政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~

伊簑木サイ

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アニャン、好きと告げる

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 日が傾いてきて、宴は酔った人々で一段と賑やかになっていた。演奏に合わせて多くの人が歌い、広場の中央で踊っている。
 そんな中、私達は静かに席を退き、王やごく少数の親族と共に、私が炉に火を入れた新しい天幕に来た。
 彼らに見守られる中、エウルと並んでベッドに座らされる。
 ……これから何が始まるのか、悟らずにはいられなかった。

 天井から渡された紐の先に、布が吊り下げられていて、それをパタラが、ベッドのまわりを歩いて、広げて、張りめぐらせていく。
 布の端を重ね合わせる前に、パタラは私達を見て、何か言いたそうにした。けれど結局、溜息みたいな苦笑をこぼして、何も言わずに布を重ねた。端が開かないように紐が結び合わされる影が、布に映って見えた。

 パタラや王達が遠ざかっていく。映る人影がなくなり、入り口の垂れ幕が下ろされる微かな衣擦れの音がして、後はしんと静まりかえった。
 耳を澄ませば、遠くで人々が酔い騒ぐ声が聞こえていた。でもそれ以上に、自分の心臓の音がうるさい。
 二人っきりだ。それがすごく意識された。

『耀華公主』
『は、はい、エウル』

 あんまりどきどきして、うまく声が出てこない。ごくりと唾を飲み込み、喘ぐように息をする途中で、赤い薄布が、ゆっくりめくりあげられていった。
 目が覗く寸前で彼の手が止まる。

「いや? すき?」

 私は布の下で、ぱちぱちと何度も瞬きをしてしまった。エウルが口にしたのは、帝国の言葉のように聞こえた。
 でも、「いや」と「好き」とは?

「……いや?」

 「いや」だけ繰り返されて、とっさに横に首を振った。すると、布がすみやかに取り払われた。
 とばりのこちら側は薄闇で、エウルの顔ははっきりとは見えない。けれど、見つめられているのがわかる。
 私も彼を見ずにはいられなかった。きっと明るかったら目をそらしてしまっていただろうに、見えない今は、彼が優しく笑いかけてくれる表情が見たくてたまらなかった。

『耀華、公主』

 彼がかすれた声で囁き、私へと手を伸ばしてきた。熱さを孕んだ声音に、胸のあたりがきゅっとする。息苦しくて、は、と息を吐いた。
 ふいに、彼の手がぴたりと止まって、急に雰囲気が変わった。彼は目をそらしてベッドの外へと下り立ち、それまでと違った、からりと明るい声で話しかけてきた。

『おいで。その髪飾りを取ろう。それじゃ、頭に刺さって眠れないだろう?』

 手を取られ、ベッド脇に置かれた小テーブルへ導かれる。軽く髪飾りをつつかれ、はずせと言われたのがわかった。
 自分で着けたものではないから、どこでどうなっているのかわからない。手探りで探していたら、彼は帳をめくりあげ、片手で押さえつつ、私に後ろを向かせた。天窓の光が帳の内にも入ってくる。その明かりの中、彼は自ら取ってくれた。

『終わったぞ』

 ことん、ことん、とテーブルに髪飾りを置いていた彼に、とんとんと肩を叩かれる。振り返ると、困ったように、今度は自分の胸を叩いて示した。

『その首飾りは、自分ではずせるか?』

 首飾りもはずせというのだろう。私は一本一本、頭から引き抜いては、テーブルに載せていった。
 どんどん体が軽くなっていく。ついでに、指輪も腕輪も耳飾りも帯飾りも、しゃがんで足輪も、すべてはずした。
 ああ、せいせいした! そう思って顔を上げたら、エウルが懐から小さな箱を取り出して、差し出してきた。

