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第21話 お弁当ランチ
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新はお弁当の蓋を開けた。今朝詰めてきた料理は、色鮮やかでどれもとても美味しそうだ。空腹に引き寄せられ、そのまま箸を出して食べようとして直前で気がついた。危ない危ない。箸を戻して写真を撮る。自分の配偶者に(いただきます)とメッセージを送ってから、両手を合わせて「いただきます」と口に出した。詰めたときから気になっていた、タンドリーチキンを一口かじる。
「美味しい!」
思わず言葉が漏れた。ちょうどいい具合に味の染みたタンドリーチキンも、キャロットラペも、牛肉とごぼうの赤ワイン煮も、どれもこれも作り置きとは思えない。
「何回食べてもやっぱり凄い。どんな経歴のシェフを引き抜いてきたんだろう、あの人」
作り置きの料理でこのレベルを用意するなんて、只者じゃない。実家にいるときに「新はベータだ、いずれ家を出たがるだろう」という柊の一言で、使用人たちに教わって家事のやり方を仕込んでもらった。だから料理も含めて一通りは人並み以上にできる自信があるけれど、プロには遠く及ばない。
「あ」
バイブが着信を知らせる。新は周囲が見てないのを確認して、そっとメッセージアプリを開いた。
写真だ。弁当箱は違うものの、自分と同じ料理が入っていて、胸に甘酸っぱい何かが広がる。新はしばらくその写真を見下ろした。
(元気か)
直樹からのメッセージに、直接電話して話したくなる。駄目だ、彼の声を聞いたら会いたくなるじゃないか。声を聞きたいのを我慢して(元気です)とだけ返信すると、新はすぐに携帯端末にロックをかけた。自分が結婚していることも、その相手が木南直樹であることも、一般社員に知られるわけにはいかない。普通の人間は簡単に中野家の富に目が眩む。直樹のように、金で買えない人間のほうが珍しいことを、新は知っていた。
「中野さん、こんなところにいた。今日も弁当? 最近ずっと弁当だよね」
「藤田課長」
口の中のものを飲み込み、三十代の若さで開発技術部の課長を務めるアルファ男性に笑顔を向ける。
「美味そうだなぁ。もう外に食いに行くのやめたの」
「ええ、例の新商品シリーズの開発会議の準備で、昼休みを取れないことが多くて。あ、斉藤さん」
しきりに外にランチを食べに行こうと誘ってくれる、有能な経理担当の斉藤がやってくる。新は彼にも頭を下げた。
「すみません、藤田課長にもお伝えしたんですが、しばらくはずっと弁当生活が続くと思います」
「残念だけど、仕方ないね。今度のウェブ会議は、例の木南社長も出るんだろ」
「えっ、そうなんですか⁉」
新は初めて聞く情報に箸を落としそうになった。
「あー、そうらしいな」
藤田も頷く。参加者について何も知らなかったのは、当事者の自分だけなんだろうか。いや、直樹が俺の参加を知っていたら、絶対に何か言うはずだ。
「あそこの秘書室のオメガから回ってきた情報だから、確かだと思う」
藤田も斉藤も有望株のアルファだ。オメガの秘書が特別に情報を流した可能性は高い。
「それだったらもっとわかりやすい資料にしないと駄目ですね。せっかく誘ってくださったのにすみませんが、ランチにはお二人で行ってきてください」
微笑むと、藤田課長と斉藤は互いに見合わせて微妙に顔をしかめ、その場を立ち去った。
新はほっと一息ついて昼食に戻った。忙しいのは事実だけれど、本当は弁当生活が続くのは、直樹が自分に飽きるまでだ。
金曜日の夜になると待ち合わせ場所に迎えに来る新の配偶者は、愛情も深いが独占欲も深い。毎日毎食、新が自分と同じ料理を食べないと不機嫌になるので、お泊りの前日に食事を抜くことはできなくなってしまった。撮影日時までチェックするから他の写真を使い回すこともできない。
これで他のアルファ男性と食事に行くなんて知られたら、本気で直樹の家から出してもらえないかもしれない。
今だって、週末彼の家に連れ去られたら寝室で裸にされ、他の人間の痕跡がないかくまなく調べられたうえ、誰にも言えないような恥ずかしいことをされている。「味見」と言って新の性器をしゃぶり、自分を見上げて淫蕩に笑う直樹のことを思い出してしまって、頭が沸騰しそうになった。ベータの男である新は、まだ直樹の亀頭球を受け入れたことはないけれど、このまま彼に開発されたら、亀頭球で栓をされたまま大量に中出しされるという、噂の『種付けセックス』をされてしまうんじゃないだろうか……。
駄目だ、ここは職場なのに、昼間から何を考えているんだ! 心の引き出しをかき回して、ようやく見つけた平常心を引っ張りだす。
新は気持ちが落ち着いたところで昼食を再開した。
セックスだけじゃない。こんなにも美味しい料理を毎回もたせてくれて、ランチミーティングを断り、出来立ての美味しい料理を食べればいいのに新と同じものを食べる直樹は、たしかに自分に好意を向けてくれているのだろう。それは疑っていない。
けれど。
(父さん。ベータ男性がアルファ男性を好きになったとして、その恋が叶うことはあるでしょうか)
(無理だ、子がなせない)
あの優しい父が、あの時は容赦なく即答した。
(あの男は、木南直樹は駄目だ)
(あの男は、金では手に入らない)
知っている。そういう人だから恋に落ちた。
今は直樹は自分に好意を向けてくれている。だけど優しく愛情深いあの人が、運命の番であるオメガに出会ったら、その時自分たちの関係はどうなってしまうんだろう。
