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164.対となるもの

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 夜明けと共に私は砂浜に降り立った。出迎えてくれたグリとライムがほっとしたような表情で駆け寄って来る。東から昇る太陽に紛れた彼らが眩しくて私は目をすがめた。

「おかえりなさいアキラ様っ、緊急信号も無かったし無事に……」

 そこで言葉を止めたライムは不思議そうな顔をして辺りをキョロキョロと見回す。帰ってくると信じて疑わない、その無垢な瞳がつらかった。

「ぷー兄ぃは?」


 淡々と事実を伝え終えた後、目を見開いたライムは、泣くのを堪えているように痛々しく笑った。そして上着の裾を握りしめると震える声で言う。

「そんな吹雪じゃ信号弾も上げられなかったよね。そっか、ぷー兄ぃはアキラ様を守って……」

 藍色の瞳が見る見るうちに潤み、大粒の涙が目の端からポロポロと零れ落ちる。声を押し殺してしゃくり上げる彼が見ていられなくて、私はその横をすり抜けた。

「行こう」
「アキラ様……?」
「つらいけど、私たちに哀しんでいる余裕は無い。魔焦鏡のリミットまであと五日、そうでしょ?」

 心を鬼にして現実と向き合う。這ってでも進まなければ、ここまでのこと全てが無駄になってしまうんだ。幹部二人が付いてくるのを確認して私は話し始めた。

「目的の花は手に入れたわ。エリック様の容態は?」
「大丈夫、まだ間に合うよ」

 グリの簡潔な答えに胸を撫でおろす。続けて私が居ない間の状況報告を聞く。一昨日の朝から不在にしていたことはどうやらバレていないようだ。緊急事態なので執務室に籠もりきりという事にしていたから。

「ダナエが上手くやってくれたよ。あきらの思考をそのまんまトレースしたんじゃないかっていうぐらい『らしい』回答を考えてくれたから。俺がそれを代理で発表して場をつないだ」

 さすが私を穴が開くほど観察していただけの事はある。看守の役割がてらよくやってくれたと思う。ふと、ダナエとの出がけのやりとりを思い出した私は、例の収容者の事が気になった。

「ベルデモール嬢は?」
「無事、向こうに送り返したよ。没落したっていうお母さんの実家に連絡を取って、事情を説明して匿って貰えることになった。そこからどうするかは彼女次第ってところかな」
「そう」

 その後も、細かい報告を聞いている内に城下が遠く見えてきた。丘の上に立つと涼やかな風が吹き抜ける。きゅっと唇を噛みしめた私は一刻も早く戻るべく足を踏み出した。


 ***


「うむ、文句なしに良質な雪魂花じゃ。すぐにでも特効薬を作ってやれる、待っておれよ勇者」

 城に戻った私はすぐに医務室へと直行した。待ち構えていたドク先生にガラス管を手渡すと心強い返答を貰えた。先生は管から慎重に取り出した花の土を筆で丁寧に払い落していく。

「この花は普通に触ると劇薬だが、濃度を薄めて調整してやればエリックの魔脈を一時的に仮死状態にできる。ルシアンのナイフに塗られていた毒は魔脈に張り付いて寄生しているタイプ。魔脈が止まれば自然と排出されるはずじゃ」

 続いて蒸留水の入ったビーカーに花を突っ込んで揺すると、すぐに水は鮮やかなエメラルドグリーンへと変色した。見覚えのありすぎる色に私はギクリとする。

「花の成分は非常に水溶性が高く、こうやって水に浸しただけでもすぐに――」
「ごめん、こっちは任せていい?」
「む? うむ」

 怪訝そうな先生を残して、吐き気をこらえながら逃げるように退出する。出がけにエリック様のベッドを覗くと、数日ぶりにみた彼は苦しげながらも何とか命を繋いでいた。

(良かった、これで勇者様は助かる……)

 そっと仕切りのカーテンを閉めて医務室の扉を開けて出る。そこで待ち構えていた紫色に私は首を傾げた。廊下の片隅でしゃがんだペロが、ブー垂れたように頬杖をついていたのだ。

「マオちゃんカラも何か言ってやってヨ、グリグリがズルイんダ」
「え?」
「大体ねェ、死神なんだカラ魂を刈るのは自然な事なんだヨ? それをアイツは独り占めしたいカラって肌身離さずエーリカを手元に置いてるんダ! オーボーだヨ! エゴだヨ! あの子ダッテもう現世にしがみついてるのハつらいはずなのニー!!」

 言うだけ言ったペロはうわーんと泣きながら壁に消えていく。残された私は混乱するしかない。エーリカって、エリック様の妹? それがグリの手元にあるって、何の話?

