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初等部
9.国立学園へ
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「ヴォルコ家から持ってくる父親の形見は一つだけにするのがいいと思う」
離れでの勉強会が一区切りついて休憩していたとき、イヴァン様がそうおっしゃいました。
「父親がよく使っていて、シエノークもいつでも身につけたり持ち運べたりするようなものを一つ。指輪とか、ハンカチとか、ペンとか」
「……たくさん持ってきちゃ、だめなのですか?」
イヴァン様は「うん。どうしても持ってきたいなら止めないけど」と言って、理由は教えてくれませんでした。
僕は、少し考えてから、頷きました。
イヴァン様の言葉は、いつも的確に僕を助けてくれます。きっと、この助言にも、助言した理由を言わないことにも、きっとなにか、僕のための理由があるのでしょう。そう確信するくらいには、僕はもうイヴァン様のことを信頼していました。
お父様のものが一つあれば、僕はきっとそれだけで生きていけます。イヴァン様の助言に背いてでも、どうしても二つ以上のものがほしいとも思いません。
「あ、自分で取りに行かずに、使用人とか別の人に取って来させろよ。出られなくなるだろ、多分」
「……そう、ですね。そうします」
本当は僕自身で取りに行きたかったけど、イヴァン様が言う通り、ヴォルコ家から出られなくなって迷惑をかけそうです。
勉強会の後、イヴァン様が本邸に着いてきて、イサク様とアリサ様に事情を説明してくださいました。
イサク様とアリサ様は心配そうにしながらも、使用人に取って来させるよ、と言ってくださいました。
ヴォルコ家から持ってきてもらうお父様の形見は、お父様がよく使っていた上等なペンにしました。
数日経って、お父様のペンが綺麗な箱に包まれて届きました。
僕は蓋を開けて中身を見て、
気づいたら、泣き喚いていました。
「なんでいないのですか、なんでかえってこないのですか、なんで、なんで、おとうさま、おとうさま、おとうさま、やだ、おとうさまいないのやだぁ……!!」
「……うん」
「おとうさましんじゃやだぁ……おとうさますてないで……おとうさま、おとうさまどこにいるの……」
「…………」
見た瞬間、お父様との記憶が、感情が溢れ出して、止まらなくなってしまったのです。
実際に目にするまで、こうなるなんて思っていませんでした。
イヴァン様が抱きしめて背中をなでてくださって、ヴェルナ様もイヴァン様の反対側から黙って抱きしめてくださって、僕は二人に包まれながら、涙が枯れそうなくらい泣きました。
二人は僕が落ち着くまでそうしていてくれました。
僕がうるさく喚いて、涙で服を汚しても、二人は怒ることも嫌な顔をすることもなく、そばにいてくれました。
僕が落ち着きを取り戻したあとも、しばらくは、静かに僕を撫でたり、心地よいリズムで背中を叩いたりしてくださって、……僕は、この人たちの前では自分の感情を我慢して耐えなくても許されるのだと思いました。
その日はそのまま泣き疲れて眠ってしまって、翌日目を覚ましたときには、誰かが運んでくださったのか、自室のベッドの上にいました。
サイドテーブルに、箱に入ったままのお父様のペンが置かれていました。
そのときにはもう、落ち着いてお父様のペンを見れるようになっていました。
お父様の物をもっとたくさん持ってきてもらっていたら、落ち着くのにもっともっと時間がかかっていたと思います。
イヴァン様の助言の通りにして正解でした。
僕は、ペンをポケットに入れました。
******
イヴァン様やヴェルナ様と楽しく過ごしていると、あっという間に日々が過ぎ去っていきました。
もうすぐ、国立学園入学です。
離れでイヴァン様とヴェルナ様とお茶をしているとき、イヴァン様が声をかけてくださいました。
「寮に持って行くもんはまとまったか?」
「あぁ、はい。ある程度は。イヴァン様は?」
「俺はもう終わったよ。ほとんど向こうに物置いて来たからな。そもそもまとめるもんが少ない」
国立学園は貴族のための学園で、全員一律寮制です。ツェントル王国各地からやって来た侯爵家、伯爵家、子爵家の子と、王家と公爵家の子が通います。
ちなみに、ツェントル王国の爵位は、基本的に以下の基準で分けられています。
現王と現王の親、子、祖父母、孫、兄弟までの人間達が王家、それ以外の王の血縁者が公爵家、一定以上大きな領地や隣国と隣接する領地を統治しているのが侯爵家、侯爵領以外の領地を統治しているのが伯爵家、領は統治していないが貴族の分家として爵位を認められたのが子爵家です。偉い方から順に、王家、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家です。
寮は三つあり、それぞれアツェ寮、スィン寮、ドゥフ寮と呼ばれています。
アツェ寮には爵位が高い王家、公爵家、侯爵家の子が入り、スィン領には爵位が低い伯爵家、子爵家の子が入り、ドゥフ寮には、特殊な侯爵家の子が入ります。
しかし、
「あ?もしかしてシエノークってアツェ寮?」
「そうですね。現伯爵の扱いになるので、アツェ寮です」
僕に関しては、『伯爵の子』ではなく、『現伯爵』という扱いで、公爵家の子より偉くて、王家の子ほどは偉くない、くらいの立ち位置になります。そのため、僕が入るのはアツェ寮です。
「おー、一緒じゃん。よろしくなァ」
「ふふ、心強いです」
同じくらいの爵位で年齢が違う子と交流しやすいようにと、初等部、中等部、高等部がごちゃ混ぜになって同じ寮に入りますから、王家の子でアツェ寮に入っているイヴァン様とは、同じ建物で寝泊まりすることになります。
……確か、『前』の僕は、手当たり次第にご主人様を要求していたために、寮でも孤立していたはずです。イヴァン様が卒業するまで、イヴァン様と関わることもほとんどありませんでした。
けれども、今回は違います。
……僕が『前』の記憶を取り戻してすぐは、嫌われないよう振る舞える自信がなくて、また孤立するのではないかと不安に思っていましたが……、イヴァン様がいるなら、少なくとも初等部にいる間に寮で一人ぼっちになる心配はなさそうです。
……このまま、誰かに酷く怯えられることも嫌われることもなく、上手く過ごしていくことができれば、
ルスラン様を止められるくらい、立派な犬になれるでしょうか?
「ヴェルナも来年はシエノークにいさまと一緒の寮ですか?」
ここで、ヴェルナ様にそう尋ねられて、二人で固まってしまいました。
ヴェルナ様は……伯爵家の子のため、スィン寮です。
「ヴェルナ嬢は……、……違う寮、だな……」
「え!?!?!?」
ヴェルナ様はショックを受け、「そんな……ヴェルナ……シエノークにいさまと……はなればなれ……?」と呟いて呆然としてしまいました。
「い、いや、寝るとこがちょっと遠くなるだけだし……、門限より前なら一緒にいれるから……今とそんな変わんねーって……」
「でもシエノークにいさまが夜に襲われたら駆けつけられないです!!」
「襲われる前提……?寮の護衛を信じてやれよ……」
ヤダーッ!ヴェルナシエノークにいさまといっしょがいいです!と駄々を捏ねてしまうヴェルナ様。途方に暮れた顔になってしまうイヴァン様に、少し笑ってしまいました。
「……ヴェルナ様。僕たちはいずれ、ヴォルコ領とソバキン領を統治することになります。そうしたら、離れたところで寝なくてはいけません。そのときのための練習だと思いましょう。一緒にいたいからとわがままを言って迷惑をかけてしまうのは、よくないでしょう?」
「……う、う゛~…………」
ヴェルナ様は唸りながら悩んでいる様子でしたが、やがて「……お部屋に怖い人入って来たら、大きな声でたすけてーって言うですよ……」と言って、諦めてくださいました。
******
初めて寮に入る年は、準備や説明の都合もあり、入学式の五日前には本人が寮に到着している状態が推奨されています。
ソバキン家から王都までにかかる時間は半日程度ですが、予想外のトラブルなどの可能性も考えて、入学式の一週間前の今日が出発の日となりました。
「三ヶ月、お世話になりました。夏季休暇に入るまで、この家とお別れなのが寂しいです。とても楽しい日々を過ごさせていただきました」
「楽しく過ごせたならよかった。優秀な君なら国立学園でも上手くやれることだろう。応援しているよ」
「僕の方も、突然の訪問にも関わらず対応してくださってありがとうございました。非常に充実した休暇となりました」
「こちらこそ、我が家に来てくださってありがとうございます、イヴァン様。イヴァン様のおかげでヴェルナもシエノーク君も楽しそうにしていました。次の夏季休暇も来てほしいくらいです」
僕はソバキン家の前で、イヴァン様と一緒に、ソバキン家の皆様にお別れの挨拶をしました。
既に寮に入っているイヴァン様は前日の到着でも問題ないのですが、「せっかくだし一緒に行こうぜ」と言ってくださり、イヴァン様と同じ馬車で王都に向かうことになったのです。
