10 / 31
9:運命の出会いの記憶(マクシミリアン視点 過去回想)
その場に居合わせたのは正真正銘偶然だった。
ただ、今となっては運命だ。
北区に程近い繁華街は、日が落ちると日銭雇いの肉体労働者が多く出入りし、小汚く治安が悪い事は広く知られている。
集金の手伝いを終え、ごみごみとした通りをすり抜けて歩く。目の前の道のど真ん中では、酔っぱらい共が燥ぐように喧嘩を始めた。まだ宵の口だというのにもう出来上がって馬鹿騒ぎするなど、まともな思考力のある人間がすることではないだろう。不愉快が過ぎて眉間に力が入る。
急ぐ用がある訳でもない。静かな道を行こうと、遠回りを承知で適当な路地に滑り込んだ。
薄暗がりが、更に黒くなった狭い路地だ。たった数歩進むだけで喧騒が薄くなる。このまま卸問屋通りまで抜けて、そちらから馬車道へ出よう。そう考えて更に足を進めていると、微かに言い争う声が聞こえた。
酔っぱらいは御免だが、際立って聞こえてくる声は切羽詰まっていて悲鳴に近く、とても知らぬふりが出来るものでなかった。
廃墟じみた莨屋の裏口、たった一つしかない弱々しい街灯の灯りに照らされている無骨な人影が三つ。うち二つは、裏口扉前に這いつくばるようにして、やめろ離せと拒絶の言葉を吐く切迫した声の主を地べたに押さえ込んでいる。二つの人影に隠れて姿が殆ど見えないが、その拘束された声はとても若く、声変わり前の子供のようだった。酷く胸糞が悪い。
気分の悪さを隠さずに「おい。おっさん」と声を掛けると、酒浸りらしい赤ら顔が三つ弾かれるようにこちらを見た。
「一応聞いてやるけど、合意か?」
振り向いた三つの顔にはどれも幾らか焦りが見えたが、こちらが俺一人だと判った途端、明らかに侮りを含んで醜い笑みで口元が歪んだ。人間こんなに醜くなれるものなのかと驚きすら覚える。
「なんだ。お前も混ざるか?俺らが遊び終わった後ならヤラしてやってもいいぞ」
酷く、胃の腑がムカついた。
売ってもいねえ女子供に身勝手に手を出す頭の悪い奴等の、一番気持ちの悪いところは売ってねえからタダだ、と思ってやがる所だ。タダだから壊していいとすら思っている。
「気持ちわりい屑だな」
「あ?フヌケかよ。ヤんねえならどっか行け。邪魔だ」
屑共の手が不穏に動き出すと、子供が震えた声で助けてと叫んだ。それに苛立った糞野郎が舌打ちをして子供の腹を殴りつけた瞬間、反射的に俺は拳を握り込んでいた。
こいつらは死んでもいい人間だと、腹の底からそう思った。
一番手前にいた屑の顔面に拳を振り抜いた。よろけて下がったその頭を両手で掴んで、膝で鼻と前歯をへし折って地面に叩き落とす。
二つ目。子供を押さえ込んで膝を付いている屑共の頭のうち一つを、安全靴で蹴り飛ばし踏み付ける。
三つ目。最後の塵屑は、髪を鷲掴んで扉横に据え付けられた手すり代わりの鉄管に力任せに打ち付けた。呻き蹲るその背に踵を振り下ろすと、這って逃げようとする。その地面に投げ出された手を踏み砕くと、一際聞き苦しい叫声が上がった。「黙れ」ともう一度踏み付け擦り潰すと、鼻をすすりながら呻くだけになった。
「どっちが腑抜けだ。殺すぞ」
実家の支給品である警棒をベルトから引き抜き二三度振ると、先程までの威勢などなかったかのようにクズ共は呻きながら散り散りに這々と逃げた。呆気ない。見知合でもない酔っ払いの集まりだったようだ。
俺と子供だけが残され、遠い喧騒が耳鳴りのように静かに聞こえる。
「おい」
鉄戸に背を預けるように立ち上がろうとしている子供に声を掛けると、怯えでもするかと思ったが意外にも間の抜けた軽い溜め息を吐いた後、「ありがとう。ほんと」とはっきりとした声が返ってきた。
「さすがにもうだめかと思ったあ」
ふらつきながらこちらへ踏み出した子供の小振りな顔に街灯の光が当たり、俺は無意識に息を飲んだ。そして、有象無象が何故この子供如きに群がっていたのか直ぐ様理解した。