美味しいお弁当なのに、急に味がしなくなった。
彼が他のオメガを選んだら。
彼から他人を見る目を向けられたら。
そのとき、自分は生きていけるのだろうか。
新は無表情のまま機械的に、味のしない料理を口に運んだ。
「美味しい!」
思わず言葉が漏れた。ちょうどいい具合に味の染みたタンドリーチキンも、キャロットラペも、牛肉とごぼうの赤ワイン煮も、どれもこれも作り置きとは思えない。
「何回食べてもやっぱり凄い。どんな経歴のシェフを引き抜いてきたんだろう、あの人」
作り置きの料理でこのレベルを用意するなんて、只者じゃない。実家にいるときに「新はベータだ、いずれ家を出たがるだろう」という柊の一言で、使用人たちに教わって家事のやり方を仕込んでもらった。だから料理も含めて一通りは人並み以上にできる自信があるけれど、プロには遠く及ばない。
「あ」
バイブが着信を知らせる。新は周囲が見てないのを確認して、そっとメッセージアプリを開いた。
写真だ。弁当箱は違うものの、自分と同じ料理が入っていて、胸に甘酸っぱい何かが広がる。新はしばらくその写真を見下ろした。
(元気か)
直樹からのメッセージに、直接電話して話したくなる。駄目だ、彼の声を聞いたら会いたくなるじゃないか。声を聞きたいのを我慢して(元気です)とだけ返信すると、新はすぐに携帯端末にロックをかけた。自分が結婚していることも、その相手が木南直樹であることも、一般社員に知られるわけにはいかない。普通の人間は簡単に中野家の富に目が眩む。直樹のように、金で買えない人間のほうが珍しいことを、新は知っていた。
「中野さん、こんなところにいた。今日も弁当? 最近ずっと弁当だよね」
「藤田課長」
口の中のものを飲み込み、三十代の若さで開発技術部の課長を務めるアルファ男性に笑顔を向ける。
「美味そうだなぁ。もう外に食いに行くのやめたの」
「ええ、例の新商品シリーズの開発会議の準備で、昼休みを取れないことが多くて。あ、斉藤さん」
しきりに外にランチを食べに行こうと誘ってくれる、有能な経理担当の斉藤がやってくる。新は彼にも頭を下げた。
「すみません、藤田課長にもお伝えしたんですが、しばらくはずっと弁当生活が続くと思います」
「残念だけど、仕方ないね。今度のウェブ会議は、例の木南社長も出るんだろ」
「えっ、そうなんですか⁉」
新は初めて聞く情報に箸を落としそうになった。
「あー、そうらしいな」
藤田も頷く。参加者について何も知らなかったのは、当事者の自分だけなんだろうか。いや、直樹が俺の参加を知っていたら、絶対に何か言うはずだ。
「あそこの秘書室のオメガから回ってきた情報だから、確かだと思う」
藤田も斉藤も有望株のアルファだ。オメガの秘書が特別に情報を流した可能性は高い。
「それだったらもっとわかりやすい資料にしないと駄目ですね。せっかく誘ってくださったのにすみませんが、ランチにはお二人で行ってきてください」
微笑むと、藤田課長と斉藤は互いに見合わせて微妙に顔をしかめ、その場を立ち去った。
新はほっと一息ついて昼食に戻った。忙しいのは事実だけれど、本当は弁当生活が続くのは、直樹が自分に飽きるまでだ。
金曜日の夜になると待ち合わせ場所に迎えに来る新の配偶者は、愛情も深いが独占欲も深い。毎日毎食、新が自分と同じ料理を食べないと不機嫌になるので、お泊りの前日に食事を抜くことはできなくなってしまった。撮影日時までチェックするから他の写真を使い回すこともできない。
これで他のアルファ男性と食事に行くなんて知られたら、本気で直樹の家から出してもらえないかもしれない。
今だって、週末彼の家に連れ去られたら寝室で裸にされ、他の人間の痕跡がないかくまなく調べられたうえ、誰にも言えないような恥ずかしいことをされている。「味見」と言って新の性器をしゃぶり、自分を見上げて淫蕩に笑う直樹のことを思い出してしまって、頭が沸騰しそうになった。ベータの男である新は、まだ直樹の亀頭球を受け入れたことはないけれど、このまま彼に開発されたら、亀頭球で栓をされたまま大量に中出しされるという、噂の『種付けセックス』をされてしまうんじゃないだろうか……。
駄目だ、ここは職場なのに、昼間から何を考えているんだ! 心の引き出しをかき回して、ようやく見つけた平常心を引っ張りだす。
新は気持ちが落ち着いたところで昼食を再開した。
セックスだけじゃない。こんなにも美味しい料理を毎回もたせてくれて、ランチミーティングを断り、出来立ての美味しい料理を食べればいいのに新と同じものを食べる直樹は、たしかに自分に好意を向けてくれているのだろう。それは疑っていない。
けれど。
(父さん。ベータ男性がアルファ男性を好きになったとして、その恋が叶うことはあるでしょうか)
(無理だ、子がなせない)
あの優しい父が、あの時は容赦なく即答した。
(あの男は、木南直樹は駄目だ)
(あの男は、金では手に入らない)
知っている。そういう人だから恋に落ちた。
今は直樹は自分に好意を向けてくれている。だけど優しく愛情深いあの人が、運命の番であるオメガに出会ったら、その時自分たちの関係はどうなってしまうんだろう。
美味しいお弁当なのに、急に味がしなくなった。
彼が他のオメガを選んだら。
彼から他人を見る目を向けられたら。
そのとき、自分は生きていけるのだろうか。
新は無表情のまま機械的に、味のしない料理を口に運んだ。
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