ソードゲーム2

妄想聖人

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語り継がれる者 9

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 パキスタン パーク村

「全隊止まれ」ジープの助手席に座るムーミンは、通信機を通して命令を出した。車列は止まった。ムーミンは通信機を握ったまま、反対の手で持っている地図を見た。ここに来る途中で、見知らぬ勢力からの襲撃に遭った。攻撃と離脱のお手本のような襲撃だったので、襲撃者の顔は見えなかった。当然だが、自分たちの存在を快く思わない勢力の攻撃だと考えた。この攻撃で落ち着いていた怒りが再燃した。部下が犠牲になったことよりも、またも虚仮にされたことに腸が煮え繰り返った。この返礼はいつかするとして、まずはあの槍使いを優先した。襲撃で死亡または負傷した部下たちは、勢力地まで帰らせた。次の襲撃に備えて慎重に進んでいたが、最初の襲撃以来、道中は何もなかった。嵐の前の静けさだとは思いたくなかった。
 地図に間違いがなければ、目と鼻の先に集落があるはずだ。そしてここが国境に一番近い集落でもある。合流地点として定めるなら、ここしかないと考えた。だが視界に映るのは、地図上には存在しない丘だった。
どこかで道を間違えたか?
 疑問に思いつつも、丘を観察した。丘の頂上で何かが光っている。地図の代わりに双眼鏡を手に取って覗いた。誰かが双眼鏡で、こちらを見ている。ふとある考えが脳裏をよぎった。
「前方車。あの丘を一周しろ」通信機を通して命令した。一番前の戦闘車両は、徐々に速度を挙げて丘を観察し途中で止まった。
「何があった?」ムーミンはすぐに訊いた。
「入り口があります。人が一人通れるぐらいの幅です」
 やはりな。
 あれは丘ではなく土壁だ。しかも規模からいって本格的な防御施設だ。国境の傍にこんなものを備えている集落が存在するのなら、噂話ぐらいでも聞こえてきてもおかしくないのに、今までこの耳に入ってこなかった。
 そういった疑問は後回しにした。
「他に入り口はないか調べろ」
 戦闘車両はぐるりと一周して戻ってきた。「他に入り口はありませんでした」通信機を通して報告した。
 明らかな誘いだな。
 現在の火力だけでは、あの土壁を破壊するのは難しい。堅固な防御施設があるかと言って、引くという選択肢は存在しない。双眼鏡ではっきりとは見て取れないが、相手の顔には何となく見覚えがある気がした。あのふざけた槍使いの仲間に、居た気がする。槍使いの印象が強烈過ぎたために、仲間の印象は弱い。やはり連中はここにいるのだ。そしてあの槍使いの仲間なら、やり方は想像できないが、この短期間の間に土壁を築いたに違いない。そう考えると辻褄が合った。やることは一つだけだ。
「全隊入り口に向かえ」
 今度こそあの槍使いを血祭りに挙げてやる。