男だとか女だとか子供だとかそういう概念を超越した、ただ純粋に綺麗な生き物がいた。淡く煌めく髪と目。薄暗い路地でもはっきりわかる程に長い睫毛。輝くような白く滑らかな肌。安っぽい綿服の袖から伸びる成長途中らしい細い腕は、健康的な筋肉が乗っていて美しい。
今にも掻き消えそうな儚さと甘やかな美貌は、こんな薄汚れた場所に余りにも不釣り合いだった。
雑に背や尻を叩いて砂埃を払う、どこか幼い仕草に妙に胸が打たれる。僅かな間だったが、ただ黙り込んでじっと見つめる俺はさぞ不審なことだろう。
俺から半歩の距離まで歩み寄ったそいつの、長い影を作る睫毛に乗った雫が光った。その露珠に無意識に手を伸ばしかけた自分自身に驚く。
「……泣くな。怖かったか」
小さな頭が横に振れて否定した。
「いろんなとこちゅーされて気持ち悪かった」
もっとボコボコにしておけばよかった。今からでも追えば一人くらい半殺しに出来るのではないだろうか。
衝動的に踵を返そうとすると、細い指が無言で俺の肘を掴んだ。涙でしこたま睫毛を濡らしながら、反対の手の甲で首や頬を何度も擦っている。そうだ、こいつを一人には出来ない。
「野良犬に舐められたみてえなもんだろ。拭いてやるから忘れろ」
咄嗟に頭を捻っても、出てきたのは面白みも説得力もない慰めだった。我ながら度し難い。いっそ、今ここでこいつの唇をえげつなく貪って、こいつの記憶から糞共の存在を消し飛ばしてやりたいとすら思ってしまった俺こそ、正真正銘野良犬以下だった。
「まあ、そっか。酔っぱらいなんて犬みたいなもんだよな。さっさと洗って忘れよ」
拍子抜けする程すんなり頬を緩めたそいつに「そうしろ」と適当な相槌を打ちつつ、俺の上衣の裾も使って念入りに滑らかな頬や細い首筋を拭う。されるがまま俺を上目遣いで見つめてくるものだからたまったものじゃない。喉から物欲しそうな唸り声が出てしまいそうだ。線引きを違えていないか思案ながら「途中まで、送ってやろうか」と提案すれば、猜疑心のない声色でこいつは「嬉しい」と笑う。生まれて初めて庇護欲とやらの意味を知る。
「名前は?」
「ん?なに?なまえ?」
俺は何故か掴まれたままの己の肘を視線をやるが、こいつはそれに関せず、楽しそうに目を細めたまま俺の目を見た。
「俺はブゼル家のマクシミリアンだ。お前の名前は?」
綻んだ形良い唇が「まくしみりあん、さま」と大仰な呼び方をした。むず痒さについ、吐く息に笑いが混じってしまい、それを責めるように肘を掴む細く長い指に力が込められた。
「オレはクリフトン。すぐそこの乾物屋がうちで、えっと、あの、また会えたら、いや……オレ、またあなたに会いたいです。マクシミリアンさまに、会いにいったらだめですか?」
それに俺はどう答えただろう。拙い言葉に乗せられた好意とその無防備さに、堪らない気持ちにさせられたことだけはよく覚えている。
あの時、俺は何があろうとこいつを守ろうと期した。
ただ、今となっては運命だ。
北区に程近い繁華街は、日が落ちると日銭雇いの肉体労働者が多く出入りし、小汚く治安が悪い事は広く知られている。
集金の手伝いを終え、ごみごみとした通りをすり抜けて歩く。目の前の道のど真ん中では、酔っぱらい共が燥ぐように喧嘩を始めた。まだ宵の口だというのにもう出来上がって馬鹿騒ぎするなど、まともな思考力のある人間がすることではないだろう。不愉快が過ぎて眉間に力が入る。
急ぐ用がある訳でもない。静かな道を行こうと、遠回りを承知で適当な路地に滑り込んだ。
薄暗がりが、更に黒くなった狭い路地だ。たった数歩進むだけで喧騒が薄くなる。このまま卸問屋通りまで抜けて、そちらから馬車道へ出よう。そう考えて更に足を進めていると、微かに言い争う声が聞こえた。
酔っぱらいは御免だが、際立って聞こえてくる声は切羽詰まっていて悲鳴に近く、とても知らぬふりが出来るものでなかった。
廃墟じみた莨屋の裏口、たった一つしかない弱々しい街灯の灯りに照らされている無骨な人影が三つ。うち二つは、裏口扉前に這いつくばるようにして、やめろ離せと拒絶の言葉を吐く切迫した声の主を地べたに押さえ込んでいる。二つの人影に隠れて姿が殆ど見えないが、その拘束された声はとても若く、声変わり前の子供のようだった。酷く胸糞が悪い。
