天使ムニエル

真田奈依

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1 ねぎらいの○○

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 夜の木枯らしの寒さが、皮下脂肪のない身体にもろに来る。夜の10時すぎ。急な残業で、この時間に徒歩20分の家路。介護の仕事は大変だけど、私は嫌いじゃなかった。だけど、今日は……
 昼食も食べずに入所者の義雄さんの清拭をした。義雄さんは体を拭かれるのを嫌がる人なので、みんなが敬遠していた。疲れる仕事だったけれど今日は我ながらいい仕事をしたと思う。義雄さんも気持ちがいいと言ってくれた。
 仕事とはいえ、自分のことを後回しにして、義雄さんの体をきれいにした。それなのに8歳年上の同僚の遠藤さんは、義雄さんの清拭を終えた私をねぎらうどころか、ケチをつけた。留子さんの杖をどこにやったと難癖をつけられ、休む間もなく杖を探させられた。
 疲れたなぁ……
 歩く先にラーメン屋が見える。こんな夜はあったかい中華そばでも食べようかな。しばらく食べてないな、ラーメン。昔ながらのしょうゆ味の縮れ麺にメンマとナルトとチャーシューと海苔の乗った中華そば。唾がわいてくる。
 でもこの時間に食べたら太るよね。それに時間が惜しい。それどころじゃないって気持ちになる。早く帰ってあったかいホットミルクを飲んで、お風呂に入って眠りたい。ラーメン屋の前を素通りした。
 アパートの二階の私の部屋に、明かりがついていた。母が来ているんだ。いつもなら夕方前には帰って行くのに、10時になってもいるっていうことは、泊まるつもりだろうか。
 玄関ドアを開けるとすぐキッチンの間取り。そこに立っていたのは母ではなかった。



「おかえり、智子」
 中性的な優しい声。天使がいた。天使? 身長は180cmくらいで女の子みたいな顔。光沢のある白い、裾の長い衣。腰までのびた、ゆるくウエーブのかかった金髪。優しい青い瞳。白鳥のような大きな翼。そして頭の上のほうには、光る輪っかが浮いていた。
 かなり疲れているようだ、こんな幻覚を見るなんて。きっとそうだ。
 二口ふたくちのコンロの上にはそれぞれ鍋がかかっている。
「手を洗ってうがいして、着替えておいで」
 幻聴まで聞こえている。私はダイニングキッチンを通って、部屋に入り、トレーナーに着替えた。キッチンのほうから中華料理みたいなおいしそうなにおいがしている。これも幻覚?
 部屋を出てダイニングキッチンに行くと、二人掛けテーブルに一杯のラーメンが置かれていた。ネギがどっさり入ったラーメンから湯気がのぼっている。
「何者?」
「僕は天使ムニエルです」
 なんか舌平目の料理のイメージが浮かぶ。
「なんで天使がラーメンなんか作ってるの?」
「智子がお仕事がんばってるからね。ねぎらいのネギラーメンだよ!」どういうこと? 「今が旬のネギ。疲労回復効果があるよ。それに体を温めてくれるし。さあ、のびないうちに食べて」
「こんなに、食べられないわよ」
 この時間に食べたら太るから、私はいつも夜は栄養ゼリーしか口にしない。
 向かい側の椅子に天使が掛けて、にこにこしている。炒めたネギの香ばしいにおいが食欲を刺激する。胃袋が痛いほど空腹を訴える。おそるおそる、スープを一口飲んでみた。しょうゆベースの澄んだスープ。
「おいしい」
 麺も食べてみる。ほどよいゆで加減の細麵で、ツルツルと食べやすい。冷え切っていた体がぽかぽか温まっていく。完食した。どんぶり一杯なんて食べられないと思っていたのに、ぺろっと食べた。
「智子がおいしいって言ってくれてよかった」
 天使は、私のために料理を作るために来たと言う。

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