最愛のために婚約破棄を望む令嬢は、最愛からの愛を知る

下菊みこと

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最愛を無くしそうになった令息は、奪おうとした相手を許さない

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「リュシフェル様…私と婚約破棄してください」

「…は?」

リュシフェル・イポリートの人生は全てが順風満帆だった。公爵家の長男という恵まれた生まれ。誰もが見惚れる整った容姿。優れた理解力と記憶力によって成績も優秀。教養もある。両親との仲も親子のそれとしては距離があるが、概ね良好だ。弟は可愛い。物凄く良い子に育ってくれたと思う。自分に負けず劣らず優秀なのも自慢である。

そして何より…最近やっと愛する人を婚約者とすることが出来た。それはすごく幸せで…。五歳の初恋は、驚くことに十八歳になった今でも変わらない。いやむしろ、悪化している。好きすぎて辛い。それは彼女も同じだと思っていた。だから、今回の彼女の発言は寝耳に水だった。

「…ちょっと待ってよ。そういうたちの悪い冗談はやめてほしいんだけど」

「冗談ではありません」

「ナディア!」

ナディア・メリザンドは自分を世界一幸せな女の子だと自負している。しがない片田舎の男爵家で男三人女二人の兄弟の二番目、長女である彼女は、貴族ではあるがほぼ平民と変わらない価値観で生きてきた。そんな彼女は領地で平民達に姫様姫様と可愛がられて育った。忙しい両親も優しいし、兄弟達はとても仲が良い。後継の兄は両親同様忙しいのに時間を縫っては甘やかしてくれる。手のかかる弟妹達はそれはそれで可愛らしい。

そんな彼女は、貴族の中では一番爵位が低く、また借金はないが裕福とは言えなかった。平民的な価値観を持つ彼女はそれを嘆くことはなく、むしろどうやれば領地を、領民を、ひいては実家を栄えさせられるかといっぱい勉強して努力した。

そんな中で、ある日リュシフェルに婚約を持ちかけられた。リュシフェルとは、家族ぐるみの付き合いがあり幼馴染だった。公爵と男爵にどんな繋がりがと思うだろうが、なんてことない競馬仲間だった。ただし二人ともあくまでもお小遣いの範囲内でしか賭けていないので家計は圧迫していない。公爵も男爵も、お互いリュシフェルとナディアのことを気に入っていたので是非婚約をしろと圧がすごく、またナディアはリュシフェルが好きなので喜んで受け入れた。

そんな婚約のおかげで、男爵家に援助というか軍資金が公爵家から与えられ、今まで頑張って領地経営を勉強してきたナディアのアイディアで新規事業を展開した男爵家は見事にヒットし、裕福な家庭となった。

実家は富み、好きな人と婚約出来て、ナディアは世界一幸せな女の子だ。だから、もう良いのだ。これ以上この優しい人に寄りかかるのはやめよう。

「ナディア…理由…理由を言いなよ!なんでそんなこと…っ!」

「私は男爵家の娘です。公爵家の長男である貴方とは釣り合いが取れません」

「そんなの俺は…俺の家族だって気にしない!君が嫁いでくるのをみんな楽しみに待ってる!大体、なんでそんな淡々と…っ、もっと、いつもみたいに喋ってよ…」

「見た目も釣り合いが取れないです。私の平凡な容姿では、きらきら輝く貴方を翳らせてしまいます」

「そんなことない!君は世界一可愛い!」

「それに…愛する方が他にいらっしゃるのでしょう?その方を選んでください。大丈夫です。私は貴方を恨んだりしませんから。相手にも何もしません」

「…は?」

ナディアは聞いてしまった。リュシフェルが最近、とある侯爵令嬢と懇意にしているという噂を。そしてある時、その侯爵令嬢がとうとう直接ナディアの所に乗り込んできたのだ。リュシフェルを渡せと。それはそれは美しい方で、しかも侯爵家のご令嬢。自分が身を引けばみんな幸せになれる。ナディアはそう信じてしまった。

「ねえ、それは…俺の浮気を疑っているの?だから婚約破棄するって…?」

ナディアは思わず息を飲む。リュシフェルが、知らない人に見えた。

「そう…そうか。俺の愛の伝え方が悪かったんだね。ごめんね?不安にさせて。…その相手、教えてよ」

「え?」

「ナディアに余計なことを吹き込んだクズを教えて。全員始末してきてあげる」

「リュシフェル様…?」

誰だ、これは。

「ねえ、ナディア。俺はね?…ナディア以外に興味ない。どうすれば証明出来るかな。ああ、そうだ。誓約魔法でも使う?」

「…っ」

誓約魔法。誓いを破ったものには死が与えられる、恐ろしい魔法。そこまでリュシフェルは自分だけを愛すると言ってくれるのか…。

ナディアは怖くて仕方がなかった。突然豹変したリュシフェルが怖いとか、誓約魔法をかけようとする自分の命を顧みないリュシフェルが怖いとかではなく。

ー…リュシフェルの歪んだ愛情を知って、仄暗い喜びを覚える自分が怖かった。

「リュシフェル様…」

「なあに?俺の最愛」

「私の最愛も、リュシフェル様です」

リュシフェルは一瞬固まったが、ナディアを優しく抱きしめた。

「…ごめんね、俺、必死に隠してたけど…もう、こんな愛し方しか出来ない」

「いえ、むしろ嬉しいです。…破れ鍋に綴じ蓋かもしれませんね?」

リュシフェルはさらにナディアをぎゅうぎゅうと抱きしめる。やっとのことで、ナディアに何かを吹き込んだ者達への殺意は治った。しかし、害意はある。

「で?誰に何吹き込まれた?」

「ミシュリーヌ様とリュシフェル様の仲が噂になっています。そして、その気になったミシュリーヌ様が私のところに乗り込んできてリュシフェル様を渡せと」

「…はぁ?俺、あの阿婆擦…んん、あの女を徹底して避けてるし、近付かれても冷たく突き放してるんだけど」

「見えないところでらぶらぶ、だそうです」

「…噂を流した奴はマジで殺す」

また殺気を放つリュシフェルにナディアは喜びを感じる。ああ、自分はもう手遅れだと思いながらも、喜びを止める術を持たない。

「まあ、いいや。婚約破棄は撤回してくれるよね?」

「はい、もちろん」

「根回しとかした?」

「いえ、一番にリュシフェル様に言うべきだと思って…」

「…よかった。ありがとう」

そして後日、とある侯爵令嬢とそのお友達数人が馬車の事故で負傷。死ぬことはなかったものの治らない傷が顔や足など複数箇所に出来てしまい、修道院で穏やかに祈りを捧げる生活を送ることになった。

そんなニュースを新聞で読んだリュシフェルは、鼻で笑って新聞を処分した。

「さて、今日も姫御前のご機嫌を伺いましょうかね」

可愛い婚約者は、ニュースを見てどんな顔をしただろうか?またあの、仄暗い喜びを噛み締めている恍惚の表情を見られるだろうか?

こんなに喜ばれるなら、もっと早くに打ち明ければよかったな。

今日も二人は倒錯した愛に溺れる。ダメだと知りながらも、二人はもう元には戻れないのだ。
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