「あきら」
「ひぇ!」

 後ろからぬぼーっと現れた白い影に飛び上がる。振り仰ぐと当の本人が伏し目がちにこちらを見下ろしていた。

「エーリカから伝言」
「だからエーリカって何の話――」

 尋ねかけた私はずいっと差し出された物に言葉を止める。重ねるようにグリの手に乗せられていたのは、ぴくりともしない私のメイドだった。

「手首ちゃん……?」
「こうでもしないと、ペロが魂を刈り取って持ってっちゃうからね。俺が預かってた」


 少しひんやりとした彼女を受け取った私は、廊下に立ち尽くしたまま真相を聞かされる。魔族領で殺されたエーリカが私の蘇生チャレンジに応じて手首ちゃんとなったこと、打ち明けられないままここまで来てしまったこと、もはや彼女が肉体活動を維持するための魔力はほとんど残っていないということ。

「エーリカはね、エリックを助けてくれって最後まで言ってたよ。勇者と魔王が手を取り合い、魔族と人間が共存できる世界を絶対に実現してくれって、それだけを願ってた」
「し、死んじゃったの?」

 アンデッドである手首ちゃんに死んだという表現もおかしいのかもしれない。だけど、どれだけ話しかけても反応がないというのは、それはもう……。

「魂が離れてはいないけど、もう限界なんだ。身体を動かすための魔力がほとんどない。エーリカはもともと自分が持っていた魔力で動いていたのだけど、その半分以上を君に渡していたから」

 予想外の事を告げられ、私は言葉を失う。私のために?

「エーリカはね、この世界における君のドッペルだよ。だからネクロマンスの術に唯一応じてくれた。本来相容れないはずの魔力を渡すことができた。そのブレスレットを通してね」

 左手首につけた繊細な銀のブレスレットを見下ろす。どうして彼女が私に魔力を渡していたのかは分からない。だけどその理由より大切な事があった。手の中の存在を握りしめながら叫ぶように言う。

「じゃあ私が! 私が彼女に魔力を返せば!」
「エーリカの意思を無碍にするつもり?」
「っ!」

 急に腕を掴まれて傷口に触れられる。喧嘩の仲裁の時にできたそれは今でも触れられると痛みが走った。

「自分でもわかってるんだろう? エーリカからの供給がなかったら君の体はとっくに停止している。傷の治りが遅いことが何よりの証拠だ」
「でも、やだ、そんなの」

 わかっていた。ここのところの体調不良は、この世界に来た時とは比べ物にならないくらいになっている。それでも納得できなかった。また私のせいで、私を生かそうとして、大切な人が次々いなくなってしまうのなんて……!

「今、あきらが魔力を返せば確かにエーリカは復活するだろう。だけど引き換えに君は動けなくなる。今一番居なくなってはならないトップの君が。そんなことを彼女が望んでいると思う?」

 最後通告を突きつけられ、私は声を失った。その通りだ、ぐうの音もでないくらい正論だ。みんなが私を信じて託した思いを……思い、を……。

(もう、やだ)

 ここまで頑張って保っていた心が、ぽっきりとあっけなく折れた音がした。不思議と涙は出てこなかった。力なく左手を落とし、手首ちゃんを胸に抱いて歩き出す。もう何も考えられない、少しだけ休みたい。

 何も言わず去る私に、グリは何も言わなかった。言ったとしても届いては居なかっただろうけど。


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エーリカ→Aリカ→ARIKA←右から読むと…
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