ソードゲーム2

妄想聖人

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語り継がれる者 7

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 パキスタン パーク村

「遅いな」ヲイカンは腕時計の時刻を確認した。
「そうだな」籐志郎が返事をした。
 二人の短い会話が聞こえたティアは、何が遅いの?と思ってしまったが、口には出さなかった。別なことで忙しいからだ。井戸の傍にいるティアの前では、女子供の列ができていた。キビが助けて、二人がここまで連れてきた避難民たちである。その人たちに、イスラマバードで購入した非常食を手渡している最中だ。ティアの足元には、食料だけを詰め込んだ大きなバッグが置いてある。井戸があるおかげで、喉の渇きは癒やせ、空腹もある程度は誤魔化せるが限界がある。大人たちは空腹に耐えられるだろうが、子供たちは別だ。この子たちの健やかな成長のためにも、自分たちの食糧を放出したのだ。
 男の子を連れた母親に、二人分の食料を手渡した。母親がダリ語かバシュトゥー語のどっちかで、何かを言った。残念ながら、ティアはその二つの言語を全く理解できないが、お礼の言葉なのは理解できた。母親に倣うように、子供もお礼の言葉を口にした。二人が去ると、次の親子がティアの前に立ち、地獄で仏を見つけたような顔つきをしている。
「どこかで女性を助けているんじゃないのか?」籐志郎は言った。
「ありそうだな……」
 どうやら未だに到着しないキビについて語っているようだ。二人の口調は仲間を心配しているというより、時間にだらしない人への苛立ちに近い。
 ティアはカバンから食料を取り出そうとする。最初は栄養とか考えた方がいいかなと思ったが、今は満腹になることだけを考えている。食糧は山のように購入しているので、全員が満足できるように行き渡らせる。こういうことができるのは、符千の意見に従ったからだ。『何かが起きて遭難した時に備えて、食料と水だけは十分に用意した方がいい』と言っていた。今思うと、どこかで遭難した経験があったのかもしれない。
正直に言うと、こんなに食料は必要ないと思っていた。感覚的には、日帰り旅行のようなものだと思っていたからだ。それがこんな形で役に立つとは思っていなかったが、彼の意見に従って良かったと、今では心の底から思う。
だがそれは同時に、ティアの心に強い罪悪感を抱かせた。建設的な意見を述べて助けてくれた符千にまで、謝罪の言葉だけでは到底、許されない危険に遭わせてしまっている。何かあったらできるだけ力になると約束したのに、もう破っている。もし最悪の事態になっていたら、自責の念に押し潰されてしまいそうだ。こんなことになるなんて、ローマに居た時は想像もしていなかった。ネルーの言う通りローマで大人しく吉報を待っていた方が良かった。こんなはずじゃなかった。
 子供に話しかけられ、ティアは我に返った。食糧を渡す手が止まっていたことに気が付いた。子供は心配そうに見上げている。相変わらず何を言っているのかわからないが、心配いらないよという意味を込めて笑顔を浮かべて、食料の配給を再開した。食糧を受け取った母親が、ティアの腕に触れて何かを言ってからその場を去った。
「元気を出して。旦那は無事に戻って来るよ。と言っておる」いつの間にかヲイカンが傍に居て、通訳してくれた。「ちなみに今のはバシュトゥー語だ」
 賢人と呼ばれていても、この宇宙外からやって来たヲイカンの言語能力の高さに感服したティア。恐らく、一杯勉強したのだろう。
「ビャンコは私の夫じゃないよ」そこだけははっきりさせないといけないので、きっぱりと否定した。
「わしに言うな。向こうからすれば、お前らが夫婦ではないとわかるはずがなかろう」
「次に言う人がいたら、否定してくれる」
ティアはヲイカンの様子を窺った。ヲイカンとはほとんど交流がないため、真白やヌイから聞いていた以上の人柄を知らないのだ。先ほどのやり取りを見ていた感じでは、即座に断られる可能性もある。
「よかろう」
 即座に了承してくれたことに、ティアの緊張は和らいだ。食糧の配布を再開すると、籐志郎が手伝いを申し出た。
「こっちにも並んで」と独特の訛りのあるイタリア語で言った。
避難民はイタリア語を理解できていないだろうが、その手に食糧を持っているので、意図は理解できた。半分ぐらいの親子が籐志郎の方に並んだ。ヲイカンは井戸の縁に腰を下ろして、二人の若者を見守る。
 最後の親子に食糧を手渡してから、ティアは額の汗を拭い取った。籐志郎が手伝ってくれて、予想よりも速く終わった。太陽が容赦なく照り付けるので、ただ立っているだけで汗は滝のように流れ、体力を消耗する。空調に慣れた体には、この暑さは骨身に染みる。
「周辺を見てきたいから車の鍵を貸してほしい」籐志郎は言った。断る理由はなかったので、ティアはポケットから鍵を取り出して渡した。籐志郎は車に乗って、村から出て行った。
 やることをやり遂げ、手持ち無沙汰になったティアは、自然と真白が走っていった方に顔を向けた。
私は荒事に向いていない。という言葉に嘘はないが、私は無責任だ。という強い思いが湧いてきた。友人にだけ負担を強いるのは本意ではない。
 ローマから出たら大変なことになりやすい友人に我儘を言って引っ張り出しただけでも、迷惑をかけ、仲間からも散々に言われてしまった。ローマで大人しくしていれば、真白の心を傷つけることはなかった。それについて何かを言ったとしても、どういう答えが返ってくるのかわかっている自分が嫌になる。ルイザのことまで任せてしまった。本当なら言い出した自分も一緒に行かなければならない。我儘ばかり言って、自分は何もしない。無責任極まりない自分も嫌になる。本当にこんなはずじゃなかった。
