99 / 109
第十章 これからのこと
91 理屈より感情が先に立つ
しおりを挟む
数日前。
療養を終えたスメラギは、静かに研究室へ戻ってきていた。
その日は講義もなく、午後からの研究室には、レン、カナメ、そしてキュウビの三人が顔を揃えていた。
重苦しい静けさではなく、どこか“覚悟”のような空気が漂っている。
スメラギの秘密を共有した今、三人は弟子として──そして一人の人間として、彼の隣に立ちたいと強く願っていた。
その思いが、奇しくも同じ日に彼らをこの場へと導いていた。
目指すべき第一歩は「古代魔術」。
それはスメラギ以外の手によっても使われることが明らかになった、失われし力である。
対抗する術を学ばねば、いつか彼一人に限界が来る──それだけは、誰もが望んでいなかった。
「わかんねぇよ!! なんでこの理論で炎の力が二倍になるんだよ!」
キュウビが頭をかきむしった。
その動きとともに、プラチナブロンドの長髪が乱れ、小さな嵐のように揺れる。
机の上には構文図と魔術回路の資料が広がり、彼らの目を容赦なく圧迫していた。
古代魔術における「炎」の術式は、怒りの感情をエネルギー源としていた。
だがその“怒り”にも多様な相がある。激昂、悲憤、焦燥──それぞれが異なる魔力回路を形成する。
その道筋は、決して単純なものではなかった。
「この構文は、“相”の合成に感情エネルギーを乗算する形を取る」
スメラギが、冷静に解説する。
「現代魔術が再現性と合理性を重視するのに対して、古代魔術は術者の精神状態そのものが回路を左右する。
だから、感情が強ければ強いほど、魔力の増幅は大きくなる」
レンとカナメは顔を見合わせ、ため息をついた。
互いに言葉に出さずとも、「難しい」と思った気持ちは共通していた。
その様子に、スメラギはわずかに口元を緩めた。
「……難しいですね」レンが小声でこぼす。
「でも、異界の使者である“アプダの魔女”があの術を使えたなら、理屈じゃなくても“通る道”があるんですよね?」
その問いに、スメラギはゆっくりと頷いた。
「そうだ。理論では解けなくても、感情が紡ぐ回路は確かに存在する。
古代魔術は、時に術者の“想い”に従う」
そのとき。
扉の外から、鈍い足音と共に、薬瓶がぶつかり合うような軽やかな音が響いた。
次いで、仄かな香草の香りとともに、アクタビが研究室に姿を現した。
その手には、透明な薬瓶の入った木箱。
「おやおや。みんなして真面目にお勉強中とは、殊勝なことだねぇ」
にやにやと笑いながら、彼女は顎に手を添えて教壇を覗き込む。
「でもねぇ、こういうのは理屈より気分なのよ。古代魔術ってのは、感情が先に立つって言うじゃない?」
その言葉が、レンの胸に不意に刺さった。
(感情が……優先する……)
彼の中でその言葉が何度も反響する。
その音が次第に外の世界の音を押し流し、静寂が心の奥へと染み込んでいく。
窓の外を見る。
揺れる木漏れ日が、研究室の床に柔らかく差し込んでいた。
その光は、揺らぎながらも確かに、そこに“在る”。
レンはゆっくりと唇を噛み、しばし黙する。
胸の奥が、どうしようもなく熱くなっていた。
──今しかない。
息を吸う。
言葉を反芻する。
そして、意を決して口を開いた。
「……あの、スメラギ先生」
その声に、三人の目が一斉に向く。
「感情が大事なら、俺……もっと近くで、その……一緒に学びたい、って……思ってて……」
言葉は途切れがちで、回りくどい。
だが、その声に込められた熱は、何よりも真っ直ぐだった。
カナメの瞳が丸く見開かれ、キュウビはぎょっとしたように眉をひそめる。
「おいポンコツ、お前何抜け駆けしようとして──ぐえっ!」
立ち上がろうとした瞬間、カナメの足が回し蹴りとなってキュウビの背中を打った。
机が大きく揺れ、キュウビは呻きながら沈む。
「黙っててください」
カナメが凛とした声で言う。
その騒がしさの中。
スメラギは何も言わず、ただレンをじっと見つめていた。
──沈黙。
風の音も、紙のめくれる音もない一瞬。
そして、スメラギの目元がわずかにやわらぎ、淡い吐息のように言葉を落とした。
「……そうだな。いいよ」
そのたった一言が、レンの胸にふわりと灯りをともす。
鼓動が静かに波打ち、じんわりと頬が熱を帯びる。
小さな笑みが、知らず知らずのうちに唇に浮かんでいた。
(よかった……)
──光のような想いが、胸の奥でやさしく揺れた。
療養を終えたスメラギは、静かに研究室へ戻ってきていた。
その日は講義もなく、午後からの研究室には、レン、カナメ、そしてキュウビの三人が顔を揃えていた。
重苦しい静けさではなく、どこか“覚悟”のような空気が漂っている。
スメラギの秘密を共有した今、三人は弟子として──そして一人の人間として、彼の隣に立ちたいと強く願っていた。
その思いが、奇しくも同じ日に彼らをこの場へと導いていた。
目指すべき第一歩は「古代魔術」。
それはスメラギ以外の手によっても使われることが明らかになった、失われし力である。
