2 / 40
1
アニャン、公主になる
しおりを挟む
ゆるゆると意識が浮上する。なんだか体が揺れている。どうしてだろう?
目を開けてみると、薄暗かった。それに、やっぱり地面が揺れている。その上、なんだか狭い。目の前にある天井は、人が座れるくらいの高さしかなく、……もしかして、狭い場所に閉じ込められている!?
「え!? なに!? ここどこ!?」
恐怖に駆られて、とっさに起き上がろうとした。なのに、何かが体にまとわりついて、ろくに動かせない。
「やだ……。どうしてぇ……」
泣き声が漏れそうになり、息を呑み込んだ。泣いたら駄目だ。泣いているのが見つかったら、「人の同情を誘おうっていうのかい、卑しい人間だね」と、さらに酷くされる。
どうしてここにいるんだろう。私は何をしてしまったんだろう。たぶん折檻の最中なのだろうけど、思い出せない。それとも、単に誰かの機嫌が悪くて八つ当たりをされているだけなのだろうか。
今がいつなのかもわからなくて、それがよけいに怖かった。まだ払われた分、働いてない。だから殺されるはずがない。そう思いたいのに、それすらどうでもいいと思われているような気がして、このまま忘れられて、死ぬまで閉じ込められてしまうんじゃないかと思えてしかたなかった。
ガチガチと鳴りそうな歯を、食いしばる。でも、強く握りあわせても、手の震えはおさまらなかった。
急に、地面が、かたん、かたん、と小さな音をたてて、揺れが止まった。驚いて身をすくませていると、コンコンと横の壁が鳴った。その向こうから男の声が聞こえてくる。
「公主、どうされましたか?」
こうしゅ? それに、どうされましたか、とは?
訳が分からず、ただただ縮こまって壁を見つめ返した。よく見れば、そこには引き戸があった。
「公主、失礼いたします」
す、と戸が動いて、指二本分くらい光が差し込んでくる。
「ひっ!?」
男のものらしい片目がのぞいて、悲鳴をあげた。
その目が眇められる。鋭く見つめられ、けれどすぐに、深々と頭を下げてきた。
「承知しました。休憩にいたします」
戸が、すーっと、ゆっくり大きく開け放たれていった。戸を開けた男は、脇によけて膝をついて控えた。
「どうぞ、お降りください」
「え? あ、あの、でも、体がうまく」
動かない、と言いかけたところで、自分が着ているものに目を見張った。光に当たって色鮮やかに浮かび上がったそれは、幾重にも重ねられた絹の衣だったのだ。
それに、頭の上でシャラシャラと涼やかな音がして、きっちり着つけられすぎて動かしにくい手を上げて触れてみれば、髪がふっくらと結い上げられていて、簪としか思えないものがたくさん挿さっていた。
……まるで、お嬢様が正装された時みたいな。
腕には腕輪、指には指輪、首には首飾り、耳には耳飾り、額に額飾り、足首に足飾りまで着いている。すべてが重かった。それでうまく体が動かせなかったのだ。
「夢……?」
「夢ではありません。どうぞ被き物をおかぶりください」
男に言われてあたりを探すと、裾に綺麗な刺繍のほどこされた赤い薄布があった。貴婦人が正装した時に、前に突き出して挿してある簪に引っ掛けて、顔を隠す物。慣れないそれをもたもたとかぶり、そろりと足を出せば、男はすかさず手ずから靴を履かせてくれた。
「お手を」
強い調子で言われて、私はお嬢様の仕草を思い出しながら手を差し伸べてみた。男の手に体重を預けて、簪が引っかからないように頭を下げつつ、出入り口をくぐる。
慣れない重さによろよろしながら、ようやくの思いで頭を上げた。その瞬間、目に入った光景に、ヒュッと息を吸い込んで立ちすくんだ。物々しい格好をした男たちに取り囲まれていた。鎧や兜で身をかため、腰には剣を、背には弓矢を、手には槍を持っている。
「公主、こちらへ」
男はかまわず、私の手を引き、歩きだした。鎧姿の男たちも、何人かは横を歩き、すぐ後ろからも着いてくる足音がしている。
まるで、死刑場に連れて行かれる罪人みたいだった。つかまれてない方の手を拳にして、ぎゅっと口に押しつけ、必死に怖さをこらえる。
どうして私はこんな格好をしているのだろう。もしかして、これらを盗んだと思われているのだろうか。
誰に言えばいいのだろう。……誰なら聞いてもらえるのだろう。そう考えて、絶望が胸に広がった。……誰も、私の言うことなど聞いてくれるわけがない。ただ都合良く犯人にされるだけ……。
輿をまわりこむと、眺めのいい場所に出た。深く切れ込んだ谷が広がっており、その間を靄が漂っている。あまりの高さに、ヒヤッとしたものが足下から這いのぼった。
ここから突き落とされるんだ。
私は思わず後退って、いつもと違う衣装の重さに、よろけて尻餅をつきそうになった。
「公主」
男が振り返って手を引っ張り、背中に手を掛けてくる。……捕まってしまった。もう逃げられない。足がガクガクして、すうっと血の気が引いてきて、立っていられなくなった。
「どうぞこちらへおかけください」
押されて椅子に座らされ、肘掛けに手をついてへたり込む。
「お食事をお持ちしますので、少しお待ちください」
……お食事?
