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4-マキナ・ロジカル
37.少女、フラッシュバックする。
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その言葉を理解した瞬間、ようやく治まってきた熱がまた再燃した。いや爆発したと言うべきか、ボンッと顔を真っ赤にした少女はすぐさま反論しようと口を開いた、が
「ばっ……かじゃないの!? マキナくんとはそんな関係じゃ」
「向こうはずいぶんとお前を気に入ってるみたいだけどな」
「~~っ」
ズバリと指摘されグウの音も出なくなる。しばらく言葉を探していた少女は、床に視線を移しながら答えた。
「そうだとしても、何もしてない」
あなたとの契約信じるって言ったし……。そんな少女の消え入りそうな声を聞いた男はしばらく無言だった。
怒るだろうか、またバカにされるのだろうか。そんなことばかり恐れていたニチカはふいに頬に手を当てられビクッと反応する。反射的に正面を向くとオズワルドは予想とは違う真顔でこちらを見つめていた。感情が読み取れない、今どんな事を考えているのだろう。
少しずつ、その距離が縮って行き――
「待った!」
唇が触れるぎりぎりのところでガッと両手を突き出し止めた。とたんに眉間に皺のよる師匠に弁解するように言葉を継ぐ。
「ほら、貰ったキャンディがあるし。今日は大丈夫」
先ほど制服のスカートから出した丸い包み紙を慌てて取り出す。楽しさとは無縁のシンプルな白い紙に包まれた飴玉は桜花国を出たところでオズワルドに貰ったものだった。桜花国に滞在中三つほど作ったらしく、口にすればフェイクラヴァーを沈静化させられる働きがあるそうなのだが……
「それは緊急用だと言っただろうが。どうしようも無い時の為にとっておけ」
「いっぱい作ろうよ! 作り方教えてくれたら自分で作るし、ねっ?」
「……」
「その方が―― んぅっ」
言いかけた言葉ごと呑み込まれる。すぐに思考は溶かされてしまい、抵抗しようとする手が徐々に力を失っていく。いつもよりやけに長い。執拗に攻め立てられ頭がボーっとしてくる。
「っはぁ、はぁ」
やっと離れ、必死で酸素を取り込もうとしたその時だった。
「ひぁっ!?」
ガリッと耳を軽くかまれ大げさなまでに反応してしまう。何が起きたのか分からず耳を触ろうとするが、その手すら絡めとられて壁に押し付けられてしまう。
「あれだけ男を誘惑するなと言ったのに、お前は守らなかったわけだ」
過敏になっている耳に低い声を滑り込まされてゾクゾクと背筋が戦慄く。少女は必死で否定しようとしたが、もはやその声は弱々しいものだった。
「ちがっ……誘惑なんてっ」
「お仕置きが必要だな」
氷の瞳に射抜かれて全身がこわばる。心は冷水を浴びせられたかのように縮み上がっているのに抱き寄せられた身体が燃えるように熱い。
「あっ、やぁっ」
耳を甘噛みされ息を吹きかけられる。上ずった声が自分のものではないように聞こえる。
「そんなに喘ぐとアイツに聞こえるぞ」
「!!」
ボソリと呟かれハッと口を押さえる。ニチカのそんな様子に男はニッコリ笑った。
「まぁ、聞こえたところで俺はまったく構わないんだけどな」
見たことのない良い笑顔に血の気が引いていくような音が聞こえる。声を出すことも出来ない中、少女は心の中で盛大に叫んだ。
(この……こんの、ドS―――ッ!!)
