暁にもう一度

伊簑木サイ

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第十章 バートリエ事変

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 夕飯の仕度を始めた竈のそばで、ソランは子供たちと遊んでいた。さっきまでは、まだうまく跳べない小さな子たちを抱えて大縄跳びをやっていた。今度は小さな子たちに合わせてままごとだ。泥団子を作って手渡してくれるので、食べたふりをする。大きな子たちも幼児の子守りを任されて、ソランに寄り添って座っていた。

 バートリエは大陸でも北方に位置し、キエラよりだいぶ寒い。日中は日が照り、それほど寒さを感じなかったが、少し日が傾いてくると、とたんに冷えこんでくる。だから食事も早目にすませ、後はテントに籠り、何もせずに寝る。

 一団はホルテナを中心に非常によく纏まっていた。特に年長者たちが協力して、子供たちを守ったようだった。彼女たちの姿が、領地の小母さんや姉さんたちと重なって見え、ソランは胸が痛んで仕方がなかった。

 大人たちは深い悲しみと苦しみに疲弊しきっていたが、物事のわからない小さな子たちは別である。突然現れた新しい遊び相手に、きゃあきゃあ笑ってまとわりついた。それより大きな子たちは、大人たちと似た表情をしていたが、ソランが笑いかけて頭を撫でると、はにかんだ笑みを浮かべた。
 一人の子供がくしゃみをした。風が出てきて、一段と寒くなってきたようだ。ソランは大仰に震えてみせた。

『あー、寒い! テントに入る!』

 子供と話してみてわかったが、ソランのエランサ語は、三、四歳児とそう変わらない感じだ。だから、少し大きい子たちがそれを聞いて笑う。嫌な笑いではない。いい大人が片言で話すので、面白がっているのだ。

『手ーを洗おー、手を洗おー』

 節をつけて即興で歌うと、真似をして手を叩いて歌いだす。ソランは渡されたバケツの水に一人ずつ手を入れて洗ってやりながら、『おー、冷たい!』『ごしごしごし』『さあ、きれい』とでたらめに歌い続けた。
 そうして一人一人の額にキスをしてから、それぞれの母親に渡して別れを告げた。またね、と。子供たちはご機嫌でテントの中に入っていった。

 竈のまわりには十人の大人が残った。ホルテナが一番若い。ファティエラやスーシャが火にかけられた鍋の様子を見るのを代わり、彼女たちはソランを囲んだ。

『全員、この国に留まることを望みます』

 代表してホルテナが言った。

『帰っても男もおらず、食料も奪われた村では生きていけません。伝手を頼って他へ移り住んでも、こんな目に遭った私たちは、白い目で見られるでしょう。それに移り住むためには、誰かのものにならねばなりません。私たちはそれを望みません』

 ソランが他の者を見まわすと、全員がはっきりと頷いてみせた。

『あなたたちは、私のもの。それでいい?』
『はい。お願いいたします』

 彼女たちは揃って深々と頭を下げた。

『わかった。夫に伝える』

 エランサ語で殿下とソランの関係を表す言葉は、夫と妻が一番近いのだとも知った。
 あちらで言う婚約者は、婚約予定者とでもいうべきもので、一族や一家同士の契約内容に添っていれば、当初と違う者が差し出されても、問題ないのだ。つまり、いずれお互いの血を交わす、という約束の期限内に、適齢期を迎える女性全員が、その候補たりえるのだという。
 それから言えば、最早契りを交わしたと思われているソランたちは、あちらでは夫婦と同じ扱いになるのだった。

『では、伝えに行く。連絡あれば来る。なくても遊びに来る』

 女性たちが微笑ましそうに笑った。どうやらどこか発音か言いまわしがおかしかったのだろう。さっき子供たちにも色々指摘された。たとえば大丈夫は『だいじょぶ』と聞こえるらしい。
 スーシャが言うには、全体的に舌足らずで可愛らしく聞こえるのだそうだ。ソランもスーシャの言うことを額面通り受け取ったわけではない。きっと、ソランが気にしないようにそう言ってくれたのだろうと思っている。モノは言いようなのである。

『お待ちしています』

 彼女たちに見送られ、ソランはテントを後にした。
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