男は一礼して去って行った。
椅子は立派なものだった。手をつくところは布が張ってあって詰め物がしてある。木製の枠部分には彫刻がしてあった。……まるで旦那様の使う椅子のようだと、ぼんやりと思う。
「公主、公主、お気をたしかに」
肩を揺すられ、はっとした。男が顔を覗きこんでいた。少し眠っていたらしかった。
「さあ、こちらを。……ゆっくりお召し上がりください」
口元に器を押しつけられ、どろどろとしたそれを、流し入れられるままに飲み込んだ。少し甘くて芳しい。お椀一杯分を平らげたら、堰を切ったように飢えが襲ってきた。
物欲しげな目をしてしまったのだろう。男が水の入った杯を渡してくれながら、申し訳なさそうに言った。
「今はこれだけで我慢なさってください。しばらくしたら、もう一度お食事をご用意しますから。公主は三日も目を覚まされなかったのです。いっぺんにたくさん召し上がると、弱ったお体が驚いて、また具合悪くなってしまわれます」
「三日……?」
その間に、こんな格好をさせられて、ここまで運ばれてきたということなのだろうか。
「あ、あの……」
ぽろっと尋ねかける言葉が口から出てしまったのに気付いて、己の身の程知らずさに青くなって口を噤んだ。ところが、
「はい、なんでございましょう」
男は真摯に問い返してくれた。私は男を窺いながら、おそるおそる聞いてみた。
「あの、公主、とは。私は」
「はい、耀華公主」
男は、私が話している途中でさえぎるように、先ほどよりも大きめの声で言った。……私の目をしっかり見つめながら、言い聞かせるみたいに。
……どうやら、私の今の呼び名は、「ようかこうしゅ」というらしい。そう悟るのにじゅうぶんだった。
どういう意味なのだろう。お屋敷で呼ばれていた「アニャン」は、「のろま」という意味だ。それが気に入っていたわけではないけれど、「ようかこうしゅ」は高貴そうで綺麗な響きすぎて、私なんかには似つかわしくない。そんなふうに呼ばれるのは、空恐ろしくなってくる。
他にも聞きたいことはいっぱいあった。でも、何をどう聞けばいいのか、それすらもよくわからない。それでまごまごしていたら、突然、びょろろろろと、笛でも奏でるような音が響き渡った。
なんだろう? 男を見ると、谷を指さした。見れば、空中で、二羽の尾の長い綺麗な大きな鳥が飛んでいた。びょろびょろろと鳴きながら、大きな方が小さい方のまわりを舞っている。
「ああ、これは瑞兆だ。妻問鳥の求婚が見られるとは」
何を言いだしたのかと男へ視線を戻せば、男が目配せしてきた。何か大事なことを言おうとしているのだろう。私は耳を澄ませた。
「北の閻との和睦の証としておいでになる公主も、必ずや妻問鳥のように、生涯にたった一人の相手として、閻の継嗣に大切に愛しまれることでしょう」
私は、あっと思い当たった。確か何か月か前に、お嬢様が、「なぜ私が北の蛮族なんぞに嫁がなければならないの!」と酷く荒れて、泣き叫んでいた。
それと一緒に、買い上げられた時に、旦那様に言われた言葉も思い出した。
『おまえのような者でも、いつか役に立つ時がくるかもしれないからね』
……ああ。だからだ。
だから、山犬に喰われてしまわないよう、侍女頭たちは私を探しに出ようとしていた。
だから、いつもほとんど残ってない湯が、あれほど用意されていた。
だから、白い粥と酒が配られた。
だから、こんな服を着せられて、輿に乗せられていた。
だから、だから、だから……。
すうっと心が冷えて、全身から力が抜け落ちていった。それほどどうでもいい人間だと思われていたことが改めて身に染みて、胃の中に、何か冷たいしこりができて、大きくなっていくようだった。
男が眉を顰めた。……気遣う目だった。この男は、私が本物のお嬢様ではないことを察しているのだろう。それでいて、それを他に知られないようにと気を配りつつ、どんな状況にあるのか教えてくれようとしているのだ。
きっと、本物のお嬢様でないことが知れたら、無事ではいられない。お屋敷に帰っても折檻されて殺されるだろうし、「こうしゅ」というのが私の知っているとおりなら、それは皇帝陛下のお子様の呼び名で、そんな名を騙ったとなったら、家令や旦那様どころでない、もっと恐ろしいお役人様に殺されてしまうだろう。
男は、私に公主の振りをしていろと言っているのだ。それ以外に死なずにすむ道はないと。
唇がわななく。それを止めるために唇を食いしめながら、こくりと頷いてみせた。
「なにも心配なさることはございません。皇帝陛下のお身内である公主を無下に扱うは、帝国への反逆。けっして粗略に扱われることはございません。
また、蛮族と呼びならわされてはおりますが、少々風習が違うだけで、そこに住まうは同じ人でございます。
わたくしは、皇帝陛下より外交の任を承り、一年にわたって彼らと交渉してまいりました。彼らは家畜を主食としていますが、額に鬼のごときツノなど生えてはおりません。どうぞお心安く思し召されますよう」
本当にそうだったらいいのにと思いながら、黙って頷くほかなかった。
目を開けてみると、薄暗かった。それに、やっぱり地面が揺れている。その上、なんだか狭い。目の前にある天井は、人が座れるくらいの高さしかなく、……もしかして、狭い場所に閉じ込められている!?
「え!? なに!? ここどこ!?」
恐怖に駆られて、とっさに起き上がろうとした。なのに、何かが体にまとわりついて、ろくに動かせない。
「やだ……。どうしてぇ……」
泣き声が漏れそうになり、息を呑み込んだ。泣いたら駄目だ。泣いているのが見つかったら、「人の同情を誘おうっていうのかい、卑しい人間だね」と、さらに酷くされる。
どうしてここにいるんだろう。私は何をしてしまったんだろう。たぶん折檻の最中なのだろうけど、思い出せない。それとも、単に誰かの機嫌が悪くて八つ当たりをされているだけなのだろうか。
今がいつなのかもわからなくて、それがよけいに怖かった。まだ払われた分、働いてない。だから殺されるはずがない。そう思いたいのに、それすらどうでもいいと思われているような気がして、このまま忘れられて、死ぬまで閉じ込められてしまうんじゃないかと思えてしかたなかった。
ガチガチと鳴りそうな歯を、食いしばる。でも、強く握りあわせても、手の震えはおさまらなかった。
急に、地面が、かたん、かたん、と小さな音をたてて、揺れが止まった。驚いて身をすくませていると、コンコンと横の壁が鳴った。その向こうから男の声が聞こえてくる。
「公主、どうされましたか?」
こうしゅ? それに、どうされましたか、とは?
