M00N!!

望月来夢

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謂れなき罪と罰

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「カルマ……」
 子兎のように逃げるカルマに、ムーンは追い縋ろうと手を伸ばす。だが、無慈悲にもドアは閉ざされ、辺りは静寂に包まれた。無論、そこは彼の自室なのだし、鍵もついていないのだから、ぶち破ることは簡単だ。しかし、その行為には何の意味もない。かえってカルマの心の殻を、余計に硬くしてしまうだけだろう。
「君のせいだぞ、ムーン」
 隣で腕組みをするガイアモンドが、じろりときつい目付きで睨んできた。
「子供に親を殺すだなんて、直接言うもんじゃない」
 彼の発言も尤もだ。けれど、ムーンは緩慢に首を振って反論を試みる。
「彼女は、気を遣われることを望んでいなかった」
「その結果がこれか?現実を見ろ、ムーン」
 途端に、にべもない正論が浴びせられた。彼は長い腕を広げて、今この時この場所を、明確に指し示す。
「相手の願いを叶えることが、必ずしも最適とは言えない。むしろ、逆効果にもなるんだ。君だって、分かっているだろう」
 ムーンは答えなかった。椅子を引いて腰を下ろし、眼鏡を外すと片手で顔を覆う。その間にも、ガイアモンドの説教は続いていた。ムーンの真向かいに座り、顔面に指を突き付けてくる。
「彼女はまだ子供なんだ。どれだけ本人が強がったって、事実をありのままに話せば、傷付く。こういう偏見が、必要な時もあるんだよ」
「じゃあ、君ならどうした?嘘をつくのか?彼女に」
 遮るように顔を上げて、鋭い口調で反問した。ガイアモンドの意見は適切ではあったが、どうしても認め難かったのだ。
「カルマは賢い子だ。こちらが中途半端な嘘をつけば、気が付いて余計に悲しむ。仮に信じてくれたとしても、後の我々の行動を知れば、裏切られたと思うだろう。違うか?」
「それは……」
「あの男は、本気だ。本気でこの世界を滅ぼそうとしている……そのために、彼女を育て、街を爆破しているんだ。でなければ、カルマに懸賞金をかけたりしない。そんな相手と、今更和解なんて出来ると思うのかい?排除するのが、最適解だろう」
 口ごもるガイアモンドに、ムーンは冷淡な口調で説いて、おもむろに腕を組んだ。裸眼のために、彼の糸目は開き、小さな赤い瞳孔が光の下に晒されている。
「……君の言い分も分かるが……」
 やがて、ガイアモンドがおずおずと話し出した。彼は突き付ける先を失った指で、テーブルを遠慮がちに撫でる。
「……迷わないのか。子供が泣いているんだぞ」
 彼は端正な顔立ちを苦しげに歪めて、呻くように発した。ナチュラルに下ろされた前髪が、一房垂れてはらりと白い額にかかる。
「大勢の犠牲と、一人の涙。どちらを切り捨てるべきか、正論の好きな君なら分かると思うがね?」
 ムーンは唇の端を酷薄に捻じ曲げ、嘲笑うように告げた。
「それは、僕への当て付けか」
 今度こそ、本気の怒りを孕んだガイアモンドの眼差しが浴びせられる。ムーンはそれを真顔で受け止め、数秒後、つと視線を机上に落とした。
「ふっ……かもね」
 先程とは違う、侮蔑のない苦笑いを漏らし、眼鏡のつるを弄ぶ。緊張に満ちた空気が消えたと理解したガイアモンドは、何か悩んでいる風に唇を触ってから、決心した様子で口を開いた。
「君は、どうしてそんなに非情でいられる。苦しみはないのか?躊躇いは?罪悪感は、後悔は。どうして多くを殺しておきながら、今日も平気でそこに座っていられるんだ」
 紡がれた質問は、直球で礼儀に欠けるものであった。それこそ侮辱的にも取られかねない内容だ。にも関わらずムーンは、ひょいと肩を竦めるだけで、気にも留めなかった。
「さぁね。そんなもの、君に雇われた時に捨ててしまった」
「僕のせいだと言いたいのか?」
「そうじゃない。君はかつて、言ったはずだ」