それから数分後。ようやく解放されたニチカは床に手をついて肩で息をしていた。頬は赤く染まり、握りしめた手が怒りで細かく震えている。
「っはぁ、はぁ、ぜっったい許さない……」
「この程度で何いってんだか。耳だけでイくとか淫乱にもほどがあるぞ」
「……ってない! 呪いのせいだもんっ!!」
キッと睨みつける少女だったが、すでに興味を失ったような素振りで男はさっさと歩き出していた。オズワルドは片手をあげて軽く言い捨てる。
「これに懲りたら男に近づくときはもっと警戒するんだな。さて仕事だ」
先ほどまでとのあまりの温度差に、ニチカはわけのわからぬ感情に振り回され地団駄を踏んだ。まだ甘い疼きを残している耳をガシガシとこすり、この声が実体化して男の背中に刺さらないかと願いながら叫ぶ。
「もおおおお!! 信じらんないっ、悪魔っ、ドSっ、人でなしぃぃ!!」
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせるが、男は振り返らずにさらっと言うだけだった。
「お前もヒマならウルフィの手伝いでもしてやれよ」
「うがーっ!!」
***
すでに空にはチラチラと星がまたたき始めていたが、夕食をごちそうになった後ニチカは再び村まで降りていた。
村のメインストリートまでの道を散歩気分で歩いていく。見れば紫とピンクが微妙に交じり合う美しい空に、赤い月と青い月が揃って地平線の向こうから顔を出していた。
さきほどまで感じていた苛立ちも、こんな綺麗な光景を前にしては浄化されていくようだ。
(この世界ってやっぱり綺麗。元いた世界じゃ空を見上げる余裕もなかったもんなぁ)
そこまで考えて、自分の考えに疑問を抱きふと足を止める。
(あ、れ?)
余裕がなかった? なぜ?
思えば自分はいつも俯くように歩いていた気がする。顔を見られないように、話しかけられないように。
「……」
滲みだすようにじわりと黒い影が心に陰る。
(なに、これ)
思い出してはいけない何かが出てくるような気がして、胸をおさえギュッと目をつむる。誰かの笑い声と怒声が聞こえる。さざめくような音の中で、いきなりその声がよみがえった。
――早く×ねッ!!
「っ!」
ハッとして顔をあげる。足元の地面が急にぐにゃりとしたようで、力を入れていなければ倒れてしまいそうだ。
(い、まのは)
ふらっと前に倒れかけたその時、何者かが下に入り込み支えてくれた。
「わっとと! 危ないよ大丈夫?」
「ウルフィ……」
黄金色の瞳にふさふさの毛並みを持つ茶色いオオカミを目にして、ようやく今の状況を思い出す。そうだ、自分は異世界に飛ばされて、師匠と共に旅をしていて……
「……」
「ニチカ?」
ギュッとその暖かい体にしがみつく。
しばらくそうしていた少女だったが、パッと上げた時、そこにあったのはいつも通りの笑顔だった。
「ごめんね! ちょっと立ちくらみがしちゃっただけ」
「でも……」
「本当に大丈夫だから。それよりウルフィはどうしてここに?」
空気が読めない事に定評のあるオオカミだったが、なぜかその時だけは突っ込んで聞くことがためらわれた。代わりに「だはぁっ」と変なため息をついて腰を落とす。
「僕、泣いてもいいかな」
「?」
ふしぎに思って視線をあげると、彼の後ろ、少し離れたところの木箱の影に何かがいる。隠れるようにしてこちらをチラチラ見ているのは村の子供たちだった。辺りはもうすっかり日が暮れていたが、お祭りが近い事もあってこんな時間でも特別に外へ出ていることが許されているらしい。
「さっきからずっとあぁなんだ。なのに話しかけると悲鳴をあげて逃げちゃうし」
ちなみに今のウルフィはオオカミの姿のままだ。さきほどマキナのお達しがあり自由に歩けるよう許可は出されたのだが村人は彼を遠巻きにしていた。ニチカはだいぶ慣れてきたが、その姿は初めて見る分にはやはりぎょっとするくらい大きいのだ。
