オーダーブレイカー

妄想聖人

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地球編 2

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 海斗の瞼がゆっくり開いた。
目覚めはこれまでの人生で、ぶっちぎりの一番を記録するぐらい最悪だ。信じられないぐらい頭が痛い。二日酔いを十倍酷くしたような痛みだ。痛過ぎてすぐに起きられなかった。ぼーとしながら、染み一つない白い天井を見つめ、痛みが引くのを待つつもりだったが、見慣れない天井が気になった。年末には大掃除をするとは言え、会社の天井は――失礼ながら――ここまで綺麗ではない。
 痛みを堪えながら上体を起こして、初めて自分の状況が判明した。海斗は、清潔感溢れる白いベッドの上にいる。雑多な薬品の臭いが鼻腔を刺激する。隣に目を配れば、白い服を着た看護師が患者に話しかけている。
 病院かここ……?
 どうして病院に居るのかわからなかった。痛む頭に鞭を打って、今日の出来事を順に思い出そうとした。
 朝起きてから、職場で働いていた。そして昼食中に激しい頭痛に襲われて、倒れたことを思い出した。
 海斗は辺りを見回した。病室は大部屋で、海斗の他に五人の患者がベッドの上で思い思いに過ごしている。その中には、アニメオタクな後輩の姿がない。入り口に顔を向けると、見慣れた男性の姿があった。誰かはすぐに思い出せなかった。少しして社長だと気付いた。
 社長は海斗が寝ているベッドの横に立った。
「意識を取り戻したか。良かった」心から安堵して息を吐いた。
「俺はどうして病院にいるんですか?」心なしか目が潤んでいるような社長を見ながら訊いた。
「昼休み中に突然倒れたんだ。同僚たちが声をかけたり、揺さぶっても起きないから、慌てた一人が救急車を呼んで、搬送されたんだ」
「そうですか……。御迷惑をおかけしました」
「気にするな。とにかく無事……とは言い難いだろうが、生きていて良かった」鼻声で言った。
 社長の言葉に何かが引っかかったが、痛みが治まらない頭ではその正体がわからなかった。
「あの、達也は別室ですか?」気を失う前に、後輩も倒れたのを思い出した。
社長の顔が一瞬だけ曇った。「今は何も考えず、療養することに専念しろ」
「仕事があります」
「有給扱いにしておくから休め。もしかしたら過労が原因かもしれない」
「はぁ……」
 長年、勤めている海斗からすれば、この会社はブラック企業でないのを知っている。過労で倒れたのは考え辛かった。
「検査入院するための手続きは済ませておいた。しっかり調べてもらえ」
「入院、ですか」
 流石にそれは、大袈裟な気がしてならない。
「そうだ。これは社長命令だ。しっかり検査して、しっかり休め。わかったな?」
「わかりました」
 社長は満足そうに頷いた。
「最後に、御家族に連絡を取ろうとしたんだが繋がらない。お前の方で連絡を取ってみてくれないか。会社に戻ってからも、連絡を取り続けてみるが」
「わかりました」
 連絡が付かないのは、恐らく授業時間と重なってしまったのだろう。美月は授業中にスマホを弄るような悪い子ではない。
「次に会う時は、元気な姿を見せてくれよ」
 そう言い残して社長は病室を後にした。
 社長が去ってからしばらくは、ぼーと過ごす海斗。すぐに行動に移せる気力は湧かなかった。しかも内容が内容だ。自分のことで可愛い美月に、余計な心配をさせたくなかったし、負わなくていい負担を、負わせたくなった。とはいえ、入院するのなら、数日は家を空けることになるので、どのみち話さなければならない。それに着替えは必須だ。久しぶりに再会した妹に、『臭い』とか言われたら、今度は心の病院に通いたくなる。
 心配顔をする美月を想像すると、とても気が重い。余計に頭が痛くなりそうだ。
携帯を取るのを躊躇してしまう。
「でも、社長命令なんだよな……」
 良くしてくれる社長には本当に申し訳ないが、言い訳に使わせてもらい携帯を取った。ベッドから降りて靴を履き立ち上がった。院内では携帯電話の御使用は控えて下さい。というルールは知っている。院外に出るために歩くのだが、頭痛の影響で平衡感覚が狂っており、酔っぱらいのようにふらふら歩きになる。
 同室の住人たちは、そんな海斗に顔を向け、おいおい。あいつ大丈夫かよ?という表情を浮かべる。
 廊下に出た海斗は、壁に手を付いて一歩一歩ゆっくりと歩く。傍から見ると、リハビリ訓練中の患者みたいだ。そのせいで、廊下を行き来する患者や医者や看護師は、海斗を大きく避けながら一瞥した。
「あの。どこかに行くのならお手伝いしましょうか?」通りがかりの男性看護師が、親切に声をかけてくれた。
「いえ。大丈夫です。ちょっと外に行って電話してくるだけなので」
 重症患者のように思われているようで、ちょっとショックだった。健康は取り柄だと思っていたのだが、今回の件で自信が揺らぎそうだ。素人判断では、頭が痛いのを除けば、健康そのものだと思っている。
「でしたら、一階にある公衆電話を使ってはどうでしょうか?外まで出る必要はありませんよ」
「御親切にありがとうございます。そうします」
 看護師は会釈をして去った。
 足を止めた海斗は、壁に書いている文字を見た。ここは二階であることを知った。
「マジかよ……」
 自然と愚痴が零れた。今はエレベーターも階段も利用したくない気分だ。残された手段は飛び降りぐらいだったが、本当にそんなことをしたら、警察が出動する事態に発展しかねない。
「ああ。くそっ……」
 普段だったら苦痛に感じない距離が、三千里の距離に思えてしまう。改めて、健康の大切さを痛感した。
 再び歩き出した海斗は、エレベーターを利用することにした。できるだけ歩きたくなかった。エレベーターの前に到着し、ボタンを押した。到着するまで壁に寄りかかって待った。扉が開いたが、既に先客がいた。ふらふらと入って来る海斗を一瞥し、親切にも無言で場所を開けてくれた。
 一階に到着し、周りの人たちが親切にしてくれたおかげで、海斗は優先的に降りることができた。公衆電話がある場所を探した。病院には滅多に来ないから、どこにあるのかわからない。
