ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ

文字の大きさ
85 / 156
8-淫靡テーション

85.少女、デバガメする。

しおりを挟む
 翌朝、窓からの朝日に起こされたニチカは一瞬状況が理解できなかった。だが目の前にある男の寝顔を見てすべてを思い出す。這い出るようにベッドから降りると床の上に手と膝をついた。

(うわぁぁぁ! 結局朝まで添い寝しちゃった、途中で抜け出して自分の部屋に戻るつもりだったのに!)

 肌寒い夜。ぬくもりが心地よく気づけば熟睡していた。久しぶりに夢も見ずに懇々と眠った気がする。頭もスッキリとしていて身体も軽く、風邪を移された心配もなさそうだ。チラッと振り返ると、オズワルドはゆったりと胸を上下させながら眠り続けていた。薬が効いているのか顔色も良い。

 少しだけ微笑んだニチカはそっと部屋を出た。自分の部屋で軽く身仕度を整え、魔導球を杖の形に戻す。鏡を見ると首筋に見慣れない痣を発見して顔を赤らめる。慌てて襟を正して見えないようにした。扉を開けて階下へ降りると、トントンというリズミカルな音でウルフィが起きたようだ。カウンターの下で一晩を明かしたらしい彼は寝ぼけ眼のままぱたりと尻尾を振る。

「あれぇ、おはようニチカ。出かけるの?」
「うん、ちょっと調査してくる」

 それなら僕も、と腰を上げたオオカミを制し、少女は階段の上を指した。

「オズワルドが風邪ひいたみたいなの。だいぶ落ち着いたみたいだけど、まだちょっと心配だから看てて貰える?」
「ご主人カゼひいたのー? びしょぬれのまんま歩くからだよー」

 クス、と笑って宿のドアを開ける。通りは朝の光に包まれキラキラと輝いていた。振り返り軽く手を振る。

「それじゃよろしくね、朝ごはんまでには戻るつもりだから」
「いってらっしゃーい」

 後ろ手に扉を閉めた少女は颯爽と歩き出す。陽も昇り始めたばかりなので通りに人は居ない。宿の夫婦も帰ってきているようだし、夜のミサは解散になっているはずだ。

(魔水晶を破壊するには大人も子供も寝ている今しかない)

 一人なことに多少の不安はあるものの、今のニチカは自信に満ちあふれていた。なぜか体の隅々まで魔力が行き渡り、頭の中が澄み切っている。軽く手を振るだけでイメージ通りに炎が溢れ出てきた。

(これなら大丈夫!)

 火炎を消し去った少女は、教会の前へと来ると昨夜の正面扉ではなくグルっと回り込むように移動した。すると四分の一左に回り込んだところで勝手口のような小さな扉が目に入る。空いていないだろうかとそっと引っ張ると、すぐにガチンという手ごたえが返ってきた。そう上手くはいかないものだ。

 顔をしかめたニチカは手っ取り早く燃やしてしまおうかと杖を構えた。しかし魔力を練る直前になって扉のわきに並べられている鉢植えたちが目に入った。もしかして、と左から持ち上げていくと、四つ目の鉢の下から黒っぽい古い鍵が出てくる。試しに扉の鍵穴に差し込んでみるとカチャリと錠の開く音がした。

(こういうのって、どこの世界でも共通なんだ)

 妙な感心をしながらそっと中に入り込む。雑多な木箱の間をすりぬけるとツンと青臭い薬草の匂いがただよった。教会なだけあって薬草やクスリを扱っているのだろうか? 案の定、中には誰も居らず、うす暗い中を小走りにかけていく。すると通路の先からぼんやりとした紫の明かりが漏れてきた。確信をもってそちらに突き進む。

 ……と、ここで何かの声が聞こえてきた。色を含んだような声に嫌な予感がしてそっと覗くと、魔水晶が設置されている祭壇の下で若い男女が真っ最中だった。

「あっあっあっ、そこ、そこなのぉ」
「オラッ、もっとケツ突き出せ!」

 パンパンと叩きつけるような音がホール中に響いている。ニチカは慌てて物陰に引っ込み口を押えた。なぜまだ残っているのか、早まる鼓動を抑えながらそっと顔を出す。男の方は昨日入り口で案内してくれた職員だった。女の方も同じような服を着ていることからここの職員だろう。

「死ぬ、死んじゃうぅぅ」
「イけよ! 派手に飛べっ」
「あああぁぁああぁぁぁぁ」

 その激しい情事を思わず凝視してしまう。世界を救う巫女と言えど、肩書きを外せばニチカだって思春期の少女、まるで興味がないと言えばウソになった。

(すごい……あんな風になっちゃうんだ。私も昨日、あのまま行ってたら……)

 そのことを思った瞬間、全身がカッと熱くなった。

(や、やだ、またヘンな気分になってきちゃった)

 ドキドキしながらも男女の行為から目が離せない。足のつけねがキュッとなり、握っていた杖にすがりつく。

「~~っ」

 嫌でも昨日の事が蘇ってきてしまう。しなやかで長い指が慈しむように髪を撫で、頬をたどり首筋に噛みつく。服の裾から侵入してきた手がヘソの脇をなぞり上へ――

 コツッ

 何とかそれを振り払おうとしている少女の背後に、何者かが立った。ハッとして振り返った時にはもう遅く、ニチカの手は何者かにしっかりと掴まれていた。

***

 オズワルドは闇の中にいた。

 空に月はなく、遠くに見えるシルエットはかろうじて木々たちだと判断できる。
 辺りを取り囲む森からは梢のざわめきもせず、時が止まったかのような死の空間がどこまでも続いていた。

