Cerulean Hearts

Satanachia

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第一章

第一章 「ハートの少女と森の家」

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Cerulean Heartsセルリアン ハーツ
Satanachia

 漆の水面に水銀の雫を散らしたような、まるで造り物のような夜空の下で、身長差のある二つの人影が向かい合っていた。
「な……何ですか?」
 一つは少女。
 まだ生育しきっていないという印象の幼さの残る顔立ちをした、雪のように白い肌と頭髪が特徴的な、小柄な少女だった。
 何処か困惑したような目で、自身の前に立つ者の目を見つめていた。
「おばさん……と呼ぶように言ったけれど、今から呼び方を変えてもらうわ」
 そして、彼女の前に立つもう一人は、シルクのように艶のある藍色の長髪を靡かせた、穏やかな顔で微笑む女性だった。
「えっと……」
 更に戸惑う少女に彼女は少しの間を置いて言った。
「今から、私を〝先生〟と呼びなさい」
「え……っ?」
 少女は目を見開いたが、その女性は笑って口を開いた。

      *

 これは、『奇跡』を掴むために一歩を踏み出す事への選択を委ねられた者達の物語である。
 過去や現在いまの暗い部分に如何に向き合い、決断し、これから訪れる未来をどのように作り、歩いていくのか、そんな岐路に立たされた者達の奇譚である。
 足掻いて、藻掻いて、突き進んで、その先に待つものを、『奇跡』と呼ぶに値するものに変える事が出来るのか。
 その結果論に干渉出来るのは、結局のところ彼女達だけなのである。

第一章 「ハートの少女と森の家」
 
 1
 
 暗く深い森の中、慌てふためく少年少女達の姿がある。
「早く来い! 逃げるぞ!」
 彼等は皆、色とりどりのローブをそれぞれで纏い、箒やステッキをその手に持つ。
「クソッ……! こんなに危険な場所と知っていたら来なかった……!」
 若く、未熟な魔法使い達だった。早く一人前の魔法使いとして名を上げようと、身の丈に合わない無茶なクエストを受注してこの森に入って来たのだろう。
 グオオォォォォ……!
 そんな彼等に牙を向き、唸り声を上げながら魔獣が距離を詰めていく。
(痛い……)
「うぅ……」
 グルルルル……
 そんな時、魔獣の視線がある一点に向けられた。そこには、白いローブを着た魔法使いの少女が倒れていた。
「……!」
 その事に気付くと、彼等の中の何人かは背を向け、その場から走り出した。
「待ってください……! このままではラウルスが……!」
 そんな声が上がったが、魔法使い達は次々とその場を離れていく。
「ラウルスが……!」
「構うか! 俺達が死んだら意味がない!」
(待って……!)
 朧げになる目で、走り去る彼等の背を見ながら心の中で叫ぶ少女を尻目に、その場を離れる者が増えていく。
(行かないで……!)
「でも……!」
「青い刻瞳こくどうなんて死んでも誰も気にしないだろ!」
「そんな……!」
「早く行くぞ!」
「っ……!」
 最後まで躊躇していた者がいたが、結局彼女の足も向きを変えた。
(死にたく……ない……)
 グルルルル……
 すぐ近くまで迫った唸り声を聞きながら、少女は涙に濡れる目を閉じた。

 これは、ある王国の話。
 かつて人々が、魔王の力に怯え、戦いを余儀なくされていた時代があった。
 しかしその恐怖も、魔王討伐の為に集まった「六人の英雄たち」によって終わりを告げた。
 聖騎士・ロルベーア。鉄壁の防御力と抜群の破壊力で前線を切り開いた最強の騎士。
 光刃の剣士・ヴェール。摩訶不思議な剣術から放たれる閃光のような一刺で全てを貫いた神速の剣士。
 神薬の匙・リジェ。百を超える調薬の技術を持つ薬師。
 剛力の戦士・ザバス。究極の域まで鍛え抜かれた肉体を武器に敵対するもの全てを破壊した闘士。
 万霊ばんれいの導師・シルフィー。万物に宿る精霊と言葉を交わし、恩恵を得る力を持つ導師。
 そして、硝子の魔女・クオーレ。誰にも再現出来ないような魔法を次々と生み出し、使い熟した天才魔法使い。
 この六人の活躍により、魔王は遂に討伐され、魔王軍は壊滅。王国に平和が訪れた。同時に英雄たちのパーティーも解散し、それぞれが生き方や職を選んで自身の新たな人生を歩んでいった。それが今から十四年前の歴史である。
 しかし、六人のうち、ロルベーア、ヴェール、クオーレの三人は、戦いが終わった直後に突然姿を消し、十四年経った今でもその行方は、誰にも分かっていない……

「……ん」
 少女は見慣れない部屋のベッドの上で目を覚ました。
「……?」
 まだ微かに霞んだ目で周囲を見渡す。薄暗い室内は古ぼけたランプの光に照らされていた。窓が開いており、そこからはさっきまでいた森と同じ景色が覗いていた。
(こんなところに家が……?)
 理解が追い付かずに困惑していると
「目が覚めたみたいですね」
 こちらへ語り掛ける声がした。
「え……」
 声がした方向に目を向けると、部屋の奥に人がいた。後ろ姿だったが、夜の帳のような藍色の長髪と、聞こえた声から若い女性に見えた。
「あの……」
「あぁ、あまり動かない方が良いですよ。手当したばかりだから傷が開いてしまうわ」
 起き上がろうとしたのを察したのか、彼女は指を振って合図を出した。
「ここはどこですか……? 確か私は、魔獣にやられて……」
「危なかったわねぇ……。貴方を襲った魔獣は無力化した獲物を一度巣に持ち帰る習性があってね……」
 こちらに背を向けながら彼女は話す。
 話を聞くに、どうやら魔獣の巣まで運ばれた自分を救い出し、介抱してくれたようだった。
(でも、どうやって? それにこんなに危険な場所にこの人は一人で住んでいるの?)
「あ……あなたは一体……」
「あなた? おばさんでいいですよ」
 少しだけ笑いながら彼女が振り返る。トパーズのような瞳がこちらを見た。
「おばさん?」
 そう呼ぶには容姿も纏っている雰囲気も随分と若々しい。微笑みながらこちらへ歩いてくるその女性はとても美しかった。
「それでいいわ。三十七だもの」
 くすくすと笑い、彼女はベッドの横にしゃがんで少女と目線の高さを合わせた。
「お嬢ちゃんのお名前は?」
(穏やかな声、優しい目……よく分からないけれど、この人は悪い人じゃない……)
「ラ……ラウルスです……。えっと、助けて下さってありがとうございます……」
 少女がたどたどしく言葉を紡ぐ。
「どういたしまして。可愛いお名前ね」
 彼女はそう言ってまた微笑んだ。

「青い刻瞳こくどうか……」
 そう言ってどこか嘲笑うような顔を向けてきたクラスメイトを思い出した。
「〝ハーツ〟だから無能って訳ではなさそうだけどな」
 そんな声が上がると更に笑い声が増えた気がした。
「精々、足は引っ張ってくれるなよ」
 こんな風に私が笑われるのには理由があった。
 魔法を使う素質がある人間は、生後十六日を迎えると目を開き、その瞳には刻印のような模様が浮かび上がる。
 これを「刻瞳(こくどう)」と言い、魔法使いである証明書のような物だ。魔法使いを目指す者は全員この瞳を持っているが、この瞳の最大の特徴はその刻印が所持者の魔法の才能で形や色を変える事だ。
 そして、その色や形で魔法使い間のヒエラルキーが自動的に構築されていくのである。
 私の刻瞳こくどうは「青い刻瞳こくどう」という最もランクの低い色の模様だった。だから私は瞳を見られる度に馬鹿にされたのである。
 しかし、形は「心型(ハーツ)」という最もランクが高い形だったから馬鹿にされる程度で済んでいたのだ。「青い刻瞳こくどう」で、尚且つ「心型ハーツ」を下回るランクの形を持っていた人達が、いじめられている場面を何度か見た事もある。
 それでも「青い刻瞳こくどう」の所持者をクエストに同行させる人が多い事を私は疑問に思っていた。
「青い刻瞳こくどうなんて死んでも誰も気にしないだろ!」
 しかし、今日この言葉を聞いた時、私の疑問が解けていくのが分かった。

 2

「そう……それは災難だったわねぇ……」
 自身が魔獣に襲われた経緯をラウルスが話すと、おばさんはそう言った。泣き言や愚痴を織り交ぜて話したので、かなり長い事付き合わせてしまったが、彼女は止める事も言及する事もなく、近くの椅子にずっと腰かけながら静かに聞いていてくれた。
「まぁ何にせよ、元気になるまではいてもいいですからね」
 涙で顔をぐしょぐしょにするラウルスに、変わらず笑顔を向けながらおばさんは言う。
「……はい」
 依然涙は枯れなかったが、彼女の穏やかな声を聞いているとどういう訳か心が安らぐ感じがした。ラウルスが喋って、たまにおばさんが彼女に穏やかな声で語り掛ける。そんなやり取りで時間を流していくと、幾分かラウルスの心も落ち着いていった。
「おばさんは……どうしてこんな危険な場所に住んでいるのですか?」
 少しだけ余裕ができたのでラウルスが聞いた。
「そうねぇ……」
 おばさんは一瞬迷ったようだが、答えを探し始める。
「集中するためかしら……」
 そしてちょっとの間を置いてそう答えた。
「集中?」
「ここに住み始めて十四年になるけれど、その頃からずっと修行しているのですよ。王都は修行をするには少し騒がしくて……」
「修行……?」
 ラウルスが口を動かすと、突然おばさんは立ち上がり、彼女の顔を覗き込んだ。
「っ……?」
 何が起こったのか分からずにラウルスは面食らったが、おばさんは構わず喋り出した。
「気付いていないみたいだったから言うけれど、私も魔法使いなんですよ」
「……!」
 そう言われて彼女の瞳を覗き込むと、ラウルスはハッとした。
「シルバーステラズ……」
 彼女のトパーズのような瞳には銀色に光る星型の模様があった。それはそれぞれ二番目にランクの高い色と形である「銀色の刻瞳こくどう」と「星型(ステラズ)」が合わさっている刻瞳こくどうに間違いなかった。
「貴方、相手の目を見る事を避ける癖がありますね? 余程自分の刻瞳こくどうが見られたくなかったのねぇ……」
「っ……」
 図星を突かれ、ラウルスは黙り込んでしまう。
「まぁいいわ。私は魔法使いとして更に高みに立つ為の修行に集中したくて、この場所に住んでいるのです。質問への答えはこれでいいかしら?」
「え、あ……はい」
 ラウルスが何とか返事をすると、おばさんは「驚かせてごめんね」とラウルスの頭を撫でた後、再び椅子に腰掛けた。
「だから今日久しぶりにこの森に子供が入って来たものだからとても驚きましたよ」
「そ……そうなんですか……?」
 ラウルスが尋ねると、おばさんは頷いた。
「そりゃあ迷いやすくて魔獣もウヨウヨいるような場所だもの。伴う実力がなければ〝一度入ったら二度と出られない〟なんて言われているくらいだし、よっぽどの物好きでも入らないと思っていたから本当に驚きました」
「え……」
 彼女の発言にラウルスの背が凍り付いた。
「おばさん、今何て……」
「え……? よっぽどの物好きでも……」
「違う、その前……ッ!」
 思わず叫んだ。
「一度入ったら二度と出られない……?」
(そんな……)
 ラウルスの顔がみるみるうちに青褪めていく。
「皆さん……!」
 その直後、蹴飛ばすくらいの勢いでベッドから飛び起きた。

 すっかり日が落ち、更に暗くなった森の中で、魔獣の群れに囲まれ少年少女達が死に物狂いで抵抗していた。パーティーの少女を置いて逃げたが、ものの見事に〝一度入ると二度と出られない〟森で迷い、立ち往生している間にこの状況を招いたようだ。
「何で効かないんだ……!」
「クソッ……! 全然減らないぞ!」
「駄目です……もう持たない……!」
 そんな言葉が次々と飛び交う。この場にいる魔獣達の戦闘能力がパーティーの力を軽々と超えている事は明白だった。
「あぁ……こんな事なら……」
 そうすれば次第に悔いる声が増えていく。
 欲を掻きすぎると大抵は身を滅ぼすものだが、未熟であれば尚更の事である。
「く……」
 一人、また一人と膝を突き、パーティーは瞬く間に全滅した。
「こんな所で……」
 土壇場になって、彼等は静かに口を動かし始める。完全に追い詰められた彼等にはもうそれくらいしか出来る事がないのである。
「ラウルス……」
 そのうちの一人がそう口にする。仲間を置いて行く時に、最後まで躊躇していた者だった。
「ごめんなさい……」
 彼女は悔いていたようだった。どうせ全員が死ぬのならば一人だけを置いて行く意味が全くなかったのだ。
(いいえ。きっとこれは……天罰)
 薄れゆく意識の中でそう答えを出すと、彼女は自身が殺される時を待った。

「駄目よ? まだ安静にしていないと……」
 おばさんにそう言われたが、ラウルスは靴を履きステッキを持つ。
「皆さんの身が危ないんです……! 私だけが寝ている訳には……」
 必死に言葉を紡ぐラウルスをおばさんは不思議そうな顔で見る。
「そこまでして何故……自分を見殺しにしようとした相手でしょう……?」
「……!」
 少しだけおばさんの声色が変わった気がした。これからの自身の発言によって返って来る反応がきっと変わるであろう事が想像できた。しかし、どんな返事が返って来ようと、ラウルスはもう既に言葉を選んでいた。
「そんな事、助けに行かない理由にはなりません!」
「随分とお人好しなのね。さっきの話を聞いていた分には憎んでいる相手とも取れたのですけど?」
 さっきまでの、のほほんとした雰囲気から少しずつ違うものを纏っておばさんは聞いてきた。
「きっとあの人達には悲しむ人達がいる筈です。家族が、私と違って・・・・・……家族が……」
「!」
 少しだけおばさんの表情が変わった。切羽詰まったラウルスにはどんな感情かまでは分からなかったが、確かに変わった。
「助けに行きます……!」
 そう言ってドアノブに手を伸ばした時、
「だからねぇ……」
 おばさんに襟を掴まれ引き戻された。見た目からは想像もできないくらい強い力で、ラウルスには振り解けなかった。
「ッ……!」
 首根っこを掴まれた子猫のようにぶら下げられる彼女におばさんは呆れるような視線を向けた。
「離してください……! どうして止めるのですか……ッ?」
「違うからね……」
 パタパタと手足を動かして藻掻くラウルスをそのままにおばさんは静かにに溜め息を吐く。
「違わないです……! 人を助けるのが魔法使いの役目です……!」
「そんな話はしていないですよ……。勇気と無謀は違うと言っているの。まずは落ち着きなさい」
「っ……!」
 重みのある声色で、鋭い視線を向ける彼女にラウルスは言葉を失った。
ラウルスが大人しくなった事を確認するとおばさんは続ける。
「貴方はついさっき魔獣にやられて怪我をしました。只でさえ未熟な魔法使いなのに手負いで行って何が出来ますか? 貴方が今どんな想像をしているかは知らないけれど、貴方の仲間は貴方の身の丈に合わない場所で道草を食っている事は最低限理解すべきですよ」
 反論の余地のない忠告にラウルスは唇を噛み締めておばさんを見た。
「見捨てろと、言うのですか……?」
 今にも泣き出しそうなラウルスを見て、おばさんは再び溜め息を吐いた。
「結論を急がない……。怪我人は甘えなさいという事です」
 そう言うとおばさんは一瞬のうちにどこからかローブと箒を出現させた。
「これは……」
「まだまだ未熟だけど、貴方の志はとても立派ですよ。確かに私の心を動かしました」
 驚くラウルスを抱き抱え、おばさんは箒に手を伸ばした。
「だからここは、私に任せなさい」
 そう口にすると、おばさんは今までの雰囲気を完全に取っ払う。
 その姿は、間違いなく本物の魔法使いの姿だった。

 3

「では、貴方の言う天才とは何ですか?」
 銀色の星が浮かぶトパーズのような瞳を持った少女がそう尋ねると、周囲の者達がざわついた。それはクラスの全員が漏れなく最高ランクの「金色の模様」を瞳に宿す中、唯一の銀色の模様を持つ彼女が、クラス一の成績を叩き出した時の事だった。
 その事を快く思わない、約束された才能に胡坐をかいた故に彼女に追い越された金色の模様を持つ女子生徒が彼女にダル絡みし、皮肉を込めて彼女を「天才」と呼んだのだ。
「貴方は先程私が天才であると言っていましたが、それは私が良い成績を取ったからですか?」
 首をかしげる彼女に視線が集まる。
「私は自分の出来る事を磨いたに過ぎませんよ。そう、誰でも出来る事です。そんな当たり前の事で過度に持ち上げられてもいまいち分からないです」
「何それ、嫌味……?」
 彼女の発言にプライドが傷付いたのか、女子生徒は声を荒げる。
「どういう事ですか?」
「まぐれで取ったに過ぎない一番で調子に乗るんじゃないわよ……! 所詮銀色の刻瞳こくどうなんて私の金色の刻瞳こくどうには……」
 そこまで言って彼女は言葉に詰まる。言おうとしていた〝その先〟は、彼女が言うと説得力が途端になくなってしまうのだ。
「結局、貴方が何を言いたいのか分からないのですが……」
 トパーズのような瞳で真っ直ぐと前方を見ながら、少女が言った。
「私は天才ではありませんよ。ただ一生懸命頑張っただけです。例え私にいくら才能があったとしても、そうしなければ皆さんに付いて行けるとは思っていませんから」
 それは嫌味でも、才能や栄光に酔いしれた者の戯言ではなく、一歩一歩足を進めて相応の結果を掴み取った者の語る真実だった。
「ぐ……」
「では……」
 歯を食い縛り俯く女子生徒に礼をして、彼女は教室を出ていった。

「はっ……速い……ッ!」
 おばさんに抱き抱えられながら早送りのように高速で流れていく下の景色にラウルスは驚愕の声を上げる。クラスメイトの魔法使いは勿論、魔法使い最高の〝魔女〟の称号を持っている先生でもこんなに速く飛べる人はいなかった。
「箒に乗るのは初めてだったかしら?」
「そ……そんな事ないですけど……」
 経験した事のない速度の飛行に口が流暢に動かないラウルスをよそにおばさんは涼しい顔で飛行を続ける。
「速いです……!」
 必死に彼女の体にしがみ付いて叫ぶ。
「まぁ我慢なさい。急がないと貴方の想像が現実になってしまうわ」
「っ……」
 自身の頭からずっと離れない嫌な想像に再び顔が強張る。その先の台詞は何も出てこなかったが、言うべき事は彼女のローブを掴む右手の握力で伝えた。
「行きますよ」
「っ……はい……!」
 さっきからラウルスとの温度差は変わらなかったが、おばさんの目は依然真剣だった。
「……」
(こんなに〝人の為に一生懸命になれる〟魔法使いに、私は……)
 そんな中で、心の中に芽生えつつある新しい感情を少しずつ感じながら、ラウルスはどんどん加速する飛行に耐え続けた。
「っ……! あそこね……!」
 そして数分のうちに目的地に到着したらしい。おばさんはラウルスを強く抱き締めて急降下した。
「皆さん……!」
 魔獣の群れに追い詰められて倒れているクラスメイト達のもとへ、ラウルスは着地と同時に走り出そうとした。
「ちょっと、ラウルス……」
 おばさんが慌てた様子で口を開いたが少し遅かった。
「あっ……⁉」
 怪我をしている事を忘れて飛び出したラウルスはそのままバランスを崩して顔面から転んだ。
 グルルルル……
 その音に反応して魔獣達が一斉にラウルスの方を見た。
「……!」
 そしてラウルスが顔を上げた時にはもう狙いを定めて走り出していた。
「まったく、無理するなと言ったのに」
 その流れを見ておばさんは呆れ顔で溜め息を吐いた。
「でも、都合がいい展開に見事持って行ってくれたわね。ファインプレーですよ」
 そう言っておばさんはラウルスの隣に立って、微笑みながら左手を翳した。ステンドグラスのような配色の手袋が一瞬光ったと思った瞬間、彼女の周囲を濃密な魔力が包み込んでいた。
「……あぁ」
(こんな桁違いの魔力、初めて感じた……)
 立ち上がる事も忘れ、ラウルスの目はおばさんに釘付けになった。人生で初めて目撃する、魂が震えるような瞬間だったのだ。
「開け……」
 おばさんは目を閉じ、ゆっくりと詠唱を始める。
「天の城門、これ、星屑の残火を宿すともしびなり、我が声に応え閃け、その刹那はコスモの彼方まで、大いなる天命に殉ずるならば、矜持の瞳は光源となる……」
「す……すごい……!」
 王立図書館で見た上位魔法の詠唱。それが今自分の目の前で唱えられていた。夢のような光景にラウルスは目を見開いた。
光術こうじゅつ星道せいどう〟一のうた・ポースプロキオン」
 直後、前方が眩しい光に包まれた。
 ギャアアアアアアアア……!
 そして魔獣達の悲鳴が響き渡り、光が消えると、そこには先程襲い掛かって来た魔獣達が漏れなく伸びていた。
「おばさん!」
 興奮気味な笑顔を顔中に張り付けてラウルスは立ち上がる。
「おばさん、凄いです……!」
 ラウルスが彼女を見ると、まだ周囲を見渡していた。
「おばさん……?」
「気を抜いては駄目。早くクラスメイトの所に行きなさい。来るわよ」
「え……」
 ダンッ……
 その時大きな音がした。
 ダンッ
 大砲を撃ったような音が段々とこちらに近付いてきていた。
「一体……」
「ほら、離れて」
 おばさんが言った時、
 ダンッ!
 音の正体が分かり、ラウルスは戦慄した。
「ラウルス……!」
「あ……」
 おばさんが強く叫んだが、ラウルスの足は竦んでしまって動かなかった。音の正体は、山のように巨大な魔獣の足音だった。
「しょうがないですね……!」
 おばさんは箒を持つと再びラウルスを抱き抱えた。
「おばさん……」
「動けないなら、付き合いなさい。貴方の今後に役立つ経験になるかもしれないしね」
 今までで一番真剣な目でこちらを見る彼女の雰囲気に圧倒される。
「覚悟が出来たら言いなさい。貴方のクラスメイトには被害が行かないようにしてから、あれを何とかしに行くわよ」
 グオオォォォォ!
 こちらに気付いたのか大きな雄叫びが周囲を震わせた。
「……っ」
 怖かったが、首を横に振る理由などなかった。最早一刻の猶予もない。
「はいっ……!」
「良い子ね……!」
 ラウルスの返事と同時におばさんは自身の周囲を魔力で包む。
「紡げ……清流の旋律、これ、命の果実を包む社なり、ルサルカの歌を綴り、その幻想は安寧の現世うつしよへ、悲劇の痛みを躱すならば、慈愛の腕は砦となる……水術すいじゅつ霞道かどう〟一のうた・ユートピアミラージュ」
 詠唱の完了と同時に、どこからともなく発生した霧にクラスメイト達が包まれて見えなくなった。
「これは……」
「これでこの子達が標的となる事はない。貴方も私も集中出来るわね」
 そう言うと、彼女はラウルスを抱き抱え箒に腰掛けた。
 グオオォォォォオオオオ!
 魔獣が雄叫びと共に前足を振り上げた。
「行きますよ、しっかり掴まりなさい!」
 丸太のような前足が地に叩き付けられるより先に、二人を乗せた箒は高く飛び立った。

 4

 初めてラウルスと話したのは入学してすぐだった。隣の席に座ったのが彼女で、周囲の人間よりもかなり幼さが残った笑顔で声を掛けて来たのを今でも覚えている。そして自分の刻瞳こくどうを褒めてくれたのだった。
 私の刻瞳こくどうは「花型(ブルームス)」と呼ばれる四種のうち二番目にランクの低い形ではあったが、色は「銀色の刻瞳こくどう」だったので、悪い物ではなかった。
 ただ、妹が「金色の刻瞳こくどう」を持って生まれたせいで、私のは家族から下に見られていた刻瞳こくどうだったから、自身の刻瞳こくどうを褒めてくれた存在は本当に嬉しかった。
 お人好しで、繊細で、泣き虫な、そんな弱々しくて守ってあげたくなるような、可愛らしい友達だった。
 だから「金色の刻瞳こくどう」のグループに〝捨て駒〟としてラウルスが連れていかれた時は本当に不快だった。そして、本当にラウルスが〝捨て駒〟にされた時、例えあの場で死ぬ事になっても、自分だけは彼女の傍にいるべきだったと、「友達失格だ」と、本当に後悔する事になった……

 グオオォォォォ!
 振り下ろされる一撃は全てが面と向かうだけで潰れてしまうような重たい殺意を纏っていた。自身の生命を直に握り潰すような黒い圧力にラウルスは体の震えを止める事が出来なかった。
「おばさん……!」
「もう少しだけくっ付いてもいいわよ。少し手荒になるからね」
 おばさんは笑いながら飛び回っていたが、右手に力を込めてラウルスを抱き寄せる。
「……」
ハゲワシが眼前の獲物に狙いを定めるように、鋭い眼光で敵を見る彼女は間違いなく勝利を掴み取ろうとしていた。
「十四年間引き籠っている間にこの森も様変わりしたわね。こんなに阿保みたいな化け物が育っているなんて知らなかったわ」
 冗談交じりに笑いながら左手を翳す。
「輝け……春の快晴、これ、邪魂を挫く白銀の一刺なり、虚空を引き裂き駆けよ、その疾走はハティの足の如く、闇夜の恐怖を穿つならば、勇気のあぎとは聖槍となる……光術こうじゅつ星道せいどう〟二のうた・ルスリゲル」
 魔獣に向かって七本の光の槍が飛ぶ。魔獣はその槍を尾で受け止める。
「防がれた……!」
「いいや、これでいい」
 おばさんはにやりと笑うと指を鳴らした。
 ギャアアアアア!
 それと同時に刺さった槍が爆発を起こし、魔獣の尾を吹き飛ばした。
「畳みかけようじゃない!」
 尾の痛みに崩れる魔獣に向かって箒を加速させる。
「わっ……⁉」
「ごめんね。でも、我慢なさい。本気出すから」
 言葉と共に魔力を纏う。先程よりも膨大な魔力の奔流が大気を染めて、飛行の軌道をキラキラと照らし出した。それは明らかに彼女が本気を出している証拠だった。
「集え……漣の羽衣、これ、愚者を玩ぶ悪戯の傀儡かいらいなり、セイレーンの口付けを奪い、その夢幻ゆめまぼろしを精神へ、万の心を晒すならば、切望の髪は透写となる……水術すいじゅつ霞道かどう〟二のうた・デイドリーム」
「……え」
 その瞬間、ラウルスは驚いた。彼女の目には飛行する彼女達の姿が八つに増えたように見えたのだ。
 そして、その一人一人がそれぞれ違った詠唱を唱え始め、少しずつ魔獣の命を削り取っていく。
(今まで見た銀色の刻瞳こくどうの中で、いいや、全ての魔法使いの中で一番凄い……! それどころか魔女の先生よりも……!)
 その分身全てのラウルスは全員驚愕の表情を浮かべていた。
「凄い……! これならば……!」
 ラウルスが勝利を確信した時だった。
 グルルルル……
 魔獣が突然目線を変えた。
「な……」
 同時におばさんの表情が変わった。動揺しているようだった。
「え……」
 慌てて彼女の目線の先を追いかけると、ラウルスも同じように驚いた。
「嘘……」
 先程霧が隠した場所から、少女が一人出て来ていた。

「うぅ……」
 全身の痛みに顔を顰めながら私は起き上がる。クラスメイト達は依然倒れていたが、自分達を倒した魔獣の姿はなくなっていた。
「これは……!」
 どういう状況かは分からなかったが、目の前の光景を見てそんなものは全く気にならなくなった。
「何なの……ッ⁉」
 巨大な魔獣を相手に、箒に乗った魔法使いが一人で戦っていた。
(無茶だ……)
 小さな魔獣でもあれだけの強さを持っていたのに、それの何十倍もの体躯を持つ化け物を相手に一人で挑むなんて……
 ギャアアアアア!
「え……?」
 しかし、私の心配は杞憂に終わる。たった一撃で魔獣の尾が吹き飛ばされたのだ。
「どうなってるの……⁉」
 そして驚く私をよそにその魔法使いの攻撃は止まらない。突然姿が増えたと思ったら、四方八方から魔獣を攻撃し続けている。
「嘘でしょう……?」
 「魔女」の称号を持つ先生でも簡単には出来ないであろう芸当を次々と繰り出す彼女に現実味が全く感じられなかった。
「え……」
 しかし、私の目は別のものに奪われた。
「あれは……」
 よく見ると魔法使いは何かを抱えた状態で箒に乗っていた。その何かに、いいやその少女には物凄く見覚えがあったからだ。
「ラウルス……?」
 見間違いではなかった。さっきまで見捨てた事を後悔していたのだから見間違える筈がない。
(これは……夢……?)
 グルルルル……
「……!」
 困惑してぐちゃぐちゃになる私の思考は、魔獣と目が合った事で正常になった。
「え……」
 さっきまで戦っていた魔法使いにも、倒れているクラスメイト達にも目もくれず私だけを見ていた。
「は……え……?」
 そうじゃない。どういう訳か、私の近くにいた筈のクラスメイト達の姿が消えている。私だけを見ている訳ではなく、私だけしか見えていなかったのだ。
「これは……一体……」
 魔獣に睨まれて、私は困惑する事しか出来ない。ただ頭の中がぐるぐると散らかっていくのが理解できた。
(夢を見ているの……? それとも死んでしまって地獄にいるの……?)
 心の中で誰かに聞いてみたが、当然答えは返って来なかった。

 5

「一人、目を覚まして魔法から出てしまったのね……まずい事になったわ」
 おばさんの発言から危機感を一瞬で感じ取れた。いや、どう考えても緊急事態である。
 魔獣は完全にその人に標的を変えているのだから。
「助けないと……!」
「そうね……!」
 ラウルスが言うとおばさんは箒を加速させた。
 グオオォォォォ!
「っ……⁉」
 魔獣が前足を振り上げたが、突然の事に混乱しているのか少女は尻餅をついたまま動かなかった。
「ッ……!」
「うぅ……!」
 振り下ろされる先に箒は猛スピードで飛んでいく。そしてその下に入ると同時におばさんの詠唱は完了する。
光術こうじゅつ星道せいどう〟二のうた・ルスリゲル」
 巨大な爆発と共に、振り下ろされた前足は消し飛んだ。
「っと……」
「あぅ……!」
 しかし、爆発の距離が近かったために二人は箒から落ちてしまった。
 起き上がる時には魔獣がまた、こちらに狙いを定めていた。
「あぁ……」
 恐怖と痛みで腰が抜け、ラウルスは動く事が出来なかった。
「今のは、私も慌てていたのよ。悪かったわね……」
 ただおばさんは、冷静な表情を崩していなかった。
「さっきの子は……気絶しているけれど無事みたい」
 状況を確認すると、おばさんは一度深呼吸をした。
「ラウルス……」
「は……はい……っ」
 おばさんはこちらを向いて言った。
「任せろと言った矢先ミスをしてしまってごめんなさいね。ここはしっかりと責任を取るのが筋でしょうから、貴方達にはこれから傷一つ付ける事なくこいつを倒す事を約束するわ」
 そう言うなりおばさんはさっきと桁違いの魔力で全身を包んだ。
「嘘……」
 ラウルスは目の前の光景に心底驚いた。さっきまで本気で戦って魔獣を圧倒していたと思っていたが、おばさんはまだまだ本気を出していなかったのだ。
「そして、中途半端に学を齧っただけの魔法使いや魔女達しか知らない貴方に、本物の魔女という物を見せて、その経験を迷惑料にさせてもらうわね」
「おばさんは、やっぱり魔女……」
 左手の手袋が、今度は一瞬ではなく常時光り輝いていた。
「今から見せるのは、私が十四年前に最も得意とした魔法……。かつて私が、私を知る殆ど人間から恐れられるきっかけとなった〝とっておき〟よ。特別な魔法として有名になったから、貴方も名前くらいは聞いた事あるんじゃないかしら?」
 どこか自身の過去を嘲笑するような表情でそう言うと、おばさんは、ラウルスの目の前に立つ〝魔女〟は、静かに詠唱を始めた。
「揺らげ……魂の虚像、これ、蔓延る魔影を砕く歪みなり、今を欺き全てを否定せよ、その存在は実現のフェイカー、尖る嫌悪と向き合うならば、偽善の心は兵装となる……」
「え……これは、まさか……!」
 その詠唱を聞いた時、ラウルスは鳥肌が立つのを感じ取った。そう、それはかつて、ある魔女が作り出し、彼女以外誰も再現が出来なかった伝説の上位魔法の詠唱だったのだ。
「おばさん、貴方は……」
 その魔法を使える魔女は十四年前に忽然と姿を消した伝説の英雄である。魔法使いだけではない、王国に住む者ならば誰もがその名を知っている。
虹術ぐじゅつ鏡道きょうどう〟一のうた・プラーガトゥクル」
「硝子の魔女・クオーレ……!」
 真実を悟ったラウルスの前で、伝説の魔法は発動した。
 おばさんの隣には魔力でできた巨大な壁が現れた。それは鏡のように光っていて、前方の魔獣の姿がはっきりと写っていた。
「ふん……」
 そしておばさんがその壁面に左手の掌を叩き付けると、そこから大きな亀裂が広がっていく。そこに映し出された魔獣の像が亀裂に覆われた時、おばさんは指を鳴らす。その瞬間に決着がついた。
 ギャアア……
 本来はもう少し響く筈だった断末魔は途中でかき消される。正に一瞬の決着だった。像に亀裂が入った瞬間本物の魔獣にも同様の形をした傷のようなものが現れ、そこから魔獣はおばさんが指を鳴らした事で壁が崩壊したのと同時に、硝子のように砕け散ったのだった。鏡に映った事象をそのまま現実に反映させる、一撃必殺の究極魔法だった。
「終わったわよ」
 魔獣だった物がキラキラと光りながら降り注ぐ中でおばさんは、伝説の魔女はそう言った。

「お帰りなさい」
 診療所から出て来たおばさんにラウルスが言うと彼女は軽く手を上げた。
「本当に行かなくていいのですか? 私の家よりはやっぱり設備や技術が充実していると思うけれど」
 全員を森から出し、診療所に送り届ける時に、ラウルスはこのままおばさんの家にいたいと頼んだのだ。
「はい……」
 その理由は自分の命を助けてくれただけでなく、自分の我儘まで聞いてしっかりとクラスメイトを助けてくれた彼女に何か恩を返したいと思ったからだった。
「話す事もない? 他の子達はともかく、銀色の刻瞳こくどうを持った女の子とは仲が良かったのでしょう?」
 確かにそうだ。彼女の事は友達と思っているし、彼女だけは自分を見捨てる事を躊躇していた事はぼんやりとだが覚えている。
「いいんです。彼女、優しいからきっと私の顔を見たら今日の事を思い出して傷付いてしまう……。そんな状態で付き合うのは私も辛いですから」
 だからこそ、忘れて欲しいと思った。後悔や、どこか後ろめたい気持ちを抱いて友達と接する事はとても辛い事だと思う。
「本当にお人好しですね……」
 呆れたようにおばさんは笑った。
「それで、これからどうするのかしら? 恩を返したいとは言っていたけれど、どのようにして返そうと思っているのですか?」
「えっと、おばさんがして欲しい事が勿論ですけれど、今考えている事としては身の回りの雑用はどうでしょうか?」
「雑用?」
「その、おばさん忙しそうだし、おばさんの家、結構散らかっていました。私小さい頃からずっと色々な事を一人でやっていたから、大抵の事はできます。おばさんがして欲しい事が見つかるまで、最初のうちはそう言った簡単な事から力になるのはどうですか?」
 ラウルスが提案してみると、おばさんは少しだけ首をかしげて言う。
「気持ちはありがたいけれど、一つ聞いてもいいかしら?」
「はい?」
「魔法使いになりたいという目標はいいのですか? 私の所にいてはどんどん周りに置いて行かれてしまうかもしれないですよ?」
「……!」
 彼女の言葉に、ラウルスは一瞬だけ固まった。
「ラウルス?」
「はい……もういいです。今日の事で諦めが付きましたから」
 しかし、直ぐにそう答えた。
「そう……」
 おばさんは静かにそう言った。
「おばさん。帰りませんか? もう、ここにいても……」
 ラウルスがそこまで言った時、おばさんが彼女の肩に手を置いた。
「え……?」
「して欲しい事を早速見つけたのだけれど、頼んでもいいですか? ラウルス」
「おばさん……?」
 真剣な表情で見つめる彼女にラウルスは戸惑った。
「な……何ですか?」
「おばさん……と呼ぶように言ったけれど、今から呼び方を変えてもらうわ」
「えっと……」
 更に戸惑うラウルスに彼女は少しの間を置いて言った。
「今から、私を〝先生〟と呼びなさい」
「え……っ?」
 目を見開くラウルスにクオーレは笑う。
「嘘を吐くのが下手なんですよ、貴方は。本当は諦められないのではないですか? 私の家でも言っていましたよね? 人を助けられる魔法使いと……。貴方のなりたいものは、誰かの為に魔法を使える人なのではないですか?」
「……」
 ラウルスは目を泳がせて俯く。本心を透写して読み上げられたような気分だった。
「貴方には才能と、何よりも立派な志があるわ。貴方はきっと立派な……」
「む……無理ですよ……っ」
 拳を握って絞り出す。
「ラウルス?」
「その通りです。本当はなりたい……! 平和を愛する人達の為に力を使える立派な魔法使いに……。でも……駄目なんです。無理なんです……っ!」
 目頭が熱くなるのを感じながら叫ぶ。
「今日、誰の役にも立てませんでした……! それに……私には才能なんてない……!」
「貴方は一体、何を言っているの?」
 そう言ってクオーレは魔法で鏡を作り、ラウルスの顔を映し出した。ぐしゃぐしゃに泣きじゃくる少女の顔。その瞳には青いハートが浮かんでいた。
「貴方には、誰も追い付けない程の才能が約束されている。その証拠が貴方の瞳の中に輝いているじゃないの」
「何を言って……青い刻瞳こくどうは一番才能がないと……誰に見せても、クラスメイトにも、先生にも……」
 困惑するラウルスを見てクオーレは溜め息を吐く。
「十四年間引き籠っている間に、王都も様変わりしたわね。これ程までに魔女のレベルが下がっているなんて……」
 そう言ってクオーレはどこからともなく一冊の本を取り出して、あるページを見せて来た。
「快晴の心(セルリアンハーツ)?」
「存在する事自体が奇跡。世界のあらゆる事象の中に存在するどんなものよりも低い倍率に勝利してようやく生まれる幻の刻瞳こくどう。貴方の刻瞳こくどうはそれよ。明らかに本来の青い刻瞳こくどうと貴方の刻瞳こくどうは色が違うからすぐわかったのだけれど、貴方の周囲の人間はこの違いが本当に分からなかったの? だとしたら、十四年という短い時の中でこんなにも魔女のレベルが下がったのかと呆れてしまうわね」
 クオーレの口から語られるおとぎ話のような話にラウルスは驚愕する。
「私は、役立たずじゃなかった……?」
 しどろもどろに口を動かすラウルスの頭をクオーレは撫でた。
「今日、あの子達を救ったのは私ではない。間違いなく貴方ですよ」
 そして優しく微笑んだ。
「それにね、皆色や形で勝手に序列を決めているようだけれど、刻瞳こくどうなんて大まかな指標でしかないの。どんなにランクの高いものを持っていたって関係ないのよ」
「え?」
「これが一番重要な事。どんな事であれ優れた存在になる為には、努力を重ねるしかないのよ。才能とはあくまで努力を続けるためのモチベーションに過ぎないのだから」
 そう言うとクオーレはラウルスのローブを整えた。
「そこで、もう一度聞くわ……ラウルス」
「……!」
 そして、再び真剣な表情を作った。
「貴方の才能と志は素晴らしい。きっと貴方は素晴らしい魔法使いになれる。されどそれも、才能というものの認識を間違えずに正しい努力が出来ればの話……」
 クオーレは似たような事を、以前金色の刻瞳こくどうを持つ者に話した気がした。
「そして今、中の上程度の才能だったとしても正しい努力の仕方を理解していたために〝英雄〟とまで呼ばれるようになった魔女が、貴方に〝先生〟と呼ぶ事を許可している。ラウルス、それでも貴方は夢を追いかける事をやめますか?」
「……!」
 ラウルスは改めてクオーレの目を見る。真っ直ぐと自分の事を見ていた。誰よりも真剣に、温かく……
「いいえ、頑張ります! きっと先生のような魔女になります……!」
 覚悟はできた。ラウルスは深々と頭を下げて叫んだ。
「私の名前はラウルスです! どうか私を、貴方の弟子にしてください!」
「……私の名前は硝子の魔女・クオーレ。今から、貴方の師となる者よ」
 クオーレは涙に濡れる、されど燃えるような決意を宿した青いハートの瞳の少女を、静かに微笑み抱き寄せた。


第一章 「ハートの少女と森の家」
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