 ようやく見つけ出し、ふらふらとした足取りで向かう。その途中で、四人組の女性とすれ違った。全員、日本人で黒髪の中に、一人だけ真っ白な髪の女性がいた。海斗は数歩進んでから立ち止まり振り返った。ショートヘアーの真っ白な髪。そしてあの後姿は見間違えようがなかった。
「美月?」
 声をかけると、向こうも反応し振り返った。「お兄ちゃん?」
 意外な場所で再会した兄と妹。
 海斗は自分自身にショックを受けていた。まさか、最愛の妹の存在に、すぐに気づけない日が来るなど思いもしなかった。
 重症過ぎだろ俺……。
 今なら、社長命令に進んで従えた。
「お前、どうしたんだ?」
 美月もそうだが、もう一人の女子大生も友達の肩を借りて、辛そうな表情を浮かべている。
「頭が痛くて……」
「お前もか」
「お兄ちゃんも?」
 二人とも頭痛が酷く、脳の回転が鈍いため、会話がすぐに続かない。
「えっと」美月に肩を貸している友達が言葉を発する。「受付に行ってくるから、お兄さんといて」
 気を利かせてくれるらしい。
 海斗と美月はロビーの空いているソファーに腰を降ろした。
「何があったんだ?」海斗は訊いた。
「実は――」
 海斗はゆっくり喋る美月の話を聞いて驚いた。場所は違うが、まさか自分と同じ経験をしているとは思わなかった。話し終えた美月は、兄が病院にいる理由を訊いた。海斗は素直に話した。二人揃って同じ経験をしたことを、奇妙に感じてしまい言葉がすぐに出てこなかった。
「……あれって、夢。だったのかな?」美月が訊いた。
「そうじゃないか。わからないけど」
 ここで一度、会話が途切れた。どうしてもゆっくりした会話になってしまう。
「お前も検査入院するために来たのか?」
 美月は首をゆっくり振って否定した。「先生に勧められて、検査を受けに来たの。どこにも異常がなかったら、そのまま帰るよ」
「そっか」可愛い妹の体に、何の異常も見つからないことを願った。「俺は検査入院することになったから、着替えを持ってきてくれないか」
「うん。わかった」
海斗は申し訳なさそうな顔をする。「ごめんなぁ。俺のことで手を煩わせて」
「それは言わないで、兄妹だもん。困ったらお互いに助け合うべきだよ」
「ありがとな」
 美月は嬉しそうな表情を浮かべた。


 クラークはニューイーラにある自分専用の部屋で、デスクに向かってパソコンの画面と睨めっこしていた。
 一回目の覚醒ゲームが終了し、現在は力の評価が行われている。これに関しては、クラークの専門でないため、関わることはない。クラーク個人の考えでは、異能系よりも、人形系の方が優秀だと思っている。異能系は一種の力しか使えないのに対して、人形系は――物によるが――格闘戦から魔法のような力まで使える。近距離から、中、遠距離まで幅広く対応できる。この対応力の高さが優秀だと考える理由だが、その筋の専門家とは意見は異なるだろう。
評価が済んだら、二回目の覚醒ゲームを行う予定だ。それまで自分の仕事に専念する。パソコンの画面には、設計図が描かれている。
 これは新兵器の設計図だ。
ニューイーラは商品として軍事兵器も取り扱っているが、既存の兵器とは根本的に異なる。
それがクラークの頭を悩ませている原因でもあるが、彼のやる気はむしろ燃え盛っていた。自分の才能の限界に挑んでいるようで、楽しくてしょうがないのだ。
 この兵器の元になった武器が存在するのだが、その仕組みを理解し、実現可能な理論を組み立てるまで、九年以上の歳月を費やした。理論を元に設計図を描き始めて、五年近く経つ。一応、完成した設計図はあるのだが、あまりにも大きくなり過ぎたために、軍部から現実的ではない。と駄目出しされた。最低でも、戦場に持ち運べるサイズにしてもらいたい。という注文を受けた。軍事に疎い彼自身でも、これはない。と思っていたので、大人しく引き下がって、何度も描き直している。
 CEOから直接言い渡され、十四年近くかかっているこの宿題に比べたら、覚醒ゲームは欠伸が出るほどに簡単だった。
 クラークは、椅子から立ち上がり、ミッキーマウスがプリントされたマグカップを持ってコーヒーを注いだ。
 湯気の立つコーヒーを啜りながら、画面を見つめる。当初と比較すれば、軍部の要求を叶えた現実的な設計になっている。
 ようやくもう少しで完成する。
 完成すれば、生涯で最高の作品になる。完成した姿を想像すると、わくわくするのだが、その時が来るのはもうちょっと先の話だ。
 パソコンの画面に、メールの着信を知らせる音が鳴った。届いた内容を開くと、覚醒ゲームで確認されたバグについての報告書だった。
 クラークは肩の力を抜いて読む。仕事の合間の息抜きのつもりだ。
調査した結果。外部からウイルスが侵入した形跡は見つからなかった。内部の人間がウイルスを仕込んだ形跡も見つからなかった。考えられる理由としては、覚醒者の力による影響。とあった。
 クラークは細やかな満足感を得た。やはり自分の仕事は完璧だったのだ。メールには、その時の証拠と考えられる映像が添付されていたので再生した。
 視点は俯瞰映像であり、全体像が見渡せた。フォークリフトを盾代わりにしている男と、慎重に接近するゴブリンたち。男の頭上に黒い杭が出現し、高速で撃ち出した。杭はゴブリンたちを貫通し、勢いそのままに壁に突き刺さった。ゴブリンたちが消滅する寸前に、その姿形がぶれた。
 クラークは映像を巻き戻して、もう一度最初から見た。繰り返し何度も見て、自分なりに分析し、導き出した結論に自分で驚いた。
 この力は知っている。直接見たわけではない。この力が実際に使われている映像と、被害に遭った者たちを見たり、この力に関する報告を読んだのだ。
 まさかあの力と同じ、もしくは似た力の覚醒者が現れるとは思わなかった。
映像を一時停止し、力の因子の定着者の名簿一覧を表示した。顔データを元に自動検索をかける。
 この結果をソーシャルゲームのガチャで例えるなら、実装していないはずのウルトラレアが出たようなものだ。一体誰が、この大当たりを引いたのか気になったが、検索結果は、該当者なし。だった。
クラークは首を傾げた。
 そんなはずはないので、もう一度検索するが、同じ答えが返ってきた。定着者ではない人間が覚醒するなどありえない。
