やさしいひとのはなし

梅したら

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やさしいひとのはなし

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【やさしいひとのはなし】

 じゃらりと、今朝から足に巻きついている鎖が音を立てた。
 大学近くの一人用アパートだ、そんなに広さは無い。部屋にあるトイレと風呂までは届く長さ。でもギリギリ玄関には届かない。

 あいつわざわざ距離を測って買ったんだろうか。それとも買ってきた長い鎖を専用の工具で切断してこの長さにしたんだろうか。
 どちらにしても気持ち悪い。あいつの妙に計画的なところ、周到なところ、神経質なところは多分一生理解できない。

「ただいま」
「……おけーりー」

 なんてことを考えていたらあいつこと犬飼が帰ってきた。
 おかえりを言う筋合いがあるか迷ったが、ここは犬飼の家だし、俺はずっと家にいたわけだから言うべきなんだろう。

 不満たっぷりの顔で言ってやったら、犬飼は想像以上に顔を輝かせ、何か買ってきたらしいスーパーの袋を持ったまま飛びついてきた。

「猫田先輩! 本当にいる……!」
「そりゃいるだろ。これやったのお前だろ?」

 足に巻かれた鎖を指してやると犬飼は目を逸らした。

 ご丁寧に鍵付きの鎖は、ベッドの中で素っ裸で起きた俺には外せそうにない。
 ちなみに着てきたはず服はどこかに消えて、部屋を探しても鎖を外せそうな鍵や工具は無かった。
 ついでにここは犬飼の部屋のはずなのに犬飼の服まで無かった。

 腹が冷えたらどうする。空調はきいてるし布団をかぶれば暖かいけど、それにしたって素っ裸は無いだろ。

「はい」
「なんですかこの手。あ、お腹すいたんですね。すぐに何か作ります」
「いや、鍵」
「ありません」
「……」

 犬飼は都合が悪いときや嘘をつく時、あからさまに目を逸らす。そんな顔で無いと言えばあると言ってるのと同じなのに、あくまで渡すつもりは無いらしい。

「怒るぞ」

 思わず手が出る。きっちり顎を狙った右ストレート。しかしそんな俺の行動に慣れている犬飼はさらりとかわした。

「……怒ってるのはこっちです」
「あ?」
「猫田先輩、俺達付き合ってますよね」
「うん」

 犬飼の言葉に思い出す。
 合コンとパチンコですった俺はいつも通り後輩の犬飼に金を借りに来て(犬飼の家は有名な薬品会社で金持ちだ)、その際突然好きだと告白された。
 で、ゲイの自分に抱かれるかもしくは縁を切れと言われて、なんだかんだあって尻を開発された俺は、気持ちいいし飯作ってくれるし金貸してくれるしまあいいか~と付き合うのをOKしたのだ。

「で、昨日合コンに行った」
「行った」

 うなずく。

「好みの女の子持ち帰れなかったし溜まってるから抜いてーとうちに来た」
「来た。んでヤった」

 うなずく。

 すると犬飼ははあぁーーーとこの世の終わりのような長い溜め息を吐いた。

「な・ん・で・俺という彼氏がいながら、合コンに行ってるんですかねこの人は~~~!!!」
「痛い痛い痛いほっぺ掴むな」
「心は痛まないんですか!! 俺昨日めちゃくちゃ泣きながらあんたのちんぽしゃぶりましたよね!?」
「ちょっと興奮した」
「ドSか!? 噛んでやればよかった……!」

 犬飼が怒っていることはわかった。でも。

「えっ女相手って浮気なのもしかして」
「もしかしなくても浮気ですよ……!?」
「尻はお前だけだよ?」
「……喜んだ、り、しませんからね……!!」
「顔赤いけど」
「とにかく女性相手だろうが男相手だろうが浮気ですよ! 他の人に裸見せない!」
「プールは?」
「プールはいいですけど……」
「裸が駄目ってことは、服着てたらヤってもいいのか?」
「ヤったら駄目でしょう頭使え! 応用聞かせろ! どうやって大学入ったんですか先輩!」

 ちょっとからかいすぎたら犬飼の目に涙が滲んできた。からかうとこいつの丁寧口調崩れるの好きなんだよな。
 頭を撫でてやると捨てられた犬みたいな目で見てきた。俺は猫の方が好きなので特に何の感慨も湧かない。

 俺はよく人にクズだクズだと言われる。ちょっとだけ自覚はある。
 でもそれでも一応、こいつに優しくしてやろうとは思うんだ。
 彼氏だから、カノジョは甘やかすもんだろ。まあ犬飼はすげー面倒くさいカノジョだけど。

