暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
114 / 272
第八章 思い交わす時

3-9

しおりを挟む
 寄り添って仲良さげな二人を見て、殿下は大人気なく眉間に皺を刻んだ。それには一切気付かないふりで、向かいのソファに一緒に腰を下ろす。

「お兄様、ソランお義姉様、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」

 ソランだけが答えた。

「で、何の用だ」

 ミルフェ姫は、じっと兄君を見ていたが、くすくすっと笑った。

「束縛が過ぎる男は、嫌われましてよ」

 殿下がディーを見遣り、余計なことを言うなという目で見る。対するディーは首を横に振って、俺ではありませんとアピールした。

「ソランお義姉様でもありませんわ。一目瞭然ですもの。だから、さんざんお勧めしてきたでしょう。女性をスマートにエスコートなさるように。経験不足でしてよ」

 殿下は見るからに嫌そうな顔をした。早く帰れとか、余計なお世話だとか、黒々と顔に書いてある。

「お義姉様、朴念仁に愛想が尽きたら、ぜひ私の許に来てくださいね。一緒に楽しく暮らしましょう」

 ソランは社交辞令で礼を言った。

「ありがとうございます、ミルフェ様」
「ソラン!」

 殿下が顔色を変えて名を呼んだ。苛立たしげなのに心配そうなのがおかしい。ソランはこっそり笑いを噛み殺した。

「冗談です。しかたないですね。傍にいないと、お兄様は落ち着かないみたい。お義姉様、どうぞお兄様の隣に行ってさしあげて」

 ソランは移動して、仏頂面の殿下の横に腰を下ろした。拳二つ分ほど空けて座ったのに、腰に手をまわされ、密着するように引き寄せられる。その手はそのまま留まって、しっかりと抱き捕まえていた。
 ミルフェ姫は呆れた様子を見せ、それから苦笑した。

「私は、もう、好きにしてもよいのですね」

 その安心した晴れ晴れとした口調に、一同は彼女を注視した。

「お兄様にご相談がございます。私、エレイアのルーファス殿下の許に嫁ぎたいのです」

 突然のとんでもない話に、室内に沈黙が落ちる。たっぷり一分はミルフェ姫を皆で凝視していただろう。アティス殿下が、疑問だらけの声で尋ねた。

「しかし、彼はおまえの好みとはかけ離れていると思ったが」
「確かに、見た目は冴えないお方です。チビでデブで、将来は血統的に絶対禿げるでしょう」

 ひどい言い様だったが、その瞳は夢見る乙女のものだった。

「私、実は、福々しい感じの方が好きなのです。あんまり大きかったり強そうだったりする人は、怖くて苦手です」
「そうだったか。だが、いつ知り合ったのだ。彼が来たのは二年ほど前だが」
「ええ。それからずっと文通をしております。それでこの間、ついにプロポーズを受けました」
「手紙でか?」
「はい」

 殿下はディーを見た。それは可能性的にどの程度信憑性があるんだと確認したいようだった。ディーはペイヴァーを見遣ったが、彼は軽く頭を下げただけであった。全員の間に困惑が広がる。

「しかし、手紙の上でのことだろう?」
「はい。彼ほど誠実で詩的なお手紙をくださる方は、他にはいらっしゃいません」
「そうは言っても」
「いいえ。私、二百人ほどの方と文通しておりますが、長くお手紙を遣り取りしていると、見えてくるものがあります。彼は本当に素敵な方ですのよ」

 二百人。その数に息を呑む。

「いったい一日にどれほど手紙を書くのだ」

 殿下は感心半分、呆れ半分に聞いた。

「少なくとも五通は。平均七通ほどでしょうか」
「手紙好きとは聞いていたが、それほどだったとは」
「好きというか、私にはそうするしかなかったのです。私にはお兄様のような政(まつりごと)に関する才能はありませんもの。いずれは夫になる方が王となったでしょう。その時、私に出来るのは、なるべくたくさんの人と仲良くなっておくことだと思ったのです。なんとも思っていない人とより、仲の良い人との方が、話もスムーズにいくものでしょう? だから、お父様やお母様にお願いして、訪ねていらっしゃる方々に紹介してもらっては、文通をお願いしたのです」

 誰もがその事実に瞠目した。国の行く先を憂え、夫選びに苦心しているのは知っていたが、兄に頭の中に花畑を持っていると言わしめる屈託のなさが彼女の本質だと、誰もが思っていたのだ。でも、それすら彼女が心を砕き、努力してきた姿であったとは。

「二年前にいらっしゃった時に言葉を交わして、見た目だけではわからないお人柄に惹かれました。だけど、アティスお兄様は王位から遠ざかろうとなさるし、だからといってエルファリアお兄様に王になってくださいとは言えませんでした。それは、死んでくださいと言うのと同じですもの」

 殿下は妹姫に見つめられ、わずかに苦々しげな表情をした。

「ですから諦めていたのです。それで、王位に相応しかろうと思う方にプロポーズを繰り返したのですが、誰にも相手にされなくて」

 ミルフェ姫は切なげに溜息を吐いた。
 確かに、国王の侍従であり宰相の弟子でもあるクライブ・エニシダや、大神官の跡取りであるルティン・コランティアは、将来を嘱望されている若者たちだ。そして、ソランもそうであった。

