悪魔と契約した少年は、王太子殿下に恋をする

翡翠蓮

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第十五話 婚約者

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 ――また、夢を見た。 
 革のカバンを手に持って、ジャケットとベスト、ワイシャツを着てどこかへ向かう自分。 
 いや、この姿が俺じゃないのはわかっている。 
 黒髪だけど髪型や身長だって違うし、顔だって現実の俺よりすごく老けている。こんな真っ黒なクマなんてないし、猫背じゃないし、数分間で何度もため息を吐いたりしない。こんなに早足でもない。 
 でも、夢の中ではなんとなくこの人間は俺なのだと思っていた。 
 たくさん並んでいる大きな細長い建物。この国ではありえないくらい短いスカートを履いた女の子。長方形の機械を片手に持って弄りながら歩く人。 

 ……なんだろう、これ。 
 この景色はなんだ? 
 見たことないはず。見たことないはずなのに、夢の中の俺は知っていると答えている。 
 俺は知っている、この景色を。そう、ずっと昔に……。 

「……レア。カトレア」 
「ん……」 
「起きてください。仕事に行きますよ」 
「あ、うん……」 

 不思議な夢を見てしまって、身体が思うように動かない。 
 ゆっくり起き上がって隣を見たら、殿下がすやすやと眠っていた。時々長い睫毛が震えている。殿下も夢を見ているのだろうか。 
 顔を冷たい水で洗って思考を切り替え、侍女が持ってきてくれた朝食を平らげたあと、仕事へ向かった。 



◇◇◇ 



 仕事内容は食糧運搬で、八時間労働。休憩が一時間。 
 休日は週に二日。 
 給与は最低二十万以上。 
 十分すぎる待遇で、精霊契約者や妖精契約者でもこんな良い条件の仕事をしている人は少ないんじゃないかと思った。 

 イモが大量に入った籠を運びながら、シュロピア村で働いていたことを思い出す。 
 休憩すると怒られ、少しでもセーレと話せば怒られ、飲み物も基本飲めない。 
 今じゃ仕事が落ち着いた時間に一時間休憩を設けることができるし、セーレと話してても咎めてくる人はいない。飲み物も俺たち以外の使用人や仕事をしている人たちが自由に飲んでいるから、飲んでも不審な目を向けられることはない。 

 それがシルフ地区の中心、コンライド街では当たり前なのかはわからないけど、少なくともうちの村の仕事はブラックだったということがわかる。 

「……あれ」 

 ブラックという言葉に違和感。仕事がブラックって、こんな言い回し今までに使ったっけ? 
 こんなことが以前に収穫祭でも起きた。知らない言葉を自然と言ってしまう癖。 
 あまり気にしないようにしよう、と籠を持ち直す。 
 イモが大量に入っているので、腕にずっしり重みがのしかかってくる。 
 料理室に向かう途中の廊下で、深紅の豪奢な服に身を包んだ男性と目が合った。 
 肩まで伸びた茶色い髪に、金色の眸。 
 首につけた金の大きなネックレスに、サラマンダー地区の紋章が描かれている。 

 ――サラマンダー地区を治める、ストック・ヴァン・サラマンダー陛下だ。 

「元気に働くなぁ。そんな重いものを持って」 
「サラマンダー陛下、おはようございます。俺にも話しかけていただけて、光栄です」 
「気にしないでくれ。俺は誰にでも平等に接したいんだ」 

 俺を見てにこりと笑う。 
 目尻に深い皺が刻まれたが、顔が整っていて老けているようには見えなかった。 
 それよりも、誰にでも平等に接したいという言葉が俺の胸に温かく浸透していく。 

 サラマンダー地区は、このストック陛下が戴冠式で差別をなくしていこうと述べたことから、徐々に差別主義者が減っている場所だと聞く。 
 しかし陛下を良く思っていない精霊契約者や妖精契約者たちが、差別をなくすことに反対する同盟を組んで、運動を行っている話も聞いたことがある。 
 このストック陛下が、アイヴァン殿下と同じようにこの国で特殊な思考を持つ存在なのだ。 

「王宮で働いている悪魔契約者……もしや、お前はカトレアという名前ではないか?」 
「そ、そうです! ご存じだったんですね」 
「ああ、アイヴァンが話していたからな。仕事はいつからしているんだ?」 
「今日が初仕事なんですよ」 
「おお! 頑張ってくれ。応援しているぞ」 
「ありがとうございます!」 

