海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~

志野まつこ

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第三章 わだつみの娘と海の国の物語

22、そんなに景気よく燃やすなんて

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 グレイには午後からは予定があった。
 その前に降りかかった思いがけない辞令に、ひどく気が重い。
 グレイは暗澹たる思いを抱えながら国庫管理室へと向かった。

 海軍司令の肩書も、他の者に任せると聞いた。
 オズワルド・クロフォードがついに宰相一本に絞るというのは、この国にとって大変喜ばしい事だ。
 それに貢献出来るのであれば、可能な限りの事をしたいと思ったがまさかこんな事になろうとは思ってもいなかった。

 今の彼に自身の出世を喜ぶ気持ちはみじんもなく、重い責任に、気が滅入るばかりだ。
 ただしカリナとの婚約に対しては戸惑っただけで、出世に対するような重苦しさは意外と感じなかった事だけは救いだった。

 ◆―――――――◆―――――――◆

「どこか、機密情報を燃やす場所はないかしら」
 先日リザにそう尋ねられた。

 内情に詳しく口が堅い。そして王城内を知り尽くしているであろう護衛隊隊長を見込んでの人選だった。
 リザからの物騒な相談に警戒しながらも頭を巡らせる。
 そんな人の良いところが、長所であり、シーアにつけこまれる原因なのだが無論本人は気付いていない。

 少し前から話すようになった庭師に「近々野焼きするような予定はないか」と尋ねれば、やろうと思えばいつでも出来るという答えをもらい、「それならば自分もあれを処分してしまうか」と思った。
 リザは一抱えもある資料を燃やすと言うので、国庫管理室まで迎えに行く。
 機密性の高い資料である事は心得ていたが、杖をつきながら持つにはあまりに重量がありそうなので「持とうか?」と尋ねた。
 リザは一瞬戸惑った様子を見せたが、隊長さんならいいかと素直に全て託し二人連れだって王城内の外れの林へと向かった。

「これが私がやってた仕事」
 すでに火を準備していた気の利く壮年の庭師が席を外した後、吹っ切れたような様子を演じながら燃やすのは、シーアの国葬の費用に関する資料だった。

「お互い嫌な仕事したわね」
 炎を見詰めてポツリと呟いた彼女の横顔を見ながら、グレイは手の中にある手紙に視線を落とす。
「まったくだな」
 素直に同意した。

「なあ、こんな事聞くのは非常に不本意なんだが、ジェイドの奴となんかあったのか?」
 火に目を落としたグレイから異常なまでに言いにくそうにそう尋ねられ、リザは一瞬固まる。
「別に何もないわよ」とはぐらかそうとする前に畳みかけられた。

「俺が考えなしにあんな事頼んだからだろ? 悪かった。もし━━同意がなかったうえで、とかだったら出来る事なら何でもして詫びるし、あんたの望む処罰を検討したい。俺に言いにくければあいつシーアに言ってくれたんでいい。力になりたい」
 ジェイドがそんな男ではないとグレイは信じている。それでもあえてそう言えば、リザはまんまと慌てて口を開いた。
「あ、いえ、そういうんじゃ、ない、から」
 言って口を噤み、己の失言を猛烈に悔いる。
「それならいいんだ。それだけ気がかりだった。言いにくい事を言わせて悪かったな」
 グレイは安堵したように言って、火をかきまわした。
「俺らは山の人間だから、こっちの人間とはちょっと感覚が違ってたりする部分があるらしい」
 それに気付いたのは早々に職場に復帰したカリナだ。
 いつも朗らかなリザが、副隊長の姿を見かけると顔を微かに曇らせ、それとなく隠れるようになった。
 対して鉄面皮とも揶揄される副隊長は、なにか言いたげな視線でリザを見ている。
 その瞳に少しだけ熱を感じた。

 普段であれば朗らかに声をかけるであろう社交的なリザの態度は、本人にそのつもりはないのだろうが実にあからさまなものだった。
 ジェイドは王妃が帰還してすぐに王妃付き任命された為、夜間、国庫管理室を訪れなくなったという話も聞いている。
 グレイも「こじれた」と言っていた。

 悩みに悩んだ末、何か把握している様子のグレイに相談した。
 カリナは相変わらずグレイに負い目を感じ、ぎこちなさを感じていたが、真摯に相談に乗ってくれるグレイからはそんな様子は微塵も受けず、少しだけ安堵する事が出来た。

 カリナは18になっていた。
 レオンが認めたほどに敏く、勘がいい。
 そして、生粋の令嬢ではない。
 北の山岳地帯の住宅事情から、若い男女の逢瀬は納屋や民家の裏手といった戸外で繰り広げられる事も少なくない。そしてその現場に偶然行き当たってしまう事もまた然り。
 そうした風土で生まれ育った彼女の知識は、その容姿にそぐわず達観したものがある。
 何があったか薄々勘付いた。

 平地の都市部では婚前交渉は良い顔はされない。
 しかし、山の方では違う。
 だからと言って誰彼構わず、という訳でもない。

 その意識の違いもカリナは知っていた。
 もしかすると、リザは誤解しているのではないだろうか。
 そしてその文化の違いにジェイドもまた気付かず、リザが誤解している可能性にも気付いていないのであれば。
 ジェイドはリザの固い態度に困惑するとともに途方に暮れ、二人は単純な答えも出せずこじらせている気がした。

「北方の人間はそう簡単に手を出したりしないんだ。あっちじゃそういうのはちゃんとした相手にしかしないから」
 グレイの遠回しにも聞こえる言葉に、リザは困ったような顔をしだたけで何も言わなかった。
 
「楽しそうな事してるな」
 背後から声を掛けられて、二人は眉間に皺を寄せた。
 ジェイドを従えて本当に愉快そうな声で割り入って来たのは、今まさに燃やされている資料にまつわる人間だった。
 レオンは、ジェイドに常に彼女につき従うよう正式に指示を下した。
 記憶を無くした王妃は、表向きはか弱い存在であるからだ。

 王妃が事故に遭った時期、同様に黒髪の小間使いも消えたがそんな大きな具象の前でそれに気付いた者は少なく、責任を問われて謹慎しているのか、同行して帰れなくなったのかもしれないと同情した程度だった。
 そして現在、小間使い姿の時は基本的に単独行動をしているシーアだったが、時々こうしてジェイドも同行させていた。彼ほどの手練れを、誰もいない王妃の居室に一人残すのはさすがの彼女も気が引けたのだ。当の本人は一人でいくらでも過ごせる人間だったが、王妃の居室で一人読書に明け暮れて賃金をもらうには抵抗を覚える、国の北部に多い生真面目な性質の人間でもあったのでその配慮はありがたかった。
 周囲は王妃の従者同士、行動を共にする事もあるのだろうと特に気にも止めなかった。

 ただ、一部の人間はその事により「小間使い」姿の彼女と「海の国の黒真珠」であるシーアが同一人物だと確信を得た者もわずかではあるが存在した。
 国王の周辺を警護する者も当然二人が同一人物である事は知っているため、それはシーアも想定内だった。
 ちょっと考えて、「もちろん記憶を失ってるけど、小間使いの時も普段通り過ごそうとものすごい努力してて、そうは見えない、という事にしよう」あっさりと言う彼女に、侍女二人は無茶苦茶だと呆れた。

 重要なのは「黒真珠」と「小間使い」の関係と正体じゃない。
 海の国オーシアン王妃の「海姫」たる記憶の有無だ、と彼女達の主は断言する。
 王妃が小間使い姿でフラフラしている事を知っているのは彼女と近しい仕えの者ばかりで、「王妃はご記憶があるのではないかと」と疑問を抱く人間に、侍女二人はそっとこう打ち明けた。

「陛下から記憶を呼び覚ますきっかけになればと『以前と同じように』と申しつけられているの」

「私達よりジェイド様の方がよっぽど城内にお詳しいから、ジェイド様が色々な所をご案内されてるの。色々な所を見た方が、何か思い出すきっかけになるかもしれないでしょう?」