「おい」ヲイカンが呼んだ「今更、後悔しても遅いぞ」
 心の内を見透かされたティアはヲイカンを凝視した。
「驚くことの程ではない。顔に出ていたぞ。そんなことより、後悔する暇があるのならわしを手伝え」
「何をすればいいの?」命令口調にティアは頭にきたが、気持ちを落ち着かせた。少なくとも体を動かしている間は、余計なことは考えなくて済む。
 ヲイカンは杖を支えにして立ち上がった。「ついてこい」
 ティアは無言で杖を突いて歩く老人の後を追った。
 空き家の中に堂々と入っていくヲイカンに対して、ティアは逡巡してから続いた。いくら人がいないとはいえ、勝手に入るのは良心の呵責を覚えた。
 ヲイカンは室内を見回してから、台所に向かった。「こんな物でもないよりはましか……」包丁を手に取り呟いた。次に壁に立て掛けてある、箒を手に取った。
「この二つを集めて欲しい」
「何に使うの?」
「武器を作る」察しが悪いなと言っている目でティアを見返す。
「……役に立つか怪しいね」直近で脅威になる存在と言えば、あの獣の集団だ。襲撃に備えるつもりだ。とティアは意図を理解したつもりになった。
「役に立つ方法を考えるのが、今のわしの仕事だ」
 ティアは指示に従い他の家に向かった。ただしこれは火事場泥棒みたいで、とても気が引けた。心の内で、ここに居ない家主に謝罪しつつ、自分たちのために必要なことと言い訳して、良心との折り合いを無理に付けた。最後に入った部屋は、他の家屋とは違い、僅かに豪華な内装だ。村長の家だろう。壁にはヴィクトリア王朝時代のマスケット銃が飾られている。この国がまだイギリスの植民地だった頃の名残と言える品物だ。これは大きな収穫だと思った。一発ずつ装薬しないと使用できないが、現代的な武器があれば、安心感が違う。当たり所が良ければ、一発で獣を仕留めることができる。早速、壁から銃を外して状態を確認する。金具には錆が浮いているが、状態は良好だ。これなら使用できるはずだ。火薬と銃弾を入念に探したが見つからなかった。落胆しながら、元の位置に戻した。恐らく、このマスケット銃は、過去の出来事を忘れないために飾ってあるのだろう。屈辱か戦利品かそのあたりだろう。ヲイカンに言われた物だけを手に取り家を後にした。集めた包丁と箒は、井戸の前に集めた。
 杖を井戸の縁に立てかけてからヲイカンは、食事を終えて暇を持て余している親子を呼び集めた。バシュトゥー語で何かを言ってから、箒を手に取った。刷毛をまとめている紐を綺麗に解いてから、包丁の柄を箒の柄の先端に合わせて、紐でしっかり結んだ。槍の作り方を実演すると、各親子は槍作りを始める。ティアもその中に混ざって、槍を作る。ヲイカンは井戸の縁に座り、杖で地面に何かを描き始めた。何かが気に入らなかったらしく、足で消してからまた描く。
 ティアは黙々と槍を作っていると、暇をしている男の子が興味津々に話しかけてきた。バシュトゥー語なので、理解できなかった。
「お姉ちゃんはどこから来たの?と聞いておる」ヲイカンが通訳してくれた。
「イタリアから来たの」とティアは優しい口調で返答すると、ヲイカンが淡々と通訳した。
「それってどこにあるの?」
 ティアは作業の手を一旦止めてから、右手の人差し指で地面に簡略化した世界地図を描いた。
「ここから来たの」イタリア半島を指した。顔を挙げてティアは軽い驚きを覚えた。彼女の周りに子供たちが集まって彼女が指した一点を見つめている。矢継ぎ早に子供たちが喋る。単語を一つも理解できないティアは、ヲイカンに顔を向けて助けを求めた。老人は溜息を吐いてから、子供たちに注意した。子供たちは聞き分けよく静かになったが、一斉に挙手した。ヲイカンは空いている手で指して、子供の一人に質問の許可を与えた。
「どんなところなの?」
 ティアはどう答えるか考える。子供でも理解できて、興味を持ってもらえる内容を。「世界で一番、お宝が多い国かな」
お宝とは、人類共通の遺産である世界遺産のことである。職業柄、優先的に出て来る言葉であり、同時に一人のイタリア人として誇らしいことでもある。
 彼女の狙い通り子供たちは、「おぉ……」と感嘆の声を挙げた。また一斉に挙手した。ヲイカンが質問の許可を与える。といったことをしばし繰り返した。唐突にヲイカンは子供たちに話しかけた。ティアには会話の内容は理解できないが、面白くないのは理解できた。子供たちは不満顔で散った。
「それは他に任せて、こっちを手伝ってくれ」
「今度は何を手伝うの?」ティアは近くの親に作りかけの槍を渡して僅かに警戒した。また火事場泥棒みたいなことは、できればやりたくない。
「これはお前にしかできんことだ」ヲイカンは地面に描いた絵を棒の先端で指した。ティアはそれを見て、眉根を寄せた。小さな円を中心に、周辺に簡単な迷路が描かれていた。
「これは…何?」これだけでは、何をすればいいのか皆目見当がつかない。
「土壁の設計図だ」ヲイカンは杖の先端を明後日の方角に向けた。「この村を見ろ。防御施設は存在しない。守るには不十分だ」
「確かに……」これでは攻め放題だ。
「中心の円は井戸だ」杖で指しながら説明するが、僅かな間があってから付け加える。「籠城するには水は不可欠だからな。行き止まりの部分は空き家だ。この通りに壁を築いてくれ」