 身を低くしながら籐志郎は、双眼鏡を覗いて到着した敵を観察していた。車列は入り口の方に向かった。兵員輸送車両から、ぞろぞろと銃を所持した兵士たちが降りてきた。整列し終わってから、指揮官が車から降りて、兵士たちに向かって何やら言っている。戦闘の意思を見て取れたので、これ以上の観察は必要なかった。木製の梯子を急いで降りた。井戸の方へ駆け足で向かった。そこにはティアとヲイカンと女たちがいる。
「敵が来る」
 ヲイカンが通訳した一言に兵士となる女たちに緊張が走った。
「これから迎撃するが…。なに、心配するな。俺の命令に従えば勝てる」
 兵士たちを鼓舞する。実際に、籐志郎はこの戦いに十分な勝算があると踏んでいる。一番大きいのは、地の利はこちらにあることだ。指揮官の自信に満ちた態度に、兵士たちの肩の力が僅かに抜けた。
「二人にも来てもらうぞ」
 女たちの傍に居るティアと、井戸の縁に座っているヲイカンに向かって言った。覚悟を決める時間があったお陰か、ティアは肝の座った表情で頷いた。ヲイカンは手を軽く振って同意した。戦力として老人を必要としているわけではない。単純にスムーズな意思の疎通のための通訳をお願いしたいのだ。
「ここで敵を討つ」
 籐志郎は土壁図を拡大して描き直した一点を指した。ティアを含む女たちが、そこを見つめる。かなり深くに敵を誘い込む位置だ。彼はとても単純な作戦を説明した。
「行くぞ」
 作戦説明が終わり、籐志郎は先頭を切って駆け足で向かう。その後にティアとヲイカンと兵士たちが続く。土壁の構造は、既に頭の中に入っているので、迷うことなく目的地に到着した。籐志郎は耳を澄ませた。敵の足音や声が聞こえないので、先に到着できた。
「頼む」ティアに向かって言った。
 ティアは脳からA物質を放出して、地面を上昇させて通路を塞いだ。
「構えろ」
 兵士たちは困惑しながらも、土壁に向かって手作りの槍を構える。籐志郎は耳を澄ませて、敵の到着を待つ。道を塞いだおかげで、道は一本道になった。これで敵の動きを操作できる。しばらくすると、微かな足音や話し声が聞こえてきた。徐々に音が大きくなってきた。まだ次の命令を出さない。足音が止まり話し声だけになったところで次の手を打つ。ティアに向かって頷いた。
 彼女は魔術を駆使して、土壁に無数の矢狭間程度の穴を開けた。
 それとほぼ同時に、籐志郎は命じる。「突け」
 敵部隊は完全に不意を付かれて対応が遅れた。銃を構えるよりも先に、無数の槍の餌食になった。女たちは、まず間違いなく初めて人を殺しただろう。加えて、これまで受けた恨み辛みもあっただろう。狂ったように何度も刺した。
「見事なものよな」ヲイカンは呑気に感想を述べた。
「ティアが居なければ執れない戦術だ」
 訓練を受け、かつ銃を持った敵に対して、お手製の槍しか持たない素人集団が勝つためには、不意を付くしかなかった。そして、ティアが居るおかげで、こんなありえないような奇襲が可能だった。もし彼女が居なければ、もっと頭を捻る必要があった。
 敵の中には、比較的軽傷の者がいた。怒りと憎悪に燃えながら、銃口を矢狭間に向けて引き金を引いた。数人の女たちが銃弾の餌食になった。周囲の兵士たちが怒りに燃えながら、その敵に止めを刺した。
「止めろ」籐志郎は命じたが、兵士たちは止まらなかった。血と硝煙の臭いに当てられたようだ。怒鳴る様に命じて、ようやく攻撃の手が止まった。「そこのお前たちは、負傷者を連れて先に戻って治療しろ」
 一部の兵士たちが、負傷者を引き摺って、来た道を戻っていった。
「戻してくれ」
 ティアは矢狭間と道を塞いでいた壁を元に戻した。
 籐志郎は曲がり角から、敵の様子を慎重に探った。血塗れになって倒れている五人の兵士たち。包丁がすっぽ抜けて、体に刺さったままの兵士もいる。安全を確認してから、倒れている兵士たちに向かった。その後ろ姿を、ティアとヲイカンと一部の兵士たちが眺める。
「捕虜にするの?」ティアは訊いた。
「ヲイカン。女たちには見えないようにしてくれ」彼女の質問には答えずに頼んだ。
「甘いぞ」ヲイカンは非難した。
「それでもだ」
 ヲイカンは肩を竦めてから、言われた通りにティアを含む女たちに少し戻って許可が出るまで顔を出すなと言った。
 籐志郎は地面の上に膝を付き、兵士の一人からコンバットナイフを抜いた。ここは戦場と考えれば、自分の考えがどれだけ甘いかわかっている。この状況がいつまで続くかわからない以上、戦場の現実は知ってもらっていた方がいい。それでも、見なくて済むのなら、見ない方がいいだろう。
 ナイフの刃を、虫の息の兵士の首筋に当てて一気に引いた。生きているのなら、確実に止めを刺さないといけない。こちらには捕虜を取る余裕はないのもある。奇跡でも起こらないとありえないことだが、まだ生きている兵士にどのような幸運が訪れるかわからない。生きて本陣に戻り、情報を伝達するかもしれない。情報の流失だけは絶対に避けたい。全員の息の根を止めている最中に、通信機から恐らく敵の指揮官の声が響いたが無視した。理解できない言語で短く何かを言った。それ以降、通信はなかった。刃に付着した血を、死体の服で拭って綺麗にした。
「もういいぞ」そう言うと、ティアたちがやって来た。血の海になっていることに、ティアや冷静さを取り戻した女たちの顔が青ざめた。相手は憎い敵とはいえ、やはりこういう光景は精神衛生上よくないようだ。
「武器弾薬。食糧などを集めてくれ」
 籐志郎は命じた。しばらくしてから兵士たちは、言われた通りにした。戦利品を持って井戸へと戻った。初戦は勝利したので、歓声があってもよさそうだが、あんなものを見た後では、そのような気分にはなれないようで、まるで敗北したような空気が横たわる。そんな雰囲気を少しでも和らげたのは子供たちだ。母親の無事を喜び、くっついて甘える。中には、母親の死を理解できず、揺り起こそうとする子供もいる。
 籐志郎は井戸から水を汲み上げた。その辺の家から拝借した陶器のコップで水を掬い、喉を潤した。次に地面の上に並べられている火器を確認する。籐志郎が使っていた銃は、残弾がなかったため、弾薬を得られたのは純粋に喜ばしい。
「次はどう対処する?」ヲイカンは籐志郎の横に並んで訊いた。
「同じ手じゃ駄目なの?」まだ顔色は優れていないが、ティアは気丈にも会話に加わった。
「同じ手は通じない」籐志郎は言った。「向こうが欲しいのはまず情報だ。キビに手酷くやられたから慎重になっている。だからまずは少人数の偵察を出して、こちらの内情を探ろうとした。逆に言えば、向こうの指揮官が何も考えずに、全員で攻めて来ていたら敗北していたのはこちらだ。単純に人数と武器の質の差は、簡単に覆せない。キビの影があったから、初戦は勝てた」
「それじゃあ、キビが居ないと知ったら……」どうしてあんなことをしたのか、ティアの顔に理解の色が広がる。
「一気に攻勢を仕掛けてくる」AK47を手に取り、弾倉を外して残弾を確認した。「だからこちらは、キビの影を最大限活用する必要がある」
「だが、懸念もある」引き継ぐようにヲイカンは言葉を発する。「この初戦で得られた情報を、敵の指揮官はどのように判断するかだ」
 籐志郎の顔が渋面になった。それは最大の懸念事項だ。敵はキビと一戦交えているだけに、どういう戦い方をするか知っている。そして敵の指揮官は優秀だ。ただまあ、そうでなければ支配地域を持つなどできない。キビと籠城という矛盾に気付くのは時間の問題だ。恐らく、次が最大の戦闘になる。それを凌げれば、真白かキビがやってくるまでの時間を稼げるはずだ。
「判断内容によっては、一気に攻撃を仕掛けてくるかもしれないのね」ティアは唾を飲み込んだ。
「その可能性はあるな」
「勘違いするな」籐志郎は二人を諭す。「俺たちの目的は、敵を全滅させることじゃない。最初から最後まで時間を稼ぐことだ」
 言ってから籐志郎は、銃のストラップを肩にかけて梯子を登った。双眼鏡を覗いて敵の動きを観察する。


 離れた位置から土壁を観察しているムーミン。土壁内から発せられた銃声が静まったところで通信機のスイッチを入れた。
「報告しろ」
 返答はなかった。普段なら報告義務を怠ったとして怒りを覚えるところだが、今回は違った。心は平静なままだ。
 全滅したな。とすぐに結論付けた。あの槍使いが相手では、それも当然のことだと考えた。だが無駄死にではない。ある程度、内部の構造が判明した。報告では、内部は迷路状になっており、簡単に中心部には辿り着けない。壁も厚く銃弾を防ぐ盾になる。加えて、槍使いがどこで待ち伏せしているのかわからない状況でもある。地の利は向こうにあり、迎撃し易い。土壁の上を歩くという選択肢もあるが、それは悪手だ。姿を晒すため、動く的になる。あの忌々しい槍使いがいる以上、鉄壁の防御陣地と言えるだろう。
 どうしたものか。
 火力はこちらが勝っているはずなのに、攻めあぐねる。重火器があれば、あんな土壁など、簡単に破壊できるが、そこまでの装備はない。どうやって攻めるか考えるために、基本に立ち返った。そもそも籠城とは、援軍を当てにした戦術だ。だが、基本に立ち返ったことで、おかしなことに気付く。
 どうして籠るのだ?
 あの槍使いの強さは、死ぬまで忘れられないぐらい脳裏に深く刻まれている。昨夜の夜襲部隊も全滅させられている。その強さは同じ人間とは思えないぐらい人間離れしている。その正体が、実は悪魔だと言われても信じられそうだ。それだけ強いのだから、籠る必要性を感じない。逆に積極的に攻めてくる方が自然に思える。防御施設もせいぜい弾除けの壁ぐらいだろう。あそこまで本格的な防御施設は要らないはずだ。ましてや、籠って援軍を待つ必要性も感じない。そもそも援軍とは、どこの誰を当てにしているのか不明だ。あいつらは、アフガニスタンから越境してきた、不法入国者だ。当てにできる勢力は、この近辺にいないはずだ。こちらを返り討ちにできるだけの力を有していながら、籠ってどこぞの援軍を待つという矛盾。
 もしかして居ないのか?
 槍使いは、徒歩で移動していた。対してこちらは車で移動していた。もしかしたら、どこかの時点で追い越していたのかもしれない。そう考えると、今の状況が腑に落ちた。奴らは槍使いの来援を待っている、ただの人間の集まりだ。
 僥倖だな。
 口角を釣り上げたムーミンは、これを好機と捉えた。槍使いが到着する前に、あの集落を落とし、仲間を人質にすれば如何に人間離れした槍使いと言えど、大人しくこちらの要求を呑むしかない。更に喜ばしいことに、あの土壁を攻略する方法を思い付いた。神が自分を祝福しているとしか思えない。
「作戦を説明する」