「慣れてるけどね……慣れてるけど、あぁもロコツにビビられるとやっぱり悲しい」
「でもウルフィって男の子の姿になれるじゃない?」
「うん、でも僕あれニガテで。ちょっと気を抜くとすぐ戻っちゃうんだ」
ウルフィの中で苦い思い出が蘇る。以前どうしても近くの村の子供たちと遊びたくて、ヒト化した状態で話しかけた事があった。身体能力の高いウルフィはすぐに子供たちの人気者になり仲間に入れてもらう事ができた。だがかくれんぼをしている時に悲劇は起きた、後ろから脅かされたウルフィは驚いてオオカミへと戻ってしまったのである。悲鳴をあげた子供たちが親に知らせ、武器を持って村中を追い回され……命からがら逃げ出した時の事を思い出すと今でも恐怖で毛が逆立ってしまう。
すっかりしょげかえるオオカミを見ていたニチカは、少しかんがえた後ポンと手を打った。
「よしっ」
「ニチカ?」
元気に立ち上がった少女は、両手をメガホンの形にして村の子供たちに呼びかけた。
「こんにちはー! みんなロロ村の子?」
戸惑ったように顔を見合わせていた子供たちだったが、少しして何人かが頷いた。
「あのね! この子ウルフィって言うの、少しこっちに来てくれる?」
最初は動かなかった子供たちだが、ニコニコ笑ってウルフィを撫でるニチカを見て、恐る恐る寄ってくる。
「ほんとに、大丈夫?」
「うん、ほらウルフィごあいさつ」
「こ、こんにちわ」
ぎこちなく笑ったオオカミだったが、それはまずかった。ギラリと光る鋭い歯に子供たちの顔が凍りつく。
「あぁっ、逃げないで! 大丈夫、怖くないからっ」
慌てて子供たちを引きとめたニチカは一つ優しい嘘をつくことにした。
「これはナイショなんだけどね、ウルフィは実はみんなと同じ人間の男の子なの」
「そのオオカミさんが? 本当?」
「本当よ、ただ今はちょっと悪い魔女……じゃなくて、うーんと、悪魔に呪われててそれでオオカミの姿になっちゃってるの。こんな見た目だから今まで友達も作れなかったみたい」
「かわいそう……」
髪をおさげにした女の子にじっと見つめられウルフィは口をつぐんだ。そこにこれまでのような恐怖心は見られない。
「だからみんなにお願い。ウルフィとお友達になってくれないかな?」
「「なるーっ!!」」
子供たちは元気よく声をそろえ返事をする。ウルフィにとって夢のような時間が始まった。本来の姿だと言うのに少しも恐れることなくあちこちから手が伸びてきてもみくちゃにされる。笑い声に囲まれて、みんなが幸せそうな笑顔を浮かべる。
その中心に自分が居ることが信じられなかった。あんなにも夢見た友達が、すぐ側にいる。
「ニチカ! ニチカ! ありがとうっ、僕すっごく嬉しいよ!」
嬉し涙を浮かべてはしゃぐオオカミに、少女は笑って手を振った。
***
「おねーさんは、マキナくんのおヨメさんになるの?」
唐突に尋ねられたニチカは、女の子たちと一緒に編んでいた花冠を取り落としてしまった。背中に子供たちを乗せたウルフィのはしゃぎ声が遠くに聞こえる。
「なっ、ななな、なんでそんなっ」
真っ赤になりながら尋ねると、彼女たちは顔を見合わせて「ねーっ」と笑った。
「村の大人たちが言ってたもの」
「危ないところを助けられたんでしょ? 素敵、ロマンチック!」
「いいなぁー」
きゃあきゃあと騒ぎ出す女の子を呆れたように見ていた男の子たちだったが、急に真剣な顔をしたかと思うと口を挟んでくる。
「でもよぉ、あのウワサが本当なら……」
「あの噂?」
なんの事だろうとそちらを向くと、ゴクリと喉をならした子供たちは内緒ばなしをするように声のトーンを落として寄り集まって来た。