 ティアは地面に描かれた設計図をじっと見つめる。城郭考古学の知識はないが、中心になっている井戸に辿り着くのは簡単そうに見えない。本来なら多くの人手を必要とし、何日もかかりそうな作業だが、そのような時間的猶予はない。つまりこれはティアにしかできないことだと理解した。
「作業を始めましょう」ティアが立ち上がると、ヲイカンも杖を支えにして立ち上がった。二人は、村の内外の境界当たりに向かった。
「高さと厚みはどれぐらい?」ティアは訊いた。
「高さは三メートル。尚、頂上には反り返しを入れてくれ。……武者返しと言えば伝わるか」
「それなら知ってる」世界の城郭という写真集で見たことがある。日本式城郭の石垣に見られる独特の返しだ。確か兵士が登れない様にするための工夫だ。
「厚みは五十センチだ」
 ティアは息を細く長く吐いてから気持ちを落ち着け、精神を集中させ、脳から魔術の元であるA物質を分泌した。その状態のまま、脳内で設計図を思い浮かべて、現実になるように祈った。
変化は前触れもなく起きた。大地が上昇し高い壁となった。ティアは壁の陰から天頂を見つめた。思い描いた通りに返しができていた。
「ふむ……」ヲイカンは壁を横から眺めた。「注文通りの厚みなっておる」
魔術で土木作業をするのは初めてだったが、上手くできたことに胸を撫で下ろした。ティアは欧州術界では、超が付き誰もが知るほどに有名なデ・サンティス家の一員だ。これぐらい初見でやって見せなければ、一族の一員とは恥ずかしくて名乗れない。
これこそが魔術の本来の使用だ。魔術とは、生活に密着して発展してきた。真白のように、戦闘に特化して使用するのは、本来の用途ではないのだ。その理由は単純で、魔術師は戦闘に向いていないのだ。
「次をやってくれ」
「ちょっとだけ待って」
 ティアはポケットから水の入ったペットボトルを取り出して、一口飲んでから、暑さとは違う熱を帯びている額に当てた。直射日光には当ててなかったが、水は温くなっていた。それでも熱冷ましとしては一応使えた。
A物質を使用すると、頭が熱を帯び、使用後のA物質は疲労物質として体に蓄積される。一気に土壁を築くという芸当はできない。現にティアは全体の十分の一しか造成していない。休憩しながらちょっとずつしかできない。そんなティアから見ると、村を取り囲む規模の大魔術を一人でやってのけ、疲れた様子を見せない真白は異常だったりする。
「役に立つかな」ティアは土壁を見上げながら訊いた。見た感じでは、高さがあって頼もしそうだ。
「十分役に立つ」
ティアはそうは思わなかった。「ヲイカンも見たでしょう。あの獣の跳躍力を。これぐらい軽々しく飛び越えてくるよ」
もしかしたら、簡単に破壊してしまうかもしれない。だからと言って、真白がやってのけた規模の土壁は、彼女一人ではできない。
「お前はわしがやっていることが獣対策だと思っていたのか」ヲイカンは呆れた。「あの獣共が相手では、こんなものは何の役にも立たん。むしろ、逃げ場がなくなる」
「それじゃあ、何のために必要な準備なの?」
「わしが警戒しているのは人間だ。お前も聞いていたように、あの避難民はキビが助けた連中だ。キビに面子を潰された馬鹿が、屈辱を晴らすために越境してくる可能性を考慮して準備しておるのだ」
 納得したティアは、ペットボトルをポケットに戻した。その表情には先程よりも、やる気が漲っていた。命からがら逃れてきたあの人たちを、奴隷になんてしたくなかった。気持ちを入れ替えて次の作業に入る。
「どうして真白を連れて来たのだ?」作業も残りわずかというところでティアの後姿を見つめながらてヲイカンは訊いた。
「武装勢力が出るって聞いてたから、護衛が欲しいと思ったの。だから頼んだの」数分の休憩を挟んでから、次の作業に取り掛かる。
「やはり、お前にとって真白は都合の良い男。というわけか」
 ティアはかっと頭に来た。作業を中断して、ヲイカンを睨みつける。自分が抱く、友人への思いの侮辱は耐えられない暴言であった。
「私はビャンコをそんな風に思ったことはない」
「それは嘘だ」ヲイカンはばっさりと否定した。「お前は鈍感でなければ、馬鹿でもない。困ったことに聡明だ。真白に頼めば、返答は予想できていた。お前の頼みなら絶対に断らない相手。これほど安心して物を頼める人物は他にはいない」
 実のところ、ヲイカンが言うように返答は予想できていたし、ほぼ予想通りの結果になった。
ルイザからメールを受け取り、居ても立ってもいられなくなり、現地に向かおうとした時に、真っ先に思い浮かんだのは、ビャンコだった。美術品の発掘調査に参加するのなら、見知らぬ土地でも胸を高鳴らせて、喜んで行動できたが、目的地は武装勢力が出没する地域だと思っていた。不安や心細さ、恐怖心もあった。彼とならそういった問題を解決できると思ったのは間違いない。ビャンコとなら、どんな場所にでも行ける。それどころか、活動資金に関しても助けてくれた。ホテルの件だけではない。車のレンタル代や物資の購入にもお金を出してくれた。見返りなど何も求めずに助けてくれる。それは本当に助かると同時に、不満の種でもあった。心から感謝しているのに、その言葉さえも受け取ってくれない。もしかしたら、彼は私を友人として見ていないのではないかと疑ってしまう。
「せめて友紀並みに鈍感であれば良かった。そうであれば、利用してやろうなどという下心は芽生えん」
 それはわかる気がした。これは単純に関係性の違いと思われる。こっちは友人だが、向こうは兄妹のような関係だ。なんでも聞いてくれる真白を、友紀は優しいおにーさんぐらいにしか思っていないだろう。
「仕事に対する報酬を払うつもりだった。でも彼は受け取ってくれなかった」ただの自己満足でしかないが、せめて報酬を支払うことで、対等の友人であろうとした。