対抗する術を学ばねば、いつか彼一人に限界が来る──それだけは、誰もが望んでいなかった。
「わかんねぇよ!! なんでこの理論で炎の力が二倍になるんだよ!」
キュウビが頭をかきむしった。
その動きとともに、プラチナブロンドの長髪が乱れ、小さな嵐のように揺れる。
机の上には構文図と魔術回路の資料が広がり、彼らの目を容赦なく圧迫していた。
古代魔術における「炎」の術式は、怒りの感情をエネルギー源としていた。
だがその“怒り”にも多様な相がある。激昂、悲憤、焦燥──それぞれが異なる魔力回路を形成する。
その道筋は、決して単純なものではなかった。
「この構文は、“相”の合成に感情エネルギーを乗算する形を取る」
スメラギが、冷静に解説する。
「現代魔術が再現性と合理性を重視するのに対して、古代魔術は術者の精神状態そのものが回路を左右する。
だから、感情が強ければ強いほど、魔力の増幅は大きくなる」
レンとカナメは顔を見合わせ、ため息をついた。
互いに言葉に出さずとも、「難しい」と思った気持ちは共通していた。
その様子に、スメラギはわずかに口元を緩めた。
「……難しいですね」レンが小声でこぼす。
「でも、異界の使者である“アプダの魔女”があの術を使えたなら、理屈じゃなくても“通る道”があるんですよね?」
その問いに、スメラギはゆっくりと頷いた。
「そうだ。理論では解けなくても、感情が紡ぐ回路は確かに存在する。
古代魔術は、時に術者の“想い”に従う」
そのとき。
扉の外から、鈍い足音と共に、薬瓶がぶつかり合うような軽やかな音が響いた。
次いで、仄かな香草の香りとともに、アクタビが研究室に姿を現した。
その手には、透明な薬瓶の入った木箱。
「おやおや。みんなして真面目にお勉強中とは、殊勝なことだねぇ」
にやにやと笑いながら、彼女は顎に手を添えて教壇を覗き込む。
「でもねぇ、こういうのは理屈より気分なのよ。古代魔術ってのは、感情が先に立つって言うじゃない?」
その言葉が、レンの胸に不意に刺さった。
(感情が……優先する……)
彼の中でその言葉が何度も反響する。
その音が次第に外の世界の音を押し流し、静寂が心の奥へと染み込んでいく。
窓の外を見る。
揺れる木漏れ日が、研究室の床に柔らかく差し込んでいた。
その光は、揺らぎながらも確かに、そこに“在る”。
レンはゆっくりと唇を噛み、しばし黙する。
胸の奥が、どうしようもなく熱くなっていた。
──今しかない。
息を吸う。
言葉を反芻する。
そして、意を決して口を開いた。
「……あの、スメラギ先生」
その声に、三人の目が一斉に向く。
「感情が大事なら、俺……もっと近くで、その……一緒に学びたい、って……思ってて……」
言葉は途切れがちで、回りくどい。
だが、その声に込められた熱は、何よりも真っ直ぐだった。
カナメの瞳が丸く見開かれ、キュウビはぎょっとしたように眉をひそめる。
「おいポンコツ、お前何抜け駆けしようとして──ぐえっ!」
立ち上がろうとした瞬間、カナメの足が回し蹴りとなってキュウビの背中を打った。
机が大きく揺れ、キュウビは呻きながら沈む。
「黙っててください」
カナメが凛とした声で言う。
その騒がしさの中。
スメラギは何も言わず、ただレンをじっと見つめていた。
──沈黙。
風の音も、紙のめくれる音もない一瞬。
そして、スメラギの目元がわずかにやわらぎ、淡い吐息のように言葉を落とした。
「……そうだな。いいよ」
そのたった一言が、レンの胸にふわりと灯りをともす。
鼓動が静かに波打ち、じんわりと頬が熱を帯びる。
小さな笑みが、知らず知らずのうちに唇に浮かんでいた。
(よかった……)
──光のような想いが、胸の奥でやさしく揺れた。
0
あなたにおすすめの小説
嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。
ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎
兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。
冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない!
仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。
宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。
一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──?
「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」
コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる