暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
181 / 272
第十一章 解呪

1-5

しおりを挟む
 殿下の大笑いには、まったくもって納得がいかない旨を、馬車の中で言い募ってみたのだが、どういうわけか殿下はもっと上機嫌になって、自分の膝の上にソランを抱え上げた。あらがったが、「いやか?」と艶っぽい声で耳元で言われると、どうにも拒絶できなくなる。

 馬車の揺れに体勢を崩して殿下にしがみつけば、首筋に顔を寄せられ、とんでもない感覚に身をよじったところで、馬車が停まった。
 扉がノックされる。ソランが急いで元の座席へ戻ろうとしているのに、殿下は腰を抱いたま離してくれなかった。そのせいで、扉の開いた先で待ち構えていたディーと目が合い、とんでもなく気まずい思いをした。彼の方からそっと目をそらしてくれたのが、よけいにいたたまれない。

 殿下はやっとソランを下ろすと、先に自分が馬車から降りて、ソランに手を差し伸べた。その仕草が見たこともないほど紳士的で、一連の行為のとどめのように、ソランの心を射抜いた。
 最早全身が心臓になってしまったようだ。胸といわず指先といわず、体中が疼いて動かせず、ソランは体を支えられたまま真っ赤になって、不器用に立ち尽くした。

 女に興味がなく、扱い方を知らない? そんなのは嘘だ。女を落とす手練手管に通暁しているとしか思えない。だって、ソランはまさに生け捕り状態ではないか。
 しかし、殿下の浮いた話など誰も聞いたことがなく、そもそも女だとバレたら局から追い出されると言われていたのだ。ミルフェ姫も兄弟喧嘩をしながら苦言を呈していた。ということは、持って生まれた才能なのだろう。
 なんて迷惑な才能だろうと、思わずにはいられなかった。迷惑、という点で殿下らしいと言えばらしかったが。そのうち本当に、ソランの心臓が壊れてしまいそうだった。

「行くぞ」

 ソランは辛うじて頷き、差し伸べられた腕に己の腕をからめた。殿下が退いたことで正面が開け、篝火と警備兵が、道に沿ってずらりと並んでいるのが見えた。
 そこから左右に視線を転ずれば、二十メートルほどの空白地帯がおかれ、もっと物々しい警備兵に遮られて、群集がこちらを見ていた。

 ソランの中から熱気が抜けていき、瞬時に全身に緊張が漲る。殿下の色香に惑わされている場合ではなかった。とんだ失態だ。

「アティス様!」

 どこからか掛けられた声に、殿下が応えて手を上げた。それを見て、わぁっと歓声があがり、我も我もと呼びかけてくる。そこにソランの名も混じっていた。

「おまえも手を振ってやれ」

 ソランは笑顔を作り、手を上げた。人波が不規則に動き、騒がしくなり、熱気が高まる。ひとしきり手を振ってから、その中を歩きはじめた。

 彼らは次代の王を見に来たのだ。『エランサ侵攻』などという報を聞けば、誰もが心穏やかではいられなかっただろう。それを追い払ったという人物を、王太子に一番相応しいと囁かれている人物を、本当に噂通りであるのか、その目で確かめたかったのだ。

 この軍事大国において、戦を治める手腕を持つことは、恐らく何より求められることだ。殿下には間違いなくその才がある。だが、それをわかりやすく見せることはできない。
 だからこそ、こんな風にするしかないのだ。本物の戦功と、虚実混合の噂と、実物でそれを上回る威厳を見せて示すしか。

 本来の殿下はこんな華美な衣裳を好みはしない。ソランとて、こんな高級品、こんな理由でもなければ、恐れ多くて袖を通せるものではなかった。しかし、貧相な格好の人物に、信頼を寄せるのは難しいだろう。まずは、人々の信頼を得ること、不要な不安を植えつけないことが肝心だった。

 ソランは、為政者が最も為さねばならないことは、民に安寧をもたらすことだと思っている。衣食住が足り、明日を安心して迎えられるようにすることだと。祖父に口で直接諭されたことはない。ジェナシス領を治める勉強をしながら、毎日の生活の中から、そのように学び取った。
 そのためには、国を荒れさせないこと、つまりは戦を減らすことが必要だ。天候の異変も大規模な被害をもたらすが、それは多分に局地的だ。人も物も大量に消費するだけの戦は、国そのものを弱体化させる。

 ただ、情勢は厳しい。いずれ訪れるエーランディア聖国に備え、まずは国内の改革が必要であり、恐らく戦火は避けられないだろう。
 近い内に国民に苦難を強いることになる。その時、この歓声が失望の怒声に変わるか、それとも助力を誓うときの声になるか。殿下やソランたちのこれからの行動に、それがかかっているのだ。

 ソランは殿下の腕に絡めた手に、力を込めた。バートリエでも感じた、目の前に道が開けていく感覚だった。殿下は前を見たまま、わずかに腕を引寄せることによって応えてくれる。きっと同じものを感じているに違いない。
 辿り着きたい未来に、行き着くために払われる、たくさんの苦難と苦悩と、この歓声に象徴される栄光と重圧を。

 ソランは静謐を湛えて殿下に寄り添った。迷いはなかった。恐れもなかった。この人と共に歩む、いつでもそれしかソランにはないのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす

遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

処理中です...