星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第十章 これからのこと

91 理屈より感情が先に立つ

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 数日前。
 療養を終えたスメラギは、静かに研究室へ戻ってきていた。

 その日は講義もなく、午後からの研究室には、レン、カナメ、そしてキュウビの三人が顔を揃えていた。
 重苦しい静けさではなく、どこか“覚悟”のような空気が漂っている。

 スメラギの秘密を共有した今、三人は弟子として──そして一人の人間として、彼の隣に立ちたいと強く願っていた。
 その思いが、奇しくも同じ日に彼らをこの場へと導いていた。

 目指すべき第一歩は「古代魔術」。
 それはスメラギ以外の手によっても使われることが明らかになった、失われし力である。
 対抗する術を学ばねば、いつか彼一人に限界が来る──それだけは、誰もが望んでいなかった。

「わかんねぇよ!! なんでこの理論で炎の力が二倍になるんだよ!」

 キュウビが頭をかきむしった。
 その動きとともに、プラチナブロンドの長髪が乱れ、小さな嵐のように揺れる。

 机の上には構文図と魔術回路の資料が広がり、彼らの目を容赦なく圧迫していた。

 古代魔術における「炎」の術式は、怒りの感情をエネルギー源としていた。
 だがその“怒り”にも多様な相がある。激昂、悲憤、焦燥──それぞれが異なる魔力回路を形成する。

 その道筋は、決して単純なものではなかった。

「この構文は、“相”の合成に感情エネルギーを乗算する形を取る」
 スメラギが、冷静に解説する。

「現代魔術が再現性と合理性を重視するのに対して、古代魔術は術者の精神状態そのものが回路を左右する。
 だから、感情が強ければ強いほど、魔力の増幅は大きくなる」

 レンとカナメは顔を見合わせ、ため息をついた。
 互いに言葉に出さずとも、「難しい」と思った気持ちは共通していた。
 その様子に、スメラギはわずかに口元を緩めた。

「……難しいですね」レンが小声でこぼす。

「でも、異界の使者である“アプダの魔女”があの術を使えたなら、理屈じゃなくても“通る道”があるんですよね?」

 その問いに、スメラギはゆっくりと頷いた。

「そうだ。理論では解けなくても、感情が紡ぐ回路は確かに存在する。
 古代魔術は、時に術者の“想い”に従う」

 そのとき。
 扉の外から、鈍い足音と共に、薬瓶がぶつかり合うような軽やかな音が響いた。

 次いで、仄かな香草の香りとともに、アクタビが研究室に姿を現した。
 その手には、透明な薬瓶の入った木箱。

「おやおや。みんなして真面目にお勉強中とは、殊勝なことだねぇ」

 にやにやと笑いながら、彼女は顎に手を添えて教壇を覗き込む。

「でもねぇ、こういうのは理屈より気分なのよ。古代魔術ってのは、感情が先に立つって言うじゃない?」

 その言葉が、レンの胸に不意に刺さった。

(感情が……優先する……)

 彼の中でその言葉が何度も反響する。
 その音が次第に外の世界の音を押し流し、静寂が心の奥へと染み込んでいく。

 窓の外を見る。
 揺れる木漏れ日が、研究室の床に柔らかく差し込んでいた。
 その光は、揺らぎながらも確かに、そこに“在る”。

 レンはゆっくりと唇を噛み、しばし黙する。
 胸の奥が、どうしようもなく熱くなっていた。

 ──今しかない。

 息を吸う。
 言葉を反芻する。
 そして、意を決して口を開いた。

「……あの、スメラギ先生」

 その声に、三人の目が一斉に向く。

「感情が大事なら、俺……もっと近くで、その……一緒に学びたい、って……思ってて……」

 言葉は途切れがちで、回りくどい。
 だが、その声に込められた熱は、何よりも真っ直ぐだった。

 カナメの瞳が丸く見開かれ、キュウビはぎょっとしたように眉をひそめる。

「おいポンコツ、お前何抜け駆けしようとして──ぐえっ!」

 立ち上がろうとした瞬間、カナメの足が回し蹴りとなってキュウビの背中を打った。
 机が大きく揺れ、キュウビは呻きながら沈む。

「黙っててください」
 カナメが凛とした声で言う。

 その騒がしさの中。
 スメラギは何も言わず、ただレンをじっと見つめていた。

 ──沈黙。

 風の音も、紙のめくれる音もない一瞬。
 そして、スメラギの目元がわずかにやわらぎ、淡い吐息のように言葉を落とした。

「……そうだな。いいよ」

 そのたった一言が、レンの胸にふわりと灯りをともす。

 鼓動が静かに波打ち、じんわりと頬が熱を帯びる。
 小さな笑みが、知らず知らずのうちに唇に浮かんでいた。

(よかった……)

 ──光のような想いが、胸の奥でやさしく揺れた。

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