訳が分からず、ただただ縮こまって壁を見つめ返した。よく見れば、そこには引き戸があった。
「公主、失礼いたします」
す、と戸が動いて、指二本分くらい光が差し込んでくる。
「ひっ!?」
男のものらしい片目がのぞいて、悲鳴をあげた。
その目が眇められる。鋭く見つめられ、けれどすぐに、深々と頭を下げてきた。
「承知しました。休憩にいたします」
戸が、すーっと、ゆっくり大きく開け放たれていった。戸を開けた男は、脇によけて膝をついて控えた。
「どうぞ、お降りください」
「え? あ、あの、でも、体がうまく」
動かない、と言いかけたところで、自分が着ているものに目を見張った。光に当たって色鮮やかに浮かび上がったそれは、幾重にも重ねられた絹の衣だったのだ。
それに、頭の上でシャラシャラと涼やかな音がして、きっちり着つけられすぎて動かしにくい手を上げて触れてみれば、髪がふっくらと結い上げられていて、簪としか思えないものがたくさん挿さっていた。
……まるで、お嬢様が正装された時みたいな。
腕には腕輪、指には指輪、首には首飾り、耳には耳飾り、額に額飾り、足首に足飾りまで着いている。すべてが重かった。それでうまく体が動かせなかったのだ。
「夢……?」
「夢ではありません。どうぞ被き物をおかぶりください」
男に言われてあたりを探すと、裾に綺麗な刺繍のほどこされた赤い薄布があった。貴婦人が正装した時に、前に突き出して挿してある簪に引っ掛けて、顔を隠す物。慣れないそれをもたもたとかぶり、そろりと足を出せば、男はすかさず手ずから靴を履かせてくれた。
「お手を」
強い調子で言われて、私はお嬢様の仕草を思い出しながら手を差し伸べてみた。男の手に体重を預けて、簪が引っかからないように頭を下げつつ、出入り口をくぐる。
慣れない重さによろよろしながら、ようやくの思いで頭を上げた。その瞬間、目に入った光景に、ヒュッと息を吸い込んで立ちすくんだ。物々しい格好をした男たちに取り囲まれていた。鎧や兜で身をかため、腰には剣を、背には弓矢を、手には槍を持っている。
「公主、こちらへ」
男はかまわず、私の手を引き、歩きだした。鎧姿の男たちも、何人かは横を歩き、すぐ後ろからも着いてくる足音がしている。
まるで、死刑場に連れて行かれる罪人みたいだった。つかまれてない方の手を拳にして、ぎゅっと口に押しつけ、必死に怖さをこらえる。
どうして私はこんな格好をしているのだろう。もしかして、これらを盗んだと思われているのだろうか。
誰に言えばいいのだろう。……誰なら聞いてもらえるのだろう。そう考えて、絶望が胸に広がった。……誰も、私の言うことなど聞いてくれるわけがない。ただ都合良く犯人にされるだけ……。
輿をまわりこむと、眺めのいい場所に出た。深く切れ込んだ谷が広がっており、その間を靄が漂っている。あまりの高さに、ヒヤッとしたものが足下から這いのぼった。
ここから突き落とされるんだ。
私は思わず後退って、いつもと違う衣装の重さに、よろけて尻餅をつきそうになった。
「公主」
男が振り返って手を引っ張り、背中に手を掛けてくる。……捕まってしまった。もう逃げられない。足がガクガクして、すうっと血の気が引いてきて、立っていられなくなった。
「どうぞこちらへおかけください」
押されて椅子に座らされ、肘掛けに手をついてへたり込む。
「お食事をお持ちしますので、少しお待ちください」
……お食事?
