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第一章 白紙の魔本と魔王の少女

Page.2 目覚める魔王

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 ハイドラは死んだ。
 だが、彼の残した力は俺の魔本の中で生き続ける。
 中身が白紙で、装丁も真っ白。
 シンプルそのものだった俺の魔本は今、紫紺に染まっている。
 さらには竜を模した装飾もちりばめられ、その迫力は以前の比ではない。
 これを心から具現化しただけで相手を威圧できそうな、そんな魔本だった。

 このまましばらくうっとりと眺めていたいけど、俺はハイドラとの約束を守らなければならない。
 地面に寝転がっている魔王の少女を守らねば!
 とはいっても、今のところ危険はない。
 この場所は天井の高いドーム状の洞窟で、真上には穴が開いている。
 そこから日の光が線のように降り注いで神秘的な雰囲気を醸しだしている。
 霧はまったく入り込んでこない。
 つまり、少女が毒を吸う危険はない。
 無理やり起こすのもあれだし、自然と起きるのを待つか。

 それにしても、綺麗な女の子だ。
 まだ幼さは感じるけど、美人と言える雰囲気がある。
 町ですれ違ったら大体の男が振り向くんじゃないか?
 大きな房のようにまとめられたツインテールも目をひく。
 触ったら気持ちよさそうだ。
 でも、俺は寝てる女の子の髪をベタベタ触ったりはしない。
 髪は女の命らしいし。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 三十分くらいたったけど……女の子は起きない!
 もう昼過ぎといった感じだけど、あいかわらずすぅすぅと気持ちよさそうに寝息をたてている。
 これはもしかして……何か魔法がかかっていてそれを解かないと起きないパターン?
 誰かのキスが必要みたいな?
 流石にそんなことはないか。

 しかしながら、彼女には引き込まれそうな魅力がある。
 単純にもっと近くで、じっくりと観察したいという欲求が生まれる。
 そーっと彼女の側に膝をついて、その顔を覗き込む。
 血色の良い唇はとっても柔らかそうだ。
 無意識に自分の顔を……。

「誰だ、おぬしは」

 少女のつぶらな瞳が見開かれる。
 鮮やかな緑色、若干つり目で思ってたより鋭い印象を受ける。
 いや、鋭い印象を受けるのはシチュエーションのせいか。
 起きたら見知らぬ男が顔を近づけていたのだから。

「ご、ごめん! なかなか起きないからつい……。でも、何もしてないし、するつもりもなかったんだ!」

「誰だと聞いているのだ」

 少女はむくりと上体を起こして髪を手クシで整える。
 その視線は冷たい。
 やはり、警戒されているのだろう。

「俺はちょっと仲間に裏切られて殺されかけてたところを竜に……ハイドラに助けてもらったんだ。ハイドラはもう寿命だったみたいで、俺に力と君を託していなくなってしまったけど、これからは俺が君を守るよ」

「ふーん、そうか」

 少女は立ち上がり、俺から離れていく。
 やっぱり仲間に裏切られて殺されかけた男なんて信用ならないか!
 でも、それ以前の俺の人生はもっと悲惨というか、面白みもないので話しても意味はない。
 むしろもっと信用を無くしそうだ。

「ちょ、ちょっと! どこ行くの? 洞窟の外は危ないよ!」

「ハイドラがいなくなった以上、ここも安全ではない。ひらけていて隠れるところもなく、むしろ危険な場所だ」

「でも、俺がいるよ。君をハイドラから託されたから……」

「無理しなくてもよい。お前からは覇気というものを感じん。戦いに慣れていないのだろう? わかるぞ」

 さすがに魔王ともなると、見ただけで実力がわかるのか……。
 俺は魔法がないので、戦いは剣を振り回すくらいだった。
 無論それで倒せる敵は少ないので、いつもいかに戦いを避けるかを考えていた。

「それにいくら命を助けられたといっても、急にいろんなものを押し付けられて困惑しておるだろう? ハイドラはもういない。それはお前の命と力だ。好きに生きると良い。私を守る理由はない」

「理由ならあるさ。君はとっても綺麗な女の子だから、それだけで守りたい理由になる! 男なら!」

「ほう、体目当てか。それは確かに説得力があるな」

「あ、いや、そういう意味ではなくて……。綺麗とか男とかは不要だったね。ただ、こんな魔境で女の子を一人放置するのは、人間として間違ってると思うんだけど、どうでしょうか?」