 双眼鏡を通して、敵軍に動きがあったのが見て取れた。戦闘車両の機関銃が、こちらに向けられた。籐志郎は急いで頭を下げた。ほぼ同時に、銃声が発せられ無数の銃弾が頭上を飛び越えていった。銃声が落ち着いてから、銃をゆっくり上に挙げた。壁を越えたところでまたも銃声が鳴り響いた。無数の銃弾が銃身に直撃した。着弾の衝撃に耐えきれず銃を手放して、地面に落下した。
 籐志郎は舌打ちした。これでは敵の動きを知ることができない。
銃声が止んで、しばらくしてから、今度は爆発音が鳴り響いた。何が起こっているのか知りたかったが、頭を出せば蜂の巣になってしまう。
「何が起きているの?」籐志郎を見上げながらティアが訊いた。今の彼からすれば、それは平時にするような呑気な問い掛けに聞こえ苛つかせた。
 籐志郎は彼女を無視して急いで梯子を下りた。駆け足でラップトップトラックに向かって、助手席の扉を開いた。ルームミラーを外して、梯子を登った。梯子を背にして寄りかかり、慎重にバックミラーを挙げた。角度を調整して、鏡面に映る姿から敵の状況を探る。最初に気付いたのは、下車していたはずの歩兵隊の姿が見えなかった。
一斉攻勢に出たか。
 こちらにキビはいないのを悟られた。一番やって欲しくないことをされている。だがそれだけでは、爆発音の説明がつかなかった。更に角度を調整して、ようやく判明した。ただの土塊とその周辺にいる無数の兵士が鏡に映った。兵士たちは、迷路を無視して壁の破壊を行っている。その邪魔をされないように、後方から援護射撃を行う。敵指揮官の作戦はこんな感じだろう。角度が悪いせいで、具体的にどうやっているのかわからないが、この状況ではどうでもいい問題だ。ただまあ、想像で言えば、壁に穴を開けて、そこに手榴弾を突っ込んでいると思われる。
 不味いぞ。
 籐志郎は激しい焦燥に駆られた。すぐに手を打たないと、敵は本丸まで簡単に到達する。籐志郎は梯子を下りると、爆発音が聞こえ不安に怯える女子供たちが、彼の周囲に自然と集まっていた。籐志郎の険しい表情から察したティアは緊張した面持ちをしている。ただ一人、ヲイカンだけは泰然自若としている。それは籐志郎を信頼しきっているというより、長い年月を生きて、分厚い人生経験を積んでいるだけに、誰よりも肝が据わっている。そんな仲間の姿を頼もしく思う一方、籐志郎も冷静さを取り戻す一因となる。
 籐志郎は、今何が起きているのかを、包み隠さずに説明した。女たちの顔に絶望の色が広がる。
「ここを放棄して逃げればいいんじゃないの?魔術を使えば逃げ道は作れるよ」ティアは女性を代表するように提案した。
「ほう。さすが悪女は言うことが違う」ヲイカンが反論する。「仮に逃げるとして、車二台だけでは、ここにいる全員は乗り込めん。つまりお前は、自分が助かるために、生贄を置いて行くというのだな」
「置いて行かない」怒気を込めて否定しつつ、ヲイカンを睨みつけた。
「こんな時に止めてくれ」籐志郎はうんざりしながら仲裁した。「無論、徒歩での逃亡は論外だ。向こうは車に乗っているから、すぐに追い付かれる。俺たちに逃げ道はない。これも勝たないと生き延びれない」
「どうするの?」ティアは訊いた。
「もう一度言うが、敵を全滅させる必要はない。大量の戦闘不能者を出せばいい。おあつらえ向きに、今度は主力による一斉攻勢だ。あいつらのほとんどを戦闘不能にすればいい。そのための作戦もある」
 ヲイカンは同時に通訳していたので、女たちの目に希望の光が灯った。ティアは期待の眼差しで先を促す。
 籐志郎は作戦を説明してから、ティアに顔を向けた。「この作戦では、ティアに無理をしてもらわないといけない。できるか?」
「できる。できないじゃないでしょう。やってみせるよ」
 籐志郎は決然としたティアの姿に感服した。ヲイカンは彼女を足手まといと評した。籐志郎もそう思っていた。だが、この姿を見たらそうは思えない。真白と行動を共にしても問題はなかったと、今なら思える。人を見る目がなかったことを、後で恥じることにした。
「問題は、そのための時間を稼ぐことだな」ヲイカンは言った。
「それは俺が引き受ける」
 籐志郎は銃を拾い上げた。全ての弾倉をベルトに差し込み、手榴弾を一個だけ持ってから走り出した。通路を急いで駆け抜けた。目的地が近づくにつれ、速度を落とした。爆発音が轟き、壁が土塊になって崩れた音が落ち着いてから、角から姿を現しつつ銃口を向けた。爆発の衝撃で舞い上がった土煙が、こちらの姿を隠してくれる格好になっている。逆に言うと、籐志郎からも敵の姿は見えない。狙いは付けずに引き金を引いた。目的は、敵をその場に釘付けにして時間を稼ぐことなので、問題はなかった。無数の銃弾は土煙を引き裂いた。何人かの呻き声が聞こえた。撃ち終えてから、素早く壁に背を付けて隠れた。すぐさま、敵は撃ち返してきた。この間に、空になった弾倉を交換した。敵の銃声が落ち着いてから、籐志郎も撃ち返した。土煙は晴れて、敵は土塊を盾にして身を伏せている。撃ち合いを繰り返した。
 まだなのか。
 最後の弾倉を交換しながら思った。ティアの頑張り次第では、準備にはそんなに時間は掛からないはずだ。最後の弾倉を空にした。ただの射出武器になった銃を、その場に捨てた。弾がないのなら、無用の長物だ。手榴弾を手に取り、安全ピンをいつでも引き抜けるように構える。
「籐志郎」背後からヲイカンに声をかけられた。「準備は整ったぞ」
「わかった。先に戻ってくれ」
 ヲイカンは素直に従った。
 敵の銃声が止んでから、ピンを抜いて敵に向かって手榴弾を放り投げた。爆発音を背中で聞きながら急いで戻った。迷路の出口の構造は大きく変化していた。二台の車を並べられるぐらい幅が広くなっていた。奥行きも十メートル以上ある。籐志郎がヲイカンたちに合流してから、ティアは魔術を駆使して、土を上昇させて最後の仕上げをした。
「敵はそこまで来ているの?」疲労を全身で主張しているティアが訊いた。
「後二回、壁を破壊したらここに到達する」
 籐志郎は梯子をかけ直して登った。構造を変えたところを上から見ると、三方を壁で塞がれた囲いになっている。バックミラーで敵の動向を探る。一枚目の壁が破壊された。銃撃戦をやったばかりなので、敵はとても慎重になっていた。破壊したらすぐに土塊の影に隠れて、煙が晴れるのを待った。敵からの攻撃がないのを確信してから、次の壁を破壊した。籐志郎は、準備しろ。と手で合図を出した。女たちは松明に火を点け、その時を待つ。煙が晴れてから、敵集団は銃口を八方に向けながら、慎重に前進した。全員が、半分以上進んだ。
「今だ」籐志郎はわざと大声を出した。
 銃口が一斉に籐志郎がいる方に向けられた。敵が引き金を引くよりも前に、籐志郎は手を引っ込めていた。敵の注意を引き付けるために、わざと大声を出したのだ。女たちは一斉に煌々と燃える松明を壁の向こう側に投げ入れた。
 松明が地面に触れた瞬間、大地は一瞬で火の海と化した。種を明かすと、ラップトップトラックに積んでいた、大量のガソリンを地面に滲み込ませていたのだ。手持ちにある道具で、戦力差を引っ繰り返すためには、火攻めしかなかったのだ。
 どれだけ文明が発達しようと、人間は動物という枠に収まっている以上、火には本能的な恐怖を覚える。服や髪が燃え兵士たちはパニックを起こした。慌てて逃げようとした。黙って見送るほど、籐志郎は優しくないし甘くない。残りの手榴弾を次々と放り投げた。連続する爆発。その衝撃と破片で即死できた者は、まだ幸福と言えよう。まだ生きている兵士たちは、生きたまま焼かれ生き地獄を味わう羽目になる。
 呑気に手で肩を叩いているヲイカンを除き、その場にいる全員は、壁の向こう側から立ち上がる大きな黒煙を見上げる。人肉が焼ける臭いが、鼻腔を微かに刺激する。最後の火事場の馬鹿力を発揮するように、悲鳴が聞こえていたが、しばらくすると聞こえなくなった。
 趨勢は決したと判断しつつも、籐志郎はバックミラーで敵部隊の様子を観察する。これ以上の戦闘続行を望むかどうかは、向こうの指揮官の裁量に掛かっている。


