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第06話 ~これからのこと~

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 雨は夜のうちに通り過ぎて。

 側を流れる川も落ち着きを取り戻して。

 木々や野草から垂れる水滴がキラキラと太陽の光に反射する清々しい朝。

 そんな気分がいい朝なのに。

 イグニス改めお父さんと家族になったわたしは気分も爽快! という訳にはいかなくて。

 周囲には誰もいない森の中なのに。

 大きな卵を抱えてわたしは一人正座して落ち込んでいました。

 頭の中には厳しい声がたくさん響いてきてて。

『分かっているな? 我の娘となったからには今まで以上に厳しく接するつもりだ』

「はい。お父さんイグニスの言う通りです……」

『我の忠告はよく聞くこと。何をするにしてもまずは相談すること。クー。君は今まで独りで考えて行動してきた。だから他人に相談するということがすっぽりと抜け落ちている。正直それは仕方のないことだと思う。だがな。これからは我がいる。だから思ったことはなんでも我に相談するのだぞ』

「えへへ。うん。分かったよお父さんイグニス

 長々とお父さんイグニスのお説教が続くけれど。

 そんな中にも少し変化はあって。

 クー。

 わたしのあだ名。

 お父さんイグニスだけが呼んでくれる特別な名前。

 えへへ。嬉しいなぁ。

『全く何を笑っているんだ。そんなに嬉しいなら勉強ももっと頑張ってくれるのだよな』

「わわっ。ちょっと待って。それはないってばー」

 わたしが望んだ世界がここにはあって。

 それはとても小さな願いだったけれど。

 今のわたしはとっても幸せな気分なんだ。


 どれくらい経ったのかな。

 お父さんイグニスのお説教もようやく終わって。

 いざ朝ご飯を食べようと思ったわたしだったのだけど。

 ここで問題が発生です。

 う、動けません。

 ぐぬぬぬぬ……。あ、あああああぁぁぁ。足がしびしびするよぉ。

 長時間正座していたせいで足がものすごく痺れちゃって。

 ずるずると。

 芋虫が這ってるみたいな動きでどうにかこうにか冷たいお水で冷やしていた果物を手に取ることが出来ました。

 そしてそのまま寝そべった体勢でぱくりと果物に噛り付きます。

 うん。ひんやりしてとても美味しいんだけど。それよりも足が痺れて座ることすらできないよ。

『ううむ。ここはやっぱり行儀が悪いと怒ったほうがいいものか……』

 うぅ。これ以上は止めて欲しいです。

 わたしのライフポイントはもうゼロなんだよぉ。

『まぁ、大目に見るとするさ。それで、だ。話は変わるのだが。クーはこれからどうしたいのだ?』

「むぐっ? えっと。どうしたいって今日のこと?」

『いや、それもあるが。大枠としてだな』

 んー? どういうことだろ。

 足の痺れも収まってきたから改めてぺたんと座り直してイグニスの言葉の耳を傾けます。

『まさかとは思うが。君はこのまま森の中で世捨て人の様な生活をするつもりはあるまいよな?』

「え、あ、えーっと。何も考えていなかったかも。えへへ。森での暮らしに慣れてきたから次は何を作ろうかなって思うばかりだったから」

『10歳になったばかりの子供がいう台詞ではないことは我でも分かるぞ。全く……』

 うー。 だってだって。

 森を一人で彷徨っていた時はどうにかして脱出したいと思っていたけれど。

 お父さんイグニスと一緒になってからは楽しい毎日だったから。

 どんどん新しいことも出来る様になったし、今後の事なんてすっかり忘れちゃっていたんだもん。

 そんなわたしの回答に溜息を漏らすお父さんイグニスがいて。

『そんなことだろうと思ったからこその質問だったのだがな。それで、話を戻すが、クー。君は今後どうしたいのだ?』

「うーん。どうしたい……んだろうね」

 正直自分でもよく分からないよ。

 こんなこと言われるまではお父さんイグニスがいれば何でも出来るって思ってたぐらいだし。

『だったらまず二択だな。君は森を出て人里に移って他の人間達に紛れて暮らしたいのか。もしくは何かしらの目標を遂行するまでは森の中で隠れて生きるか。大枠はこの二つになるぞ』

