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第八章 思い交わす時
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翌日から、ソランは軍務に復帰した。
王妃が陰謀を企んだ者たちを処分し終わり、ペイヴァーが王女派を掌握して、王宮内の危険度が下がったためだが、一番大きかったのは、殿下が珍しく深く反省したからだった。
それまで、殿下はなんとかソランを婚約者の座に追いこもうと、彼女の意思は考えず、強引に外堀を埋めようとしていたのだ。彼女の警護を厳重にし、『イリス』への寵愛を示す一方、逃す不安から、極端にその行動を制限していた。
それが、ソランの見せた涙に、さすがの殿下も己の非を悟らざるを得なかったのだ。もちろん、婚約が成って安心したというのもある。
二度と同じ轍は踏まないとソランに誓い、「これからどうしたい?」と彼女に尋ねた。
ソランは、これまでと同じに、と望んだ。彼の盾であり剣でありたいと。
「ご婚約お喜び申し上げます。ソラン様は軍へ復帰なさるのですね。奇遇でございます。ちょうど、このようなものをご提案したいと思って、持って参ったのです。こちらはいかがでしょうか」
その日、朝早く、ゲルダ衣裳店のチェイニー婦人が、出来上がったドレスとともに、局の軍服と同じ意匠で、女性らしいカッティングを施したものを持ってきた。
侍女たちに急かされて、さっそく身につけると、部屋中に黄色い悲鳴が響き渡った。
「きゃーっ。ソラン様、すてきーっ」
そのあまりの騒ぎに、扉の外に控えていた護衛が、何事かとあわてて踏み込んできたくらいだ。
抜刀して扉を突き破らんばかりにして現れたイアルに、先程とは違う悲鳴が上がる。マリーが彼女たちの前に出て、彼を怒鳴りつけた。
「断りもなく女性の寝室に踏み込むとは、失礼な!」
彼は、ソランの許へ一直線に向かおうとしていた。その間にいる侍女たちも、邪魔だと認識すれば、斬り殺しただろう。明らかな不審者がいなければ、誰が敵かわからないからだ。疑わしきは斬り捨て、ソランの安全を確保する。それが彼の仕事だ。マリーがいなければ、確実にそうなったはずだった。
「すまない。ふざけすぎた」
ソランが両手を開いて肩をすくめ、何でもないのだと身振りで示す。彼はそれでようやく警戒を解き、剣を納めた。
「ソラン様が謝ることはありません。そこの慮外者がいけないのです」
イアルは己の職務をまっとうしただけだ。マリーがことさらきつく当たるのはどうしてだろうと、ソランは首を傾げた。彼女に歩み寄り、首元に手をやって熱を診る。
「熱はないみたいだけど、どこか具合悪いの?」
「そ、そんなことないわ。ど、どうしてそんなふうに思うのかしら?」
マリーは畏まった口調を忘れて、素の言葉遣いで、その上、なぜかどもる。ああ、何かあったのだなと察してイアルに視線を送ると、心配そうにマリーを見ていた。
「具合が悪いなら、もう一日休んでも」
「まさか! 平気です!」
語気荒く言い張る。
「そう? そこまで言うなら好きにしていいけど、無理はしないでね」
「ええ。ありがとうございます」
マリーはそそくさと皆に向き直ると、「さあ、仕事を始めましょう!」と手を叩いた。一斉に動きだした女性たちの間をぬって、ソランはイアルに近付いた。
「何かあった?」
「べつに」
何でもなさそうに答える。つまり、ソランは首を突っ込むなということらしい。
ちぇ、と思う。幼馴染同士がくっつくと、つまらないものだ。急に二人の間に秘密ができて、ソランの居場所がなくなったりするのだから。
ソランはイアルに付いてくるように指で指示して、先に立って居間へと向かった。
「ここは出入り口が一つしかないから、守るにはいいが、万が一の場合は、間に合わないかも知れんな。さっきは、かなり焦った」
「うん。それは私も気になっていた。だけど、実は入り口は一つではないよ。寝室の奥の衣裳部屋に、殿下の寝室とつながる扉がある。鍵がないと開けられないけれど」
「その鍵は持っているんだろうな?」
「いただいた。万が一の時は使えと」
「使えよ」
使うことはないと思っていたのを見透かされ、釘を刺される。殿下が確実にいないとわかっていれば使うかもしれないが、そうでないなら、彼を危険には巻き込めない。その時は排水口に捨ててしまえれば良し、それすらできなければ、鍵は飲み込んでしまうつもりだった。
ソランは答えずに、別の可能性も指摘した。
「一番気掛かりなのは、食事のワゴンや風呂の湯を運び上げるエレベータだ。私やイアルでは無理だけど、マリー程度の小柄な女性なら乗ることができる」
そして、マリーほどの腕があれば、もしかしたら暗殺に成功するかもしれない。
「まあ、一度に一人しか入り込めないし、あそこには常時見張りを置いてはいるけどね。それと、煙突、トイレ、風呂の排水口。あと、図面と建物の構造が同じか調べないと。殿下も知らない隠し通路があったら、洒落にならない。手配してくれる?」
「いいけど、殿下に許可を貰ってくれ。あと、今後の俺の身分はどうなっている? 殿下には、挨拶はいいから、おまえの護衛に行けと追い返されたんだが」
「そうだった。イアルは私の副官扱いになる」
「軍医の副官?」
イアルが苦笑する。
「今はね。いずれは王太子妃、の副官になるんだよ」
ソランは自分で言ったことが未だ飲み込めず、軽く息を吐いた。
「嫌ならいつでも破談にしてやるが」
それに声をあげて笑う。
「我が片腕として、いい心がけだ。でも、頼みようがないな。それは私が死ぬ時だもの」