 ムーミンは双眼鏡を通して映る光景に歯ぎしりした。兵たちが焼かれている。生き残りは一人もいない。残っている兵は、車を動かすのに必要な最低限の兵士たちだけだ。再び、兵を向かわせる余裕はない。
 つまり、攻略戦は失敗。敗北したのだ。
 槍使いに敗れ、どこの馬とも知れない一般人――間違いなく軍人上がり――に敗れた。そう考えなければ、一般人の作戦に敗れた説明がつかなかった。
 徹底的に自分の威光を傷つけ、地に落とされた事実に、腸が煮えくり返りそうなぐらいの怒りを覚えた。衝動的に、全車で突撃を命じたくなるのを必死に抑え込む。まだ、何らかの備えを用意しているかもしれない。不用意に自分の命を危険に晒すことはできない。支配地域から、急いで援軍を呼ぶことも考えたが止めた。時間が足りないからだ。援軍が到着する前に、槍使いの方が先に到着する可能性が高い。そうなれば、本当に全滅する。
「……全隊…」こんな屈辱に塗れた思いで、命ずるなど憤死しそうだ。「撤退するぞ」


 アーイで真白を支えながら背負っているキビは、先頭を歩く一組のカップルを微笑ましく見守っている。符千とルイザは、仲睦ましく手を繋いで、村への案内を行っている。話すことが尽きないぐらい話し込んでいるが、できたほやほやのカップルとういのもあって、初々しさがある。
 いいものだ。
 幸せそうな女性の表情を見ると、見ているこちらの胸が暖かくなる。真白と一緒に頑張った甲斐があった。これだけで、彼にとっては褒美であり、これまでの労力が報われる瞬間でもある。
「触れるな」キビは小走りで近づいてきた男の子に、やんわりと注意した。好奇心を剥き出しにして、アーイの刃に触れようとしたのだ。「危ないから駄目だ」
 独特の訛りのあるイタリア語であり、少年が理解できたとは思えないが、状況から察したのだろう、男の子は面白くなさそうに、むっとしたが両親のもとに戻った。キビの後ろには、獣の巣から助け出した全員が付いてきていた。他の村から連れ去られた人たちは、てっきり各々の村に戻るのだと思っていた。ところが、あのような獣にまた襲われるのではないかという恐怖心から、村には戻れないと、全員がキビに付いてきたのだ。面倒を見きれないので、頼られても困るのだが、救出した女性たちを不安で慄かせたくなかったので、今は同道を許可している。それに村に到着すれば、ヲイカンがいるので、あの賢人が何か良い知恵を出してくれるだろう。
耳元で真白の唸り声が聞こえた。
「起きたのかい?」と声をかけたが、返事はなかった。悪い夢でも見て、魘されているのだろう。
 着実に村に近づくにつれ、キビは頭を悩ませ始めた。理由は、どうして真白が気絶しているかだ。馬鹿正直に説明した場合、ヲイカンと籐志郎は呆れて文句の一つでも言って終わるだろう。その程度で済むと思われるので、問題ではない。問題はティアだ。彼の目から見て、ティアは真白を大切な友人だと思っている。その友人が仲間との殺し合いをした末に、負傷したと知ったら、当然ながら彼女は良い顔をしないだろう。お互い合意の上での殺し合いと説明しても、通用しないだろう。怒りを爆発させるかもしれない。彼女の気が済むのなら、全ての罵詈雑言を受け入れるつもりだが、もし違う反応をされたらと想像すると、暗澹たる気持ちになる。悲しませてしまうかもしれない。女性にそのような表情をさせたくない。円満に済む説明を考えたが、上手い内容を思い付かなかった。
 例えば、真白が負傷し気絶したのは、あの獣にやられたからと言った場合、状況を上手く説明できないし、真白の株を下げることになってしまう。彼の名誉のためにそれは避けたい。真白の強さを知っている二人の仲間は納得しないだろう。そこからヲイカンが指摘して、結局正直に話さないといけなくなるだろう。何より、ティアを悲しませたくないという、根本的な問題解決に繋がらない。
「どうしたものかな……」と思わず、母国語で呟いてしまった。この場にいる誰も理解できない言語である。符千が装着している翻訳装置でも翻訳できない。そのせいなのか、符千が反応した。
「どうかしたんですか?」キビに顔を向けた。釣られるようにルイザも顔を向けた。
「なんでもない」そう返答したにも関わらず、二人は納得しなかった。どうやら顔に出ていたようだ。「僕のことを気にかけている暇があるのなら、二人の時間を大切にしろ。いつまでも一緒にいるのが当たり前だと思わない方がいい」
「命の恩人を放って幸せになれるほど、無神経になった覚えはありません。幸せを願うのなら、気持ち良く祝って欲しいです」符千の言葉に、ルイザも頷いて肯定した。
 どうしよ?
 キビは困り果てた。間違いなく、この二人にも真白とキビの間で通じる理屈は通用しない。それどころか、不快な思いにさせてしまうだろう。それは避けたい。
「それじゃあ、お言葉に甘えて吐かせてもらうが、村までどれぐらいだ?」
 別な悩みを口にした。これも重要な問題である。理由は真白の容態だ。戦闘時の行動を思い返すと、真白は肋骨辺りに致命傷を負っているはずだ。キビは医者ではないので、それがどれぐらい酷い状態なのか判断できない。もし悪い状態なら――本人は心から嫌がるだろうが――急いで病院に連れて行って治療を受けさせたいのだ。
 符千は反対の手に地図を持っているので、視線を落とした。横からルイザが除いた。
「今のペースなら一時間もかからないはずです」
「残り、一時間か……」
 つまりその間に、ティアへの説明を考えなければならない。こういう時に、ヲイカンの知恵が欲しい。
 キビは村がある方向に目を向けた。遠目に砂煙が上がっているのが見えた。
 砂嵐か?
 と漠然と思って警戒して眺めていたが、違うことに気が付いた。舞い上がる砂の下で、光が複数反射していることに気付いた。目を凝らして、その正体を突き止めようとする。人間よりは、視力は良いので遠くの物も、明確にではないが捉えることはできる。複数の車がこっちに向かってきている。しかも銃を備え付けた車まである。どこぞの武装勢力のようだ。今の進路を維持したら、この集団と鉢合わせてしまう。この時、キビの脳裏をよぎった光景は、アフガニスタンでの蛮行だ。あの時のように、女性たちに辛い思いなどさせたくなかった。それにできたてのカップルを引き裂くような真似もさせたくなかった。
 見つけたからには、先手必勝でいくことにした。真白を地面の上に静かに降ろした。アーイを彼の隣に置いた。只ならぬ雰囲気を察して、キビ以外の全員が足を止めた。大股で二人を追い越して、先頭に立った。
「どうかしたんですか?」若干、怯んだ様子の符千。ルイザは声をかけるのを躊躇っている。
「下がってて」それ以上は言わなかった。わざわざ敵が接近しているのを教えて、不安や恐怖に陥れる必要はない。知らないのなら、知らない方が幸せな時もあるだろう。二人は、黙って従った。
 キビは上着を限界まで上げた。心臓がある位置から鋭い先端の刃が生えてきた。青龍刀を鋭角的にしたような形状の刃が全て顔を出し、ある程度生えてきた柄を掴んで一気に引き抜いたが、痛みはない。疲れもない、体に変調は起きないのだ。キビの故郷では、こういうことができる人は、数は多くはないが、珍しいことではない。また科学はそこまで発達していないので、どうしてこういうことができるのか、科学的には誰にもわらない。単純にそういう人型種族なのだ。と言う風にしか説明できない。キビの見た目も、人間のように見えるが、人間ではないのだ。人間とは根本的に違う人型なのだ。刃を地面に向けた。
 この槍の名前はフミシュと言う。キビが生来から所有している槍であり、一番使い慣れた本来の武器だ。
 アーイよりも僅かに重いフミシュを握り直した。槍の使い方は一から学んだが、フミシュの使い方は、恐らく生まれた時から知っていた。呼吸をするぐらい、自然な感じでその力を引き出せる。刃が紫白色の光を発する。ぼんやりとした淡い輝きであったが、徐々に強い輝きを発する。それに合わせて、投槍の構えを執る。全身の筋肉が盛り上がるぐらい力を籠める。真白に投げた時とは、根本的に違う本気の投射の構えだ。紫白色の輝きが、最大の光量に達する。それは地上に小さな太陽でも出現したような感じで、手で目を守らないと何も見えない。
 地面が僅かに陥没するぐらい踏み込んで、フミシュを全力で投げた。その速度は、銃から発射された弾丸よりもあるのではないかと思うほどだ。紫白色の光跡が一直線に飛んでいく。敵の車列まで到着するのに、恐らく三十秒もかからなかっただろう。地上に紫白色の巨大な光柱が発生した。大地を侵略するように、巨大さが増していくが、途中でぴたりと止まった。しばらくしてから、光柱は一瞬で消え去った。
 フミシュの力をもって、キビが主戦力組に数えられている理由である。アーイだけでは、主戦力組に数えられるには力不足なのだ。
「行こうか」キビは何事もなかったかのように振り返った。フミシュは村へ向かう途中で回収すればいい。
 符千を始め、皆が今起きた現象に唖然としていた。
大地には、巨大な円状のクレーターができており、その中心にフミシュが静かに突き刺さっている。存在していた車列は、もうこの世のどこにも存在しない。


