予測をせよと、教え込まれている。ただしそれは、備えるためなのだ。今のソランのように、逃げるためではない。
また、恐怖から逃げてはいけない、とも諭されてきた。それは逃げるかぎり、つきまとうからだ。向き合ってその本質さえ見出せば、必ず道は開けると。
――そうだ。道を切り開きたい。
ソランは目を瞑った。
ふいに、殿下が、私が悪かった、と言ったのを思い出した。おまえがどうしても欲しかったのだ、と。
同じだと思った。同じ過ちを犯そうとしている。ソランも、正しい情報を渡さないことで、殿下に一つのことしか選ばせないようにしようとしている。
――ああ、浅はかだった。愛されたいとか、傷つけたくないとか、傍にいたいとか、それは結局、自分が傷つきたくないからだ。殿下のためでもなんでもない。隠して、偽って、自分を守りたいだけ。
「答えは出たか?」
祖父のあたたかみのある声に、顔を上げた。
「ああ、言わんでいい。もう小さな子供ではない」
頭に大きな手がのった。髪型が崩れないように、そっと撫ぜられる。
「あの頃は、これだけで恐れを掬い取ってやれたのにな」
祖父はいつもソランを抱き上げて、一緒に恐怖をはらってくれた。大きくてあたたかい彼となら、恐怖に立ち向かうことが出来た。
「もう、私の手には余る。すまんな」
ソランは目を見開き、横に激しく首を振った。
「恐怖に雁字搦めにされる前に、立ち向かわねばならんぞ」
ずっと言い聞かせられてきた教えだった。領主としての心得を、様々な解決方法を、骨身になるまで繰り返し教えてきてくれた。
「はい」
少し声が震えてしまった。息を整え、もう一度返事をする。
「はい、お祖父様」
「よし。おまえは私の自慢の孫だ」
手荒く頭を揺すられた。小さい頃はこれが好きで、ぐらぐらとして倒れる度に、笑ったものだった。思い出して、笑顔が心の底から浮かんでくる。
「そうだ。いい笑顔だ。それでいい。おまえなら、できるよ」
手が離された。自然とテーブルの上の書類に目が行く。ソランは、示されるままにサインをした。
ソラン・ファレノ・エレ・ジェナシス。口語では慣習的にそう読むが、実は文語では違う表記をしている。領主を指すエレは、女性の場合、エレッセと書き表すのだ。
そこに、王と祖父が承認のサインを入れた。一枚は王の手元に、もう一枚はソランに渡される。
「小麦の件は、アーサーと詳細を詰めるが、それでよいか?」
「お祖父様、お願いできますか?」
「ああ、任せておけ」
たっぷりふんだくってやろう。そんな顔で返してくる。ソランはにっこりとした。
「はい、陛下、そのようにお願いいたします」
「では、すぐに契約書を作らせる。今日中にそなたの許に届けさせよう」
「ありがとうございます」
「うむ。それとは別に、着任祝いを私からやりたいのだが、何が良いかな?」
思わず祖父を見る。せいぜいたかってやれと、目が言っている。
「では、王都で評判になっているお菓子やパンを」
王が目を瞬いた。どうも信じられないことを耳にした時の王の癖らしい。
「そんなものでよいのか?」
「はい。王都のいろんなお菓子やパンを食べ比べてみたいのです」
「ふむ。甘いものが好きなのかね?」
「はい」
実はソランはそれほど甘いものが好きではない。しかし、侍女たちは大好きである。
「可愛らしいことだ。わかった。毎日お茶の時間に間に合うように、菓子やパンを届けさせよう」
「ありがとうございます、陛下。気に入ったものはまた食べたいので、店の場所と名前もわかるようにしてもらえますか?」
「もちろんだ。そのように手配しよう」
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