「ヴェルナ様、少しの間、さようなら」
僕がそう言ってヴェルナ様を抱きしめると、ヴェルナ様が「ふぇ……」と悲しげな声を漏らして、それから、泣き出してしまいました。
「うわああああん!シエノークにいさま行っちゃうのやです!」
「あぁ、ヴェルナ……、寂しいのはわかるけれど、シエノーク君を困らせてはいけないわ……」
つられて、僕の目からも涙がこぼれました。僕も、ソバキン家やヴェルナ様から離れたくありませんでした。……一度泣いてしまってから、随分涙腺が弱くなっているようです。
涙を拭って、ヴェルナ様に声をかけます。
「……僕、いっぱい、お手紙書きます」
「……おて、がみ……」
「はい。お返事、ください」
「おへんじ……、絶対、絶対かくです!!」
……お手紙の約束をしてもなお、名残惜しくてなかなか離れられない僕たち。
すると、イヴァン様が僕たちに近づいてきて、護衛に聞こえないくらいの小さな小さな声で囁きました。
「次の夏季休暇のとき、悪いコト教えてやるよ」
悪いこと?と、二人でポカンとしていると、イヴァン様に手を引かれ、ヴェルナ様から離されます。
「では、いってきます」
穏やかに微笑んで、会釈するイヴァン様。僕も慌てて「いってきます!」と言って、ようやく馬車に乗ることができました。
姿が見えなくなるまで、ヴェルナ様に手を振り続けました。
それにしても、悪いこととはなんでしょう?
ヴェルナ様と僕を話すための嘘でしょうか?
……いえ、それでは今頃楽しみにしているであろうヴェルナ様がすごく悲しんでしまいます。イヴァン様がヴェルナ様を悲しませるようなことはしないでしょうから、
……楽しみが一つ増えました。
******
「はァ……休暇終わっちまったァ……」
「えっ」
ソバキン家が全く見えなくなってから少しして、ため息をついて平然と平民口調を使うイヴァン様。
馬車の中には当然護衛がいるのに……、と思って慌てて護衛の方を見ると、イヴァン様が「あぁ」と思い出したように声を上げました。
「レイラしかいねーから大丈夫。……ほら、お前が俺の平民口調のこと口止めしたやつだよ」
……本当です。
ヴェルナ様ばかり見ていて今の今まで気づきませんでしたが、よく見ると馬車に同乗している護衛は、こけた僕に手を差し伸べて失言したあの騎士の女性でした。
「……あの時は、申し訳ございませんでした」
「……いえ……」
謝罪を受けてもなお体を強張らせる僕に、レイラと呼ばれた騎士が眉を下げました。
「……私の父は、すごく厳しくて、私が失敗すると、叩いてくる人でした」
その言葉に、目を見開きます。
それはまるで、僕のお父様のような人。
「私は、それを愛とは感じられなくて、自分のことを可哀想な人間だと思っていました。酷い父親だって思っていました。……私が、誰かに、酷い父親のせいで辛かったねって、言って欲しかったんです。貴方じゃなくて、私が……。……それで、貴方もそうだって勝手に思って、あんなことを言ってしまいました。私と貴方は違うのに」
申し訳ありませんでしたと言って、俯くレイラ様。
……レイラ様は、考えなしに発言して僕を傷つけたのではなくて、……本当に僕のことを真剣に考えて、言葉を選んで、声をかけてくださっていたのです。
……レイラ様の気持ちも知らないで、癇癪を起こして喚いてしまったことが、急に恥ずかしくなってきました。
「……いいんです。むしろ、ありがとうございます。…………僕のこと考えて言葉をかけてくださっていたのに、……あんなに喚いて、ごめんなさい」
「いえ……、怒るのは当然のことですから。私のことは気にしないでください」
謝罪する僕と、そんな僕に困ったような顔をするレイラ様。気まずい沈黙が訪れて、……沈黙を破ったのは、イヴァン様でした。
「レイラ、いいやつだろ?」
口の片端を上げながら軽く尋ねるイヴァン様に、「……はい。とっても、いい人です」と答えます。
「あの後レイラと話したらさ、これからもずっと俺の言葉遣いのこと黙ってるって約束してくれたんだ。だから、護衛がレイラしかいないときはこうやって話せる!」
「わ……、それはよかったです。嬉しいです。僕、自然に話してるイヴァン様が好きです」
「奇遇だな、俺も自然に話してる俺が好き」
ありがとなぁ、レイラ。甘い声でそう言って、その声色とは裏腹に無邪気な少年のように笑うイヴァン様。
……を見て、頬を赤く染めて「い、いえ……っ」ともじもじするレイラ様。
……?