男は一礼して去って行った。
椅子は立派なものだった。手をつくところは布が張ってあって詰め物がしてある。木製の枠部分には彫刻がしてあった。……まるで旦那様の使う椅子のようだと、ぼんやりと思う。
「公主、公主、お気をたしかに」
肩を揺すられ、はっとした。男が顔を覗きこんでいた。少し眠っていたらしかった。
「さあ、こちらを。……ゆっくりお召し上がりください」
口元に器を押しつけられ、どろどろとしたそれを、流し入れられるままに飲み込んだ。少し甘くて芳しい。お椀一杯分を平らげたら、堰を切ったように飢えが襲ってきた。
物欲しげな目をしてしまったのだろう。男が水の入った杯を渡してくれながら、申し訳なさそうに言った。
「今はこれだけで我慢なさってください。しばらくしたら、もう一度お食事をご用意しますから。公主は三日も目を覚まされなかったのです。いっぺんにたくさん召し上がると、弱ったお体が驚いて、また具合悪くなってしまわれます」
「三日……?」
その間に、こんな格好をさせられて、ここまで運ばれてきたということなのだろうか。
「あ、あの……」
ぽろっと尋ねかける言葉が口から出てしまったのに気付いて、己の身の程知らずさに青くなって口を噤んだ。ところが、
「はい、なんでございましょう」
男は真摯に問い返してくれた。私は男を窺いながら、おそるおそる聞いてみた。
「あの、公主、とは。私は」
「はい、耀華公主」
男は、私が話している途中でさえぎるように、先ほどよりも大きめの声で言った。……私の目をしっかり見つめながら、言い聞かせるみたいに。
……どうやら、私の今の呼び名は、「ようかこうしゅ」というらしい。そう悟るのにじゅうぶんだった。
どういう意味なのだろう。お屋敷で呼ばれていた「アニャン」は、「のろま」という意味だ。それが気に入っていたわけではないけれど、「ようかこうしゅ」は高貴そうで綺麗な響きすぎて、私なんかには似つかわしくない。そんなふうに呼ばれるのは、空恐ろしくなってくる。
他にも聞きたいことはいっぱいあった。でも、何をどう聞けばいいのか、それすらもよくわからない。それでまごまごしていたら、突然、びょろろろろと、笛でも奏でるような音が響き渡った。
なんだろう? 男を見ると、谷を指さした。見れば、空中で、二羽の尾の長い綺麗な大きな鳥が飛んでいた。びょろびょろろと鳴きながら、大きな方が小さい方のまわりを舞っている。
「ああ、これは瑞兆だ。妻問鳥の求婚が見られるとは」
何を言いだしたのかと男へ視線を戻せば、男が目配せしてきた。何か大事なことを言おうとしているのだろう。私は耳を澄ませた。
「北の閻との和睦の証としておいでになる公主も、必ずや妻問鳥のように、生涯にたった一人の相手として、閻の継嗣に大切に愛しまれることでしょう」
私は、あっと思い当たった。確か何か月か前に、お嬢様が、「なぜ私が北の蛮族なんぞに嫁がなければならないの!」と酷く荒れて、泣き叫んでいた。
それと一緒に、買い上げられた時に、旦那様に言われた言葉も思い出した。
『おまえのような者でも、いつか役に立つ時がくるかもしれないからね』
……ああ。だからだ。
だから、山犬に喰われてしまわないよう、侍女頭たちは私を探しに出ようとしていた。
だから、いつもほとんど残ってない湯が、あれほど用意されていた。
だから、白い粥と酒が配られた。
だから、こんな服を着せられて、輿に乗せられていた。
だから、だから、だから……。
すうっと心が冷えて、全身から力が抜け落ちていった。それほどどうでもいい人間だと思われていたことが改めて身に染みて、胃の中に、何か冷たいしこりができて、大きくなっていくようだった。
男が眉を顰めた。……気遣う目だった。この男は、私が本物のお嬢様ではないことを察しているのだろう。それでいて、それを他に知られないようにと気を配りつつ、どんな状況にあるのか教えてくれようとしているのだ。
きっと、本物のお嬢様でないことが知れたら、無事ではいられない。お屋敷に帰っても折檻されて殺されるだろうし、「こうしゅ」というのが私の知っているとおりなら、それは皇帝陛下のお子様の呼び名で、そんな名を騙ったとなったら、家令や旦那様どころでない、もっと恐ろしいお役人様に殺されてしまうだろう。
男は、私に公主の振りをしていろと言っているのだ。それ以外に死なずにすむ道はないと。
唇がわななく。それを止めるために唇を食いしめながら、こくりと頷いてみせた。
「なにも心配なさることはございません。皇帝陛下のお身内である公主を無下に扱うは、帝国への反逆。けっして粗略に扱われることはございません。
また、蛮族と呼びならわされてはおりますが、少々風習が違うだけで、そこに住まうは同じ人でございます。
わたくしは、皇帝陛下より外交の任を承り、一年にわたって彼らと交渉してまいりました。彼らは家畜を主食としていますが、額に鬼のごときツノなど生えてはおりません。どうぞお心安く思し召されますよう」
本当にそうだったらいいのにと思いながら、黙って頷くほかなかった。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる