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胤甦猗神 前編

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 秋である。

 だれもが朱色に染まる山や、太陽に照らされて光る川の流れを想像する事だろう。
まぁ、僕はそういった情緒あるモノは、特に好きでも嫌いでもない。
風景は風景でしかないし、葉っぱが赤くなったからどうだというのだ。そうだろう?
うだる暑さのピークが過ぎて、過ごしやすい気温になるかと思いきや、急激に寒くなっていく。
最近の日本はどういう気候になっちまったんだと思いながら、冷たくなった指先同士をこすり合わせて暖をとる。
世の中によって冬服を着るのもはばかられるせいで、寒い思いをしなければならないこんな季節に、なぜこんな田舎の山の中に居なければならないのかと言うと、ここからが本題なのである。

 八重樫先輩。
事の発端は、この変人と狂人と常人の悪い所をブレンドしてできた、悪魔の様な人物が原因だ。
それほど悪く言うほどじゃあないと周りのみんなは言うが、絶対にそんなことは無い。あいつらは八重樫先輩の恐ろしさを知らないのだ。外見ばかりは整っているので、みんはな騙されているに違いない。

 さかのぼること3時間前、家賃2万3000円の事故物件という曰く付きではあるが、住み心地の良い我が家の昼下がりは、突然の悪魔が破壊した。
インターホンが鳴り、僕がカギを開けると同時にドアが開いた。
「よし!一緒に来い!おもしろい場所に行くぞっ!」
 八重樫先輩であった。
 有無を言わさずに僕の手を掴むと、開いたドアの前で入れ替わる形で八重樫先輩は愛しの我が家に侵入した。
先輩は慣れた手つきで僕の財布と携帯を部屋から拾い、自分のポケットにねじこむ。
僕は、半ば諦めながら問うてみた。
「行くって……いったいどこにです?」
「うるさいぞ!男なら黙ってついて来い!ちんちん付いてるだろ!」
「…そりゃ付いてますが」
「よーし!じゃあ行くぞっ!」
 先輩は満面の笑みを浮かべている。
僕が返答した、ちんちんが付いている。という言葉を男なので黙ってついて行くと解釈した様だ。

 先輩に後ろから羽交い絞めにされつつアパートの階段を下りて行き、半ば拉致の様なカタチで先輩の車に乗り込む。
今どきにしては珍しいマニュアル車で慣れた様にシフトチェンジして、10分ほどで国道から高速へ入った。
先輩の運転は上手いのだが、高速に入ったとたんに、エンジンを吹かして時速120㎞でアスファルトを韋駄天の如く吹っ飛ばしていく。
内心、早すぎるのでビビりまくっていた僕であったが、意地でポーカーフェイスを守り続ける。

 三時間ほど経っただろうか、シビれを切らした僕は口を開く。
「高速に乗ってドコに行くんですか?」
まぁ、行く場所はわからないけれど、何をするかは分かっている。
心霊スポット巡りでもするのだろう。何を隠そう八重樫先輩は、非日常的なあらゆる物事が三度の飯より好きだからである。怪奇現象、心霊、呪術、民俗学、都市伝説、怪奇、UFOや妖怪にまで手を出しているんだからもはや病気だ。

胤甦猗神しゅそいかみの社さ」
「しゅそいかみ?今度は民俗学系の心霊スポットですか」
「そう思うだろ?違うんだナぁこれが……」
先輩はニヤニヤしながらこっちを向いてくる。
「前向いて運転してくださいよ、危ないです。」
僕はむりやり、先輩の顔を手で押して前を向かせる。
「それで?何が違うんです?神って言うんですから、その土地ゆかりの信仰でもあるんでしょう?」
「胤甦猗神はな、インターネットで生み出された怪異さ。」
「…はい?」
「2017年5月、匿名掲示板にあるスレッドが立てられた。その内容は、存在しない怪奇譚を生み出してオカルトマニアを騙して遊ぶ、まあネットにありがちなノリだよ。フフ」
「はぁ…、それで先輩は騙されたってワケですか」
「バカモノ!騙されとらんわっ!……まぁ、その胤甦猗神の話のクオリティはなかなかのモノだったし、騙される奴が居たっておかしくはない出来栄えだったなぁ、アレは」
まるで先輩も参加していたような口ぶりだ。
「そのスレッドは安価スレだったから、キリ番を踏んだ奴が設定を決めた。まぁなんていうかちゃんと作ろうとするやつが居たり、ネタに走るやつも多かった」
あんか?きりばん?ネットの専門用語だろうか。

「おっと、そろそろ高速道路を下りるよ」
そう言うと、周りに山しか無いICで下りてしまった。
車内から見える景色は畑や山や点在する家、それから電信柱、はっきり言って限界集落だ。
「キミ、今ここが限界集落だ。なんて思っただろう」
この人はエスパーでもあるのだろうか。
「本物はこんなモノじゃあないぞ」
なぜそれを笑いながら言うんだ。全然笑えないと思うが。

「それで?胤甦猗神でしたっけ、ネットで出来た創作話なんでしょう?こんな山奥に連れてきて、さっき話したのがまったく無関係だ、なんて言ったら怒りますよ」
「そりゃあ関係しているさ、最初に言っただろ?社に行くって」
「はぁ…でも嘘の怪異に祀られる社なんか無いのでは」
「いいや、あるさ。って言うか、私が作ったし」
「はぇっ!?」
「中学生の頃、母方の祖父母の家に帰省していてね。暇だったから、その家の近くの山に百葉箱くらいのサイズで社を作ったのさ。で、その匿名掲示板のスレッドで胤甦猗神の社を決める時に、社の写真付きで山の名前と一緒に書き込んだってワケよ」
やはりこの人はおかしい。そもそも普通の人間は暇だからって社なんか作らないし、それを架空の神の社としてネットに投稿なんてしない……。
「八重樫先輩はやっぱり変人ですね」
「ふふん、もっと褒めろ」
まったく褒めちゃいないが。
「それで?まさか、僕にその社の出来を自慢しに、わざわざ片道三時間かけてこんなとこに来たっていうんですか」
「間違っちゃいない。が、本題はそこじゃあない」
急に先輩が真面目な顔になる。周りの雑音がシンと消えて、チクチクと空気が肌に刺さりそうなほど雰囲気が張り詰めていく。
「2018年8月、17歳と18歳のカップルがこの山で失踪。その数日後、捜索隊の一人がまた失踪。十数名が幻覚や幻聴で精神病院に入院した。その後二次被害を防ぐため、捜索は打ち切られた。地元新聞には一人が重症、他数名が軽傷を負ったとしか記載されていないがな。ま、田舎特有の隠蔽工作だろう」
「なかなか怖い話ですね。でも胤甦猗神は関係ないように思いますけど」
先輩は話を続ける。
「その、十数名の幻覚や幻聴の診察内容ってのが胤甦猗神の設定に酷似してるんだよ」
「はぁ、そりゃまた凄い偶然ですね。ちなみにその診察内容の情報はちゃんと正しいんですよね」
「当たり前さァ、わざわざ病院のカルテをこの目で見たんだ。間違いないね。……見るかい?」
そういうと先輩はスマートフォンをずいっと差し出してきた。

 ……たしかに、本物のカルテの写真の様だ。
A4程度の紙がクリップで留められている。


氏名 岡本陽介 生年月日1991年11月2日(29 歳)男性
主治医 近江智治

 重度の幻覚、幻聴有り。パニック障害や統合失調症の兆候が見られる。
過呼吸やストレスによる自傷有り。大変危険な状態です。
以下は患者の幻覚の内容。

 急に目の前が真っ暗になって、体が何分割もされて、かと思うと液体の様に溶けたり、目玉だけになって空を飛んだり、なんだか現実感があって。そうしたら痛みが来て、指が折れてた。それで正気に返った。神社の様な場所に居た。目の前に、動物の頭蓋骨が4つ置いてあった。それをひとつ拾うと、無性に頭に被りたくなったんだ。
被ってみると、体が歪んで、増えたりして、とても安らかな気分になった、気分がいいんだ。顔をさわると、とげの様なモノが生えていて、かきむしったら皮膚ごと取れた。そしたら耳鳴りの後に、よく知ってる声が聞こえてきた。振り向くと誰かが居て、声をかけた。声は泥になって、そいつにかかって、溶けた。そうしたら俺の口も溶けて、また体がドロドロになって、いつの間にか病院にいた。意味わかんないよな。
まだ、後ろにあいつが居るんだ。俺、たぶん死ぬんだろうなぁ。


 他にも何枚かカルテがあったが、具体的な内容が書いてあるのはこれだけった。
「普通に怖いですね。行きたくないので帰らせてください」
「だめ」
本気で行きたくなかったのに、一蹴されてしまった。
「……胤甦猗神(しゅそいかみ)の祟りの内容がこれだったんですよね?」
「おおむね間違っちゃいない…かな、スレッド上の設定とは若干齟齬があるけれど。
これを入手した日はかなり興奮したもんさ。なんせ無から有を生み出したんだからね。しかもその現場に自分もいてさ、インターネットという匿名の集合無意識が、怪異という現象を作ったんだ。ロマンあるだろう?」
「はぁ、ロマンですか」
もし本当にそんな化け物を作り出してしまったとしたら、笑うより悲しむべき、いや贖罪すべきではないのだろうか。
「嫌なこと聞きますけど、罪悪感とかは無いんですか?もし本当だったら、先輩たちが3人失踪させた様なものですよ」
「あのなァ、罪悪感くらいあるぞ。だからわざわざ確かめにこんな田舎まで来たんだろ、これが本当に胤甦猗神の仕業なら責任くらい取るさ。本当ならな」
……まだ胤甦猗神の仕業と決まったわけじゃない。状況証拠ばかりで先輩を責めた自分を恥じた。
可能性はかなり低いが、ネットの書き込みを見て誘拐に利用した。とか、狂人の愉快犯がありもしない胤甦猗神を装ってやった可能性だってあるんだから。

「もう進めないな、ここからは徒歩にしようか」
いつの間にか、かなりの山奥まで来ていた。アスファルトで舗装された道路ではなく、土と石と草で固められた、いわゆる山道である。
先輩は車をUターンさせると、そのまま路上に停めてしまった。
先輩は一足早くドアを開けると、いつものニヤケ顔になって言う
「グズグズするなぁっ!胤甦猗神探しに出発だ!」
行くしかないんだろうな、仕方ない。付き合うか。

 肌寒い秋の山、草木生い茂る道を僕と先輩は進み始めた……。
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