「5点の口説き文句だな」

 て、手ごわい子だ……。
 見た目よりもずっとクールというか、冷めている感じがする。
 でも、なんとなく放っておけない魅力がある。
 冷たくあしらわれても『じゃあ勝手にどうぞ』とは言えない。

「俺は今一人なんだ。だから、君が俺のことを必要としてくれるなら、それだけで十分君のために動く理由になるんだ。誰かに必要とされたいというか……」

「なら、答えは一つだ。私には必要ない」

 キッパリと言い切って少女はまた歩き出した。
 そうだ、彼女は魔王なんだ。
 ハイドラの力を託されたといっても、まだそれがどんな力かもわかってない人間に頼る必要はない。
 きっと彼女は俺よりも強いし、偶然この森で迷ってしまっただけで外の世界にはたくさんの頼れる配下がいるのだろう。
 必要ないという言葉は嫌味でもなんでもなく本心か。

 しかしながら、必要ないとキッパリ言われると古傷が痛む。
 慣れないなぁ……この痛みには。
 こんなことなら、泣きついて頼ってくれた方が嬉しかったなぁ……。

「ぎゃああああああああああああ!!!」

 叫びと共に少女が来た道を引き返してきた。
 その勢いのまま俺の体に抱き着く。

「ど、どうしたの?」

「あ、あああ、ヘビが……ヘビが出た! 気持ち悪い!」

「なんだヘビか。それくらいなら俺も退治できるよ」

 やっぱり魔王様も小さな女の子だな。
 ヘビが怖いなんてかわいいところがあるじゃないか。
 よーし、彼女が仲間と再会できるまで俺もついて行こうじゃないか。
 まずはヘビ退治で良いところ見せるぞ!

 そう意気込んだ俺の前に現れたのは、人間などオヤツにもならなさそうなほど巨大なヘビだった。

「あ」

 蛇の目でにらまれて俺は固まってしまう。
 こいつは……『バジリスク』だ!
 見た相手を石化するというのは迷信で、実際はその眼力で麻痺させるというのが正しい。
 魔境の奥地に住み、人里には下りてこないモンスターだ。
 もっとも、こんなモンスターが現れては大きな街でも滅びかねない。

 それほどまでに危険な存在が目の前にいると、むしろ頭が冷えて妙に冷静に物事を考えられた。
 きっと、この魔境で一番強いハイドラが死んだことを察知して、死骸を食らいに来たんだ。
 死骸を食えば、力が手に入ると思って。
 だが残念。ハイドラの力は俺に託されたんだ!
 ……つまり、俺を食おうとしているのか!?

「あわわわ……魔王様! 俺いま口しか動かないんで頑張って魔王の魔法でなんとかしてください! 麻痺が効かないほど強い魔王様なら勇気を出せば勝てますって!」

「無理だ! 麻痺が効いていないのは目を見るのを意図的に避けたからで、私が強いからではない! それに私は……魔法が使えんのだ! 魔本には何も書かれてない!」

「えっ? つまり……白紙なんですか?」

「そうだ! 悪いか!」

「いえ、何も悪いことなんてありません。俺も一緒だったから」

 ハイドラが俺に彼女を託した理由がわかった。
 確かに彼女の気持ちを理解し、守れるのは俺しかいない。
 力を託された理由を理解した時、心の中にしまい込んである魔本から、すさまじい力が体に流れ込んでくるのを感じた。
 これが……魔力か!

毒竜牙爪ヒドラクロウ!」

 頭に浮かんだ呪文の叫ぶと、俺の右手が紫紺の鱗を持つ竜の手へと変化した。
 その鋭い爪は、俺たちを丸飲みにせんと口を開けるバジリスクをいとも簡単に切り裂いた。
 頭部を分割されたバジリスクの体はしばらくのたうち回った後、動かなくなった。
 まずは一つ、ハイドラとの約束を守ることが出来た。

「君の名前、教えてくれるかな?」

「あ……うん。パステル・ポーキュパイン。それが私の名前だ」

「パステル、君にとって俺は必要ないかもしれないけど、俺には君が必要だ。だから、これからも守らせてほしい」

「うむ……」

 小さな返事をした後、パステルはまたきつく抱きついてきた。
 彼女の震える背中にそっと手をまわして優しくさする。
 しばらく俺たちはそうして時間を過ごした。
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