フリンダルの優しい世界

咲狛洋々

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 トットランドの中心モンラードは、大学や研究所などが集まる
学術研究都市として名を馳せている。そんなモンラードには一際大きな煉瓦造の建物が街の中心に建っていて、何処からでもその建物を見つける事が出来た。
荘厳な煉瓦造りの建物は、王家収蔵の書物から絵本までを集め誰でも利用出来る王立図書館であった。そしてその書籍収蔵数は世界一だと言う。その王立図書館前の噴水広場に、1人の少女が立ってじっと空を見つめていた。


「お嬢ちゃん、今日もお空を眺めに来たのかい?」


 大学教員でもあるフォンラード卿は、空を見上げる少女に近寄り声を掛けた。少女は身動きもせず空を眺めていて、まるで彫刻の様だと彼は不思議な気分のまましゃがみ込み彼女の顔を覗いた。

 週に二、三度訪れる度に彼女を見る気がするが…彼女は毎日ここに来ては空を眺めているのだろうか。一体、親は何をしているのだろう?
子供が1人でこんな所にいるなんて。学校は?もしくは見習い所には通っていないのだろうか。

 この国の子供達の多くは、4歳頃から幼稚舎や、職業訓練校の前段階の学舎、見習い所に通う。貧しく学費が払えぬ者は免除試験を受け貴族による援助を受けるか、奨学金制度を利用する。故に、この国の就学率はほぼ100%だった。しかも中等教育の後も進学かマスター〈専門職課程〉へと進路を分ちながら教育を受ける者が殆どな為、フォンラードはその少女が朝からこんな場所にいる事が不思議でならなかった。


「おじちゃん…何で私はお空を飛べないの?」

「え?」


急に話し掛けて来た少女にフォンラードは戸惑ったが、中々子供らしく面白い質問をする物だと、笑って少女の手を取りベンチに腰を下ろした。そして彼女同様に空を見上げ、言葉を砕きながら話し出した。


「君も、私も…空を飛べないのは、翼が無いからだ」

「なぜ無いの?」

「進化って意味はわかるかな」

「形が変わっていく事?」

「そうだね。私達は長い年月をかけて進化して翼を持つ…という選択を捨てて、より環境にあった姿になった訳だ」

「でも、私はそんな選択はしてないわ」

「それは、その選択を捨てた先祖を持つ親の元に生まれたからだ」

「先祖?」

「お母さんやお父さんの両親、そしてそのまた両親…遠く辿れば私達は動物だったんだ…空で生きるか、陸地で生きるかを選ぶ時に、陸地を選んだのだろうね」

「おじちゃんは空を飛びたいと思う?」

「そうだねぇ。飛べたらきっと気持ちが良いだろうね」

「ふぅん。私は飛べなくてもいいわ」

「え?飛びたいから翼が無い事が不思議だったんじゃないの?」

「違うの…何で〈違う〉が生まれるのか不思議だったの」

「なんで鳥さんは地面にも立てて飛べたりも出来るのに、私は立つだけなのかなって思ったんだぁ」

「地面とお空は何で分かれたのかなぁ…」

「おじちゃんは知ってるかなって思ったの」


そうか、彼女にはこの大地と空、人と動物。
そこにある違いが生まれた事こそに疑問があったのだな…。
私も子供の頃は全ての物に生まれる差異を不思議に思った物だ。
だから伯爵家に生まれながら、研究者の道を選んだ。彼女に何か良いアドバイスを私は出来るだろうか?


「私は、君の〈不思議〉に答えられているかな?」

「分からない。答えってなぁに?」

「問題や疑問を解消出来たり、君が納得できる説明を私は出来ていたかい?」

「分からない…もっと分からないが増えたかも」

袖口で口元を隠しながら、少女は視線をぶらぶらと揺らす足元に落として、尚も何かを考えている様子をフォンラードは見て、ふっと笑みを溢した。この子は、正直な子だな。
私の甥や姪はこんな時、嘘でも『うん』と言うがね。
だが、私を気遣っているのかな?申し訳無さそうな顔もするのだね。

「おじちゃん。ありがとう」

「うん?何に〈ありがとう〉なのかい?」

「私は気持ち悪いでしょ?なのに…お話しをてくれて嬉しかった。ありがとぉ」



 肩まで伸びた髪と、額を隠していた前髪をふわりと風が巻き上げて、彼女のはにかみ笑う素顔を冬の柔らかい光が照らした。そこには青と緑のオッドアイの瞳がキラキラと輝き、そして顳顬から額にかけて切り裂かれた様な痛々しく残る痕を晒した。
よくよく見てみると、その小さな身体の彼方此方に黄色く変色した痣があって、それはまるで暴力でも受けている…その痕跡の様に思えた。
フォンラードは愕然として、少女の体を抱き寄せると背中を摩り顔を歪めた。

「気持ち悪くなんてないさ!君はとても綺麗だよ?何故そんな事を言うんだい!」

「だって私は〈悪魔の目〉だし、おでこには傷もあってみんな気持ちが悪いって言うわ」


誰がそんな残酷な言葉をこんな幼い子に言った?
親か?それとも近所の者だろうか。
もし、彼等の価値観でその様に見えたとしても、それを当人にぶつけるのは間違っている。言われたこの子はどう思うだろうかとは、考えもしないのか?確かに、子供というのは時として残酷な事も平気で言うが、
彼女はこんなにも穏やかで言葉を選べる子だ。なのに、どうして!

