暁にもう一度

伊簑木サイ

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第八章 思い交わす時

3-9

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 寄り添って仲良さげな二人を見て、殿下は大人気なく眉間に皺を刻んだ。それには一切気付かないふりで、向かいのソファに一緒に腰を下ろす。

「お兄様、ソランお義姉様、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」

 ソランだけが答えた。

「で、何の用だ」

 ミルフェ姫は、じっと兄君を見ていたが、くすくすっと笑った。

「束縛が過ぎる男は、嫌われましてよ」

 殿下がディーを見遣り、余計なことを言うなという目で見る。対するディーは首を横に振って、俺ではありませんとアピールした。

「ソランお義姉様でもありませんわ。一目瞭然ですもの。だから、さんざんお勧めしてきたでしょう。女性をスマートにエスコートなさるように。経験不足でしてよ」

 殿下は見るからに嫌そうな顔をした。早く帰れとか、余計なお世話だとか、黒々と顔に書いてある。

「お義姉様、朴念仁に愛想が尽きたら、ぜひ私の許に来てくださいね。一緒に楽しく暮らしましょう」

 ソランは社交辞令で礼を言った。

「ありがとうございます、ミルフェ様」
「ソラン!」

 殿下が顔色を変えて名を呼んだ。苛立たしげなのに心配そうなのがおかしい。ソランはこっそり笑いを噛み殺した。

「冗談です。しかたないですね。傍にいないと、お兄様は落ち着かないみたい。お義姉様、どうぞお兄様の隣に行ってさしあげて」

 ソランは移動して、仏頂面の殿下の横に腰を下ろした。拳二つ分ほど空けて座ったのに、腰に手をまわされ、密着するように引き寄せられる。その手はそのまま留まって、しっかりと抱き捕まえていた。
 ミルフェ姫は呆れた様子を見せ、それから苦笑した。

「私は、もう、好きにしてもよいのですね」

 その安心した晴れ晴れとした口調に、一同は彼女を注視した。

「お兄様にご相談がございます。私、エレイアのルーファス殿下の許に嫁ぎたいのです」

 突然のとんでもない話に、室内に沈黙が落ちる。たっぷり一分はミルフェ姫を皆で凝視していただろう。アティス殿下が、疑問だらけの声で尋ねた。

「しかし、彼はおまえの好みとはかけ離れていると思ったが」
「確かに、見た目は冴えないお方です。チビでデブで、将来は血統的に絶対禿げるでしょう」

 ひどい言い様だったが、その瞳は夢見る乙女のものだった。

「私、実は、福々しい感じの方が好きなのです。あんまり大きかったり強そうだったりする人は、怖くて苦手です」
「そうだったか。だが、いつ知り合ったのだ。彼が来たのは二年ほど前だが」
「ええ。それからずっと文通をしております。それでこの間、ついにプロポーズを受けました」
「手紙でか?」
「はい」

 殿下はディーを見た。それは可能性的にどの程度信憑性があるんだと確認したいようだった。ディーはペイヴァーを見遣ったが、彼は軽く頭を下げただけであった。全員の間に困惑が広がる。

「しかし、手紙の上でのことだろう?」
「はい。彼ほど誠実で詩的なお手紙をくださる方は、他にはいらっしゃいません」
「そうは言っても」
「いいえ。私、二百人ほどの方と文通しておりますが、長くお手紙を遣り取りしていると、見えてくるものがあります。彼は本当に素敵な方ですのよ」

 二百人。その数に息を呑む。

「いったい一日にどれほど手紙を書くのだ」

 殿下は感心半分、呆れ半分に聞いた。

「少なくとも五通は。平均七通ほどでしょうか」
「手紙好きとは聞いていたが、それほどだったとは」
「好きというか、私にはそうするしかなかったのです。私にはお兄様のような政(まつりごと)に関する才能はありませんもの。いずれは夫になる方が王となったでしょう。その時、私に出来るのは、なるべくたくさんの人と仲良くなっておくことだと思ったのです。なんとも思っていない人とより、仲の良い人との方が、話もスムーズにいくものでしょう? だから、お父様やお母様にお願いして、訪ねていらっしゃる方々に紹介してもらっては、文通をお願いしたのです」

 誰もがその事実に瞠目した。国の行く先を憂え、夫選びに苦心しているのは知っていたが、兄に頭の中に花畑を持っていると言わしめる屈託のなさが彼女の本質だと、誰もが思っていたのだ。でも、それすら彼女が心を砕き、努力してきた姿であったとは。

「二年前にいらっしゃった時に言葉を交わして、見た目だけではわからないお人柄に惹かれました。だけど、アティスお兄様は王位から遠ざかろうとなさるし、だからといってエルファリアお兄様に王になってくださいとは言えませんでした。それは、死んでくださいと言うのと同じですもの」

 殿下は妹姫に見つめられ、わずかに苦々しげな表情をした。

「ですから諦めていたのです。それで、王位に相応しかろうと思う方にプロポーズを繰り返したのですが、誰にも相手にされなくて」

 ミルフェ姫は切なげに溜息を吐いた。
 確かに、国王の侍従であり宰相の弟子でもあるクライブ・エニシダや、大神官の跡取りであるルティン・コランティアは、将来を嘱望されている若者たちだ。そして、ソランもそうであった。