 生命の危機に晒されて、特別な力に目覚める。などという都合の良い展開はない。人類史を紐解いてみればわかる。これまで数えきれないぐらい多くの人間が、生命の危機に瀕した。災害、病害、獣害、戦争などでだ。生命の危機に瀕して、特別な力に目覚めるのなら、現代にはそんな人間で溢れかえってないと理屈が合わない。
つまりこの人間は、因子が定着しなかったただの一般人だ。一般人が力を使えるのには、何らかの理由があるはずだ。
 肩に自然と力が入り、映像を眺めながら考え、ある答えに辿り着くが、あまりにも恐ろしい答えだった。
「まさか……。生きているのか?ローブ・オブ・オーダー……」
 仮にそうだとすれば、これは緊急の案件だ。すぐに社内電話を取った。


 ベッドの上に、全開したナップザックを置いた海斗は、上機嫌で着替えの服を入れていく。数日掛かった検査の結果は、異状なし。どこにも異常はなく、健康そのもの。と、医者からお墨付きをもらった。頭の痛みが治るまで、丸一日かかったが、些細な問題だ。
「良かったね」と、美月はニコニコ顔だ。彼女も頭痛が治まるまで丸一日かかったが、それ以外は健康そのものだった。
「迷惑をかけたな。ありがとう」
 数日間だけとはいえ、美月は家や学校があるにも関わらず、毎日病室を訪れ甲斐甲斐しく世話をし、面会が赦される時間一杯まで居てくれた。おかげで寂しい思いをしなかった。どこかに異常があるんじゃないかと、気持ちが沈みそうにもなったが、妹のおかげで前向きに病院生活を送れた。同室の先輩たちからは、『良い妹さんだな』とか『息子の嫁に欲しいぐらいだ』と賞賛する声が聞けたのは、兄として誇らしい気持ちになった。
「お兄ちゃんが元気になってくれるなら、大したことないよ」
 可愛い奴め。
 衝動のままに頭をナデナデしたかったが、頑張って自制した。美月はもうそんな歳ではないので、普通に嫌がられるだろう。大人になっていく妹と、思うようにスキンシップがとれない。成長していく過程を身近で見られるのは嬉しいが、時間は残酷であり、お兄ちゃんは時々、とても辛いです。
「懐かしの我が家へ帰るか」
「うん」美月は嬉しそうに頷いた。
 海斗たちは病室を後にする前に、先輩たちに「お世話になりました」と挨拶を済ませるのだが、退院祝いにと、それぞれお菓子をくれた。ただし、その際に、美月にも必ず声をかける。めでたい。という気持ちに嘘はないのだろうが、もう美月に会えないのは寂しいのだろう。これは一種の、自慢の妹効果だろう。
 素晴らしい……。
 廊下を歩く海斗は、スキップをしながら鼻歌を歌いたくなった。普通に歩ける事実に感動したのは、生まれて初めての経験だ。
「階段で行こうぜ」
 嬉し過ぎて、今日は沢山、歩きたい気分だ。
 妹は快く頷いてくれた。
「退院祝いに、今日は私が腕によりをかけて料理するよ」美月は言った。
 無事に退院できたことで、海斗のテンションは少しおかしくなっており、感極まってしまった。
 妹を愛する一人の兄として、妹の手料理に勝る喜びはあるだろうか?
 いや。ない。
 前向きに検討している海斗がいた。普段の彼であれば、すぐに「俺が作るよ」と言うところだ。
「何が食べたい?」
「そうだな……」
 頭の中で色々な候補が挙がる。当然だが、病院食は健康に配慮されたメニューで、美味しかったのだが、物足りなさがあった。
 だが、急に頭の一部が冷静になり、別な提案をする。
「外食はどうだ?」
「どうして?」美月は不満げに聞き返した。
「俺が無事に退院できたのは、美月のおかげだからな。美月も労いたい」
「大したことじゃないのに……」ぼそっと呟いた。
「今日は奮発するぞ。何を食べに行く?」
「そうだなぁ……」
 ルンルン気分の兄に対して、気のない返事をした妹。
 傍から見れば、雰囲気に明らかな温度差がある二人組は、一階へ到着した。
「話を聞きたいんですが、取材よろしいでしょうか?」そんな言葉が聞こえてきた。
 その言葉のせいで、海斗のテンションは氷点下まで一気に下がった。
 ロビーの待合所で順番を待っている来院者に対して、ボイスレコーダーを片手に話を聞こうとしているジャーナリストがいる。
 海斗はメディア関係者が嫌いだった。
 事の発端は黒い残暑だ。
 あの大事件が起きた後に、青葉には沢山のマスメディアが群がり撮影を始めた。その過程で、ひまわり園も目を付けられ、取材スタッフがやってきた。心の傷が癒えていない子供が大勢居るにも関わらず、根掘り葉掘り質問してくる。園長先生を始め職員たちは、止めるように言ったのだが、それでもお構いなしだった。今にして思えば、向こうが聞きたがっている言葉を、何としても引き出そうとしていた。
 他人の不幸で御飯を美味しく食べる、倫理の欠片もない蛆虫共。
 海斗がメディアに抱く印象だ。
 ただしそのジャーナリストは、断られるとお礼を述べてあっさり引いた。
 この点に関しては評価していい。
 蛆虫は次の獲物を探すべく、周囲を見回し海斗と目が合った。ジャーナリストは一瞬、驚いた顔をしてから、ニコニコ顔で近寄ってきた。
「よう。久しぶり。何やってんだお前ら?」
「お前こそ何をやってるんだ?」
 海斗はこのノリの軽い男性ジャーナリストのことをよく知っている。同じひまわり園出身の家族だ。年齢は海斗と同い年で、高校を卒業後は出版社に勤めている。メディア関係者であるが、家族であるなら話は別だ。
「何って取材だよ。見てわかんね?」
 佐野拓郎(さのたくろう)は手に持ったボイスレコーダーを見せた。
「見りゃわかる。病院でなんの取材をしてんだ?」
 拓郎は目をパチクリさせた。「この前、起きた事件を知らねぇの?」
「ついさっきまで、検査入院で自主情報規制してたんでな。知らんよ」
 拓郎は美月に顔を向けた。「お前も知らねぇの?」
「知らないよ。お兄ちゃんが入院する事態だったから、世間を気にする余裕はなかったよ」
「相変わらずのブラコンめ」やれやれと首を振った。
「何があったんだ?」海斗は話を促した。