「ねーさん、一人の時は気をつけた方が良いぜ。屋敷にメイドが居るだろ?」
「バイオレットさんのこと?」
「なになに? なんの話?」
背中に小さな子を乗せていたウルフィも戻ってきて話の輪に加わる。話題を切り出した男の子はコクッと頷いた。
「実はな、あのメイド亡霊なんじゃないかってみんな言ってるんだ」
「ぼぼぼっ亡霊? ぴぎゃーっ!!」
「ウルフィ落ち着いて!」
早くもパニックになりかけるオオカミを制止する。彼が落ち着いたところでなぜか怪談話でも始めるような雰囲気になってしまった。
「昔……って言っても二年前くらい前の話だ、マキナさんがこの村にやってきた頃の話なんだけどさ、いま彼が住んでる屋敷をそれまで管理してた一家がいたんだ。父と母、それから娘が一人。それがそのまま使用人として採用されたんだよ」
「娘は村一番の美人と評判でよぉ、マキナさんとも仲が良くて、みんながそのまま結婚するものだと思ってた。でも」
ヒソヒソ声で隣の子が続ける。その辺りからしんみりとした空気が子供たちの間に広がっていく、事情を知らないニチカは黙って話の続きを待った。
「夏だけど肌寒い日だったな。その一家がそろって隣町まで買い出しに出かけたんだ。だけどその途中で野犬の群れに襲われてさ……父と母はあっという間に死んじまって、何とか生き残った娘が街へとたどり着いたって連絡が入ったんだ」
息を呑んだニチカの隣で女の子が鼻をすすった。
「あの時のマキナさま可哀想だった。知らせを受けて、真っ青な顔で飛び出していったもの」
「それで、どうなったの?」
屋敷にそれらしい人物が居ない時点で何となく察してはいたが、子供たちが静かに首を振る。
「街の医療技術でもダメだった。救いがあるとすればマキナさまが抱えて帰ってきた遺体が人形みたいに綺麗だったことくらいかな」
「そんな……」
「一家の埋葬は村をあげて行われたの。西の花畑に埋めて、すべてが終わったはずだった」
そこから急激に話の流れが変わった。話を始めた少年が内緒ばなしでもするかのようにグッと乗り出してくる。
「葬式から半年後、マキナさんの実家から新しい使用人が送られてきたんだ」
「それが、バイオレットさん?」
子供たちは怯えているような、それでいて少しだけ興奮しているような顔で頷いた。
「そっくりだったんだ」
「え……」
「死んだはずのスミレに、あの新しいメイドがそっくりだったんだよ!」
「ばっ……かじゃないの!? マキナくんとはそんな関係じゃ」
「向こうはずいぶんとお前を気に入ってるみたいだけどな」
「~~っ」
ズバリと指摘されグウの音も出なくなる。しばらく言葉を探していた少女は、床に視線を移しながら答えた。
「そうだとしても、何もしてない」
あなたとの契約信じるって言ったし……。そんな少女の消え入りそうな声を聞いた男はしばらく無言だった。
怒るだろうか、またバカにされるのだろうか。そんなことばかり恐れていたニチカはふいに頬に手を当てられビクッと反応する。反射的に正面を向くとオズワルドは予想とは違う真顔でこちらを見つめていた。感情が読み取れない、今どんな事を考えているのだろう。
少しずつ、その距離が縮って行き――
「待った!」
唇が触れるぎりぎりのところでガッと両手を突き出し止めた。とたんに眉間に皺のよる師匠に弁解するように言葉を継ぐ。
「ほら、貰ったキャンディがあるし。今日は大丈夫」
先ほど制服のスカートから出した丸い包み紙を慌てて取り出す。楽しさとは無縁のシンプルな白い紙に包まれた飴玉は桜花国を出たところでオズワルドに貰ったものだった。桜花国に滞在中三つほど作ったらしく、口にすればフェイクラヴァーを沈静化させられる働きがあるそうなのだが……
「それは緊急用だと言っただろうが。どうしようも無い時の為にとっておけ」