「何…これ……?」
村に到着して、ルイザは戸惑った。彼女だけではなく、符千やこの村の住人達も戸惑っている。当然だろう。ようやくの思いで戻ってきたと思ったら、村全体が土壁で囲まれているという劇的なリフォームがされているのだから。
 そんな彼女らの反応をよそに、アーイを支え棒にして真白を背負うキビは鼻をぴくぴくと動かした。フミシュは元に戻した。あれは大軍を相手にする時には向いているが、アーイと比較すると、一対一や一体多数の戦闘には、向いていない使い勝手の悪い槍なのだ。
 何かを焼いた臭いが鼻につく。村の内部に通じる入り口に目を向けた。地面の一部が黒焦げていることに気付いた。細かな事情はわからないが、何をやったのかは想像できた。ちょっと前に滅した敵集団と交戦したようだ。そして撤退している最中に、フミシュで止めを刺したといったところだろう。
「行かないのか?」キビは戸惑っている二人を促した。二人が我に返り、歩き出す前に、キビが先を行く。敵は撃退されたとは思うが、万が一に備えてだ。符千たちは村の様子を観察する。
「遅かったではないか」
 声がした方に顔を向けた。ヲイカンが井戸の縁に座ってキビに顔を向けるが、彼の背中に全身を預けている真白に目が留まり眉間に深い皺を寄せた。
「ティアと女性たちと籐志郎は?」キビはヲイカンに近づいた。
 老人は杖で明後日の方にある空き地を指した。救出した女子供たちに協力してもらって、黒い物体を地面に埋めている。
「お前が半端に仕事をしたせいで、越境してきた連中の焼死体だ。全く。こちらに負担をかけない仕事をしろ」
文句を言われるのは、織り込み済みだったので聞き流した。
 籐志郎たちは、最後の遺体を埋めてから振り返った。
「ルイザ」ティアは驚きと喜びの声を挙げた。
「ティア」ルイザも同じような声を挙げた。
 二人は駆け寄り再会の抱擁をする。
「無事で良かった……」
「助けに来てくれてありがとう」
 喜びに溢れる女性たちという、絵画の題材にもなりそうな美しい光景に、キビの心は温かい気持ちで満たされていった。
 籐志郎はゆったりとした足取りで近づいてきた。一仕事を終えた表情をしていたが、キビを見る目は厳しいものになっていた。「文句を言う前に、真白の身に一体何が起こったんだ?」
それはティアも気になるようで、ルイザとの抱擁を解いて真白に顔を向け、不安げに見つめる。真白と殺し合ったことを、キビは何とも思ってなかったが、女性にそんな顔をさせてしまったことで、罪悪感に襲われそうになった。符千が追い付き、五対の視線がキビに注がれる。
「実は――」結局、誤魔化しを思い付かなかったので、正直に説明した。
「まあ、お前らなら仕方ない……」
「不注意過ぎるだろ」
 思った通り、ヲイカンと籐志郎は呆れ果てた。同時に、話を聞いていた符千とルイザは、信じられないという表情でキビを凝視する。
 キビはティアに目を向けて、恐る恐る様子を伺った。
「ごめんね。そして、ありがとう」真白を見つめながら穏やかな声色で言った。
 罵詈雑言を覚悟していたキビは面食らった。これは予想していなかった反応だ。口では、そう言いつつも、その表情の下には他の感情が隠れているのではないかと疑ったが、そんな風には見えない。これ以上は、気にしないようにした。ティアの悲しげな顔を見なくて済むのだ。彼としては、喜ばしい結果だ。
「相談があるんだが」キビは口を開いた。「彼女たちをどうすればいい?」
 皆がキビの視線を追った。この村の住人以外の人たちが、所在なさげに立ち尽くしている。キビに助けを求めるように様子を伺っている人もいる。この村の住人は各々の自宅に戻った。
「あれも難民か?」ヲイカンが訊いた。
 キビは頷いた。「獣に囚われていた余所の村人たちだ。また獣に襲われるのを恐れて付いてきた。どうにかしてあげたいんだが、僕では良案を思い付かないから知恵を貸して欲しい」
「お前が助け出した連中同様、どこぞの難民救済団体に頼むのがいいだろう」
「やらないといけないことが山積しているな」想像しただけで籐志郎は疲れたように呟いた。「まず彼らの安全を保障するために、全員を首都まで輸送しないといけないのに、車は二台しかない。何回も往復しないといけない。何日もかかる大仕事だ。他にもある。団体に連絡を取って、迎えに来てもらうまで生活を保障しないといけない。全員分のホテルを手配するのも大変だ」
「私も手伝うよ」ティアは言った。ルイザと符千も手伝うことを約束した。
「わしは手伝わんぞ」ヲイカンだけが拒否した。「そもそもわしは、救出することに反対の立場だ。キビと籐志郎がどうしてもと言うから仕方なく知恵は出すが、それ以上はせん」
 ヲイカンのことを全く知らない符千は絶句し、ルイザは怒りに震える。
「この人はこういう人だから、落ち着いて」ティアはいち早く親友の腕に触れて宥めた。中々、落ち着かなかったが、親友が言うのならと、受け入れて鎮めた。
「安心してくれ。最初からヲイカンは勘定に入れていない」籐志郎は普段通りの調子で言った。「どちらの問題を解決するためにも、無視できない問題がある」
 ヲイカンとキビを除く全員が不思議そうに首を傾げた。キビは明後日の方を見上げた。この中では、真白を除けば一番聴力が優れている。聞いたことがある音が近づいて来ているような気がするのだ。
「金か」老人は指摘した。
 籐志郎は頷いた。「車を動かすにしても、燃料を購入しないといけない。ホテルを手配するにしても、宿泊代を払わないといけない。ここにいる全員の有り金を全部、出したとしても、足りないだろう。どうすればいいと思う?」ヲイカンに目を向けた。
「ヌイに頼んで、送金して貰え」老人は億劫そうに言った。
「それしかないな。……キビ。どうしたんだ?」
 キビは籐志郎の言葉を聞き流して、近づいて来る集団を、目を凝らして見つめる。その正体を把握してから、警戒心を剥き出しにした。
「あれも敵か?」
 皆がキビの視線の先を追った。ヘリコプターの集団がこちらに向かって真っすぐ近づきつつあった。
「ほう」ヲイカンは驚いたような声を挙げた。「期待していなかったが来たか」
 キビは事情を知っているヲイカンに目を向けて説明を求める。
「村が襲撃される前に、パキスタン軍に一報を入れておいたのだ。丁度いいと言えば、丁度いいな」
キビは警戒心を緩めた。「どうやら、問題の大部分を解決できそうだ」