「つい数日前に、同じ時間帯に、大勢の人間が意識不明になったんだ。現在わかっているだけで、約二万人の人間が、一斉にぶっ倒れた。今のところ、判明している共通点は、変な夢?みたいなものを見て、目覚めると頭痛が酷い。これはまだ、関連性があるのか不明だが、意識不明になったまま、死亡したケースもあるようだ」
 心当たりがあった兄妹は顔を合わせた。
「ちなみに、俺もその一人な」
 親指を立てて自分を指し、軽いノリで言った拓郎。
「大丈夫なのか?」海斗は心配しながら聞き返した。
「頭痛が酷かったのを除けば、健康そのもの。っていうか、お前はどうして検査入院したんだ?健康は取り柄だと思ってたぞ」
「実はな――」
 海斗は事情を包み隠さず話した。そして美月も、拓郎と同じ体験をしたことを教えた。真面目な表情で話を聞いた拓郎。
「これってなんかの病気だったりするのか?」海斗は訊いた。
 検査では異常は見つからなかったが、二万人にも及ぶ人たちが、同じ症状を同時に発症するという事実には戦慄し不安になる。これを引き起こしたのが、未知の病原菌であり、可愛い妹も感染しているかもしれないと考えると恐ろしい。
「俺はブン屋だ。そいつはわかんねぇ。うちのお偉いさんらは、死者が出ている点と結び付けて、事件性がないかを調査するよう言われた。俺が病院にいるのは、そういう理由だ」
「わかってることはないのか?」
「あのなぁ。そいつは俺にとって飯の種だ。簡単に教えるわけないだろ」
「そこは家族だから、特別に教えてくれよ。なっ?いいだろ?」
「しょうがねぇなぁ。特別だぞ。実は――」
 拓郎はわざと間を開けてじらす。兄妹は辛抱しながら黙って待つ。
「実は――な~んもわからん」
「おいっ!」海斗の声には怒りが混じっていた。
「怒るなって。マジでわかんねぇんだよ。だいたい、調査を始めたばかりだし」
「こっちは気が気じゃねぇのに……」
 海斗は愚痴を零した。
 拓郎は、海斗の口元にボイスレコーダーを向けた。
「お前らも被害者だとわかったわけだし、取材させてくれよ」
「メディア関係は嫌いなんだが」海斗は渋い顔になった。
「それは知ってるよ。だけど俺も手ぶらじゃ帰れないから、俺を助けるつもりで頼むよ。この通りだ」
 顔の前に手を出して、お願いのポーズをとった。
「助けてあげようよ。家族なんだし」
「可愛い美月もこう言ってくれたんだ。頼むよ」
「しょうがないなぁ」
 海斗は承諾したが、最初から助けるつもりでいた。海斗は一足先に社会人となり、誰よりも早くひまわり園から出て行った。それからは会う機会が減っていた。お互いに社会人になってからは、ますます会う機会が減っていたので、久しぶりに旧交を温めたかった。すぐに返事をしなかったのは、じらされたことへの、ちょっとした仕返しだ。
「その代わり、飲み物ぐらい奢ってくれよ」海斗は交換条件を付けた。
「ちゃっかりしてやがる。まっ。取材料だと思って、それぐらいは構わないさ」
 拓郎が飲み物を買っている間に、二人は院外へと出た。院内で取材を受けては、病院の邪魔になると思ったからだ。近くのベンチに座って待った。拓郎は三本のジュースを抱えて戻ってきた。二人に渡してから取材を行う。
 倒れた時間帯はいつ頃で、どのような夢を見たのか?夢の中でどのような行動をとったのか?目覚めてからの体調。一連の出来事について、気になる点や気になった点、そしてどう思っているか?細かく聞いた。
 ちゃんと録音されているかを確認した拓郎は、ほくほく顔だ。気の置けない仲だから、他人には聞きづらい質問でも、できたので、とても満足している。
「お前はどう考えているんだ?」
 海斗は訊いた。素直に拓郎の考えも聞いてみたかった。
「俺か?俺は、宇宙人説に一票を投じたいな。もし犯人が宇宙人だったら、今世紀最大のニュースだ」
「真面目に訊いた俺が馬鹿でした。はい。ごめんなさい」
「腐んなよ」拓郎は海斗を軽く小突いた。「真面目な話。俺は仕事柄、先入観を持ちたくない。一度持ってしまうと、それに釣られて公正な記事を書けなくなる。だから自分の考えは持たないようにしている」
「だから俺はお前が好きだよ」
 拓郎は、ひまわり園にやって来た取材スタッフを反面教師とし、確かな倫理観を持ったジャーナリズムを信条としている。だからジャーナリストとしての拓郎は、心から信頼できる。
「男に告られてもな……」
「お兄ちゃん……」
 冷めた目で見つめる二人。
「違うからな!そういう意味じゃないからな!」
 慌てて否定する海斗。
 勿論、三人はそれを理解しているので、同時に噴き出した。
 こんな風に笑うのは久しぶりのような気がした。こんな馬鹿話が楽しくてしょうがなかった。
「と言っても、現実は酷いもんで、真面目な記事を書いても上からは駄目出しされる。売り上げが伸びるように、大衆受けする記事を書けって言われる。ジャーナリストと言っても、所詮はサラリーマン。その事実が、時々辛くなる」
 拓郎は疲れた表情で溜息をついた。海斗と美月は、黙って家族の愚痴を聞いた。
「っと。愚痴なんて俺らしくもねぇ。すまねぇ。つまんないことを聞かせちまったな」
「気にすんな。誰にだって何かを吐き出したい時だってあるだろ?」
 そう言った海斗を、美月はじっと見つめ、口を開きかけたが、逡巡してから閉じた。
「やっぱ家族っていいわ」拓郎は立ち上がった。「真面目な意見を聞きたかったら、参謀殿のところに行けばいいんじゃね?困った時の参謀殿。だろ」
「懐かしい言葉だな……」
 それはひまわり園で行われた、流行語大賞で見事に入賞した言葉だ。社会人になってからは、その言葉を使う機会はなかったが。
「あいつの話も聞きたいから、俺は今から行くけど、お前らはどうする?」
「今日は平日だし、働いているんじゃないのか?」
「とりあえず連絡取ってみるわ」拓郎はポケットからスマートフォンを取り出して、電話をかけた。「――お久しぶりです。参謀殿。――そこはせめて元帥にしてくれよ。――何?高過ぎる?これでも謙虚に言った方だぞ。――ああ。お前の話を聞きに行きたいんだけど、今良いか?――うん。うん。わかった。それと――」
 拓郎は兄妹に目を向けた。
 俺たちも行く。と海斗はジェスチャーで示した。
 今回の件が何なのかを知りたいが、聞けるのは所詮、状況から考えられる推測に過ぎない。それでも、何らかの安心できる材料が欲しかった。