「いっぱい作ろうよ! 作り方教えてくれたら自分で作るし、ねっ?」
「……」
「その方が―― んぅっ」
言いかけた言葉ごと呑み込まれる。すぐに思考は溶かされてしまい、抵抗しようとする手が徐々に力を失っていく。いつもよりやけに長い。執拗に攻め立てられ頭がボーっとしてくる。
「っはぁ、はぁ」
やっと離れ、必死で酸素を取り込もうとしたその時だった。
「ひぁっ!?」
ガリッと耳を軽くかまれ大げさなまでに反応してしまう。何が起きたのか分からず耳を触ろうとするが、その手すら絡めとられて壁に押し付けられてしまう。
「あれだけ男を誘惑するなと言ったのに、お前は守らなかったわけだ」
過敏になっている耳に低い声を滑り込まされてゾクゾクと背筋が戦慄く。少女は必死で否定しようとしたが、もはやその声は弱々しいものだった。
「ちがっ……誘惑なんてっ」
「お仕置きが必要だな」
氷の瞳に射抜かれて全身がこわばる。心は冷水を浴びせられたかのように縮み上がっているのに抱き寄せられた身体が燃えるように熱い。
「あっ、やぁっ」
耳を甘噛みされ息を吹きかけられる。上ずった声が自分のものではないように聞こえる。
「そんなに喘ぐとアイツに聞こえるぞ」
「!!」
ボソリと呟かれハッと口を押さえる。ニチカのそんな様子に男はニッコリ笑った。
「まぁ、聞こえたところで俺はまったく構わないんだけどな」
見たことのない良い笑顔に血の気が引いていくような音が聞こえる。声を出すことも出来ない中、少女は心の中で盛大に叫んだ。
(この……こんの、ドS―――ッ!!)
それから数分後。ようやく解放されたニチカは床に手をついて肩で息をしていた。頬は赤く染まり、握りしめた手が怒りで細かく震えている。
「っはぁ、はぁ、ぜっったい許さない……」
「この程度で何いってんだか。耳だけでイくとか淫乱にもほどがあるぞ」
「……ってない! 呪いのせいだもんっ!!」
キッと睨みつける少女だったが、すでに興味を失ったような素振りで男はさっさと歩き出していた。オズワルドは片手をあげて軽く言い捨てる。
「これに懲りたら男に近づくときはもっと警戒するんだな。さて仕事だ」
先ほどまでとのあまりの温度差に、ニチカはわけのわからぬ感情に振り回され地団駄を踏んだ。まだ甘い疼きを残している耳をガシガシとこすり、この声が実体化して男の背中に刺さらないかと願いながら叫ぶ。
「もおおおお!! 信じらんないっ、悪魔っ、ドSっ、人でなしぃぃ!!」
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせるが、男は振り返らずにさらっと言うだけだった。
「お前もヒマならウルフィの手伝いでもしてやれよ」
「うがーっ!!」
***
すでに空にはチラチラと星がまたたき始めていたが、夕食をごちそうになった後ニチカは再び村まで降りていた。
村のメインストリートまでの道を散歩気分で歩いていく。見れば紫とピンクが微妙に交じり合う美しい空に、赤い月と青い月が揃って地平線の向こうから顔を出していた。
さきほどまで感じていた苛立ちも、こんな綺麗な光景を前にしては浄化されていくようだ。
(この世界ってやっぱり綺麗。元いた世界じゃ空を見上げる余裕もなかったもんなぁ)
そこまで考えて、自分の考えに疑問を抱きふと足を止める。
(あ、れ?)
余裕がなかった? なぜ?
思えば自分はいつも俯くように歩いていた気がする。顔を見られないように、話しかけられないように。
「……」
滲みだすようにじわりと黒い影が心に陰る。
(なに、これ)
思い出してはいけない何かが出てくるような気がして、胸をおさえギュッと目をつむる。誰かの笑い声と怒声が聞こえる。さざめくような音の中で、いきなりその声がよみがえった。
――早く×ねッ!!