 俺の肩をぽんぽんと叩いて、陛下は行ってしまった。 
 きっとルスス宮殿で会合でもあるのだろう。陛下は少し急いだ様子だった。 

 俺も小さくなったセーレを肩に乗せてイモを運んでいく。 
 イモの次は百貨店に行ってまた運搬だ。 
 百貨店の食糧も一回でかなり重い量を持って行ったが、給与が良いことやストック陛下のように応援してくれる人がいると、辛く感じることはなかった。 

「カトレア、そろそろ休憩してはいかがですか」 
「え、もういいの? って、うわ! もうこんな時間か」 

 王宮の巨大な庭に取り付けられている時計を見ると、時計の針はすでに十五時を迎えていた。 
 いつも休憩なしで働いていたから、その癖で休まず動こうとしてしまう。 
 せっかく休憩時間を一時間貰っているんだ。噴水の傍まで行って、ベンチで休むことにした。 

 白いベンチに座ると傍に花が咲いているから、良い匂いがしてきて癒やされる。 
 いつの間にか額に汗が浮かんでいて、結構働いたんだなというのがわかった。 

「……おい」 
「え?」 

 自分の膝に影が差し、見上げるとエリオット王子が俺を睨みつけていた。 
 お前がここにいて不愉快だ、とでも言わんばかりに眉をきつく寄せている。 

「あ、あの、休まれますか? 今どきますので……」 
「そういうことを言っているんじゃない」 
「……? では何を?」 
「アイヴァンに今後近づくな」 

 氷のように冷たい声で彼は言い放った。 

「もしお前と汚れた愛でも生まれたらどうするつもりなんだ」 
「……!」 
「お前はアイヴァンの部屋で過ごしているらしいな。間違いは起きていないのか」 
「間違い?」 
「……」 

 言ってる意味がわからなくて首を傾げると、王子は聞こえるように舌打ちをした。 
 そして、低い声で言う。 

「アイヴァンを襲い、性行為などという真似はしていないかと言っている」 
「……!? し、しませんよ、そんなこと!」 
「お前が流刑になるのは別にいい。だが、アイヴァンがお前を愛して、婚約者との婚約を破棄したらどうするつもりなんだ。世継ぎができなくなってしまって、うちの陛下が黙ってないぞ」 

 ……婚約者? 

「まぁ、アイヴァンがお前を好きになるわけないんだけどな」 
「……」 
「アイヴァンは同性愛者という汚れた思考を持ってる奴じゃない。絶対にそんな奴ではない。四大精霊の継承者が、そんな愚かな考えを持つはずがない」 

 王子はさらに言葉を続ける。 

「しかし、億が一という可能性もある。だからお前は今後アイヴァンに近づくな。いいか? 絶対に思わせぶりな態度をとるんじゃないぞ。わかったな」 
「……っ」 
「わかったな?」 
「は、はい……」 

 王子はこれ以上俺と話したくもないというようにもう一度舌打ちをして、去っていってしまった。 
 ……エリオット王子に、容赦のない現実を見せつけられたような感覚だった。 
 好きになってもらえなくていいと思っていた。 
 でも、王子にそう言われて胸に痛みが走るということは、想いが通じ合ってほしいと心の奥底で思っていた証拠だ。 

 だけど、王子の言う通りだ。俺を好きになってくれる可能性なんて、ない。 
 まず四大精霊の継承者との同性愛なんて、許されるはずがないんだ。 
 それに、婚約者がいるようなことも言っていた。 
 ……そうだよな。身分でいったらシルフ地区で二番目なのに、婚約者がいないわけないもんな。 

「セーレ。仕事、しよう」 
「……え、まだ休憩時間ですよ」 
「うん。でも、したいんだ」 

 俺はベンチから立ち上がってセーレを肩に乗せ、今の出来事を忘れるように再び仕事に励んだ。 

 仕事が終わり、殿下の部屋に戻ると、殿下は机に突っ伏して眠っていた。 
 ……よく寝るな、この人。 
 机の上は俺が整理したばかりの書類がまた散らばっていて、いくつか万年筆でサインをした跡がある。傍には小さな紙で何かがメモされている。 
 殿下も仕事を頑張っていたのかな。 

 そう思うと冷えていた心が少しだけ温かくなって、ソファにかかっているブランケットを殿下の肩上にかけた。 
 いつもあまり表情を動かさない大人びた顔だけど、寝ているときの殿下は少し幼い顔をしている。 
 可愛いな、と殿下相手に思ってしまった。 
 その気持ちは胸にしまっておいて、その日は風呂に入って夕食をとり、静かに眠った。 
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