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8. 再会のカフェテリア

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 クリスティーナは焦っていた。
 もちろん、その感情を出すことはない。感情は信頼できる者の前以外では出さないように生きてきた。それが例え、冷たい印象となっていてもだ。
 
 背筋を伸ばし美しい歩き方で歩みを進めるクリスティーナが探しているのはライリーである。
 いつもならば先にガゼボにいて笑顔を浮かべて出迎えてくれる彼女が、今日はどれだけ待っても訪れない。体調を崩したのかとも思ったが、昨日の元気そうな様子ではそれもないだろう。
 であれば、何か問題が起きているかもしれないとクリスティーナは内心動揺しながらライリーを探す。

 そしてその予感は的中していた。
 校舎の陰から大きな声で誰かを非難する声が聞こえてくる。その声にクリスティーナは聞き覚えがあった。数日前に、自身にも身勝手な注意をしてきた王太子の侍従である。

 「だからお前などといるとウォーレン嬢の格が下がるのだ!ルパート殿下の元婚約者なのだから彼女にもそれ相応の振る舞いと家格に合った付き合いが今後も必要だろう!」

 その言葉にクリスティーナは怒りを感じる。
 自分の事ならまだしも直接関わりのない彼女の何を知ってそのような言葉を吐いているのだとこぶしをぎゅっと握る。
 ライリーにまでこんな行為に出た彼らをクリスティーナは止めに入ろうとする。
 だが、そんな彼女にライリーの声が聞こえる。

 「そうやって縛らないでください!」
 「はぁ?何がだ」
 「誰も、どの立場においても、クリスティーナ様の心も自由も縛る権利はないじゃないですか!」
 「何を言っているんだ。公爵令嬢として、元婚約者として当然の事だろう!」
 「違います!クリスティーナ様の心はクリスティーナ様のものです!」

 出ていこうとしたクリスティーナだが、ライリーの言葉に体が固まって動けない。
 それは雷撃に打たれたような衝撃であった。
 無論、ライリーの言葉通りに生きる事は出来ない。
 クリスティーナ・ウォーレンは公爵家の令嬢として生まれ、王太子の婚約者となった。そのときから生きる道は既に決まっていたのだ。安定した身分と生活を手に入れられる一方で、その立場には責任が伴う。
 そう生きる覚悟を幼い頃からクリスティーナは受け入れて生きてきたのだ。

 だが、心は違う。食に好みがあるように、クリスティーナも人であり、そこに自分の考えがあるのだ。誰もそれを気にかけてはくれなかった。幼い頃、「ばあや」と彼女が呼んでいた女性くらいであろう。

 だが、クリスティーナの心のために怒る少女がいる。
 今の自分にかかわってもメリットがないというのに、彼女はクリスティーナのために身分が上の男子たちに1人立ち向かっているのだ。
 クリスティーナはそんなライリーに声をかけ、彼女の元へと急ぐ。

 「ライリー!!」
 「クリスティーナ様…あっ!」

 クリスティーナが走り出したのとほぼ同時に、ライリーの持っていた弁当箱は宙に舞う。2つの小さな弁当箱はそのまま地面へと叩きつけられる。
 ライリー手製の弁当の中身は辺りに散乱してしまった。

 「あなたたち、なんてことをなさるの!」
 「あなたが悪いのだ!そんな者と関わるから…それに先程、走られたのも令嬢らしくない行為だ!この者の影響以外にないだろう!あなたは凛として美しくあるべきだ!」
 「い、行きましょう、テレンスさま!」

 クリスティーナが現れた事で、他の侍従たちは狼狽えた様子でテレンスと呼ばれた侍従を促し、去っていく。
 クリスティーナとしてはまだ言いたいことがあるが、それよりもライリーが心配だ。彼女は散らばった弁当の中身を悲し気に見つめている。
 
 「…ライリー」
 
 クリスティーナはどんな言葉を彼女にかけてよいのか逡巡する。自身のために立ち向かってくれた事への感謝か、それとも巻き込んでしまった事への謝罪か、どちらの言葉をかけてもクリスティーナとしては思いが足りぬ気がする。
 立場ある者が謝罪を軽々しく口にするなと育てられたが、それでもクリスティーナはライリーに告げたいと思うのだ。

 「クリスティーナ様!」
 「ライリー、その、私は…」
 「あの!ごめんなさい!今日のお弁当なくなっちゃったんですよ!どうしましょう?お腹すきますよね?…クリスティーヌ様?」

 ライリーは目を瞬かせて、クリスティーナを見る。 
 クリスティーナは顔を赤くして眉間に皺を寄せながら、声を上げる。

 「どうしてあんな無茶をするの!心配するでしょう?」
 「はい、すみません」
 「違う、違うわ!」
 「は、はい」

 戸惑いながら目をパチパチとさせるライリー、それを見ていたクリスティーナの瞳から涙がポロポロと零れ落ちる。小さな子どものように、しゃくりながら泣くクリスティーナはハンカチも使わず、手の甲で涙を拭う。
 それを見て、ライリーはポケットから小さな綿のハンカチをクリスティーナに差し出そうとする。

