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閑話集 古語り
黒の神官2
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それが間違いだったと悟ったのは、あの日。新しい黒の神官に見えた時。
私の懺悔を聞きながら、あの子の感じただろう痛みを知っているかのように、あの方は泣かれた。私たちのしてきた勝手に怒りを見せられた。
そうして、あの子の真の望みは、武力に拠らない平和なのだと、人には過ぎる理想を語られた。
女神の愛し子、世界の欠片たる失われた神。当時のあの子に加護を与え、宝剣を授けた存在は、人として在り得べからざる孤絶した美しい本質を変えずに甦られた。
あの方の描く世界に、人は届くことができない。人はそれほど強くもなければ純粋でもない。地を這いずりまわって生きている我らには。
でも、それが神の、いや、世界の意志だというのなら、我ら人は従うしかない。ただただ赦しと加護を願うしかない。
跪き、乞い願った私に、あの方は仰られた。生きて、あの子の力となれ、と。
私の手を取り覗き込んだ瞳には、責める色は欠片もなく、どこまでも明るく透き通ったものしかなかった。
その時、染み入るように理解した。私は許されていたのだと。私は、いいや、私たち人は、生きることを許され、この大地に生きているのだと。それこそが世界の意志であり、それに、人も不死人も関係ないのだと。
真に神々の意志に従うというのなら、我らは生き貫くことをこそ心掛けねばならないのだ。後悔に言い訳ばかりして、死んでみせたとしても、なんの償いにもなりはしない。逃げずに、この生と向き合うべきだったのだ。
恐らく、許しとは与えられるだけのものではないのだろう。私がそうだったように、与えられたとて気付けなければ、それまでなのだから。だからたぶん、それは己の中に受け入れるものでもあるのだ。
私が私であることを。罪も喜びも望みも欲望も、すべてに目をそらさず。
生きていることこそが、許されている証なのだから。
たとえどんな終わりが訪れたとしても、生き貫いた生にこそ意味があり、神々はそれをこそお悦びになるのだろうから。
法改正の草稿を考えるのに疲れ、私は休憩しようと、ミアーハにお茶を淹れてもらうことにした。カップに口を付けながら、ベッドの上に散らかった書類を片付けてくれている彼女に尋ねる。
「噂は王都にまで広まったのかい?」
「はい。王宮のものよりすごいことになったものが」
彼女は苦笑を漏らした。
「一万の軍勢をたった一人で迎え撃ったことになっているようです」
「それはちょっと行き過ぎだね。今頃、訂正の噂を流すのに躍起になっているのかな」
「そのようですね。あれではソラン様がおかわいそうです」
そこに心底の同情を感じ、私は首を傾げた。
「かわいそう?」
「ええ。どこの女性が筋骨隆々の偉丈夫だなどと語られたいものですか。まことしやかに流れていたアティス様の女性に興味がないという噂や、男装していた頃の話が混ざって、熊の化身のような語りようですわ」
こみ上げた笑いに、思わずむせる。ごほごほと咳き込み、お茶をこぼしてしまう。カップは優しく引き取られていき、温かい手が背をさすってくれた。
「ああ、大丈夫。発作ではないから」
「はい」
ミアーハは穏やかな笑みを浮かべた。この頃は体調も良く、こうやってベッドの上で起きていられる時間が延びている。他の何ができなくても、私が安らかでいられる、それだけで彼女はかけがえのないことだと喜んでくれる。
私は、布巾で濡れた箇所を拭う彼女の手を取って、握った。
ずっと、許されないと思い込んでいた。暗殺を『命じた者』と『実行した者』が幸せを得るなど。また、今生では私の存在故に死んでいったエメットたちに対しても。
でも、それはたぶん違う。エメットもジェニファーも、そんな償いを求めたりするような人物ではない。そして、アティスも失われた神も女神も。
許さなかったのは私自身を投影した彼らでしかなかった。許せなかったのは自分だったのだ。
本当の彼らは、ただ、生きなさい、と言うだけだ。すべてを受け入れて、自分の命を生きなさい、と。時に無慈悲に見えるほど、慈悲深く。
私はずっと考えていたことを口にした。
「ミアーハ、アティスたちに子供が生まれたら、私と結婚してもらえるかい?」
彼女は目を瞠った。不安に瞳が揺れる。彼女もまた、自分の影に怯えているのだ。
「ソラン様はきっと喜んでくださる。アティスも。慈悲深き女神も」
「女神も?」
本当に? 言葉にならない思いを汲み取って、頷く。
「私たちが逃げずにこの命をまっとうすれば。女神はそれこそをお望みだ。だから、お願いだ、ミアーハ。私と共に生きてはくれまいか。私にはあなたが必要なんだ」
私を見つめる彼女の瞳に涙が盛り上がって、ほろほろと零れ落ちた。私は答えられないのだろう彼女の頭を引寄せて、胸元に抱え込んだ。
「大丈夫。私たちも幸せを求めていいんだよ。ソラン様がそう教えてくださった」
人は苦しみしか見えない中では生きていけない。どんなにわずかでも、光ある未来が望めなければ、死に逃げることばかり夢想するようになる。自分がそうであったように。
生きるとは、絶対に、死を待つ行為ではない。ならば、生きるために、私たちも光を求めなければならない。どんなに怖くても。罪悪感に苛まれても。
生きなさい、と言われた時から考え続けていた、それが私の辿り着いた答えだった。
そして、未来を望むのなら、私はミアーハとそれを分かち合いたかった。痛みも苦しみも、何よりも喜びを共に。
ミアーハの腕が伸ばされ、背にすがりつくようにまわされる。
