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1巻

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 さあのっけから、お仕事だ。美夕はさっと気を引き締めた。
「あちらでお父様にお会いしましたよ」と続ける男性は、すぐに美夕にも会釈えしゃくをした。

「ところで、こちらの美しい女性は、来生さんのお連れの方ですか?」
「ええ。僕の婚約者の雪柳美夕さんです。美夕、こちらプラント配管や管工事業を主に手がけている、セタヤ総合設備株式会社社長の永江ながえさんだよ」

 最初に挨拶あいさつに訪れた男性に、美夕は流れるような調子で紹介された。

「初めまして、雪柳と申します。お会い出来て光栄です」

 丁寧にお辞儀をして挨拶あいさつを述べた後、一瞬の間があいて鷹斗の言葉が頭に入る。あれ? てっきり〝交際相手〟だと紹介されるものだと思っていたのに!?

(先輩、話が違うっ! 〝恋人〟じゃなかった? 〝婚約者〟って……どうなってるのっ?)

 美夕は動揺するものの、にこやかに笑った顔の表情はもちろん崩さない。その首筋がほんのり染まり、むしろ初々ういういしさと愛嬌が増す。

「いやあ、こちらこそお会い出来て光栄です。初めまして、永江です。今日は来生さんが、お一人でないので驚きましたが――」

 穏やかな様子のまま、当たり障りのない会話を続ける男性二人の隣で、あくまでニコニコ顔をキープ。けれども――!
 いかにも興味深そうに相槌あいづちを打つ、一見穏やかな態度の美夕の脳内は……はっきり言ってパニックだった。
 いや、もしかして自分は緊張のあまり鷹斗の言葉を聞き間違えたのかも……?
 咄嗟とっさにそう思った美夕の耳には、「それで、ご結婚の予定などはいつ頃ですか?」と問いかける声が聞こえてくる。すると鷹斗は、嬉しそうに「そうですねぇ」などと答えているではないか。
 美夕は、聞き違いじゃなかった! と胸中で叫んだ。

(え、えぇぇっ!? どうして婚約者!?)

「今時分は結婚式の形式も……」とやけにリアルな会話をのんびりと続ける鷹斗に、一体いつの間に自分たちの関係は、婚約までひとっ飛びに進展したのっ? と大声で質問したい。

「美夕も僕も、今まで仕事が忙しくて、まとまった時間を取るのが難しくて……」

 ――などと、どんどん話が進展し、そればかりか鷹斗は愛おしそうに手まで握ってくる。さらに、だ。

「式は早い方がいいよね、美夕?」

 と返事を求められては、呆けた顔をさらすどころではない。
 しかもパニック気味の美夕を余所よそに、こちらに向かって人がどんどん集まってくる。

「来生さん、こちらでしたか」
「これはこれは、ご無沙汰しております」

 途切れなく挨拶あいさつに訪れる人々に、とてもじゃないが、鷹斗にその真意を問いただす暇などなかった。鷹斗の横で、美夕は必死に、だがニコニコと上品に笑い続ける。

(また来た! どうしてこう、次から次へと人が寄ってくるの? 先輩はこっちから挨拶あいさつに行くようなことを言ってたのに……)