「ごめんって。今日はいっぱい中出ししていいから」
「……っ!」

 俺がそう言うと犬飼は信じられないと言いたげに目をかっ開いた。
 じわじわと目元に涙が浮かび、顔が真っ赤に染まっていく。

 混乱している、けれども喜びを隠し切れない犬飼の表情に、してやったりと俺は笑う。

 しきりに伸ばしてこようとしてやめる手を握ってやると、買い物帰りだからかそれとも緊張からか、ひやりと冷たかった。

 その手に頬を摺り寄せる。
 きっと今日から俺はこの部屋でずっとこいつの背中を見送ることになるんだろう。

 それでもいい。俺は覚悟を決めた、お前も覚悟を決めろ。

***


 猫田先輩は優しい。
 言っても、おそらく誰も信じないだろうけど。

「女抱けなくなったら嫌だ」

 俺と付き合いだした猫田先輩が初めて女と浮気した時、問い詰めたらそんなことを言われた。

「ちんこは女に使うもんじゃん。尻だけでいいだろ?」
「お前といつ別れるかわからんのに尻だけ使ってたらなまる」
「女相手に勃たなくなったらどうしてくれんだよ」

 浮気するたびに繰り返される言い訳に、先輩が付き合う男は自分だけなんだという薄暗い喜びと、所詮は興味本位で付き合っているだけのノンケかという絶望が心を満たす。
 
 誰が聞いても俺は被害者だろう。浮気するノンケに振り回されるゲイ。
 猫田先輩を知る人は誰しも別れろと忠告してきた。

 借りた金は返さない、気に入らないことがあればすぐに殴る、彼女がいてもすぐに浮気をする……大学内での先輩の評判は最低だ。

 でも、それでも俺にとっては彼は
 神様なんだ。

***

 それは偶然でしかなかった。
 広い大学の敷地内で、人なんて普段よりつかないような場所。

 当然誰かに見られることなんて猫田先輩は考えていなかっただろうし、俺も教授にレポートの件で急に呼び出されていなければ端にある渡り廊下に近寄ることなんてしなかった。

 でも俺はそれを見たんだ。
 渡り廊下の窓から、人なんて寄り付かない敷地の端で、猫田先輩が子犬を抱えていたのを。

 目を凝らすと子犬は血を流していた。ぴくりとも動かない子犬を、猫田先輩は無表情に、それでも優しい手つきでそうっと撫でていた。

「どうしたんですか?」

 俺は思わず教授のことも忘れて猫田先輩に駆け寄った。
 顔だけは好みで、でも学内の噂を聞いて距離を置いていた違う学部の先輩は、その時俺のことなんて知らなかったけど、突然声をかけた俺を噂のように突然殴ってきたりすることもなかった。

「どうも何も、死んだ。犬」
「……あなたの飼い犬ですか?」
「俺が犬? 冗談だろ」

 先輩の腕の中の子犬はカラスにでもつつかれたのか傷だらけだった。親犬とはぐれ大学まで逃げてきて、ここで息絶えたんだろう。

「食堂で飯食ってたら後ろの席のやつが、裏にきたねー子犬がいたとか言っててよ」
「はあ」
「来てみたら死に掛けだった」
「……さっきまで生きてたんですか?」
「まあな。でもさすがに助からんかったわこの傷じゃ。抱き上げたら擦り寄ってきて、病院行く前にすぐ死んだ」
「…………」

 子犬は確かにボロボロだった。血と泥にまみれて、清潔なものに囲まれた大学生なら汚いと評するくらい。
 先輩だっていつも、今も綺麗なブランド物を着て、身奇麗にお洒落している人だ。そのせいか評判は悪いのによくもてる。

 この、クズだと呼ばれる先輩は、服に血や泥がつくのに躊躇せず抱き上げて、看取ったというのだろうか。

「なんで……なんでそんなことしたんですか?」
「は?」
「いや、犬……抱き上げて……」
「病院連れてこうとしたに決まってんだろ。他になんかあんのか。……っつーか、あー……くしゅっ」

 先輩は顔をしかめくしゃみをすると、おもむろに合皮のジャケットを脱ぎそれで子犬の遺体を包んで俺に渡してきた。

「ちょっと持ってて。かゆ……」

 ジャケットの下の血がついたシャツも豪快に脱ぎ捨てる。裸になった上半身に赤い湿疹が広がっていた。 

「くしゅっ」
「先輩、もしかして……犬アレルギー……?」
「だからなんだよ。あー水道どこだっけ……」

 結局先輩はこの後学内の水道で体を洗い、秋風に凍えて俺の部屋のシャワーを借りた。

 名も無い犬はペットの葬儀屋で火葬された。
 その費用は先輩が出していて、彼がよく金が無いというのは、合コンやパチンコばかりが理由ではないのだろうと思った。

 先輩はもうその時のことなんて覚えていない。

 俺はそれからたくさん先輩を知って、噂以上に理不尽だし暴力も奮うし人の好意につけ込んで金を巻き上げるクズだということも知った。
 でも、決して聖人ではないけども、傷ついた犬を理由や損得なく抱き上げられる人だということも知ってしまって。

 ノンケなんて地雷だからいくら顔が好みでも絶対に好きになってはいけないと思っていたのに、願っていたのに、
 俺はいつしか、先輩を好きになってしまっていた。

***

 俺が女と付き合えと言われても多分できない。
 だからノンケの先輩が俺とのセックスを拒まないだけでも感謝するべきなのかもしれない。
 でも俺は先輩と対等に付き合いたくて、先輩に浮気されるたびに心がズタズタになっていった。