 ヲイカンは本気で言っているのかこの女はと言いたげな困惑をした。
「その程度であいつのお前に対する態度が変わるわけがないだろ。どうやらお前は、わしらより真白を理解しておらんようだな。本気で対等でありたかったら、お前は一人で来るべきだった。護衛もガイドも自分で用意すべきだった。真白に頼った時点で、お前はあいつの善意に付け込み、利用しているだけではないか。真白の異常性に気づいていながら利用するとは、なんとまあ、悪女の所業だな」
 ティアは頭に来ていたが、反論できなかった。ヲイカンの言い分は、心では全面的に否定しているのだが、部分的には肯定している自分がいるからだ。
 言われなくても気づいているのだ。真白との関係は、彼女が知る友人とは違うことを。まるで主君と忠臣のような間柄だ。
 冗談でも口にしたくないが、死んで。とお願いすれば、真白は自分の心臓を剣で貫くと断言できる。
「神に誓って、私はビャンコを都合よく利用してやろうという気持ちは持ち合わせていない」ヲイカンを睨みつけながら、決然と断言した。
「人間ではないわしに向かって、人間の神に誓われてもな……」ヲイカンは顎をぽりぽりと掻いた。
「口では何とでも言える。傍から見れば、そのようにも見える。現にお前のせいで、真白は実害を被ろうとしておる」
 ティアは何を指して言っているのかわからず首を傾げた。
「新星号の若造が、捕らわれたのをもう忘れたのか?」
「忘れるわけないよ」
 ティアは昨夜のことを後悔していた。近くで観戦してくるという符千を止められなかったのは、明らかに自分の失態だった。一緒に地下戦争を経験して間近で見ていた。そこから真白なら大丈夫という安心感があったから、強く止められなかった。そんな油断が最悪の事態を招いてしまった。もし時間を巻き戻せるのなら、今度は体を張ってでも止める。
「それは重畳。忘れていたら、心から軽蔑していた。もし若造に何かあれば、真白は負い目を感じる。お前も知っていると思うが、あれで真白は義理堅い。最悪、若造が死ねば、新星号は非難し、真白は最大限の贖いをする。今のところ、新星号の総長とは対等の交流をしている。ところが、お前がそれを壊そうとしている」ヲイカンはティアを睨みつけた。「真白は贖うために、あらゆる願いを聞き入れる。それはまさに、今のお前との関係そのものになる。対等の友情を壊し、負わなくていい負担を強いる。お前の軽率な行動が、そういう結果を招くかもしれん。客観的に見て、お前は口ほどに真白を大切に思っているとは思えん」
「私にどうしろって言うの!?」散々に非難されたことで、これまで抱いていた真白に対する不満が爆発した。「私はビャンコとは普通の友達でいたいだけ!それなのに、彼はまるで私をお姫様のように扱ってくる!私が何を言っても、彼は受け取ってくれない!それとも私に友達を辞めろって言うの!」
「過去、真白の身に何があったのかわしは知らんが、あれは不治の病と同じよ。お前がどう態度を変えたところで、あれは治らん」
「諦めて受け入れろって言うの!」
「お前が考える普通の友達は無理だろうよ。それでも、少しでも関係を是正したいのなら、真白がなんと言おうと貫き通せ。そのために、上手な会話をしろ。真白ならすぐに墓穴を掘る。聡明なお前ならできるだろ。それなのに、途中で折れるから、結果的に都合よく利用しているように見える。わし等にとって真白は扇の要であり、大切な存在だ。大切に思っている者を利用されたら不快だ。だからわしはお前が嫌いだ」
 ティアは驚きのあまり、ヲイカンを凝視してしまった。薄々、そんな気がしていたので、嫌われていることには、特に何も思わなかった。だが、そう思っている相手に、ちゃんとした助言を与えてくれたことが意外だった。
 ティアはヲイカンに背中を見せて、作業の仕上げに入った。「一応、感謝しておくから。ありがとう」
「感謝せんでいい。わしの利益のために言ったのだ」
「……次は何をすればいいの?」ティアはこの老人が嫌いになったが、それとこれとは分けて訊いた。
「ない」短い返事をした。
 ティアは何があっても対処できるように休憩することにした。十歩も歩かない内に、足を止めて明後日の方に顔を向けた。遠くの方から聞き慣れた音が聞こえた気がした。空耳かなと首を傾げた。
 ヲイカンは鋭い目つきで、ティアと同じ方角を見ていた。「ティア。籐志郎が戻るまで休憩しておけ。どこぞの馬鹿どもがやって来たようだ。籐志郎が戻ってきたら休んでいる暇はないぞ」
 この時ばかりは素直に従った。


 パキスタン カイバル・パクトゥンクワ州

 籐志郎はラップトップトラックのハンドルを握りながら、不毛な大地を注意深く見る。運転技術は持ち合わせていなかったが、地球に来てから身に着けた物の一つだ。
 籐志郎は、第一に哨戒を行っている。何が起こるのかわからない以上、用心しておくに越したことはない。今以上の面倒事は、手に余るので何もない方が嬉しい。第二にキビを探している。到着予想時間になっても、到着していないので、流石に心配になった。とはいえ、キビなら、間違っても人間の軍隊に敗れるとは思っていない。むしろ返り討ちにしている可能性が高い。心配する理由は、この地域の過酷な環境だ。もしかしたら道に迷っているのかもしれない。そうだった場合、最悪だ。いくら主戦力組に数えられていても、容赦なく照り付けるこの暑さには敵わない。どっかでぶっ倒れているかもしれない。他にありそうな理由として、またどっかで女性絡みの厄介事に首を突っ込んでいるかもしれない。どこかで倒れているよりは、ずっとましな理由であるが、心配する身にもなって欲しい。もしそうだったら、真っ直ぐ来いよ。と文句の一つでも言うことにした。仮に入れ違いになってもいい。その場合も、文句の一つを言ってやるつもりだ。