「もちろん、どの方も素敵でその当時は夢中になっていたので、振られれば傷つきました。ソラン殿のことも、本当に好きだったのですよ」

 ソランと目を合わせ、おどけたように肩をすくめる。

「それでも、ずっと心の特別な場所に、ルーファス様はいらっしゃいました。私、承諾のお手紙を出そうと思っているのです。それで、彼が正式に申し入れをしてくださったら、お兄様に味方をしていただきたいのです」

 殿下は妹姫を見つめ、しばらくして口を開いた。

「あちらに知っている者は誰もいないのだぞ」
「わかっております。なので、私のお友達を何人か侍女として連れていきたいのです。その口添えもしていただきたいのです」
「そんな我儘は通らん」
「我儘ではありません。お兄様は、これから西方の国々との戦に備えて、この国を改革なさるのでしょう? そのためにエレイアとの友好は必要なはず。私がその架け橋となります。そして、エレイアやもっと北の国々との友好も取り持ってみせます。私の連れていきたいと言っているお友達は、私が女王となった暁には、各国の要人を篭絡して味方にすると誓ってくれた同志です。ただ、先日の件で、何人かお家が取り潰しとなってしまいました。縁ある所へ養女としてくれないか掛け合ったのですが、お兄様やお母様を憚って、色良い返事がもらえません。その件でも手を貸していただきたいのです」
「手を貸したとして、彼女たちが北で力を付け、いずれ復讐せんとは言い切れんだろう」
「侮辱なさるのはやめてください。私、お兄様に彼女たちを紹介したことがあります。けんもほろろに扱われたようですけれど、彼女たちは、もしも私が女王になったとき、お兄様を庇って守ってくれるつもりだったのです。お兄様はこの国に必要な方だと。そしてそうでない場合も、国のために身を捧げてくれるつもりでいました。私たちは女性です。男の方のような力は持っていません。でも、だからこそ、女性でしかできないやり方で、国を守ろうと思いました。その志を悪し様に言われるのは、我慢なりません」

 いつものふわふわした雰囲気は鳴りを潜め、毅然として言い切った。その姿は兄君と非常に良く似ていた。同じ血を分けた兄弟なのだと感じさせられる。

「おまえがそこまで言うのなら」

 しかし、殿下は途中で言葉を切り、横に首を振った。

「いいや、ここでは確約できない。私は、確かにその女性たちの上辺しか見なかった。だから、なんとも言えん。だが、それだけの志があったのなら、他にも目を懸けていた者があっただろう。早急に調べさせよう。それからルーファス殿下の件だが、国同士の利害も絡む。感情で推し進めることはできん。両陛下に諮るべき問題だ。今はそれしか言えぬ」
「わかっています。今はそれだけで充分です」

 ミルフェ姫は表情を和らげた。お行儀悪く両手を上に上げ、あーっと声を出して伸びをする。

「ああ、清々しました。これを言える日を、どのくらい待ち望んできたか」

 すとんと手を下ろし、首を傾げる。

「もう一つ何か忘れている気がするのですが。何だったかしら。えーと、あ、そうそう、それから、ペイヴァーや護衛たちのことです。私がいなくなった後は、ぜひお義姉様の護衛として召し上げていただければと思ったのです」
「殿下、そんな恐れ多いことは」

 ペイヴァーは驚いたように言った。

「なるほど。その件では頭を痛めていた。信頼できる者が欲しいと思っていた。悪くない案だ」

 アティス殿下は頷いた。そして笑う。

「それもこれも、あちらから申し入れがあった場合の話だが。それともこちらから掛け合ってみるか?」
「いいえ、そんな夢のないのは嫌です。やはり、結婚の申し込みは殿方からしてくださらないと。紳士的に、かつ情熱的に」

 ミルフェ姫は両手を胸元で組み合わせ、うっとりと宙を見つめた。かと思うと、はっと何かに気付いた様子で、ソランに顔を向ける。

「プロポーズの言葉はなんだったのですか? まさか脅されたりしていませんよね?」
「ええ。脅されてはいませんが」

 ソランは考え込んだ。プロポーズの言葉などあっただろうか。
 思い出すために殿下を見つめると、何か言う前に釘を刺された。

「そういうのは二人の秘密だ。何も言うな。わかったな」
「はあ」

 ソランはとりあえず頷いた。そうしろと殿下の目が要求していたからだ。
 そうしながらも考え続け、決定的な気持ちは口付けで伝えてもらったのだったと思い至って、その瞬間に赤面した。そんなこと、他の誰にも言えるわけがない。
 やっとわかったかと呆れ気味な殿下を、上目遣いで見てから俯く。抱き寄せられている手がさらに強くソランを引き寄せようとし、殿下を意識して高鳴る胸に、彼女は身を硬くした。

「あら、やだ、私ったら、失礼しました。ごちそうさまです」

 ミルフェ姫がそう呟き、ソランはますます俯いたのだった。
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