政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~

伊簑木サイ

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アニャン、公主になる

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 ゆるゆると意識が浮上する。なんだか体が揺れている。どうしてだろう?
 目を開けてみると、薄暗かった。それに、やっぱり地面が揺れている。その上、なんだか狭い。目の前にある天井は、人が座れるくらいの高さしかなく、……もしかして、狭い場所に閉じ込められている!?

「え!? なに!? ここどこ!?」

 恐怖に駆られて、とっさに起き上がろうとした。なのに、何かが体にまとわりついて、ろくに動かせない。

「やだ……。どうしてぇ……」

 泣き声が漏れそうになり、息を呑み込んだ。泣いたら駄目だ。泣いているのが見つかったら、「人の同情を誘おうっていうのかい、卑しい人間だね」と、さらに酷くされる。
 どうしてここにいるんだろう。私は何をしてしまったんだろう。たぶん折檻せっかんの最中なのだろうけど、思い出せない。それとも、単に誰かの機嫌が悪くて八つ当たりをされているだけなのだろうか。
 今がいつなのかもわからなくて、それがよけいに怖かった。まだ払われた分、働いてない。だから殺されるはずがない。そう思いたいのに、それすらどうでもいいと思われているような気がして、このまま忘れられて、死ぬまで閉じ込められてしまうんじゃないかと思えてしかたなかった。
 ガチガチと鳴りそうな歯を、食いしばる。でも、強く握りあわせても、手の震えはおさまらなかった。

 急に、地面が、かたん、かたん、と小さな音をたてて、揺れが止まった。驚いて身をすくませていると、コンコンと横の壁が鳴った。その向こうから男の声が聞こえてくる。

「公主、どうされましたか?」

 こうしゅ? それに、どうされましたか、とは?
 訳が分からず、ただただ縮こまって壁を見つめ返した。よく見れば、そこには引き戸があった。

「公主、失礼いたします」

 す、と戸が動いて、指二本分くらい光が差し込んでくる。

「ひっ!?」

 男のものらしい片目がのぞいて、悲鳴をあげた。
 その目が眇められる。鋭く見つめられ、けれどすぐに、深々と頭を下げてきた。

「承知しました。休憩にいたします」

 戸が、すーっと、ゆっくり大きく開け放たれていった。戸を開けた男は、脇によけて膝をついて控えた。

「どうぞ、お降りください」
「え? あ、あの、でも、体がうまく」

 動かない、と言いかけたところで、自分が着ているものに目を見張った。光に当たって色鮮やかに浮かび上がったそれは、幾重にも重ねられた絹の衣だったのだ。
 それに、頭の上でシャラシャラと涼やかな音がして、きっちり着つけられすぎて動かしにくい手を上げて触れてみれば、髪がふっくらと結い上げられていて、簪としか思えないものがたくさん挿さっていた。
 ……まるで、お嬢様が正装された時みたいな。
 腕には腕輪、指には指輪、首には首飾り、耳には耳飾り、額に額飾り、足首に足飾りまで着いている。すべてが重かった。それでうまく体が動かせなかったのだ。

「夢……?」
「夢ではありません。どうぞかずき物をおかぶりください」

 男に言われてあたりを探すと、裾に綺麗な刺繍のほどこされた赤い薄布があった。貴婦人が正装した時に、前に突き出して挿してある簪に引っ掛けて、顔を隠す物。慣れないそれをもたもたとかぶり、そろりと足を出せば、男はすかさず手ずから靴を履かせてくれた。

「お手を」

 強い調子で言われて、私はお嬢様の仕草を思い出しながら手を差し伸べてみた。男の手に体重を預けて、簪が引っかからないように頭を下げつつ、出入り口をくぐる。
 慣れない重さによろよろしながら、ようやくの思いで頭を上げた。その瞬間、目に入った光景に、ヒュッと息を吸い込んで立ちすくんだ。物々しい格好をした男たちに取り囲まれていた。鎧や兜で身をかため、腰には剣を、背には弓矢を、手には槍を持っている。

「公主、こちらへ」

 男はかまわず、私の手を引き、歩きだした。鎧姿の男たちも、何人かは横を歩き、すぐ後ろからも着いてくる足音がしている。
 まるで、死刑場に連れて行かれる罪人みたいだった。つかまれてない方の手を拳にして、ぎゅっと口に押しつけ、必死に怖さをこらえる。

 どうして私はこんな格好をしているのだろう。もしかして、これらを盗んだと思われているのだろうか。
 誰に言えばいいのだろう。……誰なら聞いてもらえるのだろう。そう考えて、絶望が胸に広がった。……誰も、私の言うことなど聞いてくれるわけがない。ただ都合良く犯人にされるだけ……。

 輿をまわりこむと、眺めのいい場所に出た。深く切れ込んだ谷が広がっており、その間を靄が漂っている。あまりの高さに、ヒヤッとしたものが足下から這いのぼった。
 ここから突き落とされるんだ。
 私は思わず後退って、いつもと違う衣装の重さに、よろけて尻餅をつきそうになった。

「公主」

 男が振り返って手を引っ張り、背中に手を掛けてくる。……捕まってしまった。もう逃げられない。足がガクガクして、すうっと血の気が引いてきて、立っていられなくなった。

「どうぞこちらへおかけください」

 押されて椅子に座らされ、肘掛けに手をついてへたり込む。

「お食事をお持ちしますので、少しお待ちください」

 ……お食事?
 男は一礼して去って行った。 
 椅子は立派なものだった。手をつくところは布が張ってあって詰め物がしてある。木製の枠部分には彫刻がしてあった。……まるで旦那様の使う椅子のようだと、ぼんやりと思う。

