ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ

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EX-延長戦

幾千万もの言葉より-後編-

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 ふと間が空き、とろりと潤む視界を開ける。
 オズワルドはいつになく真剣な顔をしていた。熱を帯びた瞳に心までも奪われる。

「ルト、イルシュア」
「えっ……」

 分からない。分からないはずなのに、想いの丈を丸ごと詰め込んだような響きに胸を突かれる。

 首筋に顔を埋められ、触れるか触れないかぐらいの淡い刺激にピクンと反応してしまう。

(あれ? 言葉なんか要らないのかも)

 ふわふわする頭でぼんやりとそんなことを思う。

 少しずつ解かれていく衣服の擦れにさえ脳髄を刺激される。どうしようもなく幸せで、こちらからも抱き返そうと腕を伸ばした




 その時だった




「!?」

 唐突に間抜けな電子音が室内に鳴り響いた。見れば腰につけたままだった魔導球がビカビカと点滅している。

 舌打ちをしたオズワルドはそれを外し部屋の隅に放り投げたが、腕の中のニチカはプルプルと肩を震わせ始めた。

「ふふ、あはは。アハハハハっ!!!」

 そしてそのまま大声を上げて笑いの発作に襲われてしまう。男はそれをポカンと見下ろすしかなかった。

 ニチカが笑うのも無理もない、今も鳴り響いているそれは、毎週日曜夕方に放送されているあの『国民的大喜利番組』のテーマ曲だったのである。

 それまでの艶っぽい雰囲気をぶち壊しにするには充分すぎる破壊力を持っていた。

「あーっはっはっはっは、むり、むりぃ、もうやめてぇ!!」

 ニチカはケラケラと涙を流しながら笑い転げる。
 完全に萎えた様子のオズワルドは鬼のような形相でドスドスと部屋を横切ったかと思うと、魔導球を拾い上げ通話の相手に向かって怒鳴りつけた。

 しばらく話した後、師匠は人でも殺しそうな形相でズイとそれを差し出してくる。球の中に映し出されていたのはやはりというかユーナだった。

「ゆ、ゆ、ユーナ様……いつこんな着信音設定したんですか」
「いいだろう? 僕が地道に一音ずつ打ち込みしたんだ」

 イタズラが成功した少年のように瞳を輝かせていた女神は、ニチカの衣服が乱れていることに気付いたがあえて何も言わなかった。

「あがっておいでよ、翻訳の魔法が見つかったんだ」

***

 再びポータルから天界へと上がったニチカは、ユーナの執務室で魔法陣の上に立っていた。

 わずかな魔風が収まった後、後ろから小さく聞こえてきた罵倒に勢いよく振り返る。

「フナムシって何よ! せめて哺乳類に例えてくれない!?」

 やたらと少女を節足動物に例えていたオズワルドは、わずかに目を開き息をついた。

「治ったか」
「え? あ、ホントだ!」

 会話が通じることに嬉しさがこみ上げていると、床の魔法陣をクルクルと巻きとっていたユーナは真相を話し出した。

「やっぱり君を最初にこの世界に呼び込んだとき、通訳のまじないをかけたのはイニだったよ。僕から抽出した記憶細胞を君の中に埋め込んだらしい」
「記憶細胞……?」

 うん、と頷いたユーナは、自分の本体が入ったガラス管をコンと叩いた。

「抽出というか複製したんだよね。君は埋め込まれた僕の記憶から言語を引っ張って会話が出来ていたんだ。イニに対して無性に懐かしくなったり愛しさを感じたりしなかったかい?」
「あ……ありましたありました!」
「それも全部、僕の記憶に引きずられてたからなんだよ」

 なるほど、あの時感じた感情はユーナの物だったのか。

「一応今回も僕のを使ったよ。でも安心して、言語能力だけで感情系は排除したつもりだから」

 後ろでどうでも良さそうな顔をしていたオズワルドだったが、ピンと来たらしく推察を口にした。

「このタイミングでまじないが切れたのは、細胞が入れ替わったからか」
「せいかーい、さすが黒ちっち。細胞って時間が立つとどんどん新しいものに変わっていくから、今回のはちょうど時期だったみたい」