 パキスタン イスラマバード

 真白は、空港のロビーの壁に背を向けて、周囲の利用客を警戒しつつ時間を過ごす。
目を覚ました時に、軍の病院のベッドの上だった時は、心の底から仰天した。見知らぬ場所だったので、驚きがあまり余って、危うく破壊しそうになった。もし破壊していたら、パキスタン軍と一戦交えているところだった。人間が経営する病院で、安心できるのは、ヴァチカンの息が掛かっている場所だけだ。ヲイカンに教えてもらった話によると、気を失ってから一日以上が経っていたらしい。また、軍医からは安静にしているように言われたらしい。三本の肋骨にヒビが入っており、折れそうになっているらしいと言われたが、無視して退院した。別荘の医療施設なら、この程度の怪我を簡単に完治できる。それから事の経緯を説明してもらった。
 そしてティアたちは、救出した人たちを難民救済団体に任せるために、奔走して忙しいらしい。
それが今から四日前の出来事だ。今日は連絡を取っていた難民救済団体が到着する日だ。今日まで、難民の面倒は、パキスタン軍が見てくれた。目的を達した以上、真白としては、さっさと戻りたいのだが、ティアが望むのなら従うだけだ。離れたところでは、ティアたちが難民たちと共に居て、その時を和気藹々と待っている。一応、将監にも経緯を説明した。助力を申し出たので、ティアたちに意見を聞いたら、自分たちが最後まで面倒を見ると言って断った。
 真白がティアから離れているのは、万が一に備えてだ。もし、どこぞの勢力に襲われても、離れていれば彼女を巻き込む可能性が減る。
「お前たちはどうする?」
 真白は隣で、スマートフォンを操作しているヲイカンに訊いた。ヒビの入っている個所に軽く触れた。喋ったら痛みが走ったのだ。日に日に悪化しているが、意地でも人間の病院に入院する気はない。別荘に行くまでの辛抱だと言い聞かせている。
 ヲイカンは慈善には興味がないので、真白の傍に居る。この老人に限らないが、真白はそれでいいと思っている。言いたいことや、やりたいことを抑え付けてやらせるのは、上司と部下の関係だろう。少なくとも対等の仲間とは言えない。真白にしても、本当に近しい人やティアに頼まれない限り、人間のために率先して動かない。
「わしは付いて行くぞ」スマートフォンの画面から目を離さずに答えた。治療のために別荘に寄ることは、皆に伝えていた。「もう少し旅行気分を味わってから一緒に帰る。流石に今回はやり過ぎた。キビがな。しばらく、屋敷で大人しくしている」
 ヲイカンから聞いた話によると、パキスタン軍に救出して貰った後に、どうやって武装勢力を撃退したのか事情聴取を受けたらしい。その際に、ヲイカンが口八丁に説明したらしいが、軍かはたまた政府から目を付けられたかもしれない。しかもフラミュまで使用したらしいので、もしその時の光景が衛星写真にでも写っていたら、問題は余計にややこしくなる。とは言っても、後の祭り感がある。フラミュを使用した場面を目撃した難民たちが、どうやら畏敬の念を抱いたらしく、キビのことを子々孫々語り継ぐと言っていたと、ティアから聞いた。
「元はと言えばお前の責任だ」キビと籐志郎のためにも、非難せずにいられなかった。
「わしは見に行っただけだ。襲われている連中を助けてやってくれとは頼んでいない。そこから先は、各々の責任だ」
 真白は唸り声を挙げた。言いたいことはわかる。子供ではないのだから、自分でやったことの責任は自分で取らないといけない。
「納得し辛いな」
「納得してもらおうとは思っておらんよ」
 真白はヲイカンとの会話を切った。ティアたちに近づく一団が視界に入ったからだ。あれが難民救済団体だろう。真白は目を鋭くして観察すると同時に、脳からA物質を分泌して宇宙霊と交感する。ティアに対して妙な真似をしたら、すぐに動けるようにした。慈善団体とはいえ、人間なので信用しない。ただ、ティアから教えてもらった話によると、この団体は難民救済の実績が沢山あり、アフターケアも完璧で信用できるらしい。
 ラフな服装をしている中に、場違いなような印象を受ける人が一人だけいる。のりの効いたスーツを着こなしている男性がいる。その男性が自然な動作で真白に目を向け、一瞬だけ目が合った。真白は怪訝そうにその男を目で追った。
 なんだあいつは?
 言葉にし難い不思議な感覚を覚えた。独特の雰囲気を纏っている訳ではない。身のこなしは、そこいらの一般人と変わらない。特別な何かを持っているようには見えないのに、どういう訳かとても印象に残った。
 団体の代表は中年女性で、遠目には物腰が柔らかく、人当たりがよさそうだ。こちら側の代表はルイザらしく、二人は穏やかに会話している。しばらく話し合ってから、難民を団体に任せる。ルイザたちに感謝を言う人が居れば、別れを惜しんでいる人もいる。
 引き渡しが平穏無事に済み、ティアに害が及ばないのを確認してから、もう一度だけ印象に残った男を一瞥して真白は歩き出した。肋骨が痛いので、ゆっくりとした足取りで免税店へと向かった。歩きスマホをしながら付いてきたヲイカン。
 お土産を買うために、目の前に並ぶ商品を見つめながら真剣に選ぶ。どうせなら、異国情緒溢れる物が良かった。ヌイには食い物。ネルーは民芸品。パノはなんでもいいだろう。問題は可愛い妹分だった。何を贈れば喜んでくれるのか、思いつかなかった。年頃の少女だということを念頭に置くと、生半可な物では喜んでくれない気がする。
「なあ」一人で悩んでは埒が明かないので、賢人の意見を聞く。「友紀は何を贈れば、喜んでくれると思う?」
「一番は、お前の無事な姿だ」
「俺は真面目に訊いてるんだ」冗談にしか聞こえず、ヲイカンを睨みつけた。
「わしは真面目に答えている」
 埒が明かない会話になりそうだったので、話を戻す。「何なら喜んでくれると思う?」
「真白が贈った物なら、なんでも喜ぶ」
「だから、俺は真面目に訊いてるんだ」
「だから、わしは真面目に答えている」
「困ったことでもあった?」ティアが真白の横に並んだ。