何か引っかかりましたが、考えても仕方ないことのような気がしたので、深く考えないようにしました。
「俺もやっぱ気ィ張り続けてると疲れちまうからさ?なるべくレイラだけ護衛してる時間が長くなるように、上にお願いしたんだ。そしたら、最近いい子ちゃんしてたのがよかったのかなぁ……、すぐ許可が降りて!レイラだけ護衛してるときの寮の部屋の中とか、こういう密室でなら自然に話せるようになったんだ。最高だろ」
「失言をきっかけに見習い騎士から第三王子専属護衛になってしまいました……不本意な大出世です……」
「運も実力のうちじゃねぇ?」
けらけら笑うイヴァン様。
……レイラ様にとっては不本意だったかもしれませんが、イヴァン様が楽しそうなのはいいことです。
「……ずっと俺を護っててくれよ?」
「っっっ!?!?お、仰せのままに……っ!?」
緑の目を妖しく細めて微笑むイヴァン様を見て、真っ赤になって視線を泳がせるレイラ様。
イヴァン様はレイラ様の様子を観察するように見て、更に笑みを深めました。
……おかしい……
……鋭い目を持つイヴァン様が、レイラ様の妙な挙動に気づいていないわけが……
……なんだかレイラ様が可哀想な気がして来ましたが、まぁ、多分、いいことです。
離れでの勉強会が一区切りついて休憩していたとき、イヴァン様がそうおっしゃいました。
「父親がよく使っていて、シエノークもいつでも身につけたり持ち運べたりするようなものを一つ。指輪とか、ハンカチとか、ペンとか」
「……たくさん持ってきちゃ、だめなのですか?」
イヴァン様は「うん。どうしても持ってきたいなら止めないけど」と言って、理由は教えてくれませんでした。
僕は、少し考えてから、頷きました。
イヴァン様の言葉は、いつも的確に僕を助けてくれます。きっと、この助言にも、助言した理由を言わないことにも、きっとなにか、僕のための理由があるのでしょう。そう確信するくらいには、僕はもうイヴァン様のことを信頼していました。
お父様のものが一つあれば、僕はきっとそれだけで生きていけます。イヴァン様の助言に背いてでも、どうしても二つ以上のものがほしいとも思いません。
「あ、自分で取りに行かずに、使用人とか別の人に取って来させろよ。出られなくなるだろ、多分」
「……そう、ですね。そうします」
本当は僕自身で取りに行きたかったけど、イヴァン様が言う通り、ヴォルコ家から出られなくなって迷惑をかけそうです。
勉強会の後、イヴァン様が本邸に着いてきて、イサク様とアリサ様に事情を説明してくださいました。
イサク様とアリサ様は心配そうにしながらも、使用人に取って来させるよ、と言ってくださいました。
ヴォルコ家から持ってきてもらうお父様の形見は、お父様がよく使っていた上等なペンにしました。
数日経って、お父様のペンが綺麗な箱に包まれて届きました。
僕は蓋を開けて中身を見て、
気づいたら、泣き喚いていました。
「なんでいないのですか、なんでかえってこないのですか、なんで、なんで、おとうさま、おとうさま、おとうさま、やだ、おとうさまいないのやだぁ……!!」
「……うん」
「おとうさましんじゃやだぁ……おとうさますてないで……おとうさま、おとうさまどこにいるの……」
「…………」
見た瞬間、お父様との記憶が、感情が溢れ出して、止まらなくなってしまったのです。
実際に目にするまで、こうなるなんて思っていませんでした。
イヴァン様が抱きしめて背中をなでてくださって、ヴェルナ様もイヴァン様の反対側から黙って抱きしめてくださって、僕は二人に包まれながら、涙が枯れそうなくらい泣きました。
二人は僕が落ち着くまでそうしていてくれました。
僕がうるさく喚いて、涙で服を汚しても、二人は怒ることも嫌な顔をすることもなく、そばにいてくれました。
