荒んだ目をしたあなた

三笹

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本編

第21話(日+α)

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 ふっと意識が浮上した。
 室内はまだ暗い。遮光カーテンをめくってみても、まだまだ深い夜の時間だった。
 隣で眠るアズサを起こさないようにそっと踏み越えて、床に足をつける。振り返れば、真っ白な肩と丸く膨らんだ胸が見えて、掛け布団を引っ張って首元までしっかりと掛けてあげた。初めて肌を重ねて疲れているのだろうか。全く起きる気配のない彼女に労りの気持ちがわく。

 あの日、ネコに邪魔されたおかげですっかりと熱が引いてしまった二人は、急ぐものでもないということで、そのままいつもの日常に戻った。結局、ちゃんと肌を重ねられたのはその週の日曜日の夜のことで、互いに満足して寝入ったのが数時間前のことだった。
 マウントを取ろうとしてくるアズサを軽くいなして、その身体をベッドに押さえつける。それだけで、頭が茹ってしまって仕方がなかった。残念ながらまたネコが乱入してきたので、どうしようかと話し合った結果、二人でベッドに横になりながら事に及んだ。水が急騰するような激しい興奮ではなかったけれど、互いをゆっくりと感じながら行う行為にひどく心が満たされた気分だった。
 ミノルの腕の中で何度も身体を震わせた彼女を思い出す。
 あまりに息が上がっているので、大丈夫? と聞くと、生意気、と軽く睨まれた。問題ないのならと、もう一度指先を這わせてその熱を堪能していたら、しつこいとまた怒られた。気絶するように寝入った彼女をしばらくの間眺めて、ミノル自身もまた眠りについた。
 
 トイレに行って戻ってくると、ネコが足元にまとわりついてきた。
 座り込んで膝に乗せてやると、グルグルと機嫌よく喉を鳴らしている。指先で頭をくすぐると、気持ちよさそうに目を細めていた。
 ネコにはミノル達がどう見えているのだろう。
 身体の関係を持ったからといって、これまでの関係が劇的に変わるかと言えばそうではない。ミノルの状況だって、ホームレスをしていた頃となにも変わっていない。今のミノルは、ただアズサの善意に甘えて、その情の深さに付け込んで生きているだけではないのか。そう自身に問いかける。例えば、自身のことを彼女の恋人だと、他人に胸を張って言えるのか。答えは否だ。
 どうしようもない焦燥感が胸を突く。必死で生きていた頃の自分と、今のだらしのない自分の落差に、改めて愕然とする。

「どうすればいいのかな」
 
 もう長い間、暗いトンネルの中にいた。その暗闇に慣れ切ってしまって、突然差し込んできた光に、どう反応していいかわからなくなっていた。
 流されるままに外に連れ出されて、身ぎれいにされて、戸惑っている間に状況が変わってしまった。そこにミノルの意志があったかと言えば、あまりないと言わざるを得ない。
 きっと、今が立ち上がるべき時なのだろう。手を引かれて、多くの人が生きる世界に連れてこられた。以前とは異なり、ミノルがそう望めば支えてくれる人がいる。だからこれは、まともな道に戻るまたとないチャンスなのだと思う。けれど。

「怖いな」
 
 どうすればいいのかわからない。
 立ち止まって、蹲った。その影がミノルの背から後ろに長く伸びていて、今もミノルをこの場所に縫い留めている。そこから未だに動くことができなかった。
 ネコがミノルに飽きたのか、ぴょいとどこかへ去っていく。
 冷たいフローリングの上で、ミノルは一人膝を抱えた。
 

 ◇


「まともな人間になる方法?」

 ぐに、と摘ままれていた両頬が解放されて、ミノルは思わず赤くなっているだろうそこに手を当てた。
 あの夜からどうにもちらついて仕方なかったネガティブな考えをアズサに見透かされて、すっかり白状させられた昼下がり。
 中腰になっていた彼女は、食後のお茶に手をつけるべく椅子に座り直した。

「十分まともだと思うけど」
「今はほら、食と住を頼ってるというか」
「いいんじゃないの? 家事やってくれてるし、私は助かっててありがたいけど」
 
 まともな仕事もしてないし、と独り言ちると、アズサが片手にコップを、もう片方にミノルの腕を掴んで立ち上がった。迷いなく隣の部屋へと続くドアを開けると、ミノルを連れたまま中に入っていく。

「得意なことを仕事にするのが、一番簡単だけど」

 アズサが発光するパソコンの前に座り、キーボードを素早く叩いた。画面一杯にずらりと出てきたのは、ネット上で見ることができる求人だった。
 
「警官とか、警備員とか? あとはスポーツ系のインストラクターなんかもあるけど」

 一人でぶつぶつと喋っているアズサを置いて、ミノルはきょろりと周囲を見回した。
 初めて足を踏み入れたそこは、飾り気のない部屋だった。一角は専門書に埋め尽くされているけれど、きっちりと整理整頓されている。机の上には付箋がところどころ貼ってあり、日付と細かな文字が書かれていた。そこに漂う空気がいつものものとは違い過ぎて、肌がぴりぴりとする。飾りの一つもない白い壁がやたらと目についてきて、ああ、ここは彼女が全力で仕事をする部屋なのだなと理解した。
 画面を見つめるアズサの真剣な横顔を眺めながら、そういえば、と思い出す。コインランドリーの壁に張ってあったのは、知っている道場の指導員の案内だったはずだ。今度見に行ってみようかなと、そう思った。
 アズサに、とりあえず自分で探してみる、と伝えると、彼女はしばし目を瞬いて、そして嬉しそうに笑った。

 「とりあえず、簡単なものからやってみたらいいよ」

 ただし土日のどちらかは休みにしてね。そう言ってアズサは立ち上がった。
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