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134.王冠が欲しいです

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 呼び止められて立ち止まったんだろうか、カツンとブーツを打ち鳴らす音がして氷を思わせる冷ややかな声が響く。

「相変わらずですね。そうやってあなたは状況に流されるばかりで、残された者の気持ちなど少しも考えようとはしない」
「……」
「今回は個人的な訪問ですので強制は致しません。ですがラルはあなたを見放していない事をお忘れなく、ご自分の立場を自覚なさいませ」

 再び靴音が響いて誰かが去っていく。そぉっと顔を出すと白いミニスカートが階段へと消えていくところだった。私はなんとなくタイミングを逃してしまって曲がり角で家政婦のように半分顔を出していた。ようやく視線に気づいたのかラスプが振り返る。

「どわっ!?」

 大げさなまでに一歩引く彼は誰にやられたのか、いつもは無造作に下ろしている前髪を上げてバッチリセットしていた。ふーん、結構決まってるじゃない。私はそちらに寄って、今しがた誰かが降りて行った階段を見下ろす。すでに途中の踊り場を折り返したのか『シュカさん』の姿は見えなくなっていた。

「同郷の人?」
「見てたのか。まぁ、そんなところだ」

 気まずそうに言葉を濁される。これ以上聞いて欲しくないという空気を読んだ私は、代わりに両手を広げてドレスの裾をつまんだ。

「それより見てみて! どうかな? ヘンじゃない?」

 そこでようやく私の恰好に気づいたんだろう、こちらを向いた彼の頬にわずかに朱が差していった。期待を込めて感想を待っていると、そっぽを向いてしまったラスプの素っ気ない声が返ってくる。

「まぁ、悪くはない、な」
「なにそれ、もっと褒めてよ! みんなは可愛いとか見違えるようだとか素直に褒めてくれたわよ!」
「普段がポンコツすぎるからだろ、ギャップ効果ってやつだ」
「なによーっ!」

 憤慨して拳を振り上げると、からかうような笑みを浮かべた彼にポンと頭を一つ叩かれる。なんでかその笑顔にキュンと来て、私は振り上げた手を所在なげにへろへろと落としていった。な、なによぅ、いつもとちょっと雰囲気違うせいか調子狂うじゃない。しかしこうしてみると、やっぱりラスプもちょっと居ないくらいのイケメンなんだよなぁ。そんな人が私の事を好きと言ってくれた事実を思い出し急に意識してしまう。落ち着かない気分で視線をそらし耳元のイヤリングをいじる。

「綺麗って言って貰えるかなって、おもってたんだけど……」
「え?」

 無意識のうちに呟いてしまった声にハッとする。焦った私は両手を振って話の急ハンドルを切った。

「あーっ、そのっ! 警備は大丈夫そう!?」

 その言葉で瞬時に空気が変わる。それまでのじゃれ合うようなやり取りから、私たちの意識は即座に国王と警備隊長へとシフトしていた。目つきを鋭くしたラスプが現在の状況を報告してくれる。

「今のところ問題ない。観客の間に等間隔で私服の団員を配置しているから、怪しい動きをする奴がいたら即座に取り押さえられるはずだ」
「私が敵なら、どさくさに紛れて買収した魔族に人間を襲わせる。もしくは毒物なんかを巻き散らかすテロか」
「言われた通り入り口で簡単な手荷物検査をさせている、避難誘導のマニュアルも頭に叩き込ませたしな。二階席はメルスランドの騎士に一任してるから関与できないが、エリックが目を光らせてくれるそうだ。アイツなら大丈夫だろう」

 あれ、いつの間にかずいぶんとエリック様の事を信頼してる。立場は違えど、国を守る責任者ということで通じるものがあるんだろうか。そんな視線を向けると、ラスプは複雑そうな表情で言った。

「色々話したが、あの勇者は悪い奴じゃない……と、思う。直感だけどな」
「でしょ?」

 そうこうしている間に、メルスランドの騎士さんたちが私たちの居る通路を慌ただしく駆け抜けていく。中央エレベーターを見やると、本日のメインゲストがやって来るところだった。