「稲郷(いなごう)兄妹も一緒に行くけど良いよな?――おう。わかった」
 拓郎はスマホを戻した。
「何だって?」海斗は訊いた。
「オーとケー。だそうだ。自宅に居るからそっちに来てくれだって」
「あいつ仕事を辞めたのか?」
「知らね。とにかく行こうぜ」
 三人はタクシーを捕まえて、困った時の参謀殿のところへ向かった。


「これが、格差社会。という奴か……」
 新街にある参謀殿が住んでいるアパートを見上げる海斗。海斗と美月が暮らしている社営団地より、高さがあって立派だ。社営団地が中の中。だとすれば、このアパートは中の上か、上の下くらいだ。勿論、その分、御家賃はお高めだが、内装はさぞ立派なことだろう。社会人としてのスタートは、海斗の方が先に切ったのに、もう追い越されている。世の中の理不尽さが、視覚的にわかる光景ではないだろうか。
「燃やすか?」拓郎は真面目な顔で言った。
「やるか?」海斗も真面目な顔になった。
「はいはい。馬鹿なことを言ってないで行くよ」
 妹のように思われている年下の女性に諭され、素直に返事をし、大人しく付いて行く年上の男たち。エレベーターを利用して、目的の階へ向かう。
「真面目な話」海斗は拓郎に話しかけた。「高校を卒業してからのたった数年で、このレベルのアパートに住めるもんなのか?」
 これは純粋な疑問だった。少なくとも、海斗がこのレベルにアパートに住めるのは、まだ先の話だ。
「俺は今でも相談に乗って貰っているから近況は知っている。あいつの話によれば、試用期間中から、幾つも実績を出していたみたいで、超大型新人として会社から、絶大な期待を寄せられていたようだ。そして、あいつもその期待に見事に応えて、さっさと昇進を決めたようだ」
「凄いけど、ドラマとかだと、そういう新人は、上司に目を付けられるんじゃないの?」美月が訊いた。
「実際、居たみたいだぞ。そういう上司が」
「マジでいるんだ……」社会の理不尽さの一面を知った美月。
「大丈夫だったのか?」海斗が訊いた。
「おいおい。あいつが大人しくやられるような玉だと思うか?」
 海斗は暫く考えた。「ないな」
「嫌がらせの証拠を集めて、その上司よりも偉い人たちに提出したんだ。期待の新人だと知れ渡っていたところに、証拠の数々。あいつの勝訴は確定。その上司は、クビこそ免れたが、僻地に左遷だと。あいつの言葉で言うなら『自分の無能を棚に上げた馬鹿だったから、当然の帰結だ』とのこと。まあ、そんなことがあったもんだから、周りはあいつを怒らせないように気を付けようと、暗黙の了解が成り立ったみたいだ」
「賢明な判断だ」
 海斗も参謀殿は怒らせたくない。だって、怒らせたら間違いなく仕返ししてくる。それがどんな報復なのかわからないから怖い。
「ただまあ、今では将来の幹部候補と目されているみたいだな。このまま順調にいけば、間違いなく、俺たちの中で一番の出世頭になるぞ」
 海斗は誇らしい気持ちになった。家族が活躍し、どんどん出世していく。その話を聞いただけで、心が満たされていく。
 部屋の前に到着した三人。表札を確認してから、美月がインターホンを押した。
 暫くしてから扉が開いた。
 海斗たちを出迎えた男性の第一印象は、他人に冷たそうな、近寄りがたいところがある。社交的な印象は受けない。
「よう。久し――」
「新聞の勧誘なら帰ってくれ。要らん」
 海斗の言葉を遮って言った。
「おいおい。久しぶりなのに、いきなりボケをかましてくれるな」
「もしかして、宗教の勧誘か?だったら、帰ってくれ。そういうのとは、関わり合いたくない」
「そのボケは滑ってるからね」美月は言った。
「ふぅ……。久しぶりに会ったんだ。冗談の二つぐらい言ってもいいだろ。心に余裕を持て、稲郷兄妹」
 と、留守一朗太(るすいちろうた)は、やれやれと首を振った。一朗太は、海斗と同い年で、海斗の知る範囲では、彼以上に頭の良い人間はいない。ひまわり園に居た頃は、海斗を始め周りから、その頭の良さを頼られ、よく相談に乗って貰っていた。そして、付いた渾名が参謀殿だ。殿まで付けないといけない。現在はサラリーマンをしている。
「久しぶりだな。元気そうで嬉しいぞ」一朗太は心からの笑みを浮かべた。
「ついさっきまで、検査入院してたけど、まあ、元気だ」
「……好きに上がってくれ。話はゆっくり聞く」
 海斗たちは玄関で靴を脱いで、室内へと上がった。海斗はまず居間を見回した。思った通り広くて立派だ。
 これが成功者の住む家か。
 とか思った。
「飲み物はセルフサービスだ。好きにしてくれ」一朗太は、大型テレビとの間にあるテレビゲームの前に座り、コントローラーを握った。
「おっ!マジで?好きにさせてもらうわ」拓郎は勝手知ったる我が家のように冷蔵庫を開けた。
 美月はガラステーブルの上に、退院時に貰ったお菓子を広げていたのだが、その手が不意に止まった。
「何これ?」
 美月はテーブルの上に広がるステンレス色のよくわからない物に触れた。海斗はそれに目を向けた。美月は、それに触れてから、端をつまんで上に持ち上げると、緩くなったゴムみたいに伸びた。
海斗は、知識としてその正体を知っている。
「これって確か、昔のおもちゃで、スライムだっけ?」
「違うぞ。そいつはコップだ。正確には、元コップだ」
「はあ?またつまんねぇボケかよ」
 海斗は呆れてしまった。
「なあ。この高そうなウイスキー貰っていいか?」拓郎は、如何にも高級そうな雰囲気をだしているウイスキーを取り出した。
「お前はRPGの主人公か?」
 海斗は突っ込んだ。RPGの主人公は、ほんと、ああいう感じで家探ししているのだろう。それを何とも思わない住人は異常だ。
「良いぞ」一朗太はさらりと許可した。「そいつは社長からの貰い物で、高いのは間違いない。試飲は済んでいるから、話を合わせるのには困らない」
「流石に冗談ですからね」拓郎はいそいそと元の位置に戻した。
 海斗は一朗太の元へ向かい、どのハードで遊んでいるのかを確認した。
「また、懐かしい物を……」
 一朗太が熱心に遊んでいるのは、黄ばみが目立つスーパーファミコンだった。世代的には知らないはずなのだが、ひまわり園にあったのだ。娯楽に乏しい施設だったので、職員の一人が見かねて、息子が遊んでいたのを寄付してくれたのだ。