「っ!」
ハッとして顔をあげる。足元の地面が急にぐにゃりとしたようで、力を入れていなければ倒れてしまいそうだ。
(い、まのは)
ふらっと前に倒れかけたその時、何者かが下に入り込み支えてくれた。
「わっとと! 危ないよ大丈夫?」
「ウルフィ……」
黄金色の瞳にふさふさの毛並みを持つ茶色いオオカミを目にして、ようやく今の状況を思い出す。そうだ、自分は異世界に飛ばされて、師匠と共に旅をしていて……
「……」
「ニチカ?」
ギュッとその暖かい体にしがみつく。
しばらくそうしていた少女だったが、パッと上げた時、そこにあったのはいつも通りの笑顔だった。
「ごめんね! ちょっと立ちくらみがしちゃっただけ」
「でも……」
「本当に大丈夫だから。それよりウルフィはどうしてここに?」
空気が読めない事に定評のあるオオカミだったが、なぜかその時だけは突っ込んで聞くことがためらわれた。代わりに「だはぁっ」と変なため息をついて腰を落とす。
「僕、泣いてもいいかな」
「?」
ふしぎに思って視線をあげると、彼の後ろ、少し離れたところの木箱の影に何かがいる。隠れるようにしてこちらをチラチラ見ているのは村の子供たちだった。辺りはもうすっかり日が暮れていたが、お祭りが近い事もあってこんな時間でも特別に外へ出ていることが許されているらしい。
「さっきからずっとあぁなんだ。なのに話しかけると悲鳴をあげて逃げちゃうし」
ちなみに今のウルフィはオオカミの姿のままだ。さきほどマキナのお達しがあり自由に歩けるよう許可は出されたのだが村人は彼を遠巻きにしていた。ニチカはだいぶ慣れてきたが、その姿は初めて見る分にはやはりぎょっとするくらい大きいのだ。
「慣れてるけどね……慣れてるけど、あぁもロコツにビビられるとやっぱり悲しい」
「でもウルフィって男の子の姿になれるじゃない?」
「うん、でも僕あれニガテで。ちょっと気を抜くとすぐ戻っちゃうんだ」
ウルフィの中で苦い思い出が蘇る。以前どうしても近くの村の子供たちと遊びたくて、ヒト化した状態で話しかけた事があった。身体能力の高いウルフィはすぐに子供たちの人気者になり仲間に入れてもらう事ができた。だがかくれんぼをしている時に悲劇は起きた、後ろから脅かされたウルフィは驚いてオオカミへと戻ってしまったのである。悲鳴をあげた子供たちが親に知らせ、武器を持って村中を追い回され……命からがら逃げ出した時の事を思い出すと今でも恐怖で毛が逆立ってしまう。
すっかりしょげかえるオオカミを見ていたニチカは、少しかんがえた後ポンと手を打った。
「よしっ」
「ニチカ?」
元気に立ち上がった少女は、両手をメガホンの形にして村の子供たちに呼びかけた。
「こんにちはー! みんなロロ村の子?」
戸惑ったように顔を見合わせていた子供たちだったが、少しして何人かが頷いた。
「あのね! この子ウルフィって言うの、少しこっちに来てくれる?」
最初は動かなかった子供たちだが、ニコニコ笑ってウルフィを撫でるニチカを見て、恐る恐る寄ってくる。
「ほんとに、大丈夫?」
「うん、ほらウルフィごあいさつ」
「こ、こんにちわ」
ぎこちなく笑ったオオカミだったが、それはまずかった。ギラリと光る鋭い歯に子供たちの顔が凍りつく。
「あぁっ、逃げないで! 大丈夫、怖くないからっ」
慌てて子供たちを引きとめたニチカは一つ優しい嘘をつくことにした。
「これはナイショなんだけどね、ウルフィは実はみんなと同じ人間の男の子なの」
「そのオオカミさんが? 本当?」
「本当よ、ただ今はちょっと悪い魔女……じゃなくて、うーんと、悪魔に呪われててそれでオオカミの姿になっちゃってるの。こんな見た目だから今まで友達も作れなかったみたい」
「かわいそう……」
髪をおさげにした女の子にじっと見つめられウルフィは口をつぐんだ。そこにこれまでのような恐怖心は見られない。
「だからみんなにお願い。ウルフィとお友達になってくれないかな?」
