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10-水面にて跳ね空
112.少女、決意する。
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ビシリと身体が固まるのを感じる。
ぎこちない動きで首をそちらに向けると、心底おもしろそうな顔で彼女は笑っていた。
「きょう、だい?」
「そーよぉ~、安心した?」
確かに言われてみれば、あの親しさは姉が弟をからかうそれだ。
あっけらかんと告げられて、ニチカは未だ固い動きのまま――
ガンッ!
手すりに額を強打した。痛い。
それを見てシャルロッテはますます爆笑する。穴があったら入りたかった。
「何ですかそれ……全然似てないじゃないですか……」
「そうよね、腹違いだし似てるって言ったら髪の色くらいかな」
「髪?」
金髪をひっぱった彼女は染めてるのよ、これ。と言って見せた。
(ということは、シャルロッテさん地毛は黒髪なの? うわぁ、全然想像つかない)
相当脱色したのかと思っていると、彼女はスッキリしたような顔で伸びをしてみせた。
「あーもういやだわ、そんなことで悩ませてたなんて悪かったわね」
「いえ、勘違いしたのはこっちですし」
「でも良かったじゃない。これで心置きなくアタックできそう?」
「えっ、違――」
思わず否定を口にしたが、それまでとは違う真剣な眼で見つめられて何も言えなくなる。
「素直になってニチカちゃん。想いを飲み込んだままで後悔しない?」
涼しい風が髪を揺らす。
しばらく胸の辺りで手を握り締めていたニチカは、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「わからないんです……自分がどうしたいのか、本当にあの人が好きなのかどうかも」
朽ちた教会での事を思い出す。
あれが自分の本心からとっさに出た物なのかどうか、自分の気持ちだというのに未だ図りかねていた。
ふっと笑ったシャルロッテは手を伸ばすと少女の頭を優しく撫でる。
「焦らなくてもいいわ、でも心を捻じ曲げてはダメよ。例え手に取って確かめた気持ちが哀しいものだったとしても、それにちゃんと向き合って」
視線をあげると、見守るような暖かい笑顔が朝日の逆光に包まれている。
心に清らかな風が吹き込むような、そんな気持ちにさせられた。
「ニチカちゃんはその素直さが一番の武器なんだから」
「……はい」
つられて笑いながら頷く。
シャルロッテのその心の清らかさに少しでも近づきたいと思った。
彼女だけではない、師匠の強さ、ランバールの前向きさやウルフィの健気さ、今まで旅の途中で出会ってきた人たちの良いところ。
それに少しでも近づくことが出来たなら、自分を好きになれるかもしれない。
そんな気がした。
スッと顔を上げた少女の目から、迷いは消えていた。
「わかりました。私、もう迷わないです。自分の心から逃げたりなんかしません」
この心に渦巻くモヤモヤが晴れた時、そこに何が残ろうとあの時のように埋めたりなんかしない。
静かにそう決めた。
シャルロッテはそれを聞いて少しだけ遠い目をした。
(そう、そして出来ればあの子も救ってあげて。まだあの白く閉ざされた過去に心を囚われたままの心を)
かつてあの地から逃げ出したとき、自分ではその傷を癒やせなかった。
傷はそのまま化膿し、彼の心を蝕んだままだ。
(本人はこの子に何も知らせず事を済ませるみたいだけど、姉として言わせてもらえば全部打ち明けるべきなのよ)
しかしそれは諸刃の剣でもあった。
真実を知った時、この目の前の少女が拒否するようなことがあれば今度こそオズワルドの心は壊れてしまうだろう。
その危険性は大いにあった。ニチカは見た目より強くはない。
聖女でも何でもない普通の女の子だ。
普通の少女が受け止めるのにはあまりにも辛い現実かもしれない
(だけど、賭けてみたいの。この子に)
「じゃあ、私そろそろ支度しなきゃいけないんで」
「あ、必要なものがあったら言ってちょうだい。私の手持ちから出すわ」
「ありがとうございますっ」
明るい笑顔でパタパタと中に駆けこんでいく少女を見送り、シャルロッテは白の国を――自分とオズワルドの故郷を振り返る。