 古臭いグラフィックに、見慣れないドット絵。丸みを帯びたコントローラー。それが逆に新鮮で、海斗たちは十分満足していた。同士を募り、スーパーマリオカートで二四時間耐久レースをしようとしたら、園長先生に怒られたのは、心がほっこりする良い思い出だ。ちなみに、一朗太が現在遊んでいるのは、ルドラの秘宝だ。
「メルカリで見つけたんだよ。本体一式に二十本のソフトが付いて、一万円だった。ソフトに関しては、状態の良い箱付きもあって、調べたら全部で約十万もする。十万もするゲームを一万で遊べるのは、かなりの贅沢だと思わないか?」
「そう聞くと、凄い贅沢な遊びだな……」
 一朗太はキャラクターを操作し、ダンジョンを抜けてフィールドに出た。メニュー画面を開いてセーブした。
「よし。お前ら。ボンバーマンするぞ」
「久しぶりにマリオカートやりたい」海斗は注文した。
「あれは駄目だ。熱中し過ぎて話に集中できない」
 一朗太はルドラの秘宝を抜いて、ボンバーマンのカセットを差して起動させたが、上手く読み込めなかった。一度抜いてから、差し込む部分に息を吐いてから、再び差して起動させると今度はちゃんと映像が映った。アダプターを差し込んで、四人で遊べるように準備した。
 四人は半円状に並んで、各々コントローラーを握る。
「懐かしいな。ひまわり園の頃を思い出すよ」
 美月はしみじみと言った。彼女も海斗たちに交じって一緒にゲームをしていた。腕前に関しては、本人の名誉のために、言及しないでおく。
「それで話ってなんだ?」一コンを握る一朗太は、モードとフィールドを選択しながら本題に入った。「まあ、だいたい想像はつくがな」
「なら、話ははえぇ」拓郎は、意味もなくボタンを押しながら言った。「この前、起きた事件についてだ」
「ああ。二万人もの人間が一斉にぶっ倒れたって事件か。ちなに、俺もその事件の被害者の一人だ」
 ゲームがスタートした。四隅にいるキャラクターを操作し、まずは爆弾でブロックを破壊していく。
「大丈夫だったのか?」ブロックに爆弾を設置しながら海斗が訊いた。ブロックの下にアイテムが隠れていたので、すかさず取った。
「頭痛が酷かったのを除けば問題ない。ただ、いきなりぶっ倒れたから、会社からは休むように言われた。おかげでゲーム三昧な日々を送れてる」
「でだ」アイテムを集めるのを優先するか、他のキャラクターから奪うかでちょっと迷いながら拓郎は話を戻した。「ここにいる全員がその被害者で、お前の考えを聞きたい」
「まずはお前らに何があったのかを聞かせてくれ。具体的には倒れてから、目覚めるまで体験した内容だ」
 拓郎が説明し、兄妹は同じ体験をしたと付け加えた。ただし、場所は違う。
「で?それをお前らはどう考えているんだ?」
「私やお兄ちゃんは、夢だと思っているけど。……ちょっと止めてよ」美月はアイテム集めを優先するのだが、拓郎に奪われた。
「良いか美月。早い者勝ちって言葉があるんだ」
「よし。妹を泣かせる奴は俺が退治してやる」
「泣いてないけど……」
「かかってこいやシスコン」
 美月の意見は無視され、海斗と拓郎の間で火蓋が斬って落とされた。
「あれが夢だと?そんな訳ないだろ」
「どうして言い切れるの?」美月が訊いた。
 可愛い妹のアイテムを奪ったことに報復する兄に対して受けて立ったジャーナリストは、闘志に火が付いてしまったため、上手に集中力を使い分けることができない。
「お前らの話を聞いて確信した。二万人もの人間が、細部に違いはあるが、同じ夢を見るなんてありえない。そいつは一体どんな奇跡だ?」
 一朗太は画面を暫く眺めてから、爆弾を連続で設置していく。
「あっ。やべっ……」
 海斗は呟いた。一朗太が設置した爆弾の爆発に、海斗と拓郎が操作しているキャラクターは巻き込まれて死亡した。フィールド上に、二人が集めたアイテムが散乱する。美月と一朗太は急いで回収した。
「おい!俺まで巻き込むな!海斗だけを狙えよ!」拓郎は抗議した。
「熱中し過ぎだ。これで少しは頭が冷えたろ。馬鹿共が」
 二人は小さくなった。ボンバーマンの面白いところは、やられたら後は、見てるだけではなく、場外から爆弾を投げ込める点だ。海斗と拓郎はアイコンタクトで同盟を結び、一朗太に対して嫌がらせの爆弾攻撃を行う。
「倒れた理由は、未知の病原菌で説明できても、同じ夢を見るなんて、ファンタジー世界でしかありえないだろ」
 一朗太は場外の二人をおちょくりながら、美月と一騎打ちをするのだが、明らかに手を抜いている。接戦であるかのように演出している。
「ちなみに、俺の後輩は、神様の試練説を提唱してたぞ」
 あいつは今頃、アニメでも見てんのかな。と漠然と思った。
 人によっては、馬鹿々々しいと一蹴するような説でも、一朗太は真面目に考えた。
「説明がつかないな。神様が実在するとして、どうして青葉の人間だけに限定する?俺が調べた限りでは、本土どころか外国で同じ事件が発生したという記事は見つからなかった。そして、試練を課す以上、そこには何らかの目的があるはずだ。人間は億単位でいるのに、たったの二万人ぽっちに試練を課すなんて意味不明過ぎる。もし何らかの目的があったとして、選別をするのなら全人類にするべきだろ?もっと細かく言うのなら、これが八百万の神々の陰謀なら、日本人全員が対象にならないとおかしい」
「じゅあ、お前はどう考えているんだ?」当たれ。当たれ。と念じながら、一朗太に嫌がらせをする拓郎。
「この事件は青葉でしか起きていない以上、青葉内を疑うべきだ。そして俺はあれを一種のゲームのようなものだと思っている」
「それこそファンタジーじゃね?」海斗は妹の動きに注意しながら、一朗太に嫌がらせをしていく。
「どうしてそう思う?」
「そんなゲームがあるなんて聞いたことがない」
「これだから情報弱者は……。いいか。次の青葉ゲームショウでは、フルダイブ型VRゲームがお披露目される予定だ。つまり、技術的にはああいうのは可能だ。それにゲームから目覚める――ログアウトと表現するが、モンスターに襲われて、不思議な力に目覚めたら、ログアウトした。目的を達成してログアウトするなんて、如何にもゲームっぽいじゃないか」