「だからいつもジェイド様が先を歩かれてるの」

「普段シーア様は侍女を連れては歩かれなかったから、今もその通りにしてるのよ」
 
 どうしてあの人はこうも次から次へと出まかせが思い浮かぶのか。
 主の指示にハナは慣れて来ていたし、ユキは諦めて精一杯、主からの言いつけに従う事にした。

 そしてそんなシーアの行動を全く制限しないジェイドは、まさに適任たる人材であった。
 グレイは律儀なほどにいちいちシーアを諫めているが、傍若無人で自由な人間のあしらい方に慣れていたジェイドは心得ていた。
 言っても無駄なことは言わない。
 大家族の一番幼い立場にあった彼は、家の年寄りたちに育てられ、長じてからは年寄りの世話をする事も多かった。よほどの問題や実害がない限り「はいはい」と聞いたフリをして頷いているのが最善なのである。

 記憶を失った王妃の姿と、小間遣いの姿。
 そしてもう一つ、最近シーアは侍女姿になる事が増えた。

 これは完全に新しい別の人物キャラクターであり、この時ばかりはジェイドも同行しなかった。

「小間遣いの格好が一番楽なんだけど、あれはあれでけっこう目立つようになってきたからな。お仕着せじゃ街にも出にくいんだが」などと言うのだから始末に負えないとユキは思う。
 その姿が城内において最も自然であり、誰も気にも止めない。
 どうしてそんなに溶け込めるのだろう━━ユキは黙って廊下の奥へ消えて行く主の姿を見送った。
 王妃が地味顔の侍女の姿で一人うろうろしているのを知っているのは、彼女の記憶に何ら瑕疵のない事を知っている数人の人間だけである。
  シーアが言った通り、皆いいように解釈した。
 人間とはこんなに簡単なのかとグレイは唖然としたが、受け入れられているのであれば文句を言う事もないかと自分を納得させた。

「お前それ」
 グレイがひらひらと示す薄い手紙が開封されている事に気付き、シーアは「困った奴だな」という表情を浮かべる。まるで言いつけを守らなかった子供を許すように肩をすくめた。

「どうにもならなくなったら開けろって伝言聞かなかったか? あ、リザ、それもったいない。残しといたら後々使えるだろ?」
 リザが景気よく燃やしている資料を見てシーアは唇を尖らせ、対してリザはまた激昂する。
「こんな資料が要るのは私が引退した後にして! 私はもう二度とこんな仕事しないからね!」
 シーアの国葬に関する資料の最後の束を叩きこむように乱暴に火にくべ、これでは燃えないだろうとグレイは持っていた木の枝で広げてやった。

 そして━━
 グレイはしばらく手元の手紙を見詰め、しゃがみ込んで火に挿し入れようとすればこれもまたシーアが止める。
「それ、今回のお詫びに持ってていいぞ?」
「こんな物騒なもの要るか」
 忌々し気に吐き捨てる。
 レオンも知らない事実を知ってしまったグレイは、開封したことを後悔していた。

 この封書の中にはもう一枚の手紙が同封されていた。
 グレイに宛てたものと重ねて畳まれたそれはカリナ宛てのものである。

『わたしが秘密の公開をオズワルドとグレイに指示した。
 二人に苦渋の選択を迫った事を申し訳なく思うとともに、二人の決断に感謝する。
 後悔は一切無いので安心して欲しい。
 万が一うちの旦那が文句を言うようなら、この手紙を見せてやってもらえると助かる。
 たぶん荒れるだろうからリザにも。

 わたしの可愛い羊飼いのお嬢さんへ』

 グレイに託した手紙により、二人が王妃の本名を公開し婚姻関係を無効とする荒業に出た時、カリナの心情は計り知れない。それを見越してシーアは一筆したためたのであろう。そうやって細かい所にも配慮の出来る部分もあるからこそ、グレイは彼女を憎みきれないのだが。