イアルは、やれやれという顔で肩をすくめた。
王妃が陰謀を企んだ者たちを処分し終わり、ペイヴァーが王女派を掌握して、王宮内の危険度が下がったためだが、一番大きかったのは、殿下が珍しく深く反省したからだった。
それまで、殿下はなんとかソランを婚約者の座に追いこもうと、彼女の意思は考えず、強引に外堀を埋めようとしていたのだ。彼女の警護を厳重にし、『イリス』への寵愛を示す一方、逃す不安から、極端にその行動を制限していた。
それが、ソランの見せた涙に、さすがの殿下も己の非を悟らざるを得なかったのだ。もちろん、婚約が成って安心したというのもある。
二度と同じ轍は踏まないとソランに誓い、「これからどうしたい?」と彼女に尋ねた。
ソランは、これまでと同じに、と望んだ。彼の盾であり剣でありたいと。
「ご婚約お喜び申し上げます。ソラン様は軍へ復帰なさるのですね。奇遇でございます。ちょうど、このようなものをご提案したいと思って、持って参ったのです。こちらはいかがでしょうか」
その日、朝早く、ゲルダ衣裳店のチェイニー婦人が、出来上がったドレスとともに、局の軍服と同じ意匠で、女性らしいカッティングを施したものを持ってきた。
侍女たちに急かされて、さっそく身につけると、部屋中に黄色い悲鳴が響き渡った。
「きゃーっ。ソラン様、すてきーっ」
そのあまりの騒ぎに、扉の外に控えていた護衛が、何事かとあわてて踏み込んできたくらいだ。
抜刀して扉を突き破らんばかりにして現れたイアルに、先程とは違う悲鳴が上がる。マリーが彼女たちの前に出て、彼を怒鳴りつけた。
「断りもなく女性の寝室に踏み込むとは、失礼な!」
彼は、ソランの許へ一直線に向かおうとしていた。その間にいる侍女たちも、邪魔だと認識すれば、斬り殺しただろう。明らかな不審者がいなければ、誰が敵かわからないからだ。疑わしきは斬り捨て、ソランの安全を確保する。それが彼の仕事だ。マリーがいなければ、確実にそうなったはずだった。
「すまない。ふざけすぎた」
ソランが両手を開いて肩をすくめ、何でもないのだと身振りで示す。彼はそれでようやく警戒を解き、剣を納めた。
「ソラン様が謝ることはありません。そこの慮外者がいけないのです」
イアルは己の職務をまっとうしただけだ。マリーがことさらきつく当たるのはどうしてだろうと、ソランは首を傾げた。彼女に歩み寄り、首元に手をやって熱を診る。
「熱はないみたいだけど、どこか具合悪いの?」
「そ、そんなことないわ。ど、どうしてそんなふうに思うのかしら?」
マリーは畏まった口調を忘れて、素の言葉遣いで、その上、なぜかどもる。ああ、何かあったのだなと察してイアルに視線を送ると、心配そうにマリーを見ていた。
「具合が悪いなら、もう一日休んでも」
「まさか! 平気です!」
語気荒く言い張る。
「そう? そこまで言うなら好きにしていいけど、無理はしないでね」
「ええ。ありがとうございます」
マリーはそそくさと皆に向き直ると、「さあ、仕事を始めましょう!」と手を叩いた。一斉に動きだした女性たちの間をぬって、ソランはイアルに近付いた。
「何かあった?」
「べつに」
何でもなさそうに答える。つまり、ソランは首を突っ込むなということらしい。
ちぇ、と思う。幼馴染同士がくっつくと、つまらないものだ。急に二人の間に秘密ができて、ソランの居場所がなくなったりするのだから。
ソランはイアルに付いてくるように指で指示して、先に立って居間へと向かった。
「ここは出入り口が一つしかないから、守るにはいいが、万が一の場合は、間に合わないかも知れんな。さっきは、かなり焦った」
「うん。それは私も気になっていた。だけど、実は入り口は一つではないよ。寝室の奥の衣裳部屋に、殿下の寝室とつながる扉がある。鍵がないと開けられないけれど」
「その鍵は持っているんだろうな?」
「いただいた。万が一の時は使えと」
「使えよ」
使うことはないと思っていたのを見透かされ、釘を刺される。殿下が確実にいないとわかっていれば使うかもしれないが、そうでないなら、彼を危険には巻き込めない。その時は排水口に捨ててしまえれば良し、それすらできなければ、鍵は飲み込んでしまうつもりだった。
ソランは答えずに、別の可能性も指摘した。
「一番気掛かりなのは、食事のワゴンや風呂の湯を運び上げるエレベータだ。私やイアルでは無理だけど、マリー程度の小柄な女性なら乗ることができる」
そして、マリーほどの腕があれば、もしかしたら暗殺に成功するかもしれない。
「まあ、一度に一人しか入り込めないし、あそこには常時見張りを置いてはいるけどね。それと、煙突、トイレ、風呂の排水口。あと、図面と建物の構造が同じか調べないと。殿下も知らない隠し通路があったら、洒落にならない。手配してくれる?」
「いいけど、殿下に許可を貰ってくれ。あと、今後の俺の身分はどうなっている? 殿下には、挨拶はいいから、おまえの護衛に行けと追い返されたんだが」
「そうだった。イアルは私の副官扱いになる」
「軍医の副官?」
イアルが苦笑する。
「今はね。いずれは王太子妃、の副官になるんだよ」
ソランは自分で言ったことが未だ飲み込めず、軽く息を吐いた。
「嫌ならいつでも破談にしてやるが」
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イアルは、やれやれという顔で肩をすくめた。
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