僕が落ち着きを取り戻したあとも、しばらくは、静かに僕を撫でたり、心地よいリズムで背中を叩いたりしてくださって、……僕は、この人たちの前では自分の感情を我慢して耐えなくても許されるのだと思いました。
その日はそのまま泣き疲れて眠ってしまって、翌日目を覚ましたときには、誰かが運んでくださったのか、自室のベッドの上にいました。
サイドテーブルに、箱に入ったままのお父様のペンが置かれていました。
そのときにはもう、落ち着いてお父様のペンを見れるようになっていました。
お父様の物をもっとたくさん持ってきてもらっていたら、落ち着くのにもっともっと時間がかかっていたと思います。
イヴァン様の助言の通りにして正解でした。
僕は、ペンをポケットに入れました。
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イヴァン様やヴェルナ様と楽しく過ごしていると、あっという間に日々が過ぎ去っていきました。
もうすぐ、国立学園入学です。
離れでイヴァン様とヴェルナ様とお茶をしているとき、イヴァン様が声をかけてくださいました。
「寮に持って行くもんはまとまったか?」
「あぁ、はい。ある程度は。イヴァン様は?」
「俺はもう終わったよ。ほとんど向こうに物置いて来たからな。そもそもまとめるもんが少ない」
国立学園は貴族のための学園で、全員一律寮制です。ツェントル王国各地からやって来た侯爵家、伯爵家、子爵家の子と、王家と公爵家の子が通います。
ちなみに、ツェントル王国の爵位は、基本的に以下の基準で分けられています。
現王と現王の親、子、祖父母、孫、兄弟までの人間達が王家、それ以外の王の血縁者が公爵家、一定以上大きな領地や隣国と隣接する領地を統治しているのが侯爵家、侯爵領以外の領地を統治しているのが伯爵家、領は統治していないが貴族の分家として爵位を認められたのが子爵家です。偉い方から順に、王家、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家です。
寮は三つあり、それぞれアツェ寮、スィン寮、ドゥフ寮と呼ばれています。
アツェ寮には爵位が高い王家、公爵家、侯爵家の子が入り、スィン領には爵位が低い伯爵家、子爵家の子が入り、ドゥフ寮には、特殊な侯爵家の子が入ります。
しかし、
「あ?もしかしてシエノークってアツェ寮?」
「そうですね。現伯爵の扱いになるので、アツェ寮です」
僕に関しては、『伯爵の子』ではなく、『現伯爵』という扱いで、公爵家の子より偉くて、王家の子ほどは偉くない、くらいの立ち位置になります。そのため、僕が入るのはアツェ寮です。
「おー、一緒じゃん。よろしくなァ」
「ふふ、心強いです」
同じくらいの爵位で年齢が違う子と交流しやすいようにと、初等部、中等部、高等部がごちゃ混ぜになって同じ寮に入りますから、王家の子でアツェ寮に入っているイヴァン様とは、同じ建物で寝泊まりすることになります。
……確か、『前』の僕は、手当たり次第にご主人様を要求していたために、寮でも孤立していたはずです。イヴァン様が卒業するまで、イヴァン様と関わることもほとんどありませんでした。
けれども、今回は違います。
……僕が『前』の記憶を取り戻してすぐは、嫌われないよう振る舞える自信がなくて、また孤立するのではないかと不安に思っていましたが……、イヴァン様がいるなら、少なくとも初等部にいる間に寮で一人ぼっちになる心配はなさそうです。
……このまま、誰かに酷く怯えられることも嫌われることもなく、上手く過ごしていくことができれば、
ルスラン様を止められるくらい、立派な犬になれるでしょうか?