「ねぇ、リッカ。あの時の約束……私、果たせたかしら?」
呟くようなその声は風に流れ、空へと消えていった。
***
「よしっ、今なら誰も居なそうだ」
こっそりと外の様子を伺っていた役員が顔を引っ込めてこちらに合図を出す。
小走りで屋敷の門に近寄ったニチカに、彼は相変わらず尊大な態度で言った。
「本当に大丈夫なんだろうな? 水の精霊さまが居なければこのサリューンは……」
「わかってるわよ、まったくあなたって人は最後まで保身が一番なのね」
「何をぅ!? 私はただこの街の長としてだな!」
「だってそうじゃない! コソコソと隠さずに街の人たちに打ち明ければ、もっと別の解決方法があったんじゃないの?」
「そんな信用を落とす真似が出来るか! 次の選挙が近づいているんだぞっ」
「ほらやっぱり!」
言い争いを始める少女の後ろを通り過ぎながら、オズワルドはため息をついた。
『我、隠密を好む者なり、汝に命ず、色づく風となり我らの姿を覆い隠せ』
「わっ」
いつの間にか色づく風に包まれているのに気づくと、師匠に頭を掴まれ強制的に動かされた。目の前の人物が突然消えた役員がうろたえる。
「な、ななな、どこに消えた!?」
「時間が惜しいんだ、そんなことやってる場合か」
「分か、分かったから、転ぶから!」
とっとっと、と情けない後ろ歩きからようやく開放されて振り返る。すると極上の景色が出迎えてくれた。
「わ……」
別荘がある島の周辺は白浜の遠浅が続いているようで、まるで鏡のように高い空を映し出している。靴のまま浅瀬にパシャッと降り立つと、まるで自分が空に浮いているような気分だ。
跳ねるような青い空に見とれていると耳慣れた声が響いた。
「あ、来た来た。こっちよ~」
シャルロッテだ。
こちらと同じく隠れ玉のケムリに巻かれているのか、時折ゆらりと背景に溶け込んでいる。その横からこれまた見慣れた緑の青年が現れた。
「ありゃ、もうチョイ欲しかったな。準備にもう少しかかるんだけど……」
「ラン君、準備って?」
「ふふーん、それは来てのお楽しみってことで」
「?」
手に持った緑の球を転がしていた彼は、そんなことより、とそれを手渡してきた。
「ウルっちにも会えなくなるんだし、話しておいたら?」
「そうだね……」
その事実を思い出し、少しだけ気持ちが沈む。
だがこんな暗い声を聞かせてはいけないと気持ちを切り替え、手元の魔導球に話しかけた。
「ウルフィ、調子はどう?」
『あーっ、ニチカだぁ。元気元気~、でもやっぱりお腹が減るんだー、次のご飯まだかなぁ?』
このぽけーっとしたこの声もしばらく聞けなくなるのかと思うと言葉が詰まる。だが何とか持ち直して穏やかに返した。
「あんまり食べ過ぎちゃダメだよ? でないと治った時に戻すのが大変なんだから」
【暴食】の魔水晶を呑み込んだウルフィを北へ連れて行くのは危険すぎるということで、今回彼はお留守番ということになった(そもそも太りすぎて地下洞から出すのが不可能だ)ゆっくりと治療すれば戻ってきた頃には元通りだろう。
切ない気持ちをこらえていると、横から割り込んできた師匠が話しかける。
「おいウルフィ、本当に良いのか。俺が手術すれば一発で魔水晶取ってやれるのに」
画期的な提案だったが、魔導球の向こうから返ってきたのはおびえたような声だった。
「おなかを切るとか絶対やだよ!! 『オオカミの開き』とか誰も食べないからねっ」
「前に桜花国でもやっただろ」
「あの時は気ィ失ってたもん!! おとなしく下から出すからーっ」
あまりの必死さに笑いがこみ上げてくる。
離脱は寂しいが彼にはここで頑張ってもらおう。ええと、その……排出を。
くれぐれも食べ過ぎないようにと念を押して通信を切る。
タイミングよく『それ』が来たらしく、ランバールがあっと声を出した。
「来た来た!」
「え、何が――」
彼が視線を向ける先を同じように見上げ、ニチカはぽかんと口を開けた。
どこまでも澄んだ青い空の中を、驚くほどの巨体がサリューンに向かって飛んでくる。
「ホウェール!」
ぎこちない動きで首をそちらに向けると、心底おもしろそうな顔で彼女は笑っていた。
「きょう、だい?」
「そーよぉ~、安心した?」
確かに言われてみれば、あの親しさは姉が弟をからかうそれだ。
あっけらかんと告げられて、ニチカは未だ固い動きのまま――
ガンッ!