 真白は救いの女神が降臨したかのような目で見上げた。はっきり言って、ヲイカンは役に立たない。「友紀への土産を考えているんだが、何を贈れば喜んでくれるのかわからないんだ」
「そうだな」ティアはしばし考えた。「いつも身に着けられる物がいいじゃないかな?今回みたいに、離れ離れになるから寂しい思いをしているはずだから、少しはその気持ちが和らぐんじゃないかな」
「寂しい……のか…?」
 とても参考になった。真白にしても、髪を束ねているシュシュは友紀から貰った物だ。単に使わなくなって、捨てるところだったのを貰っただけなのだが。身に着けているだけで、不思議と妹分を身近に感じる。だが、ピンとこなかった。何かあれば友人のジネーヴラがいるし、今回は仲間たちが傍にいる。ヌイとは一緒に料理をし、ネルーとは一緒にゲームをし、パノとは一緒にランニングでもしているかもしれない。寂しい思いをしているとは思えない。それなりに充実している気がする。
「忘れてない?ユーキはまだ繊細な十代なんだよ。兄妹のように思いあっているとはいえ、兄の存在は大きいんだよ」
 ようやく真白は納得できた。ほぼ間違いなくティア自身の経験なのだろう。彼女の意見に従い、商品を眺める。最初に目についたのはスカーフだった。お洒落をするにはいいかもしれない。これを被った友紀を想像してみた。違和感があったのでやめた。次に目がいったのが、ハンカチだった。これは既に所持しているが、消耗品であるため、今使っているのが壊れたら、こっちを使ってくれればいい。と思ったが止めた。壊れる前提の贈り物はなんか嫌だった。色々探して、腕時計で目が留まった。これも既に所持しているが、滅多に壊れないし、壊れても修理できるものだ。長く使用することができるだろう。これに決めた。友紀が気に入ってくれそうなデザインを探す。外れを引きたくないので、ここでもティアの意見を聞いてみたかったが、それは流石に兄貴分として情けないので、一人の力で頑張ってみる。
「真白」符千が声をかけた。
 真白は肋骨に気を遣ってゆっくり振り返った。
「彼女を別荘に連れてってもいいですか?」
 真白は符千の視線の先を追った。少し離れたところでルイザが符千を見ている。はっきり言って、止めて欲しい。どのような問題が起こるかわかったものではない。しかし今回は、符千を大変なことに巻き込んでしまった負い目があった。
「問題が起きたらそっちで対処してくれるなら許可する」
符千は満面の笑みを浮かべた。「ありがとうございます」彼はルイザの元へスキップしそうな勢いで戻った。
再び腕時計選びに戻った。悩むことしばし。ようやく決まった。凝ったデザインより、素朴なデザインの方が好みのはずだ。喜んでくれることを願いつつ会計を済ませた。ヲイカンと共に免税店を出た。ちなみに老人は何も買っていない。店の出入り口でティアが待っていた。
「プレゼント」ティアは小さな袋を差し出した。
 それを見てから真白は、ティアの顔を見上げて、訳が分からずに首を傾げた。祝うような出来事は一つもない。「何に対してのプレゼントなのだ?」
「いつも助けてくれるから、そのお礼」
「友人を助けるのは当然――」
「当然じゃないよ」ティアは遮った。「どれだけ仲が良くても、助けてくれない人はいるよ。それなのに、ビャンコはいつも一生懸命に助けてくれる。その感謝の気持ち」
「そこまで感謝されることでも――」
「あるの」またも遮った。「私は助けて貰ったら感謝する人間なの。それともビャンコは、私はお礼も言えない不誠実な人間だと思っているの?」
「それはない」手を振って全力で否定した。そのせいで肋骨から全身に痛みが走って顔を歪めた。
「だったら受け取ってくれるよね」
 真白は唸り声を挙げた。普段の彼女からは想像できないぐらい押しが強い。何かあったとしか思えない。そして妙な入れ知恵をしたとして考えられる相手として、ヲイカンに顔を向けた。
 画面から顔を離している老人は、興味深そうに二人のやり取りを眺めている。楽しんでいるようだ。
「それなら、気持ちだけを受け取る方向で――」
「駄目」またまた遮った。「それだけじゃあ。私の気持ちが収まらない。それとも、……やっぱりこれだけじゃ足りないよね……」
「そんなことない。十分以上に足りる」言ってから墓穴を掘ったことに気付いた。そう言ってしまった以上、受け取らないといけなくなった。
 ティアは真白を見つめながら受け取るのを待つ。真白は彼女の気が済んで、引っ込めるのをしばし待った。最後の抵抗は無駄であった。
「ありがとうございます」
 真白は主君から下賜される品のように受け取った。嬉しいという感情は湧かなかった。別に彼女から感謝されたいわけではない。ましてや見返りなど求めていない。ただ、自分がそうしたいだけなのだ。正直に言うと、彼女の役に立つことが報酬であり、贈り物をもらっても困るだけなのだ。ティアの心を傷つけたくないので、口には出せない。
「見事」とティアを称賛したヲイカン。
 まさか、この二人が結託するとは思わなかった。ヲイカンには文句を言いたいところだが、言葉で返り討ちに遭うのが目に見えていたので、小袋を黙ってポケットに入れた。三人は売店の前から離れた。
「予定通り私は帰るね」歩きながらティアは言った。彼女とはここで別れる。真白と違って暇人ではない。ヴァチカンに戻って仕事をしないといけない。
「問題ないと思うが、気を付けろよ」
「ビャンコこそ、傷をしっかり治してきてね」
「約束する」
 ティアはキビと籐志郎の二人と合流して搭乗口へと向かった。友紀の護衛のために二人には先に戻ってくれと頼んでいた。入り口では将監が待機しており、三人が合流して奥へと進んでいった。
 ティアたちが見えなくなるまで送ってから、ヲイカンと共にロビーにある椅子に座った。少し離れたところで、符千とルイザが椅子に座って楽しそうに会話している。
 暇だな……。
 別荘からの迎えが来るまで時間がある。どうやって暇を潰すか考えていたら、あまり思い出したくないことを思い出した。
 屋敷に戻ったら、芝生の張り替えをしないといけない。


