暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話集 こぼれ話

殿下という人は2

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 というのは、恐ろしく恥ずかしい、物知らずなクソガキだった頃の所業だ。ああ、消せるものなら消してしまいたい。どんだけ向こう見ずだったんだ、当時の俺。

 陛下が動かなかったのは当たり前だ。そうしたらまわりの者は休むこともできなくなる。当時、あの方が特に大きく見えたのも、俺たちを怖がらせないために、厳つくない者をわざわざ選んで護衛に連れてきていたからだ。
 人前でも関係なくあれだけソラン様を独り占めしようとする方が、口さえ挿まず距離を置いておられたのも、俺たちにソラン様が必要だとわかっておられたから。

 一見無表情で無愛想な陛下のお気遣い、それに寛大なお取り計らいには、返す返すも感謝してもしきれない。たとえ子供だといっても、あの暴言では殺されたって文句は言えなかったはずなのだ。

「エル。エルドシーラ・オルタス、当時の誓いを覚えているか?」

 陛下の前で膝を折り、王妃陛下の護衛業務就任の挨拶と今までの後見のお礼を申し上げると、そうお声をかけてこられた。

「もちろんでございます。我が生涯をかけて果たすべき誓いにございます」
「そうか。あの生意気なクソガキがよくぞここまで育ったものだ」

 陛下はくつくつと笑われた。ああああ、やっぱりクソガキと思っていらっしゃたんですね。いいかげん忘れてくださればよいものを~。

「おまえの一家言は今でも私の座右の銘だぞ。男とは女を幸せにしてこそ一人前、だったな?」
「申し訳ございませんでした」

 頭を床につきそうなほど下げる。お願いです。もうこれ以上は勘弁してください……。
 あれからけっこうすぐに、俺は理解した。陛下以上の男はそうはいないということを。政治の手腕もそうだが、なにより結婚十一年目にして未だ新婚と囁かれているほどの愛妻家だ。そのへんはもう、張り合えないというのか、張り合いたくないというのか、ちょっと微妙なところだが、ソラン様がお幸せなのは間違いなかった。

「謝ることはない。おまえを得られたことは、我らにとって本当に幸運だった。これからも励めよ」
「は。必ずや命を懸けて。お誓いいたします」

 ソラン様は当然だが、今の俺は陛下にも命を捧げている。男としてこの人に信頼される以上の喜びはない。

「うむ。おまえの命、しかと貰い受けた」
 陛下の受け入れてくださる深いお声が、体に染み渡っていくようだった。



 陛下という人は。
 どんな時も動じず、未来を見定めて、決して挫けないこの人は。
 この国の光。
 ただ一人の、俺の王。





       当時の真相



「ソラン様、ソラン様」

 ディーが近寄ってきて小声で呼びかけた。

「なんですか?」
「そろそろ休憩にいたしましょう。それで、今日ここに連れてきてくださった上に、殿下、すごくおとなしかったじゃないですか。ソラン様の邪魔もせず、今もいい子であそこで座っておられますでしょう」

 まだ男を怖がるエレーナたちのために、幌付きの船を用意し、馬車の手配をし、人払いまでさせ、その上、離れたところからこちらに気付かれないように、たくさんの護衛を配置してある。それらの手配はすべて殿下がしたのだった。

「だから、少々ご機嫌取り、あ、いえ、お礼をしておくべきだと思うのですが、いかがですか」

 わざと言い間違えておいて、にっこりとプレッシャーをかける。ディーは、さすが殿下命の側近中の側近であった。

「お礼、ですか?」

 嫌な予感に、ソランは警戒して聞き返した。

「ああ、たいしたことではなくていいのですよ。ただ、ちょっと、軽食をいただく時に、あーん、としてさしあげれば」
「は?」
「だから、こう、ソラン様手ずからお口に運んでさしあげれば。それでもう、今日は一日ご機嫌ですよ」
「えっと、これから、ここで、ですか? 夕食の時では」
「駄目ですね。ここでやることに意味があるのですよ。これできっと次回も快く連れてきてくださいますよ」
「そんな餌付けのようなことはしなくても」
「あっはっは。そんな人聞きの悪い。お礼ですよ、お礼」

 ソランは胡乱な目でディーを見た。彼は時々、殿下とソランの仲にちょっかいを出して楽しんでいる節がある。

「どんな仲でも御礼をするのは人として筋というものです。それはさておき、きっと殿下はとても喜んでくださいますよ。それは請け合います」

 ソランとて、今日のことには感謝していた。女性たちの表情が明るい。子供たちのはしゃぎっぷりも微笑ましい。殿下にお礼をしたいと思わないわけではなかったのだ。
 そんな些細なことで殿下が喜んでくださるなら、恥ずかしいのを我慢する価値はあるかもしれなかった。

「わかりました。できるようであれば、やってみます」

 ソランは未だ覚悟が決まらぬ顔で、頷いたのだった。



 そして、食べさせる方が百倍くらい恥ずかしく、食べさせられる方が百倍くらいいたたまれないものだということを、後悔とともに思い知ったのだった。
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