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本編
第16話(土)
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久しぶりに訪れた河川敷は、記憶の通りの姿でそこにあった。
ただし、壁に寄せていた荷物が泥で汚れたり、なくなっていることを除けばだけれど。
「ダメになってる」
ビニール袋に入っていた服が、茶色く変色して固まっている。
結局、川は増水しこの辺りまで泥水が来ていたらしい。橋脚に残った跡から、それなりの高さになっていたことがうかがい知れた。
中身をひとつひとつ確認し、まだ使えるものとそうでないものをより分ける。早朝から来ていたにも関わらず、作業を終える頃には随分と日が高くなってしまっていた。
ミノルは荷物を脇に寄せて隠すと、急いで自転車に飛び乗った。
「カレー?」
人の気配がしたと思ったら、背後から手が伸びてきて、お腹に緩く巻きついてきた。肩に乗ってくる顎と、背中に張り付く熱を感じながらも、鍋をかき混ぜる手は止めない。
「ちょっと赤い?」
「トマト缶入れたから」
アズサが背伸びをして、ミノルの手元をのぞきこんでくる。
弱火で煮込んでいると次第にとろみがついてきて、茶色いスープのようだったそれがカレーらしくなっていく。そろそろいいかな、と思ってお玉を握っていた手を止める。コンロのつまみを回して火を消すと、それを待っていたかのように彼女の鼻先がミノルの伸びた髪をかき分けてきた。うなじのあたりを呼気がくすぐり、ぴくりと身体が反応する。けれども、ミノルの中に以前のような拒否感が湧いてくることはなかった。
「なにしてるの?」
「確かめてる」
なにを、と問いかけようとして、次にやってきた感触にミノルの思考が停止した。
少しだけ湿った柔らかいもの。それが、首筋に押し付けられている。とっさに跳ね除けなかったのは幸いだった。ただ動かず固まっていると、すぐにそれは離れていった。
「な、なに? え?」
当たっていたそこに手を当てて振り返る。
先ほどまでミノルの肌に触れていたアズサの唇に、自然と目が吸い寄せられていった。
「悪くないね」
そう言ってにやりと笑った女は、ミノルの知らない表情をしていた。こちらの反応を観察するような目から逃れたくて、ミノルはカレー皿を探すふりをして背を向ける。顔が熱く感じられたけれど、それは無視することにした。
「らっきょうは苦手?」
「そうだね。福神漬け派」
かりっと噛みしめると、ぴりりとした独特の酸味が口内に広がった。
こんなにおいしいのにな、と残念に思うけれど、人の好みはそれぞれだ。ミノルがとやかくいうことでもないので黙っておく。
「今度からそっちも買っとく」
「ありがと」
トマト入りのカレーもおいしいね、と機嫌よく笑うアズサを見て、ちゃんと及第点に達しているのだろうかと疑問に思う。
これまでいくつかの料理を作ってみたけれど、なにを出してもアズサはおいしいというので参考にならなかった。自分の味覚を信じて作るしかない状況に、多少のプレッシャーを感じる。自分だけならカップラーメンでも十分おいしいと感じられるけれど、それを彼女に出すわけにもいかないだろう。今度、わざと調味料を入れずに出してやろうかと思った。どういう顔をするのか想像して、顔が少しにやけた。
食事を終えて、汚れた食器がシンクに重ねて置かれる。
ミノルは出てしまった生ごみを処理し、食器を洗い流して台所の後片付けを始めた。流れる水の音と、物がぶつかりあう雑多な音が室内に響く。水切りカゴにきれいになった食器を並べて、残ったカレーを冷蔵庫に仕舞う。一通りやり終えて、整えられた台所を見て満足する。
部屋に戻ると、ベッドの上でアズサが眠っていた。
今日は仕事がない日らしく、普段よりも気の抜けた顔をして目を閉じていた。脇のあたりではなぜかネコも寝ていて、身体の一部が重なっているせいかアズサは少し寝苦しそうだった。
先ほどあった出来事を思い出し、そっとアズサの首筋に顔を近づけてみる。ほんのりと香る体臭に、妙に頭がくらりとした。慌てて距離を取って、静かになった室内でなにをしようかと思案する。
ふわっ、とあくびがひとつ。食後に眠くなるのはミノルも同じだった。
アズサの隣、ネコの反対側に静かに横になる。気持ちよさそうに寝ている顔を眺めながら、なんとはなしに放り出されていたアズサの腕を取って身体の前に抱えた。こうすると、ネコとミノルがアズサを取り合っているように見える。目を覚ました彼女がその状況にあたふたする姿を想像して、つい笑みがこぼれた。アズサはちゃんと驚いてくれるだろうか。反応に少しだけ期待しながら、ミノルもまた目を閉じた。