 足下には鏡のように澄んだ水面が波紋の一つも立てずに広がっている。どうやら自分はその黒々とした湖の表面に置かれた椅子に座っているようだ。
 ひじかけのない簡素な椅子は、沈む気配もなくぴたりと水面に固定されていた。

(なんだ、ここは)

 指先ひとつ動かせない。拘束されているわけではないのに、頭からの命令に身体は無反応だった。
 ふと、少し離れた正面に同じように椅子に座った男がいることに気づく。

 その男は鏡に写したように自分と酷似していた。
 そっくりな顔、暖かみのない氷のような瞳。
 違うと言えば髪の色くらいで、男の髪は雪のように透き通る白銀色をしていた。

「天華《てんか》……」

 無意識にその名前を呼ぶと銀の男はニヤリと笑う。彼は皮肉気な笑みを浮かべたまま両手を広げた。その口から流れた声色はやはり自分と同じものだ。

「俺を覚えていたとは驚く。とっくに記憶から消し去ったものだと思っていたんだがな」

 男は背もたれを離れ乗り出すようにこちらを見据えると、いやに節をつけて言った。

「久し振りだな『オズワルド』ぉ」
「……」
「それとも、元の名前で呼んでやろうか?」

 無言の拒否を感じ取ったのか、銀の男は肩をすくめて話題を変えた。

「まぁいい、それより何をやっているんだ? 据え膳喰わぬとはそこまで萎えたか」
「お前には関係ない」
「ハッ!」

 銀の男はぞっとするような歪んだ笑みを浮かべた。

「俺なら組み敷いて、ひん剥いて、さっさと割り入れて」
「だまれ」
「抵抗するなら首を絞めればいい。落ちる直前まで締め上げて、泣いてすがってくるまでめちゃくちゃに――」
「黙れと言っている」

 静かだが圧力のある声に会話が止まる。銀の男は冷ややかな視線をこちらに向け、つまらなそうに鼻を鳴らす。その体が椅子ごとゆっくりと湖面に沈み始めた。

「らしくもない、他人などカケラも信じていないお前が、何にほだされている?」

 銀の男が沈むと同時にこちらの体も沈んでいく。水面がせりあがり胸の辺りまで迫って来た。オズワルドは顔をしかめるが相変わらず身体は動かない。

「信じるだけ無駄だ! どうせ最後は捨てられるに決まってる! 世界を救う聖なる巫女様なら尚更なぁっ!!」

 銀の男の声には憎しみが篭っていた。苦しさが滲みだすような、悲痛な叫びが。もはやその声は半狂乱に近い。首の辺りまで浸かると、最後とばかりに捨て吐いた。

「裏切られる前に殺すんだ! ははっ、簡単だろう? すぐにやればいい」

 ――俺とリッカを殺したようにな!

 お前が殺したんだ。お前のせいだ。お前さえいなければ。水の中に沈み切ったはずなのに、そんな言葉ばかりが頭の中に響いている。

 ――お前のせいだ お前のせいだ お前のせいだ

「……やめろ」

 ――お前が お前があの時逃げなければ

 ――他の誰も悪くない 誰にも責任はない


 ――お前が




 俺が

 あの時

***

 ハッとして目を覚ます、簡素な宿の少しだけ色褪せた天井の色がやけに現実的で、今見ていた物がすべて夢だったと気づかされる。気配に気づいたのか、すぐ傍でウトウトしていたオオカミがぱちりと目を覚まし明るく声をかけた。

「ご主人、おはよう。カゼの調子はどう? すっごいうなされてたよ」
「ウルフィ……」

 上体を起こすと全身がびっしょりと嫌な汗でぬれている。貼りついたシャツが不快だった。そんな様子を見てウルフィは気遣うようにクーンと小さく鳴く。

「ヘーキ? やっぱり顔色悪いよー」
「いや……なんでもない。大丈夫だ」

 気分はともかく体調はだいぶ元に戻っていた。重だるさはないし頭痛も吐き気もすっかり消え去っている。一つ頭をふった男は気持ちを切り替えることにした。今のはただの夢だ、何も気に病むことはない。

「アイツはどうした?」

 目覚めてからずっと気配を探していたことに気づいて心の中でそっと苦笑する。だが次のオオカミの言葉でそんな気分も吹き飛んでしまった。

「んーとねぇ、ニチカなら一人で調査してくるって教会に行ったよ」
「なっ――」
「でもでも、朝ごはんまでには戻ってくるからって! だから心配しないでご主人を看ててあげてって」

 愕然としたのは一瞬だった。跳ね起きたオズワルドは壁にかけてあったマントをむしり取ると部屋を飛び出した。あまりの勢いに尻もちをついたウルフィが追いかけながら声をかける。

「ひゃあ! どこ行くの!?」
「あれだけ勝手な行動はするなと言っただろうが! 後を追うぞっ」
「待ってよごしゅじ~ん!!」

 嫌な予感がざわりと胸を騒がせる。己の勘に絶対の自信を持っている男にとって、それは無視できないものだった。

「あのバカ……!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

悪役令嬢の役割は終えました(別視点)

月椿
恋愛
この作品は「悪役令嬢の役割は終えました」のヴォルフ視点のお話になります。 本編を読んでない方にはネタバレになりますので、ご注意下さい。 母親が亡くなった日、ヴォルフは一人の騎士に保護された。 そこから、ヴォルフの日常は変わっていく。 これは保護してくれた人の背に憧れて騎士となったヴォルフと、悪役令嬢の役割を終えた彼女とのお話。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

処理中です...