「公主、公主、お気をたしかに」

 肩を揺すられ、はっとした。男が顔を覗きこんでいた。少し眠っていたらしかった。

「さあ、こちらを。……ゆっくりお召し上がりください」

 口元に器を押しつけられ、どろどろとしたそれを、流し入れられるままに飲み込んだ。少し甘くて芳しい。お椀一杯分を平らげたら、堰を切ったように飢えが襲ってきた。
 物欲しげな目をしてしまったのだろう。男が水の入った杯を渡してくれながら、申し訳なさそうに言った。

「今はこれだけで我慢なさってください。しばらくしたら、もう一度お食事をご用意しますから。公主は三日も目を覚まされなかったのです。いっぺんにたくさん召し上がると、弱ったお体が驚いて、また具合悪くなってしまわれます」
「三日……?」

 その間に、こんな格好をさせられて、ここまで運ばれてきたということなのだろうか。

「あ、あの……」
 ぽろっと尋ねかける言葉が口から出てしまったのに気付いて、己の身の程知らずさに青くなって口を噤んだ。ところが、

「はい、なんでございましょう」

 男は真摯に問い返してくれた。私は男を窺いながら、おそるおそる聞いてみた。

「あの、公主、とは。私は」
「はい、耀華公主ようかこうしゅ

 男は、私が話している途中でさえぎるように、先ほどよりも大きめの声で言った。……私の目をしっかり見つめながら、言い聞かせるみたいに。
 ……どうやら、私の今の呼び名は、「ようかこうしゅ」というらしい。そう悟るのにじゅうぶんだった。

 どういう意味なのだろう。お屋敷で呼ばれていた「アニャン」は、「のろま」という意味だ。それが気に入っていたわけではないけれど、「ようかこうしゅ」は高貴そうで綺麗な響きすぎて、私なんかには似つかわしくない。そんなふうに呼ばれるのは、空恐ろしくなってくる。

 他にも聞きたいことはいっぱいあった。でも、何をどう聞けばいいのか、それすらもよくわからない。それでまごまごしていたら、突然、びょろろろろと、笛でも奏でるような音が響き渡った。
 なんだろう? 男を見ると、谷を指さした。見れば、空中で、二羽の尾の長い綺麗な大きな鳥が飛んでいた。びょろびょろろと鳴きながら、大きな方が小さい方のまわりを舞っている。

「ああ、これは瑞兆だ。つまどいどりの求婚が見られるとは」

 何を言いだしたのかと男へ視線を戻せば、男が目配せしてきた。何か大事なことを言おうとしているのだろう。私は耳を澄ませた。

「北のえんとの和睦のあかしとしておいでになる公主も、必ずや妻問鳥のように、生涯にたった一人の相手として、閻のけいに大切に愛しまれることでしょう」

 私は、あっと思い当たった。確か何か月か前に、お嬢様が、「なぜ私が北の蛮族なんぞに嫁がなければならないの!」と酷く荒れて、泣き叫んでいた。
 それと一緒に、買い上げられた時に、旦那様に言われた言葉も思い出した。
『おまえのような者でも、いつか役に立つ時がくるかもしれないからね』

 ……ああ。だからだ。
 だから、山犬に喰われてしまわないよう、侍女頭たちは私を探しに出ようとしていた。
 だから、いつもほとんど残ってない湯が、あれほど用意されていた。
 だから、白い粥と酒が配られた。
 だから、こんな服を着せられて、輿に乗せられていた。
 だから、だから、だから……。
 すうっと心が冷えて、全身から力が抜け落ちていった。それほどどうでもいい人間だと思われていたことが改めて身に染みて、胃の中に、何か冷たいしこりができて、大きくなっていくようだった。

 男が眉を顰めた。……気遣う目だった。この男は、私が本物のお嬢様ではないことを察しているのだろう。それでいて、それを他に知られないようにと気を配りつつ、どんな状況にあるのか教えてくれようとしているのだ。

 きっと、本物のお嬢様でないことが知れたら、無事ではいられない。お屋敷に帰っても折檻されて殺されるだろうし、「こうしゅ」というのが私の知っているとおりなら、それは皇帝陛下のお子様の呼び名で、そんな名をかたったとなったら、家令や旦那様どころでない、もっと恐ろしいお役人様に殺されてしまうだろう。
 男は、私に公主の振りをしていろと言っているのだ。それ以外に死なずにすむ道はないと。
 唇がわななく。それを止めるために唇を食いしめながら、こくりと頷いてみせた。

「なにも心配なさることはございません。皇帝陛下のお身内である公主を無下に扱うは、帝国への反逆。けっして粗略に扱われることはございません。
 また、蛮族と呼びならわされてはおりますが、少々風習が違うだけで、そこに住まうは同じ人でございます。
 わたくしは、皇帝陛下より外交の任を承り、一年にわたって彼らと交渉してまいりました。彼らは家畜を主食としていますが、額に鬼のごときツノなど生えてはおりません。どうぞお心安く思し召されますよう」

 本当にそうだったらいいのにと思いながら、黙って頷くほかなかった。
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