 しかも、どの人も美夕にも目を向け、挨拶あいさつを兼ねた質問をしてくる。
 それに笑って答える鷹斗も、例に漏れず「僕の婚約者の……」と同じセリフを繰り返していた。
 こうなるともう美夕は、最初に感じた動揺など微塵みじんも見せず、愛想よく笑って挨拶あいさつを交わすしかない。何度も繰り返していると、しまいには、鷹斗の婚約者と書かれた名札を付け歩いている気分になる。
 そしてついに開き直り、ニッコリ余裕の笑顔で挨拶あいさつを返すだけでなく、世間話にちゃんと参加出来るまでになっていた。
 それにだ、鷹斗の知り合いだらけらしいこのパーティ会場で、迂闊うかつなことは言えなかった。
 依頼人である鷹斗の顔に、泥を塗るような真似は絶対出来ない。
 臨機応変に応じるのも仕事のうちと考え、〝ええ、そうですとも私が鷹斗さんの婚約者です、幸せいっぱいです〟というニコニコ顔を徹底して維持することにした。
 こうして婚約者問題は無事に美夕の意識外に追いやられ、現実的な問題に心が向かう。
 ……この広い会場で、いまだ入り口付近で足止めとは。今夜は会場のどこまで進めるのか……? 
 なにせもう三十分以上この状態で、二人はここから動けていない。美夕の今夜の仕事である挨拶あいさつ回りはまだ始まったばかりだが、嫌でも悟らずにいられない。この先はさらに長いのだ……と。ついつい溜息をつきたくなる。それにいい加減、お腹も空いてきた……
 少し疲れた美夕は、給仕のボーイに渡されたシャンパンを片手に、知らず知らず鷹斗に寄り掛かっていた。すると鷹斗は相手との話を適当に切り上げ、美夕の手を取って立食用テーブルの方へ足を向けた。

「美夕、疲れただろう、お腹減った? 何が食べたい? ここの料理はどれも美味おいしいよ。取ってあげるから、どれが欲しいか言って?」

 優しい鷹斗の言葉に喜んだ美夕は、目ぼしい料理をリクエストする。けれども、鷹斗が彼の取り皿にあまり料理を載せていないのを見て、不思議に思い聞いてみた。

「鷹斗、お腹空いてないの?」
「ああ、僕は早めに夕食を済ませているんだ。こういうパーティって、大抵忙しくて食べる暇ないからね。美夕はゆっくり食べてていいよ。今日は急だったから食べて来なかったんだろう? 僕が壁になるから、好きなだけ食べて」

 そうだった。しばらくこういうパーティから遠ざかっていたせいで、綺麗さっぱり頭から抜け落ちていた。今更ながら社交常識が頭によみがえってくる。

(……先輩に恥をかかせないようにさっさと済まそう)

 手早く食事を終えようと、もぐもぐと一生懸命に食べている間も、鷹斗は黙ってニコニコ壁になってくれている。美夕は素直にお礼を述べた。

「ありがとう、鷹斗、今日は忙しくて食事する暇がなかったの。もうお腹もいっぱいになったし、大丈夫よ」
「心配ないよ。恋人同士で語らっているようにしか見えないはずだから。さあ、おいで。もうひと踏ん張りだ」

 鷹斗は美夕の腰を抱いて、堂々と社交の場に戻っていく。お腹がいっぱいになった美夕は、先ほどあれほど頭を悩ませた婚約者発言のことなどすっかり忘れ去り、リラックスして挨拶あいさつに訪れる人々に接することが出来た。
 隣の頼もしい存在のお手伝いをするべく、紹介されるたびに寄り添ってにこやかに会話を交わす。
 こうして、世間話をしながら広い会場を少しずつ進んだ二人は、やっと会場の中心近くにまでたどり着いた。すると前方の一箇所に、若い男女らがにぎやかに談笑しながら集まっている。鷹斗の姿を認めたその女性たちが、チラチラとこちらを見ていた。
 どうやら若手の集まりらしいその集団を、鷹斗は無視してそのまま奥の方へ足を運ぼうとしたのだが……

「来生さん! お久しぶりです……」

 高い声が追いかけてきて、二人は着飾った男女に捕まってしまった。
 呼び止められた鷹斗が小さく溜息をついたのを、隣にいた美夕は見逃さなかった。

(先輩、どうしたのかな……?)