 籐志郎はブレーキを踏んで、ゆっくりトラックを止めた。助手席に手を伸ばした。そこにはAK47と地図と双眼鏡が置いてある。籐志郎は地図と双眼鏡を取ってから、双眼鏡を覗いた。キビがどこかに倒れていないか探した。見える範囲では、人が倒れている様子はない。次に地図に目を落とした。地図を読むのは得意なので、今自分がどこにいるのかわかるが、不慣れな土地なので、村から離れすぎないように注意している。万が一もある。村に何かあったら、すぐに引き返せるようにもしている。現在位置を確認してから、ここからどうするかしばし考えた。近場に集落はないので、どこかに立ち寄っている可能性は排除して問題ない。
 南下してみることにした。理由は特にない。地図と双眼鏡を助手席に戻してから、ハンドルを握り直してアクセルを踏んだ。しばらく進んでから、また地図と双眼鏡を取った。双眼鏡を覗いて周囲を探索する。今度は目を引く光景があった。小さな砂埃が上がっているのが見えた。徐々に大きくなっていくので、砂嵐かと思った。進路を知るためにしばらく観察する。もし今の進路を維持した場合、村に直撃する。キビの探索は切り上げて、村に戻って急いで対策を練る必要があった。
 籐志郎の不安は最悪の形で裏切られた。双眼鏡越しに、豆粒サイズの車が映った。砂埃の大きさから、一台や二台ではない。籐志郎の脳裏をよぎったのは、キビが条件反射で戦った武装勢力だ。
「越境してきたのか……」忌々しそうに呟いた。
 だがヲイカンが言っていたように、その可能性は小さい。というだけで、絶対ではない。籐志郎は地図と双眼鏡を助手席に放り投げて、急いでハンドルを握った。ラップトップトラックを近くの岩山の陰に隠した。車から降りて、服越しに体の前面が焼けるような、熱い地面の上でうつ伏せになって双眼鏡を覗いて車列を観察する。できれば違う敵であってほしかった。車列の中央、前後に機関銃を取り付けた戦闘車両に守られているジープが、隊長車で間違いないだろう。乗っている高級軍人そうな人間の顔を見て、何となく見覚えがあった気がした。村人を連れて逃げるのに忙しくて、指揮官の顔をはっきりと記憶しているわけではない。籐志郎は舌打ちした。どこの誰であれ、あの車列は迷わずに村に向かっている。
「くそっ!」急いで車に乗り込んだ。
 籐志郎は、仲間内では少数派の凡人だ。キビのように一人で、軍隊に勝てる力はない。ヲイカンのように不老長命でもない。彼からすれば、ただの不老長命であっても十分凄いことだ。特別な要素が一つもない籐志郎は、何をできるかわかっていた。
 車列が通り過ぎたのを確認してから、アクセルを踏んだ。窓を全開にして、猛スピードで車列の最後尾を走る兵員輸送トラックの横に着けた。助手席に座る兵士と運転手は、不審な目を籐志郎に向けた。その隙に素早くAK47を掴んで、銃口を向けて引き金を引いた。片手で撃ったため、衝撃を抑えきれずに射線はぶれたが、至近距離だったため外す心配はなかった。窓を木っ端微塵に破壊し、二人の兵士は目を見開いた状態で絶命した。ハンドルに倒れ込んだ運転手は、胸でクラクションを鳴らしながら、アクセルを限界まで踏んだ。トラックは速度を挙げて前を走っている車に激突した。押し出された車は、前の車に激突しそうになったが、運転手はハンドルを切って横にかわした。籐志郎は車列から外れた車の横に着けて、銃口を運転手に向けて引き金を引いた。銃弾が直撃した運転手。
 引き際だな。
 これ以上、欲をかいたら反撃に遭って逃げられない。突然の攻撃に驚いていた敵だったが、もう立ち直り戦闘態勢に入ろうとしていた。籐志郎はアクセルを限界まで踏んで、車列から離れた。バックミラーを一瞥した。二台のジープが追いかけて来る。助手席から身を乗り出してトラックに向かって銃の引き金を引いた。直撃しないことを祈りつつ、歯を食いしばって運転する。ハンドルを握る手に、必要以上に力が籠る。額から嫌な汗が流れる。銃弾が車体に当たる嫌な音が耳朶に響いた。二台のジープは、途中でハンドルを切って追撃を中止した。どこかに仲間が潜んでいて、待ち伏せを警戒したのかもしれない。籐志郎は細長く息を吐いて、一つの修羅場を潜り抜けたことに安堵した。目的を果たしたことに、ささやかな満足感を覚えた。トラックに乗っていた兵士の何名かは負傷したかもしれない。その手当や、自分たちを歓迎していない敵の出現に、警戒心を抱き慎重になる。つまり、村に到着するまで、時間を稼げるということだ。もう一つ付け加えると、長時間の緊張感は、兵士の心身に大きな負担となる。時間的余裕があれば、ヲイカンは何らかの手立てを講じる。もしかしたら、もう何らかの策を講じているかもしれない。口はとても悪いが、賢人と呼ばれるだけあって頼りになるのだ。
 この辺が凡人の限界であった。凡人であるが故に、周りの人たちの手を借りないと成し遂げることができない。ヲイカンと対策を練るために、車の速度を落とさなかった。
 村に戻ってきた籐志郎は自分の記憶を疑った。この辺に村があったはずなのに見つからない。村があったはずの場所には、記憶にない丘があるだけだ。籐志郎は車を停車させて、助手席から地図を取った。早く戻らないといけないのに、村がなくなっている。焦燥感に襲われる自分を落ち着けながら、素早く現在位置を確認する。間違いなくここが村のあった場所だ。
 どうなっているんだ?