 森の外か中か。

 そうだよね……。

 何時までもこんな暮らし出来る訳がない。

 今は何とか生きていけるけど。

 お父さんイグニスと出会う前は死にかけたのも事実で。

 それにお父さんイグニスが守ってくれると言っても病気や怪我を絶対にしないとも言い切れない訳で。

 そんな時に周囲に誰もいなかったらどうなってしまうんだろう。

 でも……

「人は怖い……。故郷の町じゃなくても。きっと何処でもわたしはこの髪のせいで。劣等種という扱いで見下されちゃう。うん……今迄みたいに我慢しなきゃいけないのは分かってるよ。でも。それでもわたしは一度壊れちゃったから。だからまたあんな気持ちになるのは嫌だなぁ」

 今までは必死に我慢できたけど。

 孤児院でお婆ちゃんの本性を見て。

 奴隷商のオジサンのわたしを見る目の気持ち悪さを感じで。

 人が……他人が怖くなったの。

 きっと今のままじゃ何処に行っても変わらない。

 もうそんな思いをするのは嫌なんだよ……。

『君が我慢することは何もないと思うがな。だが……はっきり言ってしまうと、今のクーを人里に出しても君の言う通りになると我も思う。それに……いや、きっとそれ以上につらい思いをするだろうな。我の存在も人間達は忌み嫌う一因にもなっているからな……』

「それはお父さんイグニスの……ううん。わたしが憑き人という存在でもあるから?」

『……その通りだな』

 そっか。

 うん。分かってたよ。

 わたしにとっては大好きなお父さんイグニスだけど。

 呪いの魔剣で。炎を司る魔剣であるイグニスという存在は普通の人には恐怖以外の何者でもない訳で。

 そんな存在をこの身に宿しているわたしはきっと。ううん。間違いなく嫌なことが起きると思うよ。

『我は世界中に名が通る程に危険視されている存在だ。まぁ、それもこれも過去の宿主の暴挙のせいでもあり。それらの行為を全て見逃していた我のせいでもあるのだが』

 魔剣を手にしたものはその力に魅入られて暴虐の限りを尽くす。

 聖剣は人々の希望となりて。悪しき力を滅ぼす力となる。

 孤児院にあったとある物語の一節。

 現実もそんな物語と一緒で。

 わたしは良くても他の人には恐怖の対象になってしまうお父さんイグニスという存在。

『人里に出て我の存在が露見すれば良くて一生牢獄。悪ければ即討伐されるであろうな。それに……あの教団がまだこの世界にいた場合は……考えただけでもおぞましい。クーをそんな目にあわせてたまるものか』

「えっと、お父さんイグニス……?」

『やはりこれしかないか……クーよ。我から幾つか提案があるのだが』

 そんなお父さんイグニスの提案する内容は。

 お父さんイグニス自身も確証を得ないものだったけれど。

 今のわたしにはそれしかなくて。

 それに。

 少しづつでも前に進むためにも。

 お父さんイグニスを信じて進むことにしたのでした。


 …………。

 よいしょっと。

 蔦で編んだカゴみたいなリュックに卵を入れて落とさないように背負います。

 お水は魔法があるから大丈夫。

 食べ物はまぁ、たぶん大丈夫かな?