手すりに額を強打した。痛い。
それを見てシャルロッテはますます爆笑する。穴があったら入りたかった。
「何ですかそれ……全然似てないじゃないですか……」
「そうよね、腹違いだし似てるって言ったら髪の色くらいかな」
「髪?」
金髪をひっぱった彼女は染めてるのよ、これ。と言って見せた。
(ということは、シャルロッテさん地毛は黒髪なの? うわぁ、全然想像つかない)
相当脱色したのかと思っていると、彼女はスッキリしたような顔で伸びをしてみせた。
「あーもういやだわ、そんなことで悩ませてたなんて悪かったわね」
「いえ、勘違いしたのはこっちですし」
「でも良かったじゃない。これで心置きなくアタックできそう?」
「えっ、違――」
思わず否定を口にしたが、それまでとは違う真剣な眼で見つめられて何も言えなくなる。
「素直になってニチカちゃん。想いを飲み込んだままで後悔しない?」
涼しい風が髪を揺らす。
しばらく胸の辺りで手を握り締めていたニチカは、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「わからないんです……自分がどうしたいのか、本当にあの人が好きなのかどうかも」
朽ちた教会での事を思い出す。
あれが自分の本心からとっさに出た物なのかどうか、自分の気持ちだというのに未だ図りかねていた。
ふっと笑ったシャルロッテは手を伸ばすと少女の頭を優しく撫でる。
「焦らなくてもいいわ、でも心を捻じ曲げてはダメよ。例え手に取って確かめた気持ちが哀しいものだったとしても、それにちゃんと向き合って」
視線をあげると、見守るような暖かい笑顔が朝日の逆光に包まれている。
心に清らかな風が吹き込むような、そんな気持ちにさせられた。
「ニチカちゃんはその素直さが一番の武器なんだから」
「……はい」
つられて笑いながら頷く。
シャルロッテのその心の清らかさに少しでも近づきたいと思った。
彼女だけではない、師匠の強さ、ランバールの前向きさやウルフィの健気さ、今まで旅の途中で出会ってきた人たちの良いところ。
それに少しでも近づくことが出来たなら、自分を好きになれるかもしれない。
そんな気がした。
スッと顔を上げた少女の目から、迷いは消えていた。
「わかりました。私、もう迷わないです。自分の心から逃げたりなんかしません」
この心に渦巻くモヤモヤが晴れた時、そこに何が残ろうとあの時のように埋めたりなんかしない。
静かにそう決めた。
シャルロッテはそれを聞いて少しだけ遠い目をした。
(そう、そして出来ればあの子も救ってあげて。まだあの白く閉ざされた過去に心を囚われたままの心を)
かつてあの地から逃げ出したとき、自分ではその傷を癒やせなかった。
傷はそのまま化膿し、彼の心を蝕んだままだ。
(本人はこの子に何も知らせず事を済ませるみたいだけど、姉として言わせてもらえば全部打ち明けるべきなのよ)
しかしそれは諸刃の剣でもあった。
真実を知った時、この目の前の少女が拒否するようなことがあれば今度こそオズワルドの心は壊れてしまうだろう。
その危険性は大いにあった。ニチカは見た目より強くはない。
聖女でも何でもない普通の女の子だ。
普通の少女が受け止めるのにはあまりにも辛い現実かもしれない
(だけど、賭けてみたいの。この子に)
「じゃあ、私そろそろ支度しなきゃいけないんで」
「あ、必要なものがあったら言ってちょうだい。私の手持ちから出すわ」
「ありがとうございますっ」
明るい笑顔でパタパタと中に駆けこんでいく少女を見送り、シャルロッテは白の国を――自分とオズワルドの故郷を振り返る。
「ねぇ、リッカ。あの時の約束……私、果たせたかしら?」
呟くようなその声は風に流れ、空へと消えていった。
***
「よしっ、今なら誰も居なそうだ」
こっそりと外の様子を伺っていた役員が顔を引っ込めてこちらに合図を出す。
