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元服の儀式とマルガレーテ
しおりを挟む「ベアトリス様」
控えめな声に振り返ると、マルガレーテ嬢が扇子を口元に当て、落ち着かない様子で立っていた。
「少し……お話したいことがあって。ここだと人目がありますから、どこか静かな場所へ移れませんか?」
私はゴクッと唾を呑み込んだ。
記憶が戻った今、彼女との関係がどれほど複雑だったかを思い知らされる。……もちろん、ジークフリードとのことも。
マルガレーテ嬢は、シルヴァン──ジークを好きだった。けれど彼女の父は、オットーの配下であるアドラー大使なのだ。私たちは立場上、敵同士になる。
親しくなれば、いずれ互いに苦しむ未来しかないのだわ。
「ごめんなさい。わたくし、ここにいなければ……」
私が言いかけると、マルガレーテ嬢が首を振った。
「いない方がいいわ」
「え?」
「……ショックを受けることになりますから」
その言葉に、私は目を見開いた。
「もしかして、もうお聞きになりましたの?」
「……ええ。イザベル様が言いふらしていました」
嬉しくて仕方ないのね……。胸の奥で、また嫉妬の炎がくすぶった。
「二人の婚約は、確かにショックですけど」
胸を押さえつつ、微笑を浮かべて平気なふりをする。私も彼も、お互いを選ばなかったのだから。
「耐えられるわ。気を使ってくれてありが──」
「あなたが婚約破棄されたのって、温室でシルヴァン卿といかがわしいことをしていて、それを殿下に見られたから……って本当ですの?」
私は目を剥いた。そっちの方がショックだわ! イザベル嬢ったら、そんな噂をばら撒いているの!?
しかも微妙に事実が混じっているのも、すっごく嫌だわ。温室に入るところを、誰かに見られたのかしら?
「ち、違いますわ。シルヴァン卿ではありません」
慌てて否定すると、マルガレーテ嬢の瞳に疑念が浮かんだ。
「シルヴァン様ではないなら、どなた? 詳しく教えてくださいっ!」
しーっ! 声が大きい!
ここで「王太子殿下でーす!」なんて言えるわけがない。
うわー……傍から見たら私、最低女じゃない。
そこへ、顔を真っ赤にしたイザベル嬢がズカズカと近づいてきた。
「信じられない! 本当に二十秒だったわ! 私、婚約者なのよ!?」
他の令嬢に交代させられたのだろう。
憤慨したイザベル嬢は、クシャクシャのメモ紙をバシッと私の胸元に叩きつけた。
「しかも殿下ったら、最後にあなたと踊らせてくれって……。ここだと体裁が悪いから、迷路庭園で待つそうよ」
そうよね……婚約者の前で、婚約破棄した女と踊れるはずがない。
アルフォンスも傍から見たら、俺様クズ王太子だわ。
イザベル嬢とマルガレーテ嬢の軽蔑の視線に、身の置き所がなくなる。
「あ……ありがとう。本当にいいの?」
私は恐る恐る尋ねた。
「まあ、私が彼と結婚するのは確定ですから、別に構わないわ。正式発表はもうすぐですもの。あなたみたいなビッチに奪われなくて良かったわよ」
イザベル嬢は、嘲るように言い放った。二人の白い目から逃れるように、私はホールを出る。
最後に私と踊りたい……そう思ってくれたのは嬉しい。
でもアルフォンス、本当にあの人垣から抜け出せるのかしら……。
廊下に控えていたアーデルハイドに目配せすると、彼女がついてくる。
「どちらへ? ベアトリス様も御手洗いですか?」
アーデルハイドが小声で尋ねた。
それで、私の後から出てきたマルガレーテ嬢が、化粧室に入っていくこと気づいた。涙で化粧を崩したらしい。
それを見たアデルが不安そうに聞いてきた。
「……何かございました?」
「う……ん」
誤解なのよぉ……相手はジークじゃないのよ。
「これから庭園で、アルと会うの」