神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ

綴咎

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第二章 ヒトビトの原罪

4黄金の街

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 背筋がゾッとする。
 まるで見てはいけないものを見てしまったような、聞いてはいけないものを聞いてしまったような、そんな恐怖がまるで波のように押し寄せる。背後から、何かくる。何かが現れて、それで喰われてしまう。何かが今にも己を害そうとしている。
 くる、必ずその何かはやってくる。
 その瞬間。

「あ、いで」

 そんな拍子抜けしたような声と共に恐怖が霧散する。
 人知れず「ハァーハァー」と呼吸が荒くなる。震えた肩が、指先が、熱狂する観客たちとは反対に悪寒を持ってして震える。余韻というべき恐怖がおさまったのは三戦目も中盤のところ、気がつけばそれほど時間が立っていたことに恐ろしさを感じつつ、メアリーたちは何もできないというように震えることしかできなかった。

「ちょっとしたジョークだろう」

 悪びれもなくそういうウィリアムに「絶対嘘だ!」とアリオストロは心の中で叫んだ。
 実際叫ばなかったのは偉いとしか言いようがない。もし叫んでいれば注目され、それを嫌がったウィリアムが観客たちを殺すなんてことが起きていた可能性がある。
 本能的にそれを察知したかそれともたまたまの偶然かどうにしたって最悪は起こらなかった。

「私たちの仲間が勝って、そしてダグザの大釜を返せば、ヒトは殺されませんか?」

 ローランドが必死に息を整えてそう聞く。
 殺されないか、なんて聞き方おかしいなと思う一方でこれが正解であると本能がいう。普通なら「殺さないと約束してくれますか?」というべきところだが、ウィリアムに対してはローランドの言い方があっているように見えた。

 ウィリアムはまるで自然だ。
 雨がヒトを考慮しないように、雷が気まぐれに落ちるように、太陽が大地を枯れ果てるまで照らすように、それはそういうものだと本能が言っている。

 だからまるで神に聞くようにローランドは「殺されませんか?」と聞いた。一方で他人事のように聞こえるその言葉を、なんとか振り絞るように、その強大さを恐れるようにそういった。

 沈黙が広がった。
 妙に観客の声が大きく聞こえ、果てには遠ざかるように聞こえる。耳がおかしくなり始めた頃、小さく「そうだな」とウィリアムが口にした。

「返還したのなら、もちろん殺さない」

 その言葉はまるで救いのように聞こえた。
 アリオストロが思わず顔を上げた瞬間。「だが」と嫌な言葉が続く。

「それは返還に応じたらだ。もちろん、お前らが勝たなかったら、勝っても返さなかったら話は変わる」

 そしてまるで明日の天気を話すかのように「俺はどこにいてもお前たちを見ている」と脅すように言った。
 それが冗談には聞こえない。ましてや不可能なことを言っているようにも、比喩表現にも聞こえない。だからメアリーは震える指先を今だけ誤魔化して「どうやって」とだけ聞いた。

「上をみろ」

 返ってきたのはそんな言葉だ。
 振り返るなだったり、上を見ろだったり、やけに注文が多いなと思いながらもメアリーとアリオストロ、ローランドは静かに、まるで儀式のように視線を上に向ける。そこには、当然と青白い太陽が輝き、澄み渡った青空が見える。それ以外のものはなく、異変などもカケラもない。上を見ろとはどういう意味だったのか、だが次の瞬間続く言葉に背筋が凍った。

「青白く光るものがあるだろう。太陽アレが俺だ」

 アレ、あれとは?
 どういう意味だ。それはなんの意味がある。もしや本当に、太陽がウィリアムという存在なのだろうか。そんなバカな。
 信じることはできない。だって太陽がヒト型をとっているなんてあまりにも滑稽な信憑性もない話だ。

 でもそれが冗談だとは思えない。

 ならば別の意図があるだろう、別の意思があるだろう。
 その意図とは、意思とはなんなのか、それを探そうとした時メアリーの耳に絶望的な名前が聞こえた。

「そうだな。お前たちはもしかしたら知らないだろうが、俺には同一視された複数の名前がある。例えば、アポロン、ヘリオス、ベレヌス、ルー、金鳥、天照、ソール、シャマシュ、ミトラ、エル・ガバル、ケツァルコアトル、スリーヤ」

 それらは聞いたことのある名前だ。
 鶯鳴の記憶。その中にある太陽神の名前。あのオリュンポス十二神の絵画を見た時の錯覚が再度蘇る。アリオストロとローランドがピンときていなさそうなところをメアリーは這うような声で「全部、太陽の神様の名前だ」と言った。
 そうすれば、二人は目を白黒させる。
 そうだ。この国にはセウズ神しかいない。失言だったかと思った瞬間にはウィリアムが「なんだ、あの偽神の民でも知っている奴はいるのか」という。
 偽神とは?そんな考えをする前に、唐突にメアリーは窮地に立たされた気分になった。

 目をつけられた。
 いや見られた。

 個人として個として、今メアリーは知覚された。

「そう俺は太陽。太陽の化身。否、もっというのであれば恒星の化身。生ける炎、その末端だ」

 メアリーは己だけが理解できることを悔やんだ。
 どうしてこの規格外の男を呼び止めてしまったのか、いやそもそも出会ってしまったのか、知らないころの自分でありたい。そんな意味もない虚しい願いが神に届く前に霧散する。
 だって神とはこの男のこと、ウィリアム・アルベリヒ・ルーという男そのもの、元凶に願ったって叶えてもらえるはずがない。いやそもそも自然神に願うことが愚かなことなのだ。

「信じる信じないかは勝手にしてくれていい。別に信仰心でどうにかなるような作りじゃないからな」
「な、なぁ。本当に、その、セウズ神のような、神様なのか?」
「やめてくれ、あの人形遊びのガラクタと同じにするな」

 まだこの星の太陽神に例えられたほうがマシだ。
 そういうウィリアムは相当セウズ神を嫌っているようで、それから思い立ったというように「試練を与えてやる」と言った。
 それは唐突のことで誰もが反応できなかった。元より反応なんて気にしていなかったのだろう。
 ウィリアムは自然神がそうするように、

「このコロシアムにて勝利しろ、そしてダグザの大釜を俺たちに返還しろ。できなければこのコロシアムに参加した全てのヒトビトを殺す」

 そう宣言した。
 その唐突さと理不尽に文句を言おうとしたアリオストロは、しかし口を開けなかった。
 あのセウズ神の顕現の時でさえ感じなかった圧力。それが「はい」以外の言葉を受け付けないと理解したからだ。

 神様ってきっとこういう姿をしている。

 メアリーは唐突にそんなことを思った。ヒトを考慮しない、ヒトの都合なんて考えない、ヒトの領域を超えた倫理観。いくら無神論者であったメアリーでも、信じざるおえなかった。
 きっとダグザの大釜を返還しなければ惨めったらしく、いや、無差別に殺されるのだろう。それこそ本当に、いつでもそれができるという自負さえ感じれる。

 太陽を敵に回すほどバカではない。

 メアリーは早急にウィリアムがこの場を離れてくれることを祈って「わかった」と口にした。
 それを咎めるようにローランドがメアリーの裾を握る。わかっている。現状を理解していないへロスがヒトビトの命を左右される事柄に巻き込まれる。しかも本人の知らぬ場所で。それの理不尽さを理解しているが、ウィリアムの言葉の裏には間違えなく「それを受け入れなければ殺す」という意図さえ見受けられた。

 だからメアリーは了承の言葉を言った。
 それに、

「へロスが負けるわけない。負けると思って応援してない。へロスは勝つ。絶対に勝つから」

 仲間が負けるなど思っていない。
 だから五日後の返還さえ守れればいいとメアリーは小さな声で、けれどアリオストロとローランド、それからウィリアムとダグザに聞こえるように強くいった。

「じゃあ、五日後。楽しみに待ってるぞ」

 瞬間。威圧感と圧力が消え去る。
 それに気が緩んだメアリーたちはガクッと膝をおり、座る部分へと崩れるように尻餅をついた。
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