「「なるーっ!!」」
子供たちは元気よく声をそろえ返事をする。ウルフィにとって夢のような時間が始まった。本来の姿だと言うのに少しも恐れることなくあちこちから手が伸びてきてもみくちゃにされる。笑い声に囲まれて、みんなが幸せそうな笑顔を浮かべる。
その中心に自分が居ることが信じられなかった。あんなにも夢見た友達が、すぐ側にいる。
「ニチカ! ニチカ! ありがとうっ、僕すっごく嬉しいよ!」
嬉し涙を浮かべてはしゃぐオオカミに、少女は笑って手を振った。
***
「おねーさんは、マキナくんのおヨメさんになるの?」
唐突に尋ねられたニチカは、女の子たちと一緒に編んでいた花冠を取り落としてしまった。背中に子供たちを乗せたウルフィのはしゃぎ声が遠くに聞こえる。
「なっ、ななな、なんでそんなっ」
真っ赤になりながら尋ねると、彼女たちは顔を見合わせて「ねーっ」と笑った。
「村の大人たちが言ってたもの」
「危ないところを助けられたんでしょ? 素敵、ロマンチック!」
「いいなぁー」
きゃあきゃあと騒ぎ出す女の子を呆れたように見ていた男の子たちだったが、急に真剣な顔をしたかと思うと口を挟んでくる。
「でもよぉ、あのウワサが本当なら……」
「あの噂?」
なんの事だろうとそちらを向くと、ゴクリと喉をならした子供たちは内緒ばなしをするように声のトーンを落として寄り集まって来た。
「ねーさん、一人の時は気をつけた方が良いぜ。屋敷にメイドが居るだろ?」
「バイオレットさんのこと?」
「なになに? なんの話?」
背中に小さな子を乗せていたウルフィも戻ってきて話の輪に加わる。話題を切り出した男の子はコクッと頷いた。
「実はな、あのメイド亡霊なんじゃないかってみんな言ってるんだ」
「ぼぼぼっ亡霊? ぴぎゃーっ!!」
「ウルフィ落ち着いて!」
早くもパニックになりかけるオオカミを制止する。彼が落ち着いたところでなぜか怪談話でも始めるような雰囲気になってしまった。
「昔……って言っても二年前くらい前の話だ、マキナさんがこの村にやってきた頃の話なんだけどさ、いま彼が住んでる屋敷をそれまで管理してた一家がいたんだ。父と母、それから娘が一人。それがそのまま使用人として採用されたんだよ」
「娘は村一番の美人と評判でよぉ、マキナさんとも仲が良くて、みんながそのまま結婚するものだと思ってた。でも」
ヒソヒソ声で隣の子が続ける。その辺りからしんみりとした空気が子供たちの間に広がっていく、事情を知らないニチカは黙って話の続きを待った。
「夏だけど肌寒い日だったな。その一家がそろって隣町まで買い出しに出かけたんだ。だけどその途中で野犬の群れに襲われてさ……父と母はあっという間に死んじまって、何とか生き残った娘が街へとたどり着いたって連絡が入ったんだ」
息を呑んだニチカの隣で女の子が鼻をすすった。
「あの時のマキナさま可哀想だった。知らせを受けて、真っ青な顔で飛び出していったもの」
「それで、どうなったの?」
屋敷にそれらしい人物が居ない時点で何となく察してはいたが、子供たちが静かに首を振る。
「街の医療技術でもダメだった。救いがあるとすればマキナさまが抱えて帰ってきた遺体が人形みたいに綺麗だったことくらいかな」
「そんな……」
「一家の埋葬は村をあげて行われたの。西の花畑に埋めて、すべてが終わったはずだった」
そこから急激に話の流れが変わった。話を始めた少年が内緒ばなしでもするかのようにグッと乗り出してくる。
「葬式から半年後、マキナさんの実家から新しい使用人が送られてきたんだ」
「それが、バイオレットさん?」
子供たちは怯えているような、それでいて少しだけ興奮しているような顔で頷いた。
「そっくりだったんだ」
「え……」
「死んだはずのスミレに、あの新しいメイドがそっくりだったんだよ!」
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