エピローグ


 パキスタン 某所

 暗闇の中、一列に並んでいる獣たち。唯一の出入り口を塞いでいる大小様々な岩を、バケツリレーの要領で撤去している最中だった。
 あれから何日も過ぎた。食糧の大半には逃げられ、再び捕えた食料だけでは、全員の空腹を満たすことができなかった。死んだ仲間の血と死肉で糊口を凌ぐのも限界だった。挙句には共食いまで行った。頭数が減り、作業速度は格段に落ちたが、これまでの努力が報われる時が来た。
 岩を撤去すると、小さな光が差し込んだ。その意味を理解した獣たち。自然と作業速度が速くなった。ようやく子供ぐらいなら通れそうな穴ができた。大人たちの脇を通り抜け、一頭の子供が穴から、抜け出そうとする。子供とはいえ、人間の成人男性より立派な体躯だ。あちこちが引っかかった。それでも無理矢理、前進してやっとの思いで外へ出た。遮光されない強烈な光が両目を刺した。痛みでしばらく瞼を閉じた。目が慣れてきたところで、外の光景を眺める。生きていくには、不毛で過酷な自然がどこまでも広がっている。それでも、外へと出られた喜びから、感動を覚えた。その気持ちが落ち着くと、怒りと憎しみの感情がふつふつと湧き上がってくる。
 それまでの当たり前――今となっては幸せを奪い取った存在。大好きな父を殺した白い奴。その顔を臭いも覚えた。
いつか見つけ出して殺してやる。
 群れのリーダーの息子は、心に誓い蒼天に向かって吠えた。
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