 再び剣呑な目に戻りかけたガイアモンドに、片手を振って否定を告げる。彼の脳裏に浮かんだのは、この男と出会ったばかりの頃の記憶。日雇いの仕事で生活費を稼いでいた彼に、ガイアモンドは訳知り顔で嘯いたものだ。雨の中傘を差して、あるいはタクシーの中、自宅のソファでも。
『この世は全て、自己利益主義エゴイズムだ』
『部下の命を守るために、排除しなければならない敵もいる』
『組織のトップたる者、時として恐ろしいくらいの冷酷さを持つことが要求されるんだ』
 彼はいつだって強く、淀みなく、決定的な瞬間を己の意志だけで切り抜けてきた。そういう男だからこそ、ムーンは彼の盾であり、弾丸であることを諾ったのだ。そのガイアモンドが、今更中途半端な同情心だとか憐憫だとかに振り回されて、理性を鈍らせるなど容認し得ない。
「己が誰か思い出せ、ガイアモンド。出来ないなら、僕がここにいる意味はない」
 故に、彼は席を立ち、玄関を目指して歩き出そうとする。
「あっ、ま、待てっ!」
 ガイアモンドは慌てて追いかけたが、数歩も行かぬ内にポケットの中の電話が鳴った。徹夜で作業をしてくれているはずの、レジーナだ。出ないわけにはいかない。彼は小さく舌打ちし、通話に応じた。
「悪い、レジーナ。今忙しいからまた」
『しゃ、しゃしゃ社長!テレビ!!テレビ付けてください!テレビー!!』
 こちらの言い分も聞かずに一方的に叫ばれて、鼓膜がキーンとする。よく分からないまま圧力に負けて、テレビのリモコンを押した。旧型の厚ぼったい画面に、お昼のニュース番組が表示される。そこには、光沢感のある黒いスーツを着て、晴れやかな笑みを浮かべるメレフの姿が映っていた。
『皆さん、今日はどうもありがとう。本当に、感謝してます』
 とか何とか定型文じみた挨拶を紡ぐ合間に、乱れた息を整えている。それを見て、彼は今日の正午から、メレフがアメジスト内のホールでリサイタルを開催する予定だったことを思い出した。別に調べさせたのではなく、熱心なファンであるレジーナが、何ヶ月も前から話題にしていたのだ。この映像はつまり、初演直後のスピーチを中継したものらしい。
『ですが……ここで一つ、悲しいお願いをしなくてはなりません』
 画面の中のメレフは、わざとらしいくらいに悲痛な面持ちを作り、足元に目を落として少々黙っている。言葉を探すような、打ち明けていいのか迷うような間を空ける彼を、聴衆は固唾を飲んで見守った。メレフは手にしたマイクを強く握り締め、思い切った調子で話を始める。
『実は、数年前から、親戚の子供を預かっています。両親を事故で亡くし、孤独になってしまった彼女を、私が引き取った。一生、面倒を見るつもりでした。親の代わりとして……ですが、そんな彼女が、一昨日の夜から行方不明になっています』
 一同が息を詰めるのが、映像越しにも伝わってきた。瞠目したガイアモンドの手から、リモコンが滑り落ちる。いつの間にか近くにやってきていたムーンも、静止して画面を注視していた。
『警察は、誘拐事件と認識しているようです。しかし、捜査は遅々として、一向に進みません。人質の命が最優先だとか理屈を並べていますが、私からしたらそんなもの、建前でしかない。彼らは怖いだけなのです!この街の権力者、絶対にして不可侵の存在に楯突くことが……どういうことか、皆さんにも理解していただけるよう、ここではっきり証言します』
 メレフの淡々とした声音が、スピーカーから流れてくる。ガイアモンドは激情に駆られて、テレビを薙ぎ倒してしまいたくなった。だが、そんなことをすれば先が聞けない。相反する感情に挟まれて、彼は直立しているしかなかった。
『彼女を攫ったのは……オメガ・クリスタル・コーポレーション社長ガイアモンド。そして彼の部下、ムーンという男。この二人が、私にとって娘に等しい少女を、誘拐し監禁しているのです!』
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