薮原なこと

真田奈依

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第十二話 正論パンチ

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 薮原恵巳は、正論が好きだった。
 いや、正確に言えば――
 正論を“武器”として使うのが好きだった。
 正論を言っている間、彼女は安全だった。
 なぜなら、正論は反論しにくい。
 そして反論されなければ、自分が正しい側に立てるからだ。

 ある日の午後、派遣社員の後輩大場は明らかに元気がなかった。
 慣れない業務が重なり、小さなミスを連発していた。
「……すみません」
 小さく頭を下げる大場に、薮原は待ってましたとばかりに口を開いた。
「謝るのはいいけど、同じミスを繰り返すのは違うと思うの」
 声音は落ち着いている。内容も、一見すれば“正しい”。
「仕事ってね、責任が伴うものなの。
 あなたがミスすると、その分、周りに迷惑がかかる」
 大場はうなずくしかなかった。
「だからあたしは言ってるの。
 “もっと確認した方がいい”って」
 それ自体は、間違っていない。
 だが――
 薮原は、そこで終わらなかった。

「そもそもね、ミスが多い人って、“自覚”が足りないのよ」
 大場の肩が、ぴくりと揺れた。
「自分は大丈夫、って思ってるでしょ?
 でも実際はそうじゃない。
 そこを自覚しない限り、成長はないと思う」
(そこまで言う必要ある?)
 周囲の同僚たちは、視線を逸らした。
 薮原の“正論攻撃”が始まると、止まらないことを知っている。
「厳しいこと言ってるけどね、これは“あなたのため”だから」
 出た。免罪符のような一言。
 大場は、何も言えなかった。
 言い返せば、「非常識な人」になる。
「社会人として、最低限の意識は持たないと」
 最低限。
 正論の中に混ぜられた棘のような言葉が、胸に突き刺さる。

 薮原は、ふっと笑った。
「まぁ、誰にでも向き不向きはあるけどね」
 それはフォローのようで、実は“向いていないかもしれない”という暗示だった。
「あたしは、最初からこういうの得意だったから」
(自慢、入れてきた……)
「だからこそ、言えるのよ。
 この仕事、甘く見ない方がいいって」
 大場の顔色は、すっかり悪くなっていた。
 正論は、正しい。
 だが、正論だけで殴られ続けると、人は立ち上がれなくなる。



 休憩室で、山本がぽつりと漏らした。
「正論ってさ……相手を助けるために使うものだよね」
 佐伯が静かに答えた。
「うん。でも薮原さんの場合、“自分が正しい立場に立つため”に使ってる」
「しかも、相手が弱ってる時を狙う」
 ふたりは、顔を見合わせてため息をついた。
「あれ、殴ってるよな……言葉で」



 一方、薮原は満足していた。
(ちゃんと言ってあげたわ)
(厳しいことを言えるあたしって、立派よね)
 大場が黙り込んだのを、「反省している証拠」だと解釈していた。
 自分の言葉で、誰かが傷ついたとは、微塵も思っていない。
「正論を言われて不快になるのは、図星だからよ」
 そう、本気で信じていた。



 その日の帰り道、大場は小さく呟いた。
「……正論で殴るのって、いちばん逃げ道ないですね」
 隣を歩く同僚が、苦笑して答えた。
「うん。それも完全に“薮原なこと”だね」
 正しいことを、相手が折れるまでぶつけ続けること。
 それを、職場ではいつのまにか、“薮原なこと”と呼ぶようになっていた。
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