 椅子に棒を二本取り付けて、まるでおみこしのように担がれながらリヒター王その人はハーツイーズにやってきた。エリック様と大柄な男の人がすぐ傍について護衛を担当している。駆け寄ったこちらに気づいたのか、リヒター王は合図を出して通路に椅子を下ろさせた。……やっぱりだいぶ痩せた気がする。頬は直線的に削げ、豊かに蓄えていた白いアゴひげは細くなり目は落ち窪んでいる。だけどその聡明な光を宿す緑の瞳だけは以前と変わらずこちらをひたと見据えていた。私は丁寧に頭を下げて歓迎の言葉を申し上げる。

「遠路はるばるようこそおいで下さいました。ハーツイーズ一同を代表致しまして、魔王アキラが歓迎いたします」
「お招き頂きありがとう、楽しみにしていたよ」

 優しく穏やかな声に顔を上げる。目が合うと王様は微笑んだ。だけどその途端激しく咳き込んでしまう。嫌な咳だ、肺の奥深くから吐き出しているようなもので本当につらそう。背中をさするエリック様を制して、王様はこう続けた。

「このような体調で申し訳ない。だがこの劇を見るまでは、そして試験の判断を下すまでは殺しても死なぬつもりでいるから安心しておくれ」
「リヒター王、そんなこと……」

 言わないで下さいと続けようとした私に、王様はゆるやかに頭を振った。

「この命がもう長くないことは自分がよぉく分かっている。だがこんな老いぼれでも最後の後始末ぐらいはできる。紹介しよう、上の妹の長男。私の甥にあたるボリスだ」

 エリック様と共に後ろで控えていた大柄な男性が呼ばれて進み出てくる。歳はだいたい四十半ばくらいだろうか、茶色の髪とアゴひげがよく似合う精悍な顔つきのおじさまだ。華美なところは一つもなく、まさに『質実剛健』と言ったイメージを受ける。確か皇位継承位三位の人だったかな。一位と二位は女性である妹さん二人なので実質的な跡継ぎとウワサされていたはずだ。リヒター王とよく似たグリーンの瞳を細めた彼は、大きな手を差し出して握手を求めてきた。

「お初にお目にかかる、ボリス・フォルセ・メルスだ。良い国交を築けるように今日はしっかりと観させて頂くよ」
「私にもしもの事があった時はこのボリスに一切を任せてある。我が意思を継いでくれる者だ、安心して頼るがいい」

 王様がここまで全幅の信頼を寄せるってことは、きっといい人なんだろう。固く手を握られていると、ボリス様はちょっとだけ表情を柔らげてこちらを上から下まで観察した。

「しかし本当にお若く見目麗しい方だ。聞いた話では魔族ではなく我らと同じ人間種族だとか? 非常に興味深い、なぜ魔族の諸君を治める立場についたのか経緯を伺いたいものだ」
「その辺りも含めて、劇でごらん入れますよ」

 見目麗しい! 麗しいだって!! いぇー! 思わず調子に乗りそうになるところをグッと堪える。その時、リヒター王が何かに気づいたようで少し意外そうな声を出した。

「そういえば、冠は着けないのかね?」

 問われて思わず頭に手をやる。指先に触れるのはコサージュと手首ちゃんがくれた髪留めだけだ。対するリヒター王はシンプルながらも威厳のある金の王冠を被っている。本来ならこんな公式の場で立場を示すためにも着けるべきなのかもしれない。だけど私ははにかんでこう答えた。

「本当の王として認められてからにします。リヒター王、それに関してひとつお願いしてもいいですか?」
「なんだね?」
「私、王冠が欲しいです」

 こちらの【おねだり】に、彼は一瞬目を見開いた。すぐに破顔したかと思うと心底愉快そうに笑い出した。

「わかった、考えておこう。そのためにも今日の舞台を期待しておるぞ」
「はいっ」

 再び持ち上げられた王様は一番いい特等席へと運ばれていく。続けて数人の貴族の方が後に続き、私に軽く会釈をして席に向かう。そんな中、とある人物がやってきて足を止めた。今回一番の要注意人物に自然と肩に力が入る。

「こんばんはアキラ殿。ご招待いただき光栄です。良い夜になりそうだ」
「サイード様……」
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