ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ

文字の大きさ
121 / 156
11-リビングデッド・ハート

121.少女、浮上する。

しおりを挟む
 ――ロッカ! 天華のこと、よろしくね!

 その一言を最後に彼女の姿が見えなくなる。急に風向きが変わり、ブリザードのように視界が悪くなった。上空に飛び上がった天華からは地表の様子がよく見えない、ただ硬質な物同士がぶつかり合うような音だけが届く。

「リッカ! リッカ!!」
「しっかり掴まってなさいよ!!」

 ロッカがブーストをかけるため空中で溜める。
 最後に振り返ったその時、運命の悪戯か視界が一瞬だけ晴れた。

 少年の目にその光景が焼き付く。

 風花が顔を押さえながら前かがみで呻いている。その手の隙間からは赤い血がぽた、ぽたと垂れていた。そして少し離れた位置で


 リッカの背中から、氷の槍の先端が突き出ていた。


 突き出た箇所からじわりと血がにじみ、次の瞬間パッと花開いた。
 ぐらりと傾いた身体が雪の中にドサリと倒れ、まっさらな雪原の中に赤い花が一つ咲く。

「×××!!!」

 名前を呼んだはずだった。
 叫んだ声は暴風にかき消され、自分の耳にさえ届かなかった。


***


 雲の海がどこまでも広がる。

 その上を、姉弟を乗せたホウキは滑るように飛んでいた。青い月に照らされた影が追従するようにそれを追いかけていく。

 穏やかで静寂な世界に、少年の泣きじゃくる声だけが響き続ける。前に座った姉は途方にくれたように話しかけた。

「ねぇ、天華……だっけ。いつまでも泣いてたってしょうがないじゃない」

 嗚咽はいっそう酷くなり、少年の落とした涙が月明りに反射しては雲間に消えていく。はるか遠くまで広がる夜の空は、永遠に変わらないように見えた。

「そりゃ私だって哀しいわよ、片割れが居なくなったんだから。アンタみたいに手放しで大声あげて泣きたいけどホウキを操作してるからそれも出来ないの、ずるいわよ、ちょっとは遠慮してよ」

 それでも後ろの様子が変わることは無い。ため息をついた彼女は方向性を変えることにした。

「ほら、物事は前向きに考えましょ! 私たちはもう自由なんだから。これからいくらだって好きな生き方ができるわ」
「っく……ひぐっ……」
「名を変え見た目を変え生きていこうじゃないの。アンタも私も魔法の知識はあるんだから、魔法学校へ入学するってのも手じゃない?」
「うぁぁぁ……」
「名前は何にしようかしら、昔読んだ小説から借りようかな。シャルロッテとかどう? おてんばで物語をひっかきまわす女の子の名前よ」
「……ひっく……っく」
「あなたはそうね、その女の子に意地悪する男の子の名前とかどうかしら」

 彼の新しい名を呼んだシャルロッテは少しだけ微笑んだ。
 これから先の漠然とした不安に押しつぶされそうになりながらも、声が震えないように精一杯保つ。

「だからねぇ、もう泣くのをやめてよ、オズちゃん……」


***


 暗い湖面にうずくまり、少年が泣いていた。
 その後ろに立ったニチカは、踏み出すことも出来ずにただその背中を見つめていた。

「あなたの痛みに、私がしてあげられることって在るのかな」

 ささやくような声は届かず、少年は振り向かない。
 黒々とした湖面に波紋が広がる。
 少年が落とした涙から、ひとつ、またひとつ。

「一緒に泣いてあげることもできないんだ……だって、あなたの『今』に私は存在してないから」

 ゆっくりと歩みを進め、震える頭に手を置こうとするのにすり抜けてしまう。
 ただただ悲しかった。無力だった。
 それでも膝をついて抱きしめるように包み込む。何も変わらない。引きつるようなすすり泣きは続く。

「何も出来ない。なんにも出来ない自分がもどかしいよ」


「たとえそれが『今』だとしても、してあげられる事なんて何もないよ」


 平坦な声にゆるゆると視線をあげる。
 自分が先ほど立っていた箇所に、小さな子猫が血まみれで倒れていた。
 目を閉じ少しだけ開いた口から小さな舌がはみ出している。
 身体のあちこちには棒で殴られたような痕が付き、茶トラの毛皮には血がこびりついていた。