 フォンラードは、たった数分言葉を交わしただけの少女の、その生きて来た環境の劣悪さを想像し、憤慨していた。しかし、もしかしたらそれは彼の勝手な想像で、真実は違うのかも知れない。そうとは欠片も思わなかった。
彼はこの幼い少女を保護すべきなのか迷い、言葉を掛けた。

「君は…ご両親が…好きかい?」

「父さんはいないわ…母さんだけよ?それに、母さんは優しくて沢山質問に答えてくれるし大好きだよ!」

「そ、そうかい…なら…良かった」

「…おじちゃん、私はいじめられたりはしないわ」

「母さんは私を大切だって言うもの」

「そうか…なら、良かったよ。少しね心配したんだ。身体に沢山痣があるね、どうしたの?」


少女は自分の体を見下ろし、足を水平に上げると笑いながらその痕を撫でた。


「沢山探検をするから!川や建物の隙間とか!」


成程。誰かに暴力を受けた訳では無いのだな。
良かった。もしも、そうだったなら…私は大人としてすべきだと思った事を勝手に行ったかも知れないな。
話を良く聞き、考察する。
学生に言い含める私が、早計に結論を出す所だった。


「私を気持ち悪いと言うのは皆んなよ?私とお話をした子はみんなそうの」


その言い方がフォンラードは気になったが、深く追求する事はせずにただ頭を撫でた。

「おじちゃんは良い人ね」

「え?」

「おじちゃん、また明日もここで会える?」

「それより…君、学校は?」

「お家にはお金が無いから、私はここで勉強するの」

「本は沢山あるし、皆んな私を気にしないから、ここが好き」


少女の何の憂いも無いその言葉に、フォンラードは考えた。
きっとこの子の知識欲と素直な思考は研究者に向いている。
金が無くとも王立学院は成績優秀な者への支援を惜しまない、将来この子なら…。

 それに…この子の素直な疑問に、私の研究者としての心が刺激されたのも事実だ。研究室の学生達は、人との会話の苦手な者が多いから、この子に教える事で将来教師を目指す者は何かを得るかも知れない。


「そうか…なら…私の研究室にくるかい?」

「研究室?」

「あぁ。私は魔法学の教授をしていてね、学生に教えているんだ。私の研究室なら好きなだけ勉強して良いし、勉強の好きな学生ばかりだ…きっと楽しいよ?」

「…だめよ」

「え?」

「その人達は沢山お金を払ってお勉強しに行くんでしょう?なのに…私はお金を払えないもの」


 何も無い洋服のポケットを、そっと隠す様な仕草を見せる少女の顔は、期待に胸を膨らませている様でいて、また現実を思い、その申し出を手放さざる負えない切なさが滲み出ていた。
フォンラードは、そんな彼女の様子に、ニコリと微笑むと一つの提案をした。

「君は…勉強をしに来るんじゃない」

「どうだろう?私の助手として働かないかい?そうだな、お茶を入れてくれたり、お手紙を配達に行ってくれたり…対価として君が好きに研究室の本を読んだり勉強する環境を準備してあげよう」


その言葉をじっくりと考えている風にも見えたが、すでに答えは出でいるだろう口元に、フォンラードは破顔した。
そして、彼はそんな提案をした自分自身に驚いてもいる。


 私は、子供は嫌いではないが好きだとも言えない。突拍子の無い行動原理を理解出来る年はとうに過ぎたし、彼等の中に籠る熱量を、私は受け止められない。しかし、彼女と接する私が、こうも何かをしてあげたいと思う事に私自身驚いているんだ。


「おじちゃん!母さんにっ母さんに聞いて来ても良いかしら?」

「あ、あぁ。勿論だとも!必要なら、私がお母さんとお話をしようか?」

「い、いい!大丈夫っ!私がっ私が話すわ!」

「そうか。でも、お母さんが駄目だと言ったなら、いつでも相談においで?」

「明日…明日もここに来る?」

「私は水曜日と金曜日の朝はここに来るけど、明日は朝から会議があってね、来れそうにないな。だったらこの場所に13時以降に来てくれないかい?」


フォンラードはメモ帳にサラサラと何かを書くと、それを破り彼女に渡した。彼女はそれを貰うと、嬉しそうに眺めて大事にポケットしまいポンポンと手で叩いて笑っている。


「おじちゃん、私…きっとおじちゃんの所に行くわ!だって、そう言ってるもの!」

「うん?あぁ、待っているよ…」


『そう言っている』?誰がそう言っているのだろう?〈願っている〉の間違いだろうか。まぁ、良い…とても嬉しそうだしな。


「おじちゃん、ありがとう!私おじちゃん大好きよ!」


子供らしく、無邪気で子猫の様な甘く可愛らしい彼女の笑顔にフォンラードは驚いたが、釣られてニコリと笑うと駆け出した彼女に手を振った。そして、手を振った後に気が付き慌てて大声で声を掛けた。


「君!名前はっ⁉︎」

「‼︎」

少女は跳ねる様に駆け戻ると、フォンラードの手を握りしめその顔を見上げて笑う、空の太陽の様に。


「私はフリンダル!フリンダル•ベルファンドよ!」

「初めましてフリンダル」

「私はフォンラード•バン•ユーグリス」

「小さなレディ、どうか私の友になってくれますか?」


フリンダルは、その歳に似合わない様な美しいカーテシーをフォンラードにして見せた。それはとても美しく、子供なのにまるで何処かの令嬢かと見紛う程で、思わずフォンラードは腕を曲げ、ボウアンドスクレープで返していた。


「えぇ!勿論よ、フォンラード伯爵!」


そう言うと、フリンダルは駆け出し光の中に消えて行った。フォンラードは、はて、いつ自分は彼女に伯爵である事を伝えただろうかと、首を捻り彼女の行く先を見つめた。









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