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第1章

金熊亭

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目の前にスペクター辺境伯領の堅牢な壁が聳えている。ここは東門。門には屈強な騎士が睨みを効かせている。

王都から馬を翔ばして2日間の距離にあるこの辺境伯領だが、途中にある湖を経由したため、あのガゼボでイオンさんに出会った日から1週間が過ぎていた。

「リュート・ブロン…王立研究所の研究員さんかぁ。ご苦労様です!」

「ありがとうございます。」

「滞在は1ヶ月ですね!辺境伯領には仕事で来たんですか?」

「まぁ、そんな感じです。」

「わかりました。あぁ、そうだ。2週間後には向日葵祭りがありますので、良かったら楽しんでって下さい!さあどうぞ。ようこそスペクター辺境伯領へ!!」


門番から身分証明書を返して貰い、馬を引きながら門の中へ1歩踏み出した。

祭りを控えているからか、街は活気があり、明るい話し声があちこちから聞こえてくる。荷馬車に向日葵の花を積み運んでいる様子も見える。

確か、ここの名産品は向日葵油だったな。

行き交う人々は互いに挨拶をし、笑顔が絶えない。服装からそうと分かる貴族と平民が仲良さげに話をしている。王都では見ない光景だ。

「良い街だな。」

取りあえずは宿を探そうと人の流れに沿って歩き始めた。

金熊亭…

ドーンと大きな看板には、
『1泊2食付き3000イェン』
『連泊割り引きあります』

良心的な値段だな。店構えも掃除が行き届いていて好感が持てる。

店の玄関に立っている宿の男に馬を頼み、
金熊亭の中に入った。

「いらっしゃいませ!お泊まりですか?お食事ですか?」

どうやら1階は食堂になっているらしい。

「今夜から1ヶ月程お世話になりたいんですが…。」

「ありがとうございます!御1人様でしょうか?馬はお連れですか?」

「ええ、1人です。馬も1頭。」

「料金は前払いになりますが…。1ヶ月で90000イェンのところ連泊割り引きで70000イェンになります!お食事は朝と夕の1日2食付きで、馬の餌代も込みになってます。」

「わかりました。」

宿代を支払い、部屋の鍵を貰う。

「お部屋は2階の1番奥です。ドアに205号室って書いてありますので!」

「ありがとうございます。お世話になります。」

そう言って、階段を登りながらもさっきの受付してくれた男が気になり、チラッと振り返る。あの頭の上にあるのは耳かな?

男には、金髪と同じ色のふわふわの丸い耳が頭の上にあった。時々、ピョコッと動く(ちょっと可愛い)。獣人なのか?金熊亭って名前からして、熊の獣人なのか?

王都を離れるにつれ、ちらほらと獣人を見掛けるのだが、辺境では差別もなく商売も出来るのか…。獣人には肉体労働という既成概念はここには無いんだな。スペクター辺境伯様は、とても良い領主のようだ。


部屋に入ると、そこはとても気持ちの良い雰囲気だった。木製のベッド、テーブル、1人掛けのソファー。機能的なクローゼット。2つの出窓には、観葉植物が置かれている。

荷物を下ろすと、上着の内ポケットから
布が巻かれた丸いものを出した。
広げてみる。

「良かった。大丈夫そうだ。」

辺境伯領に来る前に寄った湖の大きな樹の根元に1つだけ落ちていた卵を拾った。
鶏の卵より少し大きく、薄い水色の卵。
辺りを探してもそれらしい巣は見当たらず
持ってきてしまった。どんな雛が生まれてくるんだろう。また、布にくるんでポケットにしまう。

さて、食堂で昼食にでもするか。
食べながら情報収集しよう。まずは、ヤマハゼについて調べてみよう。




1階の食堂で軽く食事を済ませ、お茶を飲んでいる。昼時の混雑もなくなり、まったりとした時間が流れる。

厨房から、熊耳の女性が出て来て
「お客さん、初めて見るね。」
と声を掛けてきた。
「今日からここにお世話になります。
あの、ちょっと教えて欲しいことがあるんですが…。」
「何でも聞きな、このテディ、この商売を始めて30年なんだ。この土地のことで知らないことは無いからねぇ。」

た、頼もしい。
テディさんは、ここの女将なんだろうな。

「私は王立研究所で研究員をしています、ブロンという者です。この辺境伯領で使われているヤマハゼという染料について調べたくて来たんです。」

「ヤマハゼかい!ここの名産品の1つだよ。今度の向日葵祭りの向日葵の精に扮する女の子達のドレスはヤマハゼで染め上げるんだ。」

「ということは、ヤマハゼは布の染料なんですか?」

「昔は陶器の絵付けにも使われていたんだけどね、今はその職人が居なくなってしまったから、その技術も廃れてしまったんだよ。」

「その陶器はいつ頃まで作られていたんでしょうか?」

「そうだねぇ。今から20年前ぐらいだったかねぇ。」

「そうですか…。」

じゃあ、イオンさんのあのカップは古いものだったんだ。窯から辿ることは出来なくなってしまったな…。

「あ、そうだ。今ちょうど、向日葵のドレスの染め付け作業をしているんだよ。その工房の見学が出来ると思うから紹介してあげようか?」

「是非、お願いします。」
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