「ヴェルナも来年はシエノークにいさまと一緒の寮ですか?」
ここで、ヴェルナ様にそう尋ねられて、二人で固まってしまいました。
ヴェルナ様は……伯爵家の子のため、スィン寮です。
「ヴェルナ嬢は……、……違う寮、だな……」
「え!?!?!?」
ヴェルナ様はショックを受け、「そんな……ヴェルナ……シエノークにいさまと……はなればなれ……?」と呟いて呆然としてしまいました。
「い、いや、寝るとこがちょっと遠くなるだけだし……、門限より前なら一緒にいれるから……今とそんな変わんねーって……」
「でもシエノークにいさまが夜に襲われたら駆けつけられないです!!」
「襲われる前提……?寮の護衛を信じてやれよ……」
ヤダーッ!ヴェルナシエノークにいさまといっしょがいいです!と駄々を捏ねてしまうヴェルナ様。途方に暮れた顔になってしまうイヴァン様に、少し笑ってしまいました。
「……ヴェルナ様。僕たちはいずれ、ヴォルコ領とソバキン領を統治することになります。そうしたら、離れたところで寝なくてはいけません。そのときのための練習だと思いましょう。一緒にいたいからとわがままを言って迷惑をかけてしまうのは、よくないでしょう?」
「……う、う゛~…………」
ヴェルナ様は唸りながら悩んでいる様子でしたが、やがて「……お部屋に怖い人入って来たら、大きな声でたすけてーって言うですよ……」と言って、諦めてくださいました。
******
初めて寮に入る年は、準備や説明の都合もあり、入学式の五日前には本人が寮に到着している状態が推奨されています。
ソバキン家から王都までにかかる時間は半日程度ですが、予想外のトラブルなどの可能性も考えて、入学式の一週間前の今日が出発の日となりました。
「三ヶ月、お世話になりました。夏季休暇に入るまで、この家とお別れなのが寂しいです。とても楽しい日々を過ごさせていただきました」
「楽しく過ごせたならよかった。優秀な君なら国立学園でも上手くやれることだろう。応援しているよ」
「僕の方も、突然の訪問にも関わらず対応してくださってありがとうございました。非常に充実した休暇となりました」
「こちらこそ、我が家に来てくださってありがとうございます、イヴァン様。イヴァン様のおかげでヴェルナもシエノーク君も楽しそうにしていました。次の夏季休暇も来てほしいくらいです」
僕はソバキン家の前で、イヴァン様と一緒に、ソバキン家の皆様にお別れの挨拶をしました。
既に寮に入っているイヴァン様は前日の到着でも問題ないのですが、「せっかくだし一緒に行こうぜ」と言ってくださり、イヴァン様と同じ馬車で王都に向かうことになったのです。
「ヴェルナ様、少しの間、さようなら」
僕がそう言ってヴェルナ様を抱きしめると、ヴェルナ様が「ふぇ……」と悲しげな声を漏らして、それから、泣き出してしまいました。
「うわああああん!シエノークにいさま行っちゃうのやです!」
「あぁ、ヴェルナ……、寂しいのはわかるけれど、シエノーク君を困らせてはいけないわ……」
つられて、僕の目からも涙がこぼれました。僕も、ソバキン家やヴェルナ様から離れたくありませんでした。……一度泣いてしまってから、随分涙腺が弱くなっているようです。
涙を拭って、ヴェルナ様に声をかけます。
「……僕、いっぱい、お手紙書きます」
「……おて、がみ……」
「はい。お返事、ください」
「おへんじ……、絶対、絶対かくです!!」
……お手紙の約束をしてもなお、名残惜しくてなかなか離れられない僕たち。
すると、イヴァン様が僕たちに近づいてきて、護衛に聞こえないくらいの小さな小さな声で囁きました。
「次の夏季休暇のとき、悪いコト教えてやるよ」
悪いこと?と、二人でポカンとしていると、イヴァン様に手を引かれ、ヴェルナ様から離されます。
「では、いってきます」
穏やかに微笑んで、会釈するイヴァン様。僕も慌てて「いってきます!」と言って、ようやく馬車に乗ることができました。
姿が見えなくなるまで、ヴェルナ様に手を振り続けました。
それにしても、悪いこととはなんでしょう?
ヴェルナ様と僕を話すための嘘でしょうか?