 そこまでなら俺は被害者なのだろう。
 付き合っているのに浮気をされ続け、謝られたこともない。

 でも、だからといって、やってはいけないことを俺はやってしまった。

 『偽腹』というものを作る医療行為がある。
 半年間、一週間に一度、特殊な専用フィルムを背中とお腹に貼る。
 フィルムは数時間で体に吸収され、そして――

 男の体内に、子宮を作る。

 男同士でも子どもが作れるように開発された医療品。それを作ったのは俺の親の会社だった。
 法整備も進んで同性婚が認められ、製品化して流通しているそれを……俺は無防備に眠っていた先輩に使った。

 体を作りかえる行為だ。当然合意もなしにやってはいけないし、副作用だってある。
 それでも俺は半年近く、一週間に一度巧みに先輩を家に誘い、抱き潰してはフィルムを貼った。

 先輩は半年近いあいだ副作用である頭痛や吐き気に悩まされていたが、それでも病院には中々行きたがらない人だから安心していた。
 が、ふとした時気まぐれにすいていた病院に入って、そして『偽腹』が自分の体内に作られていることを知った。

 知った時の先輩の怒りようはすさまじかった。勝手に体を作りかえられていたから当然なのだが。殺されても文句は言えないし実際に殺されかけた。
 それでも先輩にとって犯人だと思いつくのが俺しかいなかったことに歓喜したのだから、俺はあのまま殺されていた方が良かったのかもしれない。

 発覚した時点で『偽腹』は完成していなかった。
 フィルムを途中でやめれば副作用はひどくなり体に害も出る。
 それらの症状を抑え中途半端な偽腹でも体に害が無いように定着させる薬も念のため用意していた。
 当然偽腹は完成しないと子宮として使えないが、全てがバレた俺は残りのフィルムと一緒に保管していた薬を先輩に渡し、先輩はそれを引っ手繰るように持って――
 姿を消した。


 それから3ヶ月にわたり先輩は大学にも行かずアパートにも戻らず行方をくらましていた。
 そして再び俺の前に姿を現した先輩は
 『偽腹』が、完成していた。


***


 先輩が何故『偽腹』を完成させたのか理由はわからない。
 臆病な俺が何も聞けず何も言えずにいた間に、先輩はアパートに戻り大学に復学し(いつの間にか休学届けを出していた)、信じられないことにまた俺の部屋まで金を借りたり泊まりに来たりするようになった。

 ただ俺は本当に先輩が理解できなくて、汚して作り変えてしまったという罪悪感にも押しつぶされそうで、先輩が以前のような日常を持って来ても前と同じようには決してできなくて。
 特にセックスはできなかった。

 『偽腹』が完成した、俺が作り変えてしまったその腹に、たとえスキンをつけていても俺のものを挿入して妊娠に繋がる行為をするなんてできなかった。
 先輩という神様を俺の子種で孕ませることなんてあってはいけなかった。

 お洒落で、クズで、優しい先輩は、いつか俺と別れて女性と結婚する。
 そんな思いと、『偽腹』まで作らせて、逃げないように拘束したい、浮気してほしくないという気持ちとが相まって、頭の中がぐちゃぐちゃの俺は先輩に触っていても全く勃たなかった。

 しかし、溜まったという先輩を口で抜き満足した先輩が俺のベッドで寝ている隙に、トイレで先輩を犯して孕ませる妄想で何度も抜いた。本人を前にしなければ、俺のそれはいつでもガチガチになった。

 先輩が何故『偽腹』を完成させたのかはわからない。
 でも常識的に考えて勝手に『偽腹』を作った俺が許されるはずがないし、同性婚が許されているといってもそんな俺と先輩が結婚に至るはずもない。

 そう、思っていたのに。

「ごめんって。今日はいっぱい中出ししていいから」

 浮気しても悪びれず決して謝らなかった先輩が。
 『偽腹』がどういったものか医者から説明を受け知っているはずの先輩が、そんなことを言う。

 狂いそうなほどの歓喜、そして困惑。

 喜びと恐怖に震える俺の手を、先輩はしてやったりという顔をして掴んだ。

「結婚したら浮気はしないと思う。……多分」
「た……」
「ん?」
「多分が無かったら最高でした……いや……」

 裸の先輩を抱きしめる。部屋は空調がきいているけど肌は少し冷たかった。
 初めて抱いた時と同じだ。緊張している先輩。少し、震えている。

「そのままでも最高です、先輩、大好きです、先輩……っ!」


 先輩と付き合っている俺のことを理解できないと、先輩を知る人は言う。
 でも俺からすると、俺と付き合ってくれる先輩の方が理解できない。

 ただ、ひとつだけわかる。

 先輩は優しい人だ。
 本人も、信じないだろうけど。


【おわり】
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