 頭を抱えそうになったが、堪えてもう一度丘を見た。誰かが丘の上に立って、こちらに手を振っている。目を凝らして見ると、頼れる賢人だった。ヲイカンは杖の先端を明後日の方に向けた。
あっちに回れということだろう。籐志郎は指示に従って車を回した。そこには入り口があったが、人が一人しか通れない幅だ。
 どうやって車を入れるんだ?
 愚痴をこぼしそうになっていると、ティアが姿を現した。しばしすると、入り口の幅が広がり、更に途中途中の土壁が地面に戻り、村の中央まで続く道ができた。
 籐志郎は納得した。これは魔術というやつだ。ティアが魔術師というのをすっかり忘れていた。言い訳を並べると、籐志郎が普段見ている魔術は、真白のであり、それが彼の中の魔術の基本になっている。なので、ティアが魔術を使っても、知識として知っている内容とは大きく違うのですぐにぴんとこない。
車をゆっくり進入させる。ティアは後に続きながら入り口の幅を元に戻し、土壁も元の高さに戻した。井戸の傍で駐車させて、車から降りた。
「あの時の敵だったか?」出迎えたヲイカンが開口一番に訊いた。
「断言はできないが、見覚えはある気がした」籐志郎は村を取り囲んでいる土壁を見回した。「何らかの策を用意しているのを期待していたが、これは想像以上だな」こんな立派な土壁は想像していなかった。
「ティアが居たからできたことだ。でなければ、逃げの一手だ」
 その意見に頷いて同意した。防御施設のないこの村では、まともな籠城戦などできない。一方的に蹂躙されるのがおちだ。
 籐志郎は感謝の気持ちを込めてティアに顔を向けた。彼女は疲れた顔をしている。真白から教えてもらった話では、魔術を使うと疲れるという。ただ真白の場合は、疲労しない体に改造したので、話だけではいまいちわからなかったが、ティアの様子を見て初めて理解できた気がした。
「ありがとう。敵が来るまで休んでいてくれ。まだティアの魔術は当てにしたい」
「そうさせてもらう」ティアは疲れた声で答えた。日陰で腰を下ろして、ペットボトルに入っている水を飲んだ。
「パキスタン軍に一報を入れておいた」ヲイカンは、真白から預かった衛星電話をポケットから取り出した。「ただ相手の反応から、駆け付けて来るかは怪しいところだ」
「それでもキビか真白が合流すれば、勝敗は決する。時間を稼げば、こちらの勝利だ」
 ヲイカンは頷いてから、助け出した女たちに顔を向けた。釣られて籐志郎も顔を向けた。全員がお手製の槍を握っている。籐志郎は一人一人の顔を見た。これから起こる出来事に不安や恐怖を抱いているが、もう二度とあんなことを経験したくないという強い意志は見て取れた。素人の集まりであるが、士気は高そうなので、これなら兵士として使えそうだ。
「場は整えておいた。ここから先はお前の仕事だ」
「任せておけ」籐志郎は力強く答えた。


 パキスタン 某所

 物部の隠れ里に住んでいた頃には、狩人もしていた真白は、未だかつてこれほど楽な追跡をやったことがなかった。乾いた地面には、手足の後がくっきりと残っているので、これを辿って行けばいいのだ。里に居た頃は、踏まれた雑草や、折れた枝などを注意深く見つけ出さなければならなかった。その手間がないので、予想していたよりも早く、連中の巣を見つけ出すことができた。遠目には切り立った崖に、ぽつんと開いている洞窟の入り口が見えた。足跡はそこへと続いている。
 真白は洞窟の手前にある岩の陰に身を隠して様子を伺った。入り口の周りには、沢山の足跡が集中している。数からいってかなりの数の個体が住んでいるのが想像できた。
 あそこに囚われているのだろうか?