「もちろん、どの方も素敵でその当時は夢中になっていたので、振られれば傷つきました。ソラン殿のことも、本当に好きだったのですよ」

 ソランと目を合わせ、おどけたように肩をすくめる。

「それでも、ずっと心の特別な場所に、ルーファス様はいらっしゃいました。私、承諾のお手紙を出そうと思っているのです。それで、彼が正式に申し入れをしてくださったら、お兄様に味方をしていただきたいのです」

 殿下は妹姫を見つめ、しばらくして口を開いた。

「あちらに知っている者は誰もいないのだぞ」
「わかっております。なので、私のお友達を何人か侍女として連れていきたいのです。その口添えもしていただきたいのです」
「そんな我儘は通らん」
「我儘ではありません。お兄様は、これから西方の国々との戦に備えて、この国を改革なさるのでしょう? そのためにエレイアとの友好は必要なはず。私がその架け橋となります。そして、エレイアやもっと北の国々との友好も取り持ってみせます。私の連れていきたいと言っているお友達は、私が女王となった暁には、各国の要人を篭絡して味方にすると誓ってくれた同志です。ただ、先日の件で、何人かお家が取り潰しとなってしまいました。縁ある所へ養女としてくれないか掛け合ったのですが、お兄様やお母様を憚って、色良い返事がもらえません。その件でも手を貸していただきたいのです」
「手を貸したとして、彼女たちが北で力を付け、いずれ復讐せんとは言い切れんだろう」
「侮辱なさるのはやめてください。私、お兄様に彼女たちを紹介したことがあります。けんもほろろに扱われたようですけれど、彼女たちは、もしも私が女王になったとき、お兄様を庇って守ってくれるつもりだったのです。お兄様はこの国に必要な方だと。そしてそうでない場合も、国のために身を捧げてくれるつもりでいました。私たちは女性です。男の方のような力は持っていません。でも、だからこそ、女性でしかできないやり方で、国を守ろうと思いました。その志を悪し様に言われるのは、我慢なりません」

 いつものふわふわした雰囲気は鳴りを潜め、毅然として言い切った。その姿は兄君と非常に良く似ていた。同じ血を分けた兄弟なのだと感じさせられる。

「おまえがそこまで言うのなら」

 しかし、殿下は途中で言葉を切り、横に首を振った。

「いいや、ここでは確約できない。私は、確かにその女性たちの上辺しか見なかった。だから、なんとも言えん。だが、それだけの志があったのなら、他にも目を懸けていた者があっただろう。早急に調べさせよう。それからルーファス殿下の件だが、国同士の利害も絡む。感情で推し進めることはできん。両陛下に諮るべき問題だ。今はそれしか言えぬ」
「わかっています。今はそれだけで充分です」

 ミルフェ姫は表情を和らげた。お行儀悪く両手を上に上げ、あーっと声を出して伸びをする。

「ああ、清々しました。これを言える日を、どのくらい待ち望んできたか」

 すとんと手を下ろし、首を傾げる。

「もう一つ何か忘れている気がするのですが。何だったかしら。えーと、あ、そうそう、それから、ペイヴァーや護衛たちのことです。私がいなくなった後は、ぜひお義姉様の護衛として召し上げていただければと思ったのです」
「殿下、そんな恐れ多いことは」

 ペイヴァーは驚いたように言った。

「なるほど。その件では頭を痛めていた。信頼できる者が欲しいと思っていた。悪くない案だ」

 アティス殿下は頷いた。そして笑う。

「それもこれも、あちらから申し入れがあった場合の話だが。それともこちらから掛け合ってみるか?」
「いいえ、そんな夢のないのは嫌です。やはり、結婚の申し込みは殿方からしてくださらないと。紳士的に、かつ情熱的に」

 ミルフェ姫は両手を胸元で組み合わせ、うっとりと宙を見つめた。かと思うと、はっと何かに気付いた様子で、ソランに顔を向ける。

「プロポーズの言葉はなんだったのですか? まさか脅されたりしていませんよね?」
「ええ。脅されてはいませんが」

 ソランは考え込んだ。プロポーズの言葉などあっただろうか。
 思い出すために殿下を見つめると、何か言う前に釘を刺された。

「そういうのは二人の秘密だ。何も言うな。わかったな」
「はあ」

 ソランはとりあえず頷いた。そうしろと殿下の目が要求していたからだ。
 そうしながらも考え続け、決定的な気持ちは口付けで伝えてもらったのだったと思い至って、その瞬間に赤面した。そんなこと、他の誰にも言えるわけがない。
 やっとわかったかと呆れ気味な殿下を、上目遣いで見てから俯く。抱き寄せられている手がさらに強くソランを引き寄せようとし、殿下を意識して高鳴る胸に、彼女は身を硬くした。

「あら、やだ、私ったら、失礼しました。ごちそうさまです」

 ミルフェ姫がそう呟き、ソランはますます俯いたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

スローライフ 転生したら竜騎士に?

梨香
ファンタジー
『田舎でスローライフをしたい』バカップルの死神に前世の記憶を消去ミスされて赤ちゃんとして転生したユーリは竜を見て異世界だと知る。農家の娘としての生活に不満は無かったが、両親には秘密がありそうだ。魔法が存在する世界だが、普通の農民は狼と話したりしないし、農家の女将さんは植物に働きかけない。ユーリは両親から魔力を受け継いでいた。竜のイリスと絆を結んだユーリは竜騎士を目指す。竜騎士修行や前世の知識を生かして物を売り出したり、忙しいユーリは恋には奥手。スローライフとはかけ離れた人生をおくります。   

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...