「それじゃあ、俺たちは、何らかの理由でゲームの世界に迷い込んだのか?」海斗の耳には、やっぱりファンタジーぽく聞こえた。そんな感じのアニメ作品を後輩から借りて見ていた。そう思ってしまう一因だ。
「迷い込んだのではなく、強制参加させられた。というのが正しいだろう。これを仕組んだ連中には間違いなく目的があるだろうが、何を考えているのかはさっぱりわからん。だが、この街の特殊性から、あれだけ大規模なことができるのは、ニューイーラだけだ」
「それは……、流石に考え過ぎじゃないか?」
 海斗は心情的に間違ってほしい推測だった。
 ニューイーラは、黒い残暑後の復興に尽力してくれた。それを極身近な場所で、海斗たちは体験しているのだ。ニューイーラは、黒い残暑で親を亡くした子供たちのために、各所の孤児院に多額の寄付をしてくれた。そのおかげで、ひもじい思いをしたことは一度もない。それだけではなく、医者を派遣して健康診断や予防接種などを無償で受けられた。健康無事にここまで育つことができたのは、ニューイーラのおかげでもあるのだ。大恩ある相手を疑うのは、気持ちのいいものではないしやりたくない。
「だが他に――」
 一朗太は言葉を切り、辛そうな顔をする。
「またかよ……」
 海斗は呟いた。つい最近に体験したばかりの、酷い耳鳴りがまたして、頭がゆっくり痛くなっていく。意識を失う寸前、海斗が目撃したのは、爆発に巻き込まれた一朗太のキャラクターだった。


「確かに、お前の言う通り、こいつはゲームっぽいな……」
 海斗は周囲を見回した。モノクロ化した世界なのは前回と同じなのだが、今回は場所が違う。一朗太の借りているアパートに居たはずなのに、何故か新街にある公園にいる。脱いだはずの靴まで、ちゃんと履いている。
一瞬で移動するというのには、ゲームらしさがあるように思える。
「このゲームはマップ選択式のようだ。俺としては、マップは地続きの方が好きなんだがな。ちょっと残念だ」一朗太は自分の好みを主張した。
「残念じゃないよ」美月は憤慨した。「私の友達は、これのせいで怖い思いをしたんだからね。ただの迷惑行為だよ」
 海斗はうんうんと頷いた。これが何度も続くようでは、仕事にならない。
「それで、さっきからお前は何をしてるんだ?」一朗太は拓郎に顔を向けた。
 拓郎は、右腕を上から下に振り落としたり、下から上に振り上げたり、右から左に振ったり、左から右に振ったり、右斜めから――と動かし続けている。
「こいつがゲームならメニュー画面が開かないとおかしくね?せっかくだし、自分のステータスを見てみたい。俺の能力がどう評価されているのか、気になるわ」
 何となくその気持ちをわかってしまった海斗は、何も言わなかった。
「馬鹿かお前は?俺はゲームのようなものと言っただろ」
「どう違うんだ?」
「これはゲームの体を取った、試験のようなものだと思っている。そう考えると、俺には、納得できることがある」
「何に納得できるんだ?」
「力だよ」一朗太はブランコを囲っている欄干に座った。「本格的にゲームが始まる前に、それぞれの力を確認しておきたい。お前らも力を使えるようになったんだろ?」
「言い出しっぺが先に披露するのが筋じゃね?」
「俺の力は地味でな。目で確認するのはちょいと難しい。そのせいで、力が使えることに気付くのに、時間がかかった」
 海斗はぽかんとした。「何だそれ?俺の時は、いきなり頭の中に力の使い方や戦い方まで入ってきたぞ」
 今度は三人がぽかんとした。
「なんだその便利機能。ずりぃ」拓郎は抗議した。
「えっ?違うのか?」海斗は妹に顔を向けた。
 美月は頭を左右に振って否定した。
「えっ?えっ?えっ?」皆と条件が違うことに海斗は、漠然とした不安を抱いた。
「お前の話を聞いて、自分の考えの自信がちょっと揺らいだ」一朗太は困惑した。「これが試験だとすれば、例外を設ける意味がわからん。条件は同じにしないと、意味がないんじゃないのか……」
「わかった」拓郎は大声を挙げた。「さては海斗。お前は運営の手先だな。だから優遇されたんだ。どうだ。俺の名推理」
「そんな訳あるか!」海斗は少し真面目に怒った。
 これが本当にゲームだとして、自身が体験した印象で言わせてもらうと物騒だ。こんなのに、大切な家族を巻き込みたくない。
「ちょっとしたサノリアンジョークだよ。悪かったよ」
「まあ。拓郎のくっそ寒いジョークはどうでもいい」一朗太は言った。
「お前に言われたくねぇ」拓郎は睨みつけた。
「わからないことが一つ増えたところで、やることは変わらない。さっさと課題をクリアして、現実に帰るだけだ。具体的にお前は何ができるんだ?」
「俺の場合は……、力を任意の形にして撃ち出したり、剣?みたいなもので戦ったりとか。そんな感じ」
「剣?お前、剣を使えるのか?」
 海斗は顔の前で手を振って否定した。「頭の中にはその知識もあるけど使えると思うか?俺の腕前は、お前らとしたチャンバラレベルだぞ。剣?に関しては期待するな。俺も使う気はない」
 ひまわり園には、沢山の子供たちがいたので、チャンバラの規模も大きかったが、そこに陣取り合戦の要素も取り入れて、陣取りチャンバラというものをやっていた。だがこれはすぐに廃れた。一朗太が入ったチームが必ず勝つので、つまんない。と飽きてしまったのだ。そういう意味でも、彼は参謀殿なのだ。
 剣術と言うにはおこがましいが、海斗が剣に振れたのはその程度であり、しかもかなり昔だ。錆び付いているどころではなく、もう忘れた。剣?の使い方や、体の動かし方は知識として知っているけど、普段からそのように鍛えている訳ではないので現実には、イメージ通りに動けない。全く使えない知識だ。
「次は――」
「はいはい!俺な!」拓郎は注目を集めるために手を挙げた。「俺の力はずばり!石化だ!石化だぞ。俺に見つめられると石になっちまうぞ。間違っても俺に惚れるなよ。俺に見つめられたら固まって動けなくなるぞ。物理的に。全く。モテる男は、罪な力を手に入れてしまったぜ。ふっ……」拓郎的には、ハードボイルド風に決めたつもりだった。
「最後は――」
「おぉい!待てよ!」
「なんだよ。さっきから五月蠅い」
「突っ込めよ!わかりやすいボケをかましてただろ!」
「今は真面目な話をしているんでな。スルーさせてもらう」