ただし、壁に寄せていた荷物が泥で汚れたり、なくなっていることを除けばだけれど。
「ダメになってる」
ビニール袋に入っていた服が、茶色く変色して固まっている。
結局、川は増水しこの辺りまで泥水が来ていたらしい。橋脚に残った跡から、それなりの高さになっていたことがうかがい知れた。
中身をひとつひとつ確認し、まだ使えるものとそうでないものをより分ける。早朝から来ていたにも関わらず、作業を終える頃には随分と日が高くなってしまっていた。
ミノルは荷物を脇に寄せて隠すと、急いで自転車に飛び乗った。
「カレー?」
人の気配がしたと思ったら、背後から手が伸びてきて、お腹に緩く巻きついてきた。肩に乗ってくる顎と、背中に張り付く熱を感じながらも、鍋をかき混ぜる手は止めない。
「ちょっと赤い?」
「トマト缶入れたから」
アズサが背伸びをして、ミノルの手元をのぞきこんでくる。
弱火で煮込んでいると次第にとろみがついてきて、茶色いスープのようだったそれがカレーらしくなっていく。そろそろいいかな、と思ってお玉を握っていた手を止める。コンロのつまみを回して火を消すと、それを待っていたかのように彼女の鼻先がミノルの伸びた髪をかき分けてきた。うなじのあたりを呼気がくすぐり、ぴくりと身体が反応する。けれども、ミノルの中に以前のような拒否感が湧いてくることはなかった。
「なにしてるの?」
「確かめてる」
なにを、と問いかけようとして、次にやってきた感触にミノルの思考が停止した。
少しだけ湿った柔らかいもの。それが、首筋に押し付けられている。とっさに跳ね除けなかったのは幸いだった。ただ動かず固まっていると、すぐにそれは離れていった。
「な、なに? え?」
当たっていたそこに手を当てて振り返る。
先ほどまでミノルの肌に触れていたアズサの唇に、自然と目が吸い寄せられていった。
「悪くないね」
そう言ってにやりと笑った女は、ミノルの知らない表情をしていた。こちらの反応を観察するような目から逃れたくて、ミノルはカレー皿を探すふりをして背を向ける。顔が熱く感じられたけれど、それは無視することにした。
「らっきょうは苦手?」
「そうだね。福神漬け派」
かりっと噛みしめると、ぴりりとした独特の酸味が口内に広がった。
こんなにおいしいのにな、と残念に思うけれど、人の好みはそれぞれだ。ミノルがとやかくいうことでもないので黙っておく。
「今度からそっちも買っとく」
「ありがと」
トマト入りのカレーもおいしいね、と機嫌よく笑うアズサを見て、ちゃんと及第点に達しているのだろうかと疑問に思う。
これまでいくつかの料理を作ってみたけれど、なにを出してもアズサはおいしいというので参考にならなかった。自分の味覚を信じて作るしかない状況に、多少のプレッシャーを感じる。自分だけならカップラーメンでも十分おいしいと感じられるけれど、それを彼女に出すわけにもいかないだろう。今度、わざと調味料を入れずに出してやろうかと思った。どういう顔をするのか想像して、顔が少しにやけた。
食事を終えて、汚れた食器がシンクに重ねて置かれる。
ミノルは出てしまった生ごみを処理し、食器を洗い流して台所の後片付けを始めた。流れる水の音と、物がぶつかりあう雑多な音が室内に響く。水切りカゴにきれいになった食器を並べて、残ったカレーを冷蔵庫に仕舞う。一通りやり終えて、整えられた台所を見て満足する。
部屋に戻ると、ベッドの上でアズサが眠っていた。
今日は仕事がない日らしく、普段よりも気の抜けた顔をして目を閉じていた。脇のあたりではなぜかネコも寝ていて、身体の一部が重なっているせいかアズサは少し寝苦しそうだった。
先ほどあった出来事を思い出し、そっとアズサの首筋に顔を近づけてみる。ほんのりと香る体臭に、妙に頭がくらりとした。慌てて距離を取って、静かになった室内でなにをしようかと思案する。
ふわっ、とあくびがひとつ。食後に眠くなるのはミノルも同じだった。
アズサの隣、ネコの反対側に静かに横になる。気持ちよさそうに寝ている顔を眺めながら、なんとはなしに放り出されていたアズサの腕を取って身体の前に抱えた。こうすると、ネコとミノルがアズサを取り合っているように見える。目を覚ました彼女がその状況にあたふたする姿を想像して、つい笑みがこぼれた。アズサはちゃんと驚いてくれるだろうか。反応に少しだけ期待しながら、ミノルもまた目を閉じた。
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