 心なし乗り気でない鷹斗の様子に、美夕はもしかして要注意の集団なのかもしれないと、再度気を引き締める。

「久しぶりだね。元気そうで何より」

 鷹斗がそう返すと、中でも取り巻きのような人たちを連れた三人の女性が、こびを売るように近寄ってくる。

「来生さん、今日は遅れていらしたのね。会場前でお見かけしなかったから心配したわ」

 一人が前に出れば、負けるものかとあとの二人も言葉を重ねてくる。

「そうそう、ちょうどこの後、若い人たちで飲みに行こうって話が出てるんですけど、来生さんもいかがですか?」
「ぜひ、行きましょうよ。いいバーを見つけたんです、ここから歩いていけるんですよ」
「もちろん、来生さんもいらっしゃるわよね。私もご一緒したいわ」

 三人の女性が争うようにそれぞれ熱心な言葉で誘いをかけてきた。
 その中でも最初に鷹斗に声を掛けてきた一人は、自分のドレス姿を見せつけるように自信満々で一歩一歩気取った歩き方で近づいてくる。

「帰りはうちの車で送らせますわ、今夜こそ付き合ってくださるわよね? せっかくのパーティですもの」

 この女性は他の二人より背がいくばくか高く、セミフォーマルにしては大胆なほど身体の線を見せつけるドレスを着ている。毛先までふうわりクルンと髪を巻いたその姿は、確かに女性らしさにあふれていた。ハイヒールが似合う美人だ。
 だが鷹斗は、次々とかけられる誘いの言葉を、にっこり笑いながらも丁寧に断った。

「誘ってくれてありがとう。だけど、これからちょっと仕事が入っているので、またの機会に」

 誘ってきた三人のうち二人は残念といった様子だが、ハイヒール美人は仕方ないというより、口惜しいといった表情をした。それが、鷹斗が美夕の腰を抱いている事実に気付くと、驚きの表情に変わる。
 今まで鷹斗の顔ばかり見つめていたことと、角度の問題で、手が見えていなかったらしい。他の二人や後ろの集団も、鷹斗が美夕を守るようにその腰を引き寄せるのを見て、一斉に驚いた顔をしている。

(え? どうして……こんなに驚いているの?)

 最初に気付いた自信ありげな美人が、鷹斗に問いかけてきた。

「来生さん、そちらの女性はお仕事関係の方ですわよね? 初めて見る方だわ。よかったら、私たちが代わりに案内してさしあげましょうか?」
「そうですよ、来生さん、これからお仕事なのでしょう」
「パーティのエスコートなんてなさっていたら、いろいろと不都合もおありでしょう」

 ずいと前に出た背の高い女性は、さあこちらへとばかりに美夕へ手を伸ばしてくる。

「私たちが、その方のお相手をしますわ。ねえ、きっと若い世代の女性同士の方が、その方もよろしいんじゃありません?」

 明らかに親切をよそおって、美夕を鷹斗から引き離そうという魂胆が見え見えなアプローチである。

(何で知り合いでもないあなたたちの方が、先輩より〝よろしい〟のよ。決めつけないでちょうだい)

 少々勝気なところがある美夕は、わざとたくましい腕に寄りかかるような仕草をし、嬉しそうに口を開いた。

「鷹斗、この方たちはもしかして親しいお知り合いなの? それならあなたのお友達にご挨拶あいさつするいい機会だから、ぜひとも紹介して欲しいわ」

 今夜の使命である盾役は、しっかりこなさねば。
 集団に向き直ると、美夕は臆することなく挨拶あいさつをする。

「いつも来生がお世話になっております。来生の婚約者で雪柳と申します。皆さんにお会い出来て光栄ですわ」

 そう言ってニッコリ笑う美夕に、鷹斗は一瞬呆気にとられた。だが、すぐに上機嫌で優しく美夕の肩を抱き寄せ、低くつやのある声で見せつけるように甘くささやき返す。

「ああ、ごめんね。美夕のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたよ。ええと、一人一人は時間がないからまとめてでいいよね。皆さん、こちら僕の婚約者の雪柳美夕さん。式の日取りが決まったら招待状を出しますので、その時はよろしく」