 雨がやんでまた穏やかになった川の中にはおさかなさんもいっぱい泳いでるしね。

 だから今一度周囲を見渡して。

 残してあった食べ物は全部食べ終わったし。

 うーん。だけど……。

 寝床だったり石で作った色んな器具はどうしようかな……。

『さすがにそれは重荷になるだろう? それに寝床も石器類も放置したところで野生の獣が勝手に使ってくれるだろうよ』

「そっか。うん、だったらわたしが大事に持ち運ぶ物はこの卵だけだね!」

 見た感じまだ中で動く気配もないけれど。

 少なくともあの時の川が増水して濁流に流されてきた卵は頑丈だったみたいでヒビらしき箇所は見当たらなくて。

 温めてれば孵化してくれたりするのかなぁ、と期待してるわたしがいます。

 それに温めることはお父さんイグニスの十八番だよね。

 だからこの卵も優しく温めてね。

『ははっ。まさか我を保温器扱いするとはな。だがクーのせっかくの願いだ。その卵も我が守ると誓うよ』

「えへへ。お願いね、お父さんイグニス


 わたしのこれからの目標。

 まずは背負ったこの卵を元あった場所まで運ぶことです。

 実際何処にあったのかははっきりと分からないのだけれど。

 側に流れる川の上流から流れてきたのは確かで。

 お父さんイグニス曰く。

 上流に向かってしばらく歩くと大き目の湖があるみたいなんです。

 その近辺に卵を産んだ何かがいるのではないかと予想している様で。

 まずはそこに向かうことにしました。


 ちなみになんだけど。

 お父さんイグニスが湖の存在を知っている理由に関して。

 それは見たことがあるからじゃなく。お父さんイグニスが感知したそうなんです。

 感知って何だろうと思ったから素直に訊いてみたら、お父さんイグニスが簡単に教えてくれたんだけど。

 全く理解できませんでした。えへへ。

 ただすごいなぁって感じで。

 あれ? 前にも似たような感想を言ってお父さんイグニスに笑われた気がするかも。

 そんなお父さんイグニスの感知なんだけど。

 わたしには何も感じないんだけども。

 お父さんイグニスはわたしを起点に通常は感知できない薄い熱の膜を常に放出しているそうで。

 熱で感知した様々な物体や生き物の位置を把握できると言っていました。

 そしてその結果分かったことが幾つかあったみたいで。


 一つはわたしがいるこの森は実は結構広大だったということ。

 孤児院にいた時。わたしの故郷である小さな町からも見えていたんだけど。

 西の方に大きな山脈があるんだ。

 お父さんイグニスが言うには、その山脈から大きく東に森が伸びているみたいで。

 その森はわたしが住んでいた孤児院があった町と他の大きな街の間を横に遮っていたそうなんです。

 他の街と行き来するには森の中に作られた林道を通る必要があって。

 だからあの時、奴隷商のオジサンの馬車に乗せられた時も。

 この森の中を通る林道を通る必要が合った訳で。

 お父さんイグニスに熱で林道がある場所も感知したくれたんだけど。

 ここからかなり東に通っているってことが分かったんだよね。

 ほーんと。わたしってほぼ西へ西へと歩き続けていたみたいなんだよねぇ。

 あの時は正直無我夢中でお腹がへっていたから方向感覚なんてなかったんだけどね。

 それでなんだけど。

 この森を脱出するには今わたしがいる場所からなら南に丸一日程度歩き続ければ出ることは出来るみたいで。

 林道からなら徒歩でも数時間あれば森からの脱出は可能だったんだけどね。

 なんていうか、わたしってものすごく運が悪いと言えばいいのかな。知らぬうちに奥へ奥へと入り込んで行っちゃったみたいなんだよね。

 まぁ、今はもうそのことはいいのだけど。

 お父さんイグニスと話し合った結果今はまだ森からは出ないことにしたからね。


 そしてもう一つは。

 側に流れる川の上流……要は森の奥なんだけど。

 わたしが今から向かうところだね。

 そこには大きな湖があるみたいで。

 その近くなのかな?

 何だか数十単位の生き物の熱源反応もあるってお父さんイグニスが言ってるんだ。

 しかもね。

 獣や魔獣の動きじゃなくて統率された知性のある生き物の動きをしているみたいで。

 これは一種の賭けでもあるんだ。

 森の奥にいる何か。

 それは人間の村かもしれない。もしかすると盗賊の隠れ家なのかもしれない。

 他にも知性のある魔物――ゴブリンやオークなんかが集団で活動しているのかもしれない。

 あ、魔獣と魔物の違いは今は割愛します。というのもわたしも違いが分かっていないんだよね。

 お父さんイグニスが後で教えてくれるって言うのでわたしはいい子なので待つのです。

 そんなよく分からない場所に向かってるんだけど。

 一つだけ希望があって。

 もしも。

 もしも、そこにいる何かが。

 人間達に追われた人達……わたしと同じ劣等種と呼ばれる人や亜人――獣人や精霊族エルフが住んでいたら。

 もしかするとわたしを受け入れてくれるかもしれないっていう淡い期待があるんだ。

 だからわたしは頑張ります。


 まずは卵の持ち主を見つけることが最優先。

 一つ心配なのは卵を産んだお母さんが無事見つかったとして。

 わたしに向かって敵意が無ければいいんだけどね。

 でもわたしがお母さんだったら心配で仕方がないんだよね。

 卵を見失って。もしもその卵を知らない他人が持ってたら。きっと敵意剥き出しで取り返しちゃうかも知れないな。

 もしも本当にそうなっちゃたらどうにかして卵を返さないとね。

 それで無事に孵化してくれたら嬉しいなぁ。

『恐らくは心配あるまいよ。その卵の中身が何にせよ。湖含めたこの近辺に竜種や獰猛な獣はいないみたいだからな。せいぜい大型の鳥か爬虫類か……そんなとこだろうな』

 お父さんイグニスもそう言ってくれてるし。

 よーし。頑張るよー!!

 川に沿っててくてくと。

 わたしは湖に向かって上流を登っていきます!!
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