 できればそうであって欲しかったし、生きていても欲しかった。もう友人の悲しむ顔は見たくない。同じ見るのなら、喜ぶ顔が見たい。彼女が笑顔になれば、こちらも嬉しいのだ。
 真白は洞窟の入り口を観察しながら、ナップザックを地面の上に降ろして、中から水の入ったペットボトルを取り出して飲む。ここまで来るのに、多量の汗を掻いている。今から侵入するので、体調は万全に整えておきたい。戦闘中に脱水症状を起こしたら、笑い話にならない。水を飲みながら、ポケットからよれよれの地図を取り出した。帰りのことを考えて、現在地を目で確認し、脳で記憶してからポケットに戻した。半分残した水はナップザックに戻した。次に右手で焼けどしそうなぐらい、熱い土を掬い上げ体を洗うように丁寧に服に擦り付けた。土が指と指の間からぽろぽろと零れ落ちる。ほとんどの土がなくなったので、また掬い上げようとしたが、動作が止まりそうになったのを、意思の力で抑えて自然な動きになるように気を付けた。
 背中に視線を感じるのだ。
 見られている感じから、恐らく人だ。不思議そうにこちらを見ている。今は全てにおいて、救出を優先したい。放っておいても、害はないと思われるが、何がどう作用するのかわからないので、念のために不確定要素は消しておくに限る。こんな荒野のど真ん中にいる人だ。普通ではないだろ。
 土を掬う振りをしながら、脳からA物質を放出し、全身に強化の魔術を施しつつ宇宙霊と交感し右手の中に投剣を出現させた。
 電光石火の動きで、視線の主に向かって振り返りながら投げつけた。と同時に真白は立ち上がり、敵に向かって地を蹴った。これには二つの効果が期待できた。一つは、そのまま突き刺さり命を絶てば良い。怪我でもよい。一つは、回避したとしても、次の行動に移るまで僅かに時間ができるので、その隙に戦う準備ができる。
 両者の間で金属が硬い何かに当たったような音が鳴った。
 謎の相手が執った行動は、手持ちの武器で叩き落とすだった。
 真白は間合いを詰めながら、右手の中に純白の片手剣を出現させ、敵に振り落とした。またも金属が硬い何かに当たったような音が鳴った。斬撃を防いだそれは、金属の棒だと思ったが、よく見たら槍だった。
 敵は両手に力を込めて、真白を押し返した。真白は逆らわずに後ろに跳び、着地と同時に間合いを詰める。敵も地面を蹴って間合いを詰める。武器の特徴の関係で、先に攻撃を仕掛けたのは敵だった。閃光のような鋭い突きが放たれた。真白の予想を遥かに超える速度だった。咄嗟に片手剣を横向きにし、剣身で鋭い突きを受け止めた。予想を超えた力強い一撃に、手首を痛めそうになったが、上手く動かして勢いを和らげた。また押し返されそうになったが、踏ん張って耐えたがそれは間違いだった。
 まずい!
 真白は激しい焦燥に駆られた。動きが完全に止まったのが問題なのだ。敵は戦闘経験豊富で、この好機を逃さなかった。暴風のような突きの連撃が繰り出される。真白は回避に徹した。一撃一撃が必殺の威力を秘めており、掠っただけでも致命傷になりかねない。真白は反撃の機会を窺う。すぐに動けるように足の力の入れ具合を調整しつつ、攻撃の呼吸を測ってから、剣で槍を弾き上げた。胴ががら空きになった。真白は通り抜けざまに斬撃を放つつもりでいた。敵は弾かれた勢いを利用し、その場で独楽のように回転して薙ぎ払いを放った。
真白の斬撃より、敵の方が速かった。
 金属の硬い感触が、真白の脇腹に食い込んだ。その際、骨から嫌な音が鳴ったのが聞こえた。唾液と共に嗚咽を漏らした真白は、バットで打ち上げられた硬球のように吹き飛ばされた。空中で態勢を直して、着地しようとしたが、体を捻ると脇腹から激しい痛みが全身に広がった。真白は無様に熱い地面の上に落下した。落下時の衝撃が、脇腹に更なる痛みを与えた。反射的に体を丸める真白は、できるだけ悲鳴を殺した。一人の戦士として、情けない声は敵に聞かれたくないと意地を張った。歯を食いしばって激痛に耐えながら顔を挙げた。敵は投槍の構えを執っていた。全力で放たれた槍は高速で迫る。真白は、自身の前に結界を展開して防ぐ。槍は結界に激突して、明後日の方に弾き飛ばされた。
 真白は敵の次の行動を警戒する。武器を失った今、次はどう出るのか睨むように見ていたが、その場から動かなかった。武器を拾いに行こうとする素振りすら見せなかった。時間を与えても、向こうに利益はなく、こちらにとっては、少しでも回復するための時間を稼げるという利点があった。戦っていてわかるが、あの敵は利敵行為をしない。
嫌な予感がした。すぐに武器のほうに目を向けた。あるべきはずの場所に槍はなかった。その代わりに、無数の何かが飛翔しており、高速で迫ってくる。真白は全身を包み込むように結界を展開した。無数の飛翔体は結界に激突し、明後日の方に弾かれた。飛翔体は一斉に回転しながら地面に潜った。あらゆる方向から地中を強引に進んでいる微かな振動を、全身で感じ取った。真白は結界を解除し、すぐ横に純白の巨大シーソーを出現させた。真白は脇腹の痛みを堪えながら片側の板上に転がって乗り、斜めに空を向いている反対側の空中に純白の巨大な球体を出現させ、重力に任せて落下させた。一瞬だけ体を押し潰すような強い圧を感じ取りながら、真白の身は空中に飛ばされた。無数の飛翔体は、一斉に地中から飛び出して追いかける。自由落下に任せている真白は、上空から迫りくる飛翔体群に顔を向けた。距離を目測し、タイミングを合わせて純白の大きめの布を出現させた。左肩と脇腹の痛みに耐えながら両手で端を掴み、盾代わりにした。飛翔体群は風穴を開けてやろうと迷わず真白に襲い掛かったが、純白の布に阻まれる。布を突き破ろうと押し込んでくるが無駄である。世界中の核兵器を使ったとしても、この布に傷一つ付けることはできない。真白は布を球体に変形させた。地面の上にとても厚い純白のマットを出現させ、その上に落下した。真白の体は食い込むように深く沈んだ。着地時の衝撃が、脇腹に痛みを与えたが、地面に叩きつけられるよりはずっとましな痛みだ。