「幸せになろう、ミアーハ」
「エルファリア様……」
私は彼女の嗚咽が静まるまで、そっと優しく頭を撫ぜ続けた。
私の懺悔を聞きながら、あの子の感じただろう痛みを知っているかのように、あの方は泣かれた。私たちのしてきた勝手に怒りを見せられた。
そうして、あの子の真の望みは、武力に拠らない平和なのだと、人には過ぎる理想を語られた。
女神の愛し子、世界の欠片たる失われた神。当時のあの子に加護を与え、宝剣を授けた存在は、人として在り得べからざる孤絶した美しい本質を変えずに甦られた。
あの方の描く世界に、人は届くことができない。人はそれほど強くもなければ純粋でもない。地を這いずりまわって生きている我らには。
でも、それが神の、いや、世界の意志だというのなら、我ら人は従うしかない。ただただ赦しと加護を願うしかない。
跪き、乞い願った私に、あの方は仰られた。生きて、あの子の力となれ、と。
私の手を取り覗き込んだ瞳には、責める色は欠片もなく、どこまでも明るく透き通ったものしかなかった。
その時、染み入るように理解した。私は許されていたのだと。私は、いいや、私たち人は、生きることを許され、この大地に生きているのだと。それこそが世界の意志であり、それに、人も不死人も関係ないのだと。
真に神々の意志に従うというのなら、我らは生き貫くことをこそ心掛けねばならないのだ。後悔に言い訳ばかりして、死んでみせたとしても、なんの償いにもなりはしない。逃げずに、この生と向き合うべきだったのだ。
恐らく、許しとは与えられるだけのものではないのだろう。私がそうだったように、与えられたとて気付けなければ、それまでなのだから。だからたぶん、それは己の中に受け入れるものでもあるのだ。
私が私であることを。罪も喜びも望みも欲望も、すべてに目をそらさず。
生きていることこそが、許されている証なのだから。
たとえどんな終わりが訪れたとしても、生き貫いた生にこそ意味があり、神々はそれをこそお悦びになるのだろうから。
法改正の草稿を考えるのに疲れ、私は休憩しようと、ミアーハにお茶を淹れてもらうことにした。カップに口を付けながら、ベッドの上に散らかった書類を片付けてくれている彼女に尋ねる。
「噂は王都にまで広まったのかい?」
「はい。王宮のものよりすごいことになったものが」
彼女は苦笑を漏らした。
「一万の軍勢をたった一人で迎え撃ったことになっているようです」
「それはちょっと行き過ぎだね。今頃、訂正の噂を流すのに躍起になっているのかな」
「そのようですね。あれではソラン様がおかわいそうです」
そこに心底の同情を感じ、私は首を傾げた。
「かわいそう?」
「ええ。どこの女性が筋骨隆々の偉丈夫だなどと語られたいものですか。まことしやかに流れていたアティス様の女性に興味がないという噂や、男装していた頃の話が混ざって、熊の化身のような語りようですわ」
こみ上げた笑いに、思わずむせる。ごほごほと咳き込み、お茶をこぼしてしまう。カップは優しく引き取られていき、温かい手が背をさすってくれた。
「ああ、大丈夫。発作ではないから」
「はい」
ミアーハは穏やかな笑みを浮かべた。この頃は体調も良く、こうやってベッドの上で起きていられる時間が延びている。他の何ができなくても、私が安らかでいられる、それだけで彼女はかけがえのないことだと喜んでくれる。
私は、布巾で濡れた箇所を拭う彼女の手を取って、握った。
ずっと、許されないと思い込んでいた。暗殺を『命じた者』と『実行した者』が幸せを得るなど。また、今生では私の存在故に死んでいったエメットたちに対しても。
でも、それはたぶん違う。エメットもジェニファーも、そんな償いを求めたりするような人物ではない。そして、アティスも失われた神も女神も。
許さなかったのは私自身を投影した彼らでしかなかった。許せなかったのは自分だったのだ。
本当の彼らは、ただ、生きなさい、と言うだけだ。すべてを受け入れて、自分の命を生きなさい、と。時に無慈悲に見えるほど、慈悲深く。
私はずっと考えていたことを口にした。
「ミアーハ、アティスたちに子供が生まれたら、私と結婚してもらえるかい?」
彼女は目を瞠った。不安に瞳が揺れる。彼女もまた、自分の影に怯えているのだ。
「ソラン様はきっと喜んでくださる。アティスも。慈悲深き女神も」
「女神も?」
本当に? 言葉にならない思いを汲み取って、頷く。
「私たちが逃げずにこの命をまっとうすれば。女神はそれこそをお望みだ。だから、お願いだ、ミアーハ。私と共に生きてはくれまいか。私にはあなたが必要なんだ」
私を見つめる彼女の瞳に涙が盛り上がって、ほろほろと零れ落ちた。私は答えられないのだろう彼女の頭を引寄せて、胸元に抱え込んだ。
「大丈夫。私たちも幸せを求めていいんだよ。ソラン様がそう教えてくださった」
人は苦しみしか見えない中では生きていけない。どんなにわずかでも、光ある未来が望めなければ、死に逃げることばかり夢想するようになる。自分がそうであったように。
生きるとは、絶対に、死を待つ行為ではない。ならば、生きるために、私たちも光を求めなければならない。どんなに怖くても。罪悪感に苛まれても。
生きなさい、と言われた時から考え続けていた、それが私の辿り着いた答えだった。
そして、未来を望むのなら、私はミアーハとそれを分かち合いたかった。痛みも苦しみも、何よりも喜びを共に。
ミアーハの腕が伸ばされ、背にすがりつくようにまわされる。
「幸せになろう、ミアーハ」
「エルファリア様……」
私は彼女の嗚咽が静まるまで、そっと優しく頭を撫ぜ続けた。
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