「寂しいこと言うなよ。兄弟」
「拓郎」美月が静かに声をかけた。「今は黙ろっか」
 だよなぁ。
 海斗は心の中で同意した。これから何が起こるのかわからない以上、普段のノリは抑えた方がいいだろう。
「美月。お前もか……」
拓郎はいじけてしまった。その場でしゃがんで、地面にのの字を書き続ける。
「私の場合は…………、あの、人なのかなぁ……?」確信が持てずに悩み始めた。
 海斗と拓郎は見合わせた。人。という言葉が気になった。
「う~んと……」美月はおでこに右手の人差し指を当てた。「出てきて」
 三人の男たちは驚愕した。美月の隣にいきなり、赤い甲冑を着た侍が現れたのだ。面頬をしているので、顔はわからないが、目の部分には青い火が燃えている。その手には自身の身長に匹敵するぐらいの長刀が握られている。
「うわっ!?本当に出てきたっ!?」と、本人が一番驚いていた。「えっと、たぶん、この人が私の力だと思う」
「こういうパターンもあるのか……」一朗太は、侍をまじまじと見つめた。
「なにそれ!?かっけぇ!」拓郎は立ち直った。「俺の力と交換してくねぇ」
「この侍は操れるのか?」
 またも拓郎を無視しながら、話を続ける。
「操れると思うよ。できることは、刀で戦ったり、たぶん、青い火を操ったりできる」
「魔法侍か……。さっきからどうして曖昧な言い方なんだ?」
「私の場合は、すぐにログアウトしたから。それに、友達の件があって、ゆっくり実験をしている余裕はなかったし」
「それなら少し実験するか」
 というわけで、実験が始まった。まずどこまで精密に操れるか。これに関しては、美月の思った通りに動いてくれた。刀を振るったり、青い火を出したり、極めつけは、パラパラを踊れた。次に操れる範囲を調べた。侍を全力で走らせた。見えなくなるまで走らせてから、戻って来るように走らせた。
「見える範囲で動かせるのか。立体的な運用を求められるな。上級者向けだな。美月の空間把握能力にもよるが、現実的な運用で考えるなら、十メートル……、五メートル内が限界か。運用の仕方によっては、幅広く使えそうだな」
 ぶつぶつと呟きながら考え込む一朗太。
「こいつに名前はないのか?」
 全力疾走をしたにも関わらず、全く疲れた様子が見えない赤侍を見つめる海斗。
「ないよ。今日で二度目の再会だよ。一度目には余裕はなかったし」
「なら付けてやったらどうだ?こいつは、美月の盾になってくれるんだ。付けても罰は当たらないと思うぞ」海斗は生物なのか不明な怪しい侍の肩を優しく叩いた。「美月を守ってくれよ」
「そこまで言うなら付けようかな」美月は見つめながら考えた。「赤い侍だから……スカー。なんてどう?」
「えっ?侍なのに横文字?」拓郎の口からつい疑問が零れた。
「私のセンスにケチをつけるの?」美月は睨みつけた。
「侍に横文字は違和感あるけどよ。っていうか。スカーってどういう意味だよ?」
「スカーレットを短くしただけ。どう?お兄ちゃん?」
「美月が満足しているなら、それでいいさ」
 と、答えはしたが、心情的には拓郎に一票を投じたかった。海斗としても、がちがちの和風侍に、横文字は違和感がある。だが、和風侍だから和名を名付けるのは、偏見かもしれない。
「これからよろしくね。スカー」
 赤い侍改め、スカーは見つめる美月に、一切の反応を示さなかった。
「注目」一朗太は声をかけた。「全員の力は把握した。これで今回の試験も乗り越えられると思うが、油断はするな。どんな試験が課されるのか、わからないからな。気を引き締めていくぞ。まだ確証はないが、こいつはデスゲームである可能性がある。ゲームだと思って舐めてかかったら、取り返しのつかない事態になりかねない」


 覚醒ゲームを取り仕切る管制室には、普段はない緊張感が張り詰めていた。
 その理由は、一段高いところで巨大モニターを見つめる人物の存在だ。年齢は五十歳でありながら、若い女性が息を吐きそうな整った顔立ち。深い知性を感じさせる怜悧な目付き。美丈夫という言葉がよく似合う。加えて、人を引き付けるカリスマ性も持ち合わせている。まるで、大衆を導くために生まれて来たような人間。
 三十代という異例の若さで、ニューイーラの頂点の座を手に入れた人物。それはつまり、青葉特別区の王を意味する。
 世界一忙しい男。国さえも動かす男。クリストファー・クリスティーナは、静かにモニターを見つめていた。傍らには、ニューイーラ企業軍の総司令官である、黒人の大男、ハワード・ネイチャーが休めの姿勢で控えている。
クリストファーは世界一忙しいため、管制室には余程の事情でもない限り来ない。前回、来たのは、このゲームが完成したので視察のためだ。そして今回、技術主任からの報告が本当なら、余程の事情になり得る。
モニター一杯に、海斗たちが映っており、スピーカーモードで会話は筒抜けだった。話を聞いていた限りでは、確かにローブ・オブ・オーダーが生きているのを疑うにたる内容だった。
 報告によれば、このゲームは力の使い方や戦い方をインプットするような、親切設計ではない。
 だが、まだ明確な証拠はない。
「奴らの準備が整ったようです。ゲームを始めてもよろしいでしょうか?」
 クラークは慇懃な姿勢で訊いた。王を前にしては、技術主任も自然と緊張してしまう。
 クリストファーはゆっくり頷いた。
 二回目の覚醒ゲームは、前回の評価を元に、バランスの取れたチームを結成させ、チームワークを養わせながら、より力の使い方を洗練させるのが目的だ。モニターには映っていないが、他のチームはそういう状況にある。だが、このチーム――正確には稲置海斗だけは例外にした。報告の真偽を確かめるために。
「ゲームを始める。まずは小手調べにモンスターデータより、ゴブリンを五十体出せ」
「少ない」クリストファーは静かに言った。「百体に増やせ」
「百体出せ」
 力を覚えたばかりの覚醒者では、数の差に押し切られ絶望するところではあるが、本当にローブ・オブ・オーダーが生きているのなら、物の数ではない。
 本当に生きているのか、じっくり見極めさせてもらおう。
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