 だが、今の真白は痛みを気にしている余裕はなかった。
「キビ!」
 脇腹に痛みが走るのを承知で仲間の名前を叫んだ。この一風変わった槍を知っており、誰を相手にしていたのか理解した。足音が近づいて来る音が耳朶に響いた。真白は、マットを薄くしながら、最後は消滅させて地面に背を付けた。服越しでも熱さは伝わり、こんがり焼けそうだった。球体を横に転がした。真白は転がってうつ伏せになってから、両手両足に力を入れ、痛みに徐々に慣れながらゆっくりと立ち上がる。仲間の両足が真白の視界に入った。
「……君は真白で間違いないんだな?」キビは見下ろしながら訊いた。
「そうだ」完全に立ち上がって、仲間の顔を見上げると困惑していた。
「本当に君なのか?」
「いつから疑り深くなった?」と答えてから、帽子を被っていることを思い出した。これがあったから気づかなかったのかもしれない。帽子を取って、自分の顔をよく見えるようにした。キビはようやく得心がいった。
「真白に似ているなぁ……。とは思ったけど、君がここに居るわけがない。空調の効いたローマの屋敷で、胸焼けを起こしそうなぐらい甘いスイーツを食べているはずだ。だからよく似た他人だと思ったよ」
「事情があってな」帽子を被り直した。「そういうお前はどうしてここに居る?」
「道に迷った」恥ずかしそうに言った。
「それでここまで来たのか?」真白の記憶に間違いなければ、この槍使いは重度の方向音痴ではない。
「道に迷ったのと、ここに居るのは理由は違う」
 真白はその理由を予想できたが、とりあえず聞いてみることにした。
キビはそれについて説明した。真白は予想していた内容に近い説明に納得した。むしろ、女が関わっていないのに、正義感なり義侠心を発揮していたら、心底から驚いていたし、こいつは本当にキビなのか?と本気で疑っていた。
「相変わらずだな」真白はキビのぶれない姿勢を肯定的に受け止めた。
「君だってそうだろ。ティアや友紀が絡めば、何に置いても彼女らを優先するだろ」
 真白は溜息をついた。どいつもこいつも、どうして勘違いするのだろう?と思わずにいられない。
「そんなつもりはない」きっぱりと否定した。ティアは大切な友人で、友紀は可愛い妹分だから、可能な限りで優先するが、駄目なものは駄目だとはっきり言っている。つもりだと本人は思っている。
「気付かないのは本人ばかりか……」
 真白はだから!と反論したがったが堪えた。このことで言い合っても、平行線にしかならない未来が見える。
「ヲイカンと籐志郎から文句を言われるな」
「二人に会ったのか?」
 真白は頷いて肯定した。
「それなら、女性たちは無事なのか?」
「憔悴しているように見えたが、とりあえず無事に見えた」
 キビは安堵の息を漏らした。
「お前もあそこに用があるのか」真白は切り立った崖にポツンと口を開いている、洞窟の入り口に目を向けた。
「というと?」
 今度は真白が事情を説明した。
「つまり、お互いの目的はだいたい同じ。ということか。……ちなみにその友人は、女性なのか?」
「そうだ」
「だったら僕は手伝うよ」よりやる気に満ちた声で言った。
 これは予想通り反応だった。
「助かる」
 真白は素直に厚意を受け取った。宇宙霊の力を当てにできるとはいえ、誰かを守り切れると思い込むほど傲慢ではないし、己惚れてもいない。しかも今回は、ティアの笑顔が掛かった大仕事だ。失敗するリスクは可能な限り減らしておきたい。それとは別に、現実的な問題も発生した。脇腹に軽く触れて触診した。鋭い痛みが全身を駆け巡った。肋骨が折れている感じはしないが、ヒビは確実に入っているだろう。この怪我に関しては、自業として受け入れるが、キビを相手にしてヒビで済んだのは僥倖と考える。体調は万全ではないので、誰かの助けは欲しかった。
「いきなり斬りかかって済まなかったな」真白は全ての魔術を解除しながら謝罪した。
球体の中にあった飛翔体は地面の上に接していたが、いきなり飛翔した。キビの元へ集まり一本の槍――アーイになった。
「謝罪は要らない。僕たちの本業は戦闘だ。敵と認識したら殺し合うのが仕事だ。お互い自分の仕事を忠実にこなしただけの話だ」アーイを掴みながらキビは言った。これでこの話は終わり、お互いに後を引かない。
「食べ物か飲み物を持ってないか」キビは唐突に訊いた。
 真白は不思議そうに見つめ返す。
「手持ちの飲食物が僅かしかないんだ」
「付いてこい」
 これからやることを考えると、キビには万全の体調であってほしかった。真白はゆっくり歩き出す。できるだけ肋骨に負担をかけない様に心がけるが、無理な話だった。一歩を踏むごとに、どうしても痛みが走る。普段の真白と比較すれば、亀のような速度で荷物の場所へ戻ってきた。ナップザックから未開封のペットボトルと、非常食を一つずつ取り出して渡した。キビはその辺の石の上に座り、アーイを自分に立てかけた状態で飲食を始めた。真白は飲みかけのペットボトルを取り出して、戦闘で失われた水分を補充した。次に地面の上に座り、再び土を掬い上げて、服に擦り付ける。
「何をやってるんだ?」不思議そうに訊いた
「人間の臭いを消している」土を掬い上げた。「奴らの嗅覚がどれだけ優れているのかわからないが、人間よりは良いだろう。臭いを消さないで行ったら、すぐにばれてしまう危険性がある。お前にもやってもらうぞ」
 キビは食べ物を口に含んでいる状態で頷いた。急いで飲食を済ませたキビは、これまた急いで、服に土を擦り付ける。その間、真白は少しでも体調を回復させようとするが、時間が経つにつれて、ヒビの入った肋骨の痛みが増していく。息を細長くゆっくり吐いた。気持ち、痛みが僅かに和らいだ気がする。
「準備できたぞ」真白の体調が悪いのを察しているが、キビはいつも通りに言った。
真白はできるだけ平静を保って立ち上がった。

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