 細胞だの何だのはよく分からないが、ニチカにとって重要な点は他にある。不安そうに尋ねてみた。

「今回かけたのもいずれ切れちゃうってことですか?」
「うんにゃ、僕なりにアレンジ加えたからたぶん半永久的に掛かり続けてると思う。一応、後でやり方とか書いた紙をあげるよ。でもこれはマナを使う魔導じゃなくて魔術関連になるから少し難しいかな……」

 が、がんばります。と自信のない声を出すニチカを、師匠は呆れたように見下ろした。たぶん無理だ、そしておそらく自分がやるはめになる。

「それにしてもなー、こんな便利な術があるなら僕だって掛けてもらいたかったよ」

 ブツブツと言い出したユーナだったが、忠告するようにこう言った。

「まぁ不測の事態が起こるとも限らないからね。これを機に君も少しずつこの世界の言葉を学んでいくといいよ」

***

 執務室を出た二人は微妙に気まずいまま並んで歩いていた。
 あれだけの大喧嘩をして、なぜか流れ的にそういう雰囲気になり、挙句ぶち壊しになったのだ。今さらどういう顔をして会話すればいいのか。

「あの……今日はこのまま降りるの?」

 結局当たり障りのない切り口になってしまった。前方を見続けたままのオズワルドは「まぁな」とそっけなく応えた。

「言葉の授業をしてくれたりとか――」
「ウルフィにでも頼め」
「ですよねー」

 そこまで言って、ふと先ほどの事を思い出す。

「ねぇ、ウ、ウ、『ウト イルシュア』ってどういう意味だったの?」
「はぁ? 『地獄に落ちろ』?」
「うそ、そんなこと言ってたの?」

 あんな場面で?と目を丸くしていると、思い出したらしい彼は顔をしかめて歩調を速めた。

「忘れろ」
「ちょっ、なにそれ!?」
「良いか、調べるなよ。聞いて恥かくのはお前だからな」

 念押しのように頭にチョップをドスッと落とすと、そのままポータルの青い光の中へと消えていく。

 一人残されたニチカは頭を押さえながら一人首を傾げていた。

***

 それから数日後、ニチカは天界の資料室の一角に陣取り、燦々と陽の当たる教室でウルフィと向かい合っていた。

「さてニチカくん、しっかり聞きたまえよ。僕のことはウルフィ先生と呼びたまえ」
「おねがいしますウルフィ先生」

 いつかと同じようにテシテシと机を机を叩く彼に向かって頭を下げる。

 まじないをかけ直してもらって気付いたのだが、よくよく聞いてみると確かに彼らはこの世界の言語を喋っていた。これまで意識していなかったので気づかなかったが耳に入った瞬間スッと日本語に変換されている。
 意識して聞けば二重音声のようにあの謎言語が日本語の後ろで微かに聞こえた。会話の中で聞き取れた単語を片っ端から拾っていく。

「ルト、って聞こえたような」
「『ルト』は「あなた」とか「きみ」っていう意味だよ」
「二人称ってことね。他に似たような意味はある?」
「ううん、これっきり」

 そこでふと思い出す。オズワルドが口にしたのは「ルト イルシュア」ではなかっただろうか。

「ねぇ、『イルシュア』ってどういう意味?」

 どうしても好奇心に勝てなかった。恥ずかしい単語だったら気まずいが、ウルフィなら深く突っ込まれることはないだろう。

 だが予想に反して返ってきたのは意外と普通な意味だった。

「『イルシュア』? 「望みます」っていう意味だよ」
「望みます?」

 何を?と思いつつ、オズワルドならまずそんな丁寧な言い方はしないだろうと考える。

 ルト(あなた)+イルシュア(望みます)を師匠風に言い換えるなら――

「……」

「あれ、ニチカ真っ赤だよ? 具合でも悪い? あ、ちなみに赤いは『ルーマ』って言ってね~」

 たのしげに解説を続けるウルフィの声にも顔を上げることができなかった。
 どこまでも深い青の、貫かれるようなまなざしを思い出す。


 ――お前が欲しい


 あの時の彼は、そう言ったのだ。
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