小走りで屋敷の門に近寄ったニチカに、彼は相変わらず尊大な態度で言った。
「本当に大丈夫なんだろうな? 水の精霊さまが居なければこのサリューンは……」
「わかってるわよ、まったくあなたって人は最後まで保身が一番なのね」
「何をぅ!? 私はただこの街の長としてだな!」
「だってそうじゃない! コソコソと隠さずに街の人たちに打ち明ければ、もっと別の解決方法があったんじゃないの?」
「そんな信用を落とす真似が出来るか! 次の選挙が近づいているんだぞっ」
「ほらやっぱり!」
言い争いを始める少女の後ろを通り過ぎながら、オズワルドはため息をついた。
『我、隠密を好む者なり、汝に命ず、色づく風となり我らの姿を覆い隠せ』
「わっ」
いつの間にか色づく風に包まれているのに気づくと、師匠に頭を掴まれ強制的に動かされた。目の前の人物が突然消えた役員がうろたえる。
「な、ななな、どこに消えた!?」
「時間が惜しいんだ、そんなことやってる場合か」
「分か、分かったから、転ぶから!」
とっとっと、と情けない後ろ歩きからようやく開放されて振り返る。すると極上の景色が出迎えてくれた。
「わ……」
別荘がある島の周辺は白浜の遠浅が続いているようで、まるで鏡のように高い空を映し出している。靴のまま浅瀬にパシャッと降り立つと、まるで自分が空に浮いているような気分だ。
跳ねるような青い空に見とれていると耳慣れた声が響いた。
「あ、来た来た。こっちよ~」
シャルロッテだ。
こちらと同じく隠れ玉のケムリに巻かれているのか、時折ゆらりと背景に溶け込んでいる。その横からこれまた見慣れた緑の青年が現れた。
「ありゃ、もうチョイ欲しかったな。準備にもう少しかかるんだけど……」
「ラン君、準備って?」
「ふふーん、それは来てのお楽しみってことで」
「?」
手に持った緑の球を転がしていた彼は、そんなことより、とそれを手渡してきた。
「ウルっちにも会えなくなるんだし、話しておいたら?」
「そうだね……」
その事実を思い出し、少しだけ気持ちが沈む。
だがこんな暗い声を聞かせてはいけないと気持ちを切り替え、手元の魔導球に話しかけた。
「ウルフィ、調子はどう?」
『あーっ、ニチカだぁ。元気元気~、でもやっぱりお腹が減るんだー、次のご飯まだかなぁ?』
このぽけーっとしたこの声もしばらく聞けなくなるのかと思うと言葉が詰まる。だが何とか持ち直して穏やかに返した。
「あんまり食べ過ぎちゃダメだよ? でないと治った時に戻すのが大変なんだから」
【暴食】の魔水晶を呑み込んだウルフィを北へ連れて行くのは危険すぎるということで、今回彼はお留守番ということになった(そもそも太りすぎて地下洞から出すのが不可能だ)ゆっくりと治療すれば戻ってきた頃には元通りだろう。
切ない気持ちをこらえていると、横から割り込んできた師匠が話しかける。
「おいウルフィ、本当に良いのか。俺が手術すれば一発で魔水晶取ってやれるのに」
画期的な提案だったが、魔導球の向こうから返ってきたのはおびえたような声だった。
「おなかを切るとか絶対やだよ!! 『オオカミの開き』とか誰も食べないからねっ」
「前に桜花国でもやっただろ」
「あの時は気ィ失ってたもん!! おとなしく下から出すからーっ」
あまりの必死さに笑いがこみ上げてくる。
離脱は寂しいが彼にはここで頑張ってもらおう。ええと、その……排出を。
くれぐれも食べ過ぎないようにと念を押して通信を切る。
タイミングよく『それ』が来たらしく、ランバールがあっと声を出した。
「来た来た!」
「え、何が――」
彼が視線を向ける先を同じように見上げ、ニチカはぽかんと口を開けた。
どこまでも澄んだ青い空の中を、驚くほどの巨体がサリューンに向かって飛んでくる。
「ホウェール!」
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