暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 本館に入ったところで、ソランはようやく下ろされた。憤ってみせるには殿下に邪気がなさすぎて、未だ速い鼓動を刻む心臓に手を当て、ただただ恨みがましく見上げる。それさえ殿下にとっては楽しいようで、くすくすと笑いながらソランの腕をとり、自分の腕に絡めさせた。

「おまえたちは、ここまででよい」

 彼はアロナたちに下がるように言い、イアルとディーだけを伴い、館の奥へと進んだ。真っ直ぐ裏口へと向かい、そこから外に出る。
 塔へと続く道の途中で左に行き、城壁に沿って歩いていく。そして何の変哲もない場所で立ち止まった。

 どことも変わりなく見えるそこに空いた小さな穴に、殿下は取り出した鍵を入れた。微かな金属音とともに、こちら側に城壁の一部が滑り出してくる。その隙間に指を入れ開け放つと、人が一人通れるくらいの細い階段が現れた。
 先にディーが下りていく。次に殿下が行き、ソラン、イアルと続いた。

「海賊と姫君の言い伝えは聞いたか?」

 岩が両側からごつごつとせり出し、閉じ込められてしまいそうな感じのする急なそこを、誰もが下を向いて確認しながら慎重に下っていく。

「はい。収穫祭に劇をやるそうですね」
「ああ。新婦になる女性の憧れの的らしいが、たいていの新郎にとっては、とんでもない苦行らしいな」

 殿下の声に多量の笑いが含まれている。どうやら思い出しているらしい。

「イドリック殿もウォルター殿もハリー殿もやったと聞きしました」
「うん。さすがにハリーのは見ていないが、二人のは見たぞ。面白かった」
「特にイドリック殿は語り草だったとか」

 殿下は喉の奥でひとしきり笑ってから、教えてくれる。

「ファティエラは腰くだけになっていた。あれはやりすぎだ。だが、それであいつは株を上げたんだ。この地の者に受け入れられる切っ掛けになった。結果的には良かったのだろうな。あいつの許には、あれ以来、あの技術を伝授してほしいと、歳若い者が毎年何人も教えを請いにやってくるんだ。妻はあのファティエラだし、夫婦喧嘩の仲裁を頼みに来る者も多いぞ」
「あのファティエラ、ですか?」

 ソランはそのニュアンスに疑問を覚えて聞き返した。

「ああ。エランサの女性は、戦にこそ出ないが、それ以外は男と同等の働きをするのだ。男が放牧で定住地を離れれば、女が家を守らねばならん。それこそ、力仕事も狼を追い払うのもな。あのスーシャでさえ、力仕事を厭わないし、弓も扱える。乗馬にも長けている。その上、女性は家の中も仕切るだろう? 口では男は勝てないしな。エランサは伝統的に恐妻家が多いのだ」
「とてもそうは見えませんが」
「そこが不思議なのだ。明らかに尻に敷いているのに、どういうわけか、ファティエラはイドリックに夢中だろう。なんだかんだ言って、イドリックの意見が通るしな。それを見て、結婚してから妻が恐ろしい女になって、こんなはずではなかったという男どもが、秘訣を聞きに来るわけだ」

 どこでもよく聞く話だ。ソランは呆れ混じりに感想を述べた。

「その男たちは、都合のいい夢を見ていたのでしょう。結婚をして生活が始まれば、お互いだけを見ているわけにはいきません。女たちは、愛しているからこそ生活を守ろうとしているというのに」
「なるほど、女には女の言い分があるわけだ」
「ございますよ」

 それはもう、あふれんばかりに。領地で、結婚した姉さんたちの惚気半分の愚痴を、どれほど聞いたことか。

「そうか。では私は、おとなしく尻に敷かれておくとしよう」
「何を仰っているんですか。そんなことになるわけがありません。今だって私は殿下に振り回されっぱなしです」
 ソランは先程のことを思い出し、憤りを込めて言った。
「本当か? それは嬉しいことを聞いた。私ばかりが振り回されているのかと思っていたが」

 冗談なのか、本気なのか判断がつかなかい。時々、殿下とはどうにも話が通じなくて、もどかしくなることがある。
 それはもしかして、殿下が男で、ソランが女であるせいなのかもしれないと気付いた。受け止める感覚自体が違うとしか思えないのだ。

「話が逸れたが、この階段は、くだんの海賊が姫に会いたい一心で、一段一段刻んだのだと言われているのだ」
「それにしてはよくできた造りですね。外側からは見えないようになっているようですが」

 外からやってくる者が、外に見えないように造る必要はない気がするのだ。胸壁の上からは丸見えなのだし。むしろ、こんな造りにするとすれば、内側の者ではないのか。
 殿下は足を止めてソランを振り返った。複雑な顔をしている。当てが外れたというか、当たったというのか。

「おまえはできすぎだ。そうではないかと思いはしたのだが」

 ぼやく口調であった。ソランは首を傾げた。

「この話は、この辺りでは女性を口説く定番なのだ。こういうのを、女性はロマンティックだと喜ぶのではないのか?」
「はあ。そうかもしれませんね」

 ソランはとりあえずそう答えた。

「なんだ、何か言いたそうだな」
「え? はあ、まあ、杜撰すぎる話だと」

 ディーがいきなりしゃがみこんだ。壁に手を付き、肩を震わせ、声を殺して笑っている。おかしな気配に後ろを振り返っても、イアルが背を向けてやはり笑っていた。

「どうして笑う!? だって、どう考えたっておかしな話だろう。城側からは丸見えなんだぞ? しかも、こんな大工事に気付かないわけがあるかっ」

 イアルに憤懣をぶつける。 

「そのとおりだ。怒るな。もっと古い時代に、脱出口として造られたのだ。だが、ここから登って姫に会いに行っていたのは本当らしい。どんな警備だったのだと言いたい気もするのだが」
「だ、駄目です! もーう、我慢できません! あなたたちはどっちもどっちですよ!」

 ディーが叫んで、大きな声で笑いだしたのだった。
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