 「どうしてあなたはいつも私を泣かせるのよ…」
 「あ、えっとすみません」
 「違うわ、そうじゃないのよ…」

 渡された素朴なハンカチでクリスティーナは涙を押さえる。
 クリスティーナと関わった事でライリーは巻き込まれた形だ。今の自分に関わるメリットは少ないだろう。それどころか今日のような目に合ってしまった。
 にもかかわらず、彼女はクリスティーナのために怒り、クリスティーナの心を守ろうとする。せっかく作った弁当が地面に叩きつけられても、クリスティーナの昼食の心配をする。
 公爵令嬢でも王太子の婚約者でもなく、クリスティーナをただ1人の少女としてその存在を認めてくれた少女は、相変わらず心配そうにこちらを見つめている。
 そんな温もりが眼差しから伝わり、涙を止めるのにしばらく時間が必要となるクリスティーナだった。


*****
 

 「い、いいんですか?私がここにいても?」
 「何の問題があるというのかしら」
 「い、生きた心地がしません…」

 ライリーとクリスティーナがいるのは第一カフェテリア、そうライリーには縁がないはずの高位貴族のための場所だ。
 周囲も今話題となっているクリスティーナと不釣り合いな低位貴族の風変わり令嬢の登場に驚き、皆がこちらに注目している。

 「まぁ、どうして?」

 やはり、ここへ来るのはライリーの心理的負担が大きかったであろうかとクリスティーナは気にかける。いやでも自分といると注目が集まってしまう。それがライリーの負担となるのは望むことではない。
 だが、ライリーの口から出てきたのはクリスティーナが全く予想しなかった言葉である。

 「お高いんですよね?あの、こちらってお高いんでしょう?」
 「まぁ…ふふ、私が持ちますわ。それにせっかく作ってくださったのがダメになったのは私の責任でもありますから」
 「それは違います!あれは彼らが悪いんですから」
 「ふふ、ありがとう」

 今も多くの高位貴族がこちらを見ているのだが、そちらを気にせずに真剣な表情でメニュー表を眺めている。周囲に流されない大胆さと強さを持ちながら、メニューの金額は気になるらしい。
 そんなライリーにクリスティーナは笑みが零れる。
 この場所に、クリスティーナ1人で来ることは難しい。周囲の視線や聞こえるように言われる非難の言葉、それらと戦う気力をクリスティーナは失っていたのだ。
 だが、今は隣にライリーがいる。
 クリスティーナは戦う覚悟を決めたのだ。隣にいてくれるだけで力をくれる、そんな少女と自分の心を守るために。


 「うん、第一カフェテリアは美味しいですね!」
 
 素材が良いからか味が薄くても、物足りなさがない。素材の風味の良さが味付けの弱さを補うのだ。高位貴族用のカフェテリアは使用されている食材が違うとライリーは頷きながら食べ進める。

 そんなライリーの様子をくすくす笑いながらクリスティーナは見つめる。メニューは同じものをクリスティーナが頼んだ。値段を確認したライリーは小さな悲鳴を上げたが、料理が運ばれてくるとその考察に夢中なようだ。
 
 「素材がいいから味が薄くても勝負できる…でも庶民向けにはこうはいかないな。より安価で味が良くないと一般では難しいよね」

 1人ぼそぼそと呟くライリーの言葉にクリスティーナは興味を持つ。
 男爵令嬢であるライリーではあるが婚約者を持たず、将来的に料理で身を立てていきたいと語っていた。その思いは本当なのだろう。
 そのことは毎日、彼女が作る弁当からもわかる。

 「でも、明日からはまたあなたにお弁当を作って頂きたいわ」
 「いいんですか?」
 「えぇ、もちろん」

 ライリーに弁当を頼んだ理由は興味深く食べてみたいのもあった。もう1つがこの第一カフェテリアの雰囲気だ。
 今も注がれる視線は好もしいものではない。そこで笑い、食事が出来るのは隣にライリーがいるからだ。隣のライリーは口をもぐもぐと動かしながら、こちらを見ている。

 「だって、あなたが作ったほうが美味しいもの」
 「……!!」

 口に物が入っているため、言葉にはしない。
 だが、その表情と目を大きく開き、うんうんと頷く姿から彼女が喜んでいるのが伝わる。
 隣にいる人間がどんなことを考えているか、それがそのまま正直に受け取っていい感情なのか、そんなことを疑う必要がない。
 クリスティーナにとってライリーと過ごす時間は心地の良いものであった。

 カフェテリアが突然、騒がしくなる。
 入り口側に人々の視線が集まっているようで、自然と2人の視線もそちらへと向かう。人目を集める存在に、2人も覚えがあった。
 この国の第一王子であるルパートとその隣にはエイミー、そして王太子の侍従であり、先程2人に非礼を働いた者たちである。

 ルパートとエイミー、そしてクリスティーナが顔を合わせるのは婚約破棄を突き付けられたあの日以来のことだ。

 第一カフェテリアは静まり返り、3人の行動に周囲の者たちは何が起こるのかをただ見つめるのであった。

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