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【第1章】幼き3人の姫君達
その8✤マリーの父---シャルル突進公という人物
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前回はシャルル突進公で終わったので、このマリーの父シャルル突進公という、かなり無鉄砲ではあるが、無骨な騎士であり、そういう意味では魅力的でもあるこの人物について少し説明したい。
彼は実は「突進公(あるいは“むこうみず”とも呼ばれる)」という呼び名からは想像もできないほど、当時の王子の中で、最も知的に洗練された人物 の一人であった。フランス語、フラマン語、ラテン 語、ポルトガル語を流暢に話し、詩や騎士道ロマンを読み、多く の依頼を受けて芸術を奨励し、音楽を愛した。 彼は自ら音楽を演奏し、モテット(宗教的声楽曲)を作曲する文化人であり、宝石を身につけるのも好きだった。
容貌は豊かな黒髪の下に丸い顔があり 、いつも狩りへ行くためか顔色はオリーブ色に近く、でも澄んだ青い目とまっすぐな鼻で、フランス・ヴァロア家の血よりも母のポルトガルの血が多く流れているような印象だった。 また中肉中背で、筋肉質で、なぜか体を前に出して歩くため、背中が硬く肩が前に出ていた。
そして意外にも、 たゆまぬ努力家であり、体を鍛え、厳(おごそ)かな生活を好む性質で、「女性関係に溺れて地雷に陥った摂政をたくさん見てきた から」という理由でも、貞節を守る夫だったので、そういう意味では彼の3人の妻達は彼の女性関係ではなんの心配もせずに済み、いつでも仲の良い夫婦でいられた。
ただ反面残念なことに、この彼の強い貞操観念が彼を人間嫌いにし 、父フィリップ善良公には備わっていた陽気な性格と華やかさに欠け、シャルルの魅力的な輝きを奪ってしまったのである。
また歴史好きだった彼は、古代世界の征服者アレキサンダー大王の活躍を読みすぎたのかもしれない。色恋よりも武芸を重視した、武芸にも秀でて、また勇敢な騎士でもあった。それにそもそも女性との面倒な関係よりも彼には大きな夢があったのだ。
折しも彼が生まれたのは父フィリップ善良公が金羊毛騎士団(注1参照)を創設した頃で、騎士道文化が最も花開いた頃だった。
金羊毛騎士団を設立した頃、父フィリップ善良公は既に、フランスとドイツの間に独立した君主制を復活させることを考えていたかもしれない。
その父の夢は息子シャルル突進公に引き継がれ、ロタールの王国(中部フランク王国)の再来、その王国の王になるのが彼の夢となる。
その昔カール大帝(在位768年 - 814年)の孫達がフランク王国を3つに分割し、西フランク王国が今のフランスに、そして東フランク王国が今のドイツになったのだが、その西フランク王国と東フランク王国にあったロタール(カ-ル大帝の息子ルートヴィヒ1世の長男で西ロ-マ帝国皇帝にして中部フランク王国の王だった)の中部フランク王国と大きさは違えど、今やほぼ同じ地域の領土を獲得したブルゴーニュ家にとって、公爵家から王家への昇格が悲願になったことは想像に難くない。
しかもヨ-ロッパでも随一の財産を誇ったこのブルゴーニュ家の御曹子シャルルは、ただの“公爵”という地位に甘んじることを受けいれるには、プライドが高すぎたのである。
そんな野望を持つ一家に生まれたのが、男子ではなく「美しい我らが姫君マリー」だったのだが、シャルルは戦へ行くために家を不在にすることが多く、3回も結婚したというのに子供が増えることはなかった。そう考えれば実際には戦へ行かずに、せめて3度目の結婚の時くらいは、本当は後継者候補をつくることに専念したほうが結局はブルゴーニュ家のためでもあったろうに、そう考えると戦いがほとんど実を結ばなかった彼の一生は非常に残念な一生であった。
彼こそ「幸いなるオーストリア(ハプスブルグ家)、戦いは他のものに任せ、汝は結婚せよ」の言葉を知っておくべきだったと思う。しかしまたこの言葉自体がハプスブルグ家マクシミリアンがシャルルの娘マリーと結婚した後に生まれた言葉であり、彼の愛娘マリーによってハプスブルグ家の大繁栄がもたらされたわけで、そう考えても歴史の皮肉を感じせずにはいられない。
というわけで、これほど豊かで広大な領地を持ち、財産家でもあった公爵家の跡取りが娘マリー姫一人というのが、ブルゴーニュ家にとっては後に大きな結果をもたらすことになるのだが、これはまだまだ先の話である。
※シャルル突進公の肖像画
(注1)
金羊毛騎士団(きんようもうきしだん)
フランス語: Ordre de la Toison d'or
ドイツ語: Orden vom Goldenen Vlies
オランダ語: Orde van het Gulden Vlies
英語: Order of the Golden Fleece は、英語に基づいてゴールデン・フリース騎士団、フランス語に基づいてトワゾン・ドール騎士団とも呼ばれる世俗騎士団。
この創立によって中世の騎士道文化がますます花開くことになる。
Copyright(C)2022-kaorukyara
こちら主な参考文献になります。
「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 (ISBN 3- 512- 00636-1)