『公主、これを』

 受け取って、蓋を開く。中には小ぶりな耳飾りが入っていた。黒っぽい滴型の石。よく見ようと角度を変えた瞬間、光を受けて、チカッと深い青がきらめいた。

「あ」

 日の光が消える間際の空の色。……エウルの瞳と同じ?
 思わず声をあげて、彼の瞳と見比べようと箱を掲げる。彼は耳飾りをつまみあげ、おどけたように自分の顔の横へと並べて見せてくれた。
 そっくりだった。普段は黒っぽく見えるのも、日の光に宵の青に輝くのも。
 それから、私に差し出してくる。
 胸がいっぱいになって、震える手で、大事にそれを受け取った。
 まるで、エウルの一部をもらうみたいだった。

 ……パタラは、叔母様だった。ミミルもニーナも、エウルの友人の妻だった。
 だとしたら、これをもらえるのは、私だけだと思っていいのだろうか。
 こんなふうに、大切そうに見つめてもらえるのも、……両手で耳飾りを持って、エウルから目を離せまいまま、泣きだしてしまった私に、あわてた表情を見せるのも。

『どうした。そんなに「いや」なのか? ……だったら、悪かった、それは返してくれていい』

 耳飾りを持って行かれそうになって、手を握りあわせ、胸元へ引き寄せた。違う、違うと、強く首を振って見せる。
 途方に暮れたようにエウルが立ち尽くした隙に、私は急いで耳につけようとした。けれど、あせればあせるほど、うまく金具が通らない。

「痛っ」
『公主、わかった、俺が着けてやるから。……いや、俺に着けさせてくれ』

 彼が手を伸ばしてきて、はじかれたように一歩引いた。でも、彼はそこで止まって、耀華公主、ともう一度私を呼んだ。私をまっすぐ見つめている。
 私はおそるおそる差し出した。

 ぱさりと帳が落ちた。着けるには両手を使わないとならないから、しかたない。また薄暗くなってしまって、よく見えないのだろう、彼は屈んで顔を寄せてきた。耳を軽く摘ままれ、たしかめるようになぞられる。
 そうされるのが、こそばゆく、恥ずかしく、……慕わしい。心臓が破裂しそうに速く打った。

『すまない。俺が卑怯だった。公主は、俺とこうしてここにいる覚悟をしてくれたのにな。……あの水筒と物入れの元の持ち主に、劣等感を抱いて、卑屈になっていた。
 ……初めは、気付かなかったんだ。豪華な衣装に似合わない、粗末なものだな、と思っただけだった。旅の必需品だしな。
 ……相手の男は、よくあなたのことを考えてくれる奴ではあったんだろうな。でも、あまり裕福な相手ではなかった。他国に嫁ぐあなたに、あの程度の物しか贈れなかったんだから。
 それに、攫うだけの勇気のある男でもなかった』

 両耳に着け終わり、エウルは両手で私の頬を耳飾りごと包んだ。とても近くで目を覗きこまれる。
 語ってくれる言葉の、どれ一つとしてわからかった。彼も、私が理解できないってわかってる。それでも、彼が抱える気持ちを伝えたいと思ってくれているのがわかった。

『そんな男を、忘れてほしいとは、もう思わないと誓う。……絶対に、あなたを俺に惚れさせてみせる。……だから』

 彼の瞳が近付いてくる。彼の顔が傾けられ、唇が触れあう寸前で止まり、囁かれた。

『……頼む、『好き』と言ってくれ』
「……好き、です。あなたが。……エウルが、好き、です」

 彼が笑った気配がして、唇がついばまれた。唇から首筋を通り、全身に甘い痺れがはしる。
 右の頬を包んでいた手が、背中にまわされ、腰を抱き寄せられた。そっと抱き上げられて、ベッドに下ろされる。
 私の顔の両側に手をついた彼が、また聞いた。

「いや? 好き?」
「好きです」

 私は自分から手を伸ばして彼の背にまわし、その夜、幾度も繰り返された質問に、すべて「好き」と答え続けたのだった。
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