 雑だ。
 雑にも程がある。

 今だからこそグレイは改めて思う。
『うちの旦那』などと言っておきながら、夫に対する配慮は一つも見受けられず、その扱いが雑な事この上ない。
 レオンにも同様に弁明の書簡が残されている可能性をグレイも考えなかったわけではない。しかし彼の嫌な予感通り、そんな物をシーアは当然残してはいなかった。
 彼女が信頼し、対等だと認める数少ない相手だからこそ、自己抑制は責務だと考えていた。
 こうなる事は初めから予見できたのだ。それを強行して結婚してしまった責任が自分にもレオンにもあり、後悔も苦悩も自身で克服すべきであると考えていた。
 同時に、夫は過酷な時間を過ごす事になるかもしれないがそれを果たす人間であると、彼女はそう信じて疑わなかったのである。

 グレイは封書を手に正直途方に暮れた。
 こんな真実は、知りたくなかった。
 付き合いの長い親友でさえ知らない、彼の妻の秘密。
 手紙の焼失とともに記憶も一緒に消えてしまえば、どんなに楽だろう。

 墓場まで持って行く国家機密を抱えるなどと、そんな面倒なのは想定外だった。そういうのだけはご免だったのに。
 これからオズワルド・クロフォードの持つ護衛隊に関する全権を引き継ぐというだけでも、頭痛の種であるというのに。

 苛立ちを晴らすかのようにグレイはシーアからの手紙の端に火を移らせ、半分ほど燃えたところで火中に落とした。
 誰にも見られてはならない事実が記されたそれが、完全に燃え尽きるのをグレイは最後まで見届けた。

「出世と婚約の祝いに取っときゃ良かったのに」
 シーアは唇を尖らせながらも、燃え尽きた手紙をなんの感慨も無い様子で見やった。
 
 その言葉に大小の差こそあれ、反応したのはリザとジェイドである。
「隊長さん、ご婚約されたの? どなたとかしら?」
 リザは笑顔だったが、その声には冷えたものがあった。
 余計な事を漏らしたシーアを睨み付けるグレイは、言ってもいいものかと困惑した。
 まだ決定事項ではないはずだ。

「決まってるじゃないか」
 本人の代わりにシーアが嫌な笑みを浮かべて答えた。
 グレイへの謝罪と引責という建前での婚約でなくて本当に良かったとシーアは思う。
 そんな事になれば、二人は対等でいられなくなる。
 それではカリナの純粋な思いがあまりにも不憫だ。

「それなら良かったわ。カリナ様以外の人間と婚約でもしたのかと慌てちゃったじゃない。隊長さん、ご婚約おめでとう」
 リザから心からの祝福を述べられ、名前が出ていないのに言い当てられたグレイは目を怪訝そうな表情を浮かべた。
「リザ、なんで分かったんだ?」
 グレイの戸惑ったような問いに、皆一様に不思議そうな顔つきになる。それまで表情に変化のなかったジェイドまでもが眉根を寄せた。

 え、だってカリナ様が隊長さんに恋してるのは見てたらすぐに気付いたし。
 身分とか家柄とか面倒な事が多そうだけど、婚約が成立したのであればその辺りは何とかなったということでしょう?

 リザはシーアにそんな視線を投げかけた。
 それに対してシーアは肩をすくめて見せる。
 そんな女たちの様子に、グレイはなんだかんだと考えるのが馬鹿らしくなった。
 とくにシーアを見ていたらそれは顕著だ。
 考えたところでどうせ振り回されるのだ。
 考えるだけ無駄なのだと思った。

 男ってのは鈍いよな。
 ジェイドもちゃんと言えばいいのにとシーアは思う。
 自分が離婚経験者という事実を冷静に受け止め、もう男には懲りたと断言するリザは年若く将来有望なジェイドを望まないだろう。
 寡黙なジェイドには手強い相手だろうが、彼は彼で頑固で人の話は聞かない所があり人を泳がせるのが上手い。
 彼はシーアの専属の護衛に就く事で昇進したものと周囲からは見られている。
 グレイの肩書は「護衛隊長官」になり、グレイには知らされていないが式典では王妃から名誉のキスとともに任命される手筈になっていた。

 彼等の名誉はすぐに挽回される事になる。

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