「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 (ISBN 2-213-01197-435-14-6974-03)
彼は実は「突進公(あるいは“むこうみず”とも呼ばれる)」という呼び名からは想像もできないほど、当時の王子の中で、最も知的に洗練された人物 の一人であった。フランス語、フラマン語、ラテン 語、ポルトガル語を流暢に話し、詩や騎士道ロマンを読み、多く の依頼を受けて芸術を奨励し、音楽を愛した。 彼は自ら音楽を演奏し、モテット(宗教的声楽曲)を作曲する文化人であり、宝石を身につけるのも好きだった。
容貌は豊かな黒髪の下に丸い顔があり 、いつも狩りへ行くためか顔色はオリーブ色に近く、でも澄んだ青い目とまっすぐな鼻で、フランス・ヴァロア家の血よりも母のポルトガルの血が多く流れているような印象だった。 また中肉中背で、筋肉質で、なぜか体を前に出して歩くため、背中が硬く肩が前に出ていた。
そして意外にも、 たゆまぬ努力家であり、体を鍛え、厳(おごそ)かな生活を好む性質で、「女性関係に溺れて地雷に陥った摂政をたくさん見てきた から」という理由でも、貞節を守る夫だったので、そういう意味では彼の3人の妻達は彼の女性関係ではなんの心配もせずに済み、いつでも仲の良い夫婦でいられた。
ただ反面残念なことに、この彼の強い貞操観念が彼を人間嫌いにし 、父フィリップ善良公には備わっていた陽気な性格と華やかさに欠け、シャルルの魅力的な輝きを奪ってしまったのである。
また歴史好きだった彼は、古代世界の征服者アレキサンダー大王の活躍を読みすぎたのかもしれない。色恋よりも武芸を重視した、武芸にも秀でて、また勇敢な騎士でもあった。それにそもそも女性との面倒な関係よりも彼には大きな夢があったのだ。
折しも彼が生まれたのは父フィリップ善良公が金羊毛騎士団(注1参照)を創設した頃で、騎士道文化が最も花開いた頃だった。
金羊毛騎士団を設立した頃、父フィリップ善良公は既に、フランスとドイツの間に独立した君主制を復活させることを考えていたかもしれない。
その父の夢は息子シャルル突進公に引き継がれ、ロタールの王国(中部フランク王国)の再来、その王国の王になるのが彼の夢となる。
その昔カール大帝(在位768年 - 814年)の孫達がフランク王国を3つに分割し、西フランク王国が今のフランスに、そして東フランク王国が今のドイツになったのだが、その西フランク王国と東フランク王国にあったロタール(カ-ル大帝の息子ルートヴィヒ1世の長男で西ロ-マ帝国皇帝にして中部フランク王国の王だった)の中部フランク王国と大きさは違えど、今やほぼ同じ地域の領土を獲得したブルゴーニュ家にとって、公爵家から王家への昇格が悲願になったことは想像に難くない。
しかもヨ-ロッパでも随一の財産を誇ったこのブルゴーニュ家の御曹子シャルルは、ただの“公爵”という地位に甘んじることを受けいれるには、プライドが高すぎたのである。
そんな野望を持つ一家に生まれたのが、男子ではなく「美しい我らが姫君マリー」だったのだが、シャルルは戦へ行くために家を不在にすることが多く、3回も結婚したというのに子供が増えることはなかった。そう考えれば実際には戦へ行かずに、せめて3度目の結婚の時くらいは、本当は後継者候補をつくることに専念したほうが結局はブルゴーニュ家のためでもあったろうに、そう考えると戦いがほとんど実を結ばなかった彼の一生は非常に残念な一生であった。
彼こそ「幸いなるオーストリア(ハプスブルグ家)、戦いは他のものに任せ、汝は結婚せよ」の言葉を知っておくべきだったと思う。しかしまたこの言葉自体がハプスブルグ家マクシミリアンがシャルルの娘マリーと結婚した後に生まれた言葉であり、彼の愛娘マリーによってハプスブルグ家の大繁栄がもたらされたわけで、そう考えても歴史の皮肉を感じせずにはいられない。
というわけで、これほど豊かで広大な領地を持ち、財産家でもあった公爵家の跡取りが娘マリー姫一人というのが、ブルゴーニュ家にとっては後に大きな結果をもたらすことになるのだが、これはまだまだ先の話である。
※シャルル突進公の肖像画
(注1)
金羊毛騎士団(きんようもうきしだん)
フランス語: Ordre de la Toison d'or
ドイツ語: Orden vom Goldenen Vlies
オランダ語: Orde van het Gulden Vlies
英語: Order of the Golden Fleece は、英語に基づいてゴールデン・フリース騎士団、フランス語に基づいてトワゾン・ドール騎士団とも呼ばれる世俗騎士団。
この創立によって中世の騎士道文化がますます花開くことになる。
Copyright(C)2022-kaorukyara
こちら主な参考文献になります。
「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 (ISBN 3- 512- 00636-1)
「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 (ISBN 2-213-01197-435-14-6974-03)
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