「目を覚ましなよ。人の痛みを抱え込めるほどニチカって強い人?」

 血まみれで横たわる子猫の声に、記憶の小箱をガリリとこじ開けられるような音がする。

「自分のことで精一杯。弱虫で、臆病で、卑怯で卑屈」
「ち、がうっ、私は……っ」

 その時、腕の中の少年が水中に沈んでいく。少し遅れて自分の身体も水の中に沈み始めた。

「もうすぐみんなに、本性がバレてしまうんだ」
「私の本性……?」
「だから、お願いだから、もう良い人ぶるのはやめて」

 小さくなっていく子猫の声にイラ立ちが募る。もう肩から上しか出ていなかったが叫んだ。

「あなたに私の何がわかるっていうの!!」
「わかるよ、だってあたしは――」

 最後まで聞くことが叶わずトプンと沈む。

 なぜだか無性に悔しくて悔しくて、哀しくて、先に沈んでいく少年に必死に手を伸ばした。

(私の本性がなんだったとしても、あなたを救いたいって想うこの気持ちは本物だから)

 目を閉ざした彼がそれでも沈んでいく。
 触れられないとは分かっていたが、それでも

(私は……っ!!)

 その時、胸元にかけていた指輪が急激に光を放った。目を見張った瞬間、少年の指先に手が届く。ふ、と目を開けた少年の青い瞳と目が合う。驚いたような顔に向かって、その名を呼んだ。

「オズワルド――!」

***

 ハッと気づいたとき、場面は最初の書庫へと戻っていた。
 目の前にはさきほどまで見つめていた青い瞳がある。ただ掴んでいたはずの手がすっかり大きく骨ばった物に変化していた。
 手だけではない、銀髪だった髪は黒髪に、華奢だった身体は大人の男性の物へと成長していて……

「し、しょお」

 座り込んだ彼に向かい合うようにして、ニチカは膝をついていた。
 これも記憶の続きなのかと一瞬思ったが、つないだ手からはしっかりとした感触が伝わる。透けていた自分の身体もしっかりと実体を取り戻していた。
 ハーッとため息をついたオズワルドは安堵したように頭を掻いた。

「やっと戻って来たか。まったくこんな場所で気を失ってるなんて、一体何を――」

 その時、彼の視線が床に落ちる一冊の本を捕らえた。
 色を失った魔法陣と、その横に落ちている紙の切れ端。

 少し固まっていた彼の表情が見る間に険しいものになっていく。
 その変化を見ていられず俯くと、地を這うような声が地下書庫に響いた。

「何を見た」

 その冷たい声にビクッと身体を強ばらせる。
 顔が……上げられない。

「もう一度聞く。何を見たニチカ」

 バクバクと心臓が暴れだす。じっとりとした嫌な汗が手を湿らせた。

 そのまま固まっているといきなり襟元をグッと掴まれた。何が起こったかわからないまま世界をひっくり返される。

「ふ……っ!」

 背中に痛みが走る。
 押さえつけられる苦しさを感じながら目を開けると、いきなり怒声が降ってきた。

「言え!! 事と次第に寄っては――」

 男は激昂していた。怒りに染まった瞳が青い炎のようだ。
 だが荒げていた声のトーンを急に落とすと、氷のような声を出す。

「……覚悟は出来てるんだろうな」

 ここまで真に怒った男は初めて見た。その余りの激しさにすくみ上がり声を失う。

「あ……」

 掴まれている首元に力が込められる。
 かひゅっと変な声が自分の喉から出るのを聞きこのまま殺されるのかと慄く。

「……!」

 しかし、歪んでいく視界の中で「それ」に気づき、目を見開いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

悪役令嬢の役割は終えました(別視点)

月椿
恋愛
この作品は「悪役令嬢の役割は終えました」のヴォルフ視点のお話になります。 本編を読んでない方にはネタバレになりますので、ご注意下さい。 母親が亡くなった日、ヴォルフは一人の騎士に保護された。 そこから、ヴォルフの日常は変わっていく。 これは保護してくれた人の背に憧れて騎士となったヴォルフと、悪役令嬢の役割を終えた彼女とのお話。

死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?

神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。 (私って一体何なの) 朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。 そして―― 「ここにいたのか」 目の前には記憶より若い伴侶の姿。 (……もしかして巻き戻った?) 今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!! だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。 学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。 そして居るはずのない人物がもう一人。 ……帝国の第二王子殿下? 彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。 一体何が起こっているの!?

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

処理中です...