気分の悪さを隠さずに「おい。おっさん」と声を掛けると、酒浸りらしい赤ら顔が三つ弾かれるようにこちらを見た。
「一応聞いてやるけど、合意か?」
振り向いた三つの顔にはどれも幾らか焦りが見えたが、こちらが俺一人だと判った途端、明らかに侮りを含んで醜い笑みで口元が歪んだ。人間こんなに醜くなれるものなのかと驚きすら覚える。
「なんだ。お前も混ざるか?俺らが遊び終わった後ならヤラしてやってもいいぞ」
酷く、胃の腑がムカついた。
売ってもいねえ女子供に身勝手に手を出す頭の悪い奴等の、一番気持ちの悪いところは売ってねえからタダだ、と思ってやがる所だ。タダだから壊していいとすら思っている。
「気持ちわりい屑だな」
「あ?フヌケかよ。ヤんねえならどっか行け。邪魔だ」
屑共の手が不穏に動き出すと、子供が震えた声で助けてと叫んだ。それに苛立った糞野郎が舌打ちをして子供の腹を殴りつけた瞬間、反射的に俺は拳を握り込んでいた。
こいつらは死んでもいい人間だと、腹の底からそう思った。
一番手前にいた屑の顔面に拳を振り抜いた。よろけて下がったその頭を両手で掴んで、膝で鼻と前歯をへし折って地面に叩き落とす。
二つ目。子供を押さえ込んで膝を付いている屑共の頭のうち一つを、安全靴で蹴り飛ばし踏み付ける。
三つ目。最後の塵屑は、髪を鷲掴んで扉横に据え付けられた手すり代わりの鉄管に力任せに打ち付けた。呻き蹲るその背に踵を振り下ろすと、這って逃げようとする。その地面に投げ出された手を踏み砕くと、一際聞き苦しい叫声が上がった。「黙れ」ともう一度踏み付け擦り潰すと、鼻をすすりながら呻くだけになった。
「どっちが腑抜けだ。殺すぞ」
実家の支給品である警棒をベルトから引き抜き二三度振ると、先程までの威勢などなかったかのようにクズ共は呻きながら散り散りに這々と逃げた。呆気ない。見知合でもない酔っ払いの集まりだったようだ。
俺と子供だけが残され、遠い喧騒が耳鳴りのように静かに聞こえる。
「おい」
鉄戸に背を預けるように立ち上がろうとしている子供に声を掛けると、怯えでもするかと思ったが意外にも間の抜けた軽い溜め息を吐いた後、「ありがとう。ほんと」とはっきりとした声が返ってきた。
「さすがにもうだめかと思ったあ」
ふらつきながらこちらへ踏み出した子供の小振りな顔に街灯の光が当たり、俺は無意識に息を飲んだ。そして、有象無象が何故この子供如きに群がっていたのか直ぐ様理解した。
男だとか女だとか子供だとかそういう概念を超越した、ただ純粋に綺麗な生き物がいた。淡く煌めく髪と目。薄暗い路地でもはっきりわかる程に長い睫毛。輝くような白く滑らかな肌。安っぽい綿服の袖から伸びる成長途中らしい細い腕は、健康的な筋肉が乗っていて美しい。
今にも掻き消えそうな儚さと甘やかな美貌は、こんな薄汚れた場所に余りにも不釣り合いだった。
雑に背や尻を叩いて砂埃を払う、どこか幼い仕草に妙に胸が打たれる。僅かな間だったが、ただ黙り込んでじっと見つめる俺はさぞ不審なことだろう。
俺から半歩の距離まで歩み寄ったそいつの、長い影を作る睫毛に乗った雫が光った。その露珠に無意識に手を伸ばしかけた自分自身に驚く。
「……泣くな。怖かったか」
小さな頭が横に振れて否定した。
「いろんなとこちゅーされて気持ち悪かった」
もっとボコボコにしておけばよかった。今からでも追えば一人くらい半殺しに出来るのではないだろうか。
衝動的に踵を返そうとすると、細い指が無言で俺の肘を掴んだ。涙でしこたま睫毛を濡らしながら、反対の手の甲で首や頬を何度も擦っている。そうだ、こいつを一人には出来ない。
「野良犬に舐められたみてえなもんだろ。拭いてやるから忘れろ」
咄嗟に頭を捻っても、出てきたのは面白みも説得力もない慰めだった。我ながら度し難い。いっそ、今ここでこいつの唇をえげつなく貪って、こいつの記憶から糞共の存在を消し飛ばしてやりたいとすら思ってしまった俺こそ、正真正銘野良犬以下だった。
「まあ、そっか。酔っぱらいなんて犬みたいなもんだよな。さっさと洗って忘れよ」
拍子抜けする程すんなり頬を緩めたそいつに「そうしろ」と適当な相槌を打ちつつ、俺の上衣の裾も使って念入りに滑らかな頬や細い首筋を拭う。されるがまま俺を上目遣いで見つめてくるものだからたまったものじゃない。喉から物欲しそうな唸り声が出てしまいそうだ。線引きを違えていないか思案ながら「途中まで、送ってやろうか」と提案すれば、猜疑心のない声色でこいつは「嬉しい」と笑う。生まれて初めて庇護欲とやらの意味を知る。
「名前は?」
「ん?なに?なまえ?」
俺は何故か掴まれたままの己の肘を視線をやるが、こいつはそれに関せず、楽しそうに目を細めたまま俺の目を見た。
「俺はブゼル家のマクシミリアンだ。お前の名前は?」
綻んだ形良い唇が「まくしみりあん、さま」と大仰な呼び方をした。むず痒さについ、吐く息に笑いが混じってしまい、それを責めるように肘を掴む細く長い指に力が込められた。
「オレはクリフトン。すぐそこの乾物屋がうちで、えっと、あの、また会えたら、いや……オレ、またあなたに会いたいです。マクシミリアンさまに、会いにいったらだめですか?」
それに俺はどう答えただろう。拙い言葉に乗せられた好意とその無防備さに、堪らない気持ちにさせられたことだけはよく覚えている。
あの時、俺は何があろうとこいつを守ろうと期した。
あなたにおすすめの小説
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。
俺は夜、社長の猫になる
衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。
ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。
言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。
タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。
けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。
一度も話したことないイケメンのクラスメイトと二人組になったらめちゃくちゃ執着されてた
時
BL
「はい、じゃあ二人組作って」──あまり人付き合いが得意ではない夏稀(なつき)にとってそれは地獄の言葉。
けれど高校ではちがう。なぜなら新しくできた友達と『二人組』協定を結んだから。
もう二人組なんて怖くないと思っていた矢先、その友達が風邪で欠席。
ほかに組む相手が見つからず、先生と組むことも覚悟する夏稀だったが、そこで声をかけてきたのは美形の転校生──緒川聖夜(おがわ・きよや)だった。
「俺と二人組にならない?」
その一言をきっかけに聖夜は夏稀との距離を急速に縮めてきて──。
執着美形攻め×平凡受けのちょっと不穏な学園BL。
約九万字、全三十話+αの物語です。
脱落モブ男が人気アイドルに愛されるわけがない
綿毛ぽぽ
BL
アイドルを夢見るも、デビューできずオーディション番組に出演しても脱落ばかりの地味男、亀谷日翔はついに夢を諦めた。そしてひょんなことから事務所にあるカフェで働き始めると、かつて出演していた番組のデビューメンバーと再会する。テレビでも引っ張りだこで相変わらずビジュアルが強い二人は何故か俺に対して距離が近い。
━━━━━━━━━━━
現役人気アイドル×脱落モブ男
表紙はくま様からお借りしました
https://www.pixiv.net/artworks/84182395
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872