……いえ、それでは今頃楽しみにしているであろうヴェルナ様がすごく悲しんでしまいます。イヴァン様がヴェルナ様を悲しませるようなことはしないでしょうから、
……楽しみが一つ増えました。
******
「はァ……休暇終わっちまったァ……」
「えっ」
ソバキン家が全く見えなくなってから少しして、ため息をついて平然と平民口調を使うイヴァン様。
馬車の中には当然護衛がいるのに……、と思って慌てて護衛の方を見ると、イヴァン様が「あぁ」と思い出したように声を上げました。
「レイラしかいねーから大丈夫。……ほら、お前が俺の平民口調のこと口止めしたやつだよ」
……本当です。
ヴェルナ様ばかり見ていて今の今まで気づきませんでしたが、よく見ると馬車に同乗している護衛は、こけた僕に手を差し伸べて失言したあの騎士の女性でした。
「……あの時は、申し訳ございませんでした」
「……いえ……」
謝罪を受けてもなお体を強張らせる僕に、レイラと呼ばれた騎士が眉を下げました。
「……私の父は、すごく厳しくて、私が失敗すると、叩いてくる人でした」
その言葉に、目を見開きます。
それはまるで、僕のお父様のような人。
「私は、それを愛とは感じられなくて、自分のことを可哀想な人間だと思っていました。酷い父親だって思っていました。……私が、誰かに、酷い父親のせいで辛かったねって、言って欲しかったんです。貴方じゃなくて、私が……。……それで、貴方もそうだって勝手に思って、あんなことを言ってしまいました。私と貴方は違うのに」
申し訳ありませんでしたと言って、俯くレイラ様。
……レイラ様は、考えなしに発言して僕を傷つけたのではなくて、……本当に僕のことを真剣に考えて、言葉を選んで、声をかけてくださっていたのです。
……レイラ様の気持ちも知らないで、癇癪を起こして喚いてしまったことが、急に恥ずかしくなってきました。
「……いいんです。むしろ、ありがとうございます。…………僕のこと考えて言葉をかけてくださっていたのに、……あんなに喚いて、ごめんなさい」
「いえ……、怒るのは当然のことですから。私のことは気にしないでください」
謝罪する僕と、そんな僕に困ったような顔をするレイラ様。気まずい沈黙が訪れて、……沈黙を破ったのは、イヴァン様でした。
「レイラ、いいやつだろ?」
口の片端を上げながら軽く尋ねるイヴァン様に、「……はい。とっても、いい人です」と答えます。
「あの後レイラと話したらさ、これからもずっと俺の言葉遣いのこと黙ってるって約束してくれたんだ。だから、護衛がレイラしかいないときはこうやって話せる!」
「わ……、それはよかったです。嬉しいです。僕、自然に話してるイヴァン様が好きです」
「奇遇だな、俺も自然に話してる俺が好き」
ありがとなぁ、レイラ。甘い声でそう言って、その声色とは裏腹に無邪気な少年のように笑うイヴァン様。
……を見て、頬を赤く染めて「い、いえ……っ」ともじもじするレイラ様。
……?
何か引っかかりましたが、考えても仕方ないことのような気がしたので、深く考えないようにしました。
「俺もやっぱ気ィ張り続けてると疲れちまうからさ?なるべくレイラだけ護衛してる時間が長くなるように、上にお願いしたんだ。そしたら、最近いい子ちゃんしてたのがよかったのかなぁ……、すぐ許可が降りて!レイラだけ護衛してるときの寮の部屋の中とか、こういう密室でなら自然に話せるようになったんだ。最高だろ」
「失言をきっかけに見習い騎士から第三王子専属護衛になってしまいました……不本意な大出世です……」
「運も実力のうちじゃねぇ?」
けらけら笑うイヴァン様。
……レイラ様にとっては不本意だったかもしれませんが、イヴァン様が楽しそうなのはいいことです。
「……ずっと俺を護っててくれよ?」
「っっっ!?!?お、仰せのままに……っ!?」
緑の目を妖しく細めて微笑むイヴァン様を見て、真っ赤になって視線を泳がせるレイラ様。
イヴァン様はレイラ様の様子を観察するように見て、更に笑みを深めました。
……おかしい……
……鋭い目を持つイヴァン様が、レイラ様の妙な挙動に気づいていないわけが……
……なんだかレイラ様が可哀想な気がして来ましたが、まぁ、多分、いいことです。
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CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。
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