 声を掛けてきた女性たちは、その素っ気ない十把じっぱ一絡ひとからげの扱いにもだが、鷹斗の口から飛び出た〝婚約者〟発言に驚いている。

「式の日取り?」
「婚約者?」
「うそ~、来生王子が結婚?」

 後ろで固まっていた集団もざわめき、大きな声で会話している。

「業界一のイケメン王子が~!」
「でも、初めてよ、王子が仕事関係以外の女性連れてるの」
「じゃあ、中田なかたさんたちも、諦めるしかないんじゃ……」

 小声でささやかれる内容を耳にした美夕は、内心で予想通りだと感心していた。

(うわー、やっぱり王子って呼ばれてるんだ。高校の時と変わらないなぁ。それなら尚更、先輩に迷惑がかからないように、もっと上手く立ち回らないと)

 背の高い美人が一瞬悔しそうに唇を噛んだのを見逃さなかった美夕は、にこやかに笑いながらも、さてどうすべきかと目の前の女性陣をさり気なく観察した。
 そこで女性の一人が付けているネックレスに気が付き、いかにも感じ入ったという様子で声を掛ける。

「まあ、あなたのネックレス、最近流行はやりのGemma·G·Fiorellaのものですよね。私もファンなんですよ。今年のコレクション、とってもよかったですよね」

 美夕の言葉に目を見張った女性は、自身のネックレスに触れつつ、美夕の首元に目を留めた。

「あ、ありがとう。あの、あなたのネックレスも色合いがドレスにぴったりで、素敵だわ……」
「そう言っていただけると嬉しいですわ。ありがとうございます。今日は業界のパーティだって聞いていたから、楽しみにしていたんですよ」

 嬉しそうに美夕は女性たちに一歩近づく。

「来生の仕事関係で親しい方たちにお会い出来て、本当に嬉しいです」

 あくまでにこやかに笑い、さり気なく〝仕事関係〟を強調して差し出した美夕の手を、その女性は咄嗟とっさに握った。よかった、このパーティに出席しているだけあって、マナーはきっちりしている人たちだ。その手を柔らかく握り返した美夕は、早速その腕のブレスレットも素敵だとコメントする。少しはにかんだ女性は、美夕のブレスレットに気付くと小さな驚きの声を上げた。

「あの、もしかして、それってオリジナルシリーズの……?」
「ええ、そうなんです、私もこのシリーズはとっても好きで……」

 そう言って美夕は、よく見ようとのぞき込んでくる女性のためにブレスレットを腕から外した。

「見せてもらっていいかしら?」
「もちろんどうぞ。ほら、ここなんてとっても凝っていて、どの角度からでも……」

 ブレスレットに惹かれたように聞いてくる女性の手にそれを乗せる。ライトを受けてキラキラと光るダイヤとルビーをあしらったチャームを見て、女性は「まあ、ほんとだわ」とその職人技の素晴らしさに感嘆の声を上げた。

(よかった。興味を持ってもらえたみたい)

 トリックアートのようなその造りに、周りの女性も興味きょうみ津々しんしんでチャームを見ている。すると後ろに控えていた女性の一人がまさかと言わんばかりの表情で、美夕に聞いてきた。

「あの、もしかして、そのドレス、〝西織姫にしおりひめ〟の最新作ですか? カタログで見たことないんですけど……」
(わあ、織ちゃんのドレスを知っている人がいた! 借りてきて正解だった。ちょうど良いから宣伝しておこうかしら)

 いかにも嬉しいといった様子で、美夕ははにかんだ。

「〝西織姫にしおりひめ〟のブランドをご存知なのね。感激ですわ。これは来年の春コレクションの試作なんですよ。今日のドレスは緋色ですけど、色違いの萌黄もえぎ、桃色、藍色が出る予定だそうです」

 夏妃に借りてきたドレスは、美夕の白い肌に合う緋色だ。友達のブランドもしっかり宣伝出来て、美夕は大満足だった。

「えっ、未発表の来年の新作なんですか? すごい!」
「試作ですから、もしよかったら、感想を聞かせていただけると嬉しいですわ。皆さんのような流行に敏感な方たちの意見って、とても大事だと聞いていますの。例えばこの縁取り、どう思われますか? 違う色を重ねた方がいいのかしら?」

