暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話集 古語り

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 だから、ソランには願うことを戒めさせた。ただあるがままの現状を、いつでも感謝させることを教え込んだ。
 祭壇の前に立ち、共に並んで跪き、幼いソランに繰り返し諭した。

「ここは女神にお願いをする場所ではないのよ。女神はいつでも私たちを見守り、必要なものを与えてくださっています。それ以上を望むのは傲慢です。女神には、ただ感謝を捧げるのですよ」

 その教えは、しっかりとソランの中に根付いた。イリスが死にゆこうとしている今も、ソランは決して彼女の延命を願いはしない。彼女を惜しみ、最後の瞬間まで寄り添おうとしてはいても。

 ソランが二歳を過ぎた頃、ティエンはリリアが第二子を身篭ったのを期に、ソランをイリスとアーサーに託すことを選んだ。
 リリアは日常生活に支障のないほどまで回復していた。彼は南部の豊かな地を拝領していたが、そちらもまわりがきな臭くなりはじめた頃でもあった。そこで、ソランが育った時を睨んで、王都で足場を固めておく必要があった。

 それに、ティエンもリリアも口にはしなかったが、イリスの容態を慮ってのことでもあった。リリアが回復したように、ソランと深く関わることによって、彼女の体調も回復に向かうかもしれない。
 そして何より、彼女には巫女としてソランに伝えなければならないことがたくさんあった。女神は役目のある者を連れ去りはしない。彼女にソランを預けることで、彼らは役目を与えようとしたのだ。

 そうして得られた時間は、とても幸せなものだった。預言が成就したとか待ち望んだ者が生まれたとかいうことではなく、かわいい孫の成長を見守り、生きられたことが。

「おばあさま、お水はいる?」

 ソランが水筒を持って寝室に駆け込んできた。

「ええ、飲みたいわ」

 彼女が頷くと、掛け布をめくり、体を起こすのを手伝う。このところ急に背が伸びてきて、ずいぶん力も増し、軽々と痩せ衰えた体を支えて、背の後ろにクッションをあてがった。
 それから、井戸で汲んできたばかりの冷たい水を、コップに移して差し出した。

「とても美味しかったわ。ありがとう、ソラン」

 ソランは嬉しげに笑った。

「少し話しても大丈夫?」
「ええ。今日は体調がいいのよ」

 ソランは床に直に座り、左脇をベッドに寄りかからせて、誇らしげに話しはじめた。どうやらマリーと二人で、組み手でイアルを打ち負かせてきたらしい。最後にマリーがイアルの股間に蹴りを入れて倒した、のくだりで、イリスは思わず口を挿んだ。

「かわいそうに。二人がかりで攻めた上に、そんなことをしたなんて。あまり酷いことはしないのよ」
「負けたイアルが悪いんだよ。負けるくらいなら逃げろって、おじいさまは言うもの。それに、一人で勝てないなら、勝てる人数をそろえろって」
「逃げられないようにしたんでしょうに」
「うん。やるからには徹底的にやらないと反撃されるから。勝てば官軍なんだよ」

 イリスは困ったように笑んだ。いかにもアーサーの教えそうなことだ。このままだとソランは尊敬されるような人物にはなれないだろう。ただし、非常に頼りにされる人物にはなるだろうが。

 ソランは、まだ、領地の外のことを何も知らない。彼女によけいな偏見を持たせたくなかったからだ。ただ、生き残る術と女神への信仰だけを、しっかりと伝えた。あとは、彼女が自分の目で見て判断すればいい。たとえ宝剣の主であろうと、その心に適わないのならば、命を懸ける必要などないのだから。

「あなたもいつか」

 恋をするのだろうか、誰かと。もしかしたら、あの宝剣の主と。リリアとティエンのように、イリスとアーサーのように、苦難の時こそ、お互いの手を決して離さないような恋を。
 イリスはそんな気配を微塵も見出せないソランの表情に、笑いがこみ上げて言葉を途切れさせた。もう、初恋くらいしていてもいい年頃なのに、中身はむしろ、同じ年頃の男の子たちより幼い。色気のいの字も出てこない有様だ。

「いつか、なに?」
「一人でもイアルに勝てるようになるのかしら?」
「わかんない。なるようには努力するけれど」

 ソランが一番興味がありそうな話題を振ると、彼女は拗ねた顔をした。頭一つ分以上大きいイアルには、まだまだ一人では歯向かえないのだろう。あまりの力の差に、どうやったらできるのか想像すらつかないようだ。
 たしかにそんな相手に一人で挑むのは無謀だ。そして、勝てないなら逃げ出すことも重要だ。愚にもつかない誇りなど必要ない。生きていれば良い時も悪い時もある。でも、少なくとも生きていなければ、良い時を迎えられはしない。生き残ることにこそ、意味があるのだ。

 イリスは微笑んでソランの頭を撫でた。慰めと激励を込めて。ソランもイリスを見上げて、にこりと笑う。青い瞳が生き生きとした輝きを増した。
 アーサーがソランを探している声が、窓の外から聞こえた。ソランはぱっと立ち上がって、窓から半身を乗り出した。

「ここ! すぐに行く!」

 そして振り返ると、ごめんね、おばあさま、これから川の見まわりに行くんだ、と言いながら、丁寧な所作で布団の中に横たわるのを手伝った。あ、でも、イアルは馬に乗れないかな? と、首を傾げ、呟いている。

「もしそうだったら、イアルにはここに来るように伝えてね。お話し相手になってもらうから」
「うん、わかった。じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね。ソラン、窓から出ないの。ちゃんと扉から出て行きなさい」

 扉とは反対方向の窓へと足を向けたソランを窘める。放っておけば、ここは二階だというのに、窓の枠にぶら下がっておいて、残りの高さを身軽に飛び降りてしまう。

「はあい」

 肩をすくめておどけた表情をして手を振ると、ばたばたと走り出ていった。
 イリスは少し疲れて、横たわったまま長く深い息を吐いた。それでも心は、ソランの躍動がそのまま宿ったようにあたたかく、満たされていた。
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