 美夕の言葉に、その場にいる若者たちは、女性を中心にこんな感じはどうだろう、こんな感じもいいかも、と打ち解けていった。「今日の王子は、いつにも増してかっこいい」とか「あのネックレスや指輪、センスがいい。どこのブランドだ?」と、ささやく声もチラホラ聞こえる。
 美夕の様子を黙って見守っていた鷹斗は、しばらくすると手元の腕時計を見てすまなそうに告げた。

「美夕、楽しんでいるところ悪いんだけど、そろそろ行かないと約束に間に合わないよ」

 それを聞いた美夕は残念そうな顔で答える。

「まあ、もうそんな時間なのね。皆さん、今日は楽しかったです。それではまた、お会いしましょうね。今後とも来生をよろしくお願いします」

 ブレスレットを返してもらい丁寧に頭を下げると、鷹斗と二人でにこやかにその場を去った。
 鷹斗が美夕の腰に手を回して連れ出しても、今度はうらやましいという視線だけで、皆手を振って送り出してくれる。
 鷹斗はおかしくてしょうがないという風に口の端を上げ、声をひそめて美夕に聞いた。

「美夕、一体どんな魔法を使ったんだい。絶対嫌な思いをさせると思って、あのグループは避けるつもりだったのに」
「人は誰しも自分のセンスを褒められたら嬉しいものよ。ましてや、好意を持って近づいてくる人を邪険に出来る大人は少ないわ」
「ははは、すごいな」

 鷹斗は目を細めて美夕を見つめ、その場でいきなり抱きしめた。髪にそっとキスを落とし、耳元でささやく。

「美夕、君には驚かされてばかりだ。ああ、好きだよ」
(きゃー、これはほんと恥ずかしい…!)

 鷹斗の言葉といきなりの愛情表現に照れて、美夕の頬がバラ色に染まった。

「た、鷹斗ったら、こんな大勢の前で恥ずかしいわ」
「ほら、そんな恥ずかしがらないで。さっきは本当にありがとう」

 抱きしめながら低い声で礼を言う鷹斗に、仕事の出来を手放しで褒められた美夕の胸は弾んだ。
 そうか、運命の恋人ならこれくらいは当たり前なのかも……と思い直し、抱きしめられたままの状況を受け入れる。鷹斗はたくさん美夕に触れてくるが、その触れ方には愛情と優しさがあふれていて、いやらしさはまったく感じられない。
 慣れないせいで照れてしまうものの、決して不愉快でも嫌でもなかった。
 それだけでなく、パーティのエスコート役らしく飲み物のお代わりなどにも気を使ってくれるそのスマートさに、つい美夕もわずらわしいバイトであることを忘れそうになる。

(あ、そうだった、まだ仕事終わってない)
「鷹斗、さっき言ってた約束って?」

 逃げ出す口実かもと思ったが、本当なら時間も気になる。

「ああ、約束にはまだ間に合うから大丈夫」

 そう言って、美夕の頬に落ちたほつれ髪を優しく耳の後ろにかけ直してくれる。
 そのまま指で髪を名残なごりしそうに撫でてくるので、せっかくまとまった髪がまたほつれてきた。

「もう鷹斗ったら、ピンが外れちゃうじゃない」

 本当はそんなこと全然気にならないのだが、こんなに愛おしそうに髪をいじられているとなんだか本当に愛されている恋人のような気がしてきた。軽くとがめながらも素で照れてしまう。しかも、鷹斗の瞳の熱にあてられて胸がドキドキしっぱなしだ。
 もっとも、美夕のクレームが照れであるのは傍目はためにも明らかで、鷹斗は楽しそうに「ああ、ごめんよ」と言うものの、今度は両手で顔を引き寄せてちゅっと髪にキスを落とした。

「っ――……!」

 自然に振る舞おうとしても、みるみる首筋までピンク色に染まっていく。美夕のその様子は乙女の恥じらいそのものだ。周りは恋人同士のやりとりを、微笑ましいと目を細め見守っている。
 そんな状況でも堂々とした鷹斗は、ウエイターから受け取ったおつまみのカナッペを、「うん、美味おいしい」と一口味見した。

「ほら、口を開けて」

 え? と思ったが、わずかに目を見開いたのみで驚きを抑えた美夕は、おずおずと口を開いた。こんなにも自然に誘導されると、恋人たかととの甘々なやりとりにだんだん感覚が麻痺まひしそうになる。

(うっ、演技なのに、嘘みたいにものすっごく、恥ずかしいんですけど)

 ただのフィンガーフードに、ここまで甘い破壊力があるなんて……誰が想像出来ただろう。
 鷹斗の手で食べさせてもらいながらも、本音はその場にうずくまってしまいたい。
 それとも、こんな気持ちにさせられるのは相手が鷹斗だからなのだろうか。

「じゃあ次は、美夕の番ね」

 当たり前のようにさらっと言われて、カナッペをごくんと呑み込んだ。
 やっぱり私からもしなきゃダメ? と目で鷹斗にお伺いを立てると、しっかり頷かれてしまった。

(知らなかった! 先輩の恋人って、結構大変なんだ……)

 おまけに、ほのめかすようにぶどうを一粒手渡され、美夕の頭に「はい、あ~ん」の構図がポンと浮かぶ。いやさすがにそれは恥ずかしすぎる。

「鷹斗っ……こんなの、恥ずかしいわ」
「そうだぞ」

 恥じらいを含んだ美夕の言葉に、突然後ろから知らない男性が賛同してきた。からかうような調子で言葉を重ねられる。

「恋人が出来たからって、浮かれすぎじゃないかね、鷹斗」

 ナイスミドルの素敵な声に美夕はハッとした。
 そうだった。大勢の人がいるパーティ会場のど真ん中で、うっかり二人だけの世界を繰り広げてしまっていた。人々の談笑と共に美夕は一気に現実に戻ってくる。
 うわぁ、これは穴があったら入りたい! そんな気持ちで美夕がゆっくり周りを見渡すと、声を掛けてきたらしいナイスミドルな男性と目が合う。

「さあ、お父さんに、この綺麗なお嬢さんを紹介してくれたまえ」
(え、ええ!? 先輩の、お父さん……!?)

 心臓がドキンと大きな音を立てた。
 素敵な声に見合う紳士的な身だしなみと案外若い見かけから、二十代後半の子供がいる歳には見えない。
 いきなり依頼人の父親登場という予想もしなかったハプニングに、さすがの美夕も心の準備が間に合わず、その姿を凝視してしまった。
 笑顔の男性は、優しそうな女性と一緒に鷹斗と美夕の側に近寄ってくる。二人は期待あふれる目で、こちらをニコニコと見ていた。

「父さん、母さん、久しぶり。紹介するよ。僕の恋人の雪柳美夕さん。近々正式に婚約するつもりだから、そのつもりで接してくれよ。美夕、こっちは僕の父の来生信也しんやと、母の百合ゆり。あと一人、弟の拓海たくみがどっかにいるはずなんだけど……相変わらずじっとしていないな」
(え!? ちょっと待って、親族って家族のことだったの? いや確かに親族だけど、普通その呼び方って、遠い親戚とかじゃないの……?)

 いきなりの家族紹介に美夕の頭はまたパニックだ。だが、こんなところで今までの努力を無駄にするわけにはいかない、と身体に力を入れる。気力を振り絞り、これまでの紹介の嵐の中で身に付けた、〝私は鷹斗さんの婚約者スマイル〟を浮かべる。

「初めまして、雪柳美夕と申します。どうぞよろしくお願いします」
「まあ、綺麗な方ね……。鷹斗、あなたにはもったいないぐらい。美夕さん、どうぞ鷹斗をよろしくね」

 鷹斗の母が嬉しそうにニッコリ笑いかけてきた。

「美夕さん、これからも息子をよろしくお願いします」

 鷹斗の父も丁寧に頭を下げてきた。慌てた美夕は「こちらこそ、ご挨拶あいさつが遅れまして」ともう一度お辞儀する。
 ――何だろう、この現実感があふれまくった挨拶あいさつは。心の中で遠い目をする美夕とは裏腹に、来生家は終始のんびりしていた。

「鷹斗。お前が今日、婚約者を連れていると何人もの客に言われたぞ。ご子息にそんな女性がいると何で教えてくれなかったんだ、ともな。しかし、えらい美人の嫁さんだなぁ」

 鷹斗の父は感心したようにこちらを見ている。……馬子まごにも衣装とはよく言ったものだ。どうやら今日はお化粧のノリもとびきり良いらしい。

「お前が前もって、心に決めた人がいるから今日連れて来ると教えてくれてなかったら、フォロー出来なかったぞ。お前は秘密主義にもほどがある、勘弁してくれよ」

 父親の言葉に、鷹斗は悪びれる様子もなく平然としている。

「毎回毎回、娘や親戚をあの手この手で紹介しようとしたり、仕事を盾に親の力で近づいてこようとする人たちに、何でわざわざ美夕のことを教えてやらなきゃならないんですか」

 そして宝物を守るように、優しく美夕の腰を抱く手に力を込めてくる。

「美夕は大事な人なんです。この場ではっきり結婚する意思表示をすれば、もうわずらわされることもないと思ったまでですよ。今日はあらゆる人が集まる一年で一番大きなパーティですからね」

 待て待て。
 盾役とは言われたが、そんな話は聞いていない!
 美夕は呆気にとられるが、鷹斗に手をそっと握られて意識がそっちに引っ張られた。恋人つなぎの手を口元に持っていった鷹斗は、そのまま愛おしそうに美夕の手に口づける。いかにも愛情あふれるその仕草に、美夕は大いに照れてしまって、わわわと一気に頬がピンクに染まった。
 だが、鷹斗の暴走はこんなものでは止まらなかった。美夕のもう一つの手におのれの手を伸ばすと、意味ありげにこちらに笑いかけてくる。美夕の手をそっとつかむと、その手に握られたぶどうを自分の口元に持っていくではないか。えっ、と思ったものの、恋人役だったと頭に浮かび、おずおずとぶどうを差し出す。すると、鷹斗は満足そうに直接パクッと食する。

(うっわー、これは半端なく照れる! しかもご両親の前で堂々と。……どれだけ場慣れしてるの、この人。もう嫌~、私の心臓持ちそうにありません!)

 恥ずかしさでみるみるでたタコのように真っ赤になっていく美夕を見て、来生の両親はなぜか感激している。

「まあ、美夕さんって、本当に可愛いのね! 鷹斗、でかしたわ。うちは男所帯だから、女の子がいると嬉しいのよ。いつでも遊びに来てね。これで念願の〝娘と一緒にショッピング〟が出来るわ!」

 鷹斗の母の反応に、美夕は思わず一歩下がりそうになる足を、全力で引き止めた。

(いや、あの、あなた方の息子さん、公衆の面前で、思いっ切りいちゃついてるんですけど……来生家ではありなの? これ……)

 鷹斗は堂々としていて、美夕の手を握ったまま離さず、二人のめや再会などを打ち合わせ通りドラマチックに語っている。美夕のデザインしたアクセサリーを誇るように身に付けた鷹斗の話に、来生家の会話が見事に弾む。
 おまけに、美夕が事の成り行きに呆然としている間に、会話の流れで「今度来生の実家を訪れる時はぜひ一緒に買い物を」と約束させられ、「じゃあ近いうちにね」と念を押されて、「まだ挨拶あいさつ回りが残ってるから」と名残なごりしそうに立ち去っていった。

(えっ、あのっ、近いうちって、えええっ!?)

 ニッコリ笑って「はい、ぜひ二人でお伺いしますわ」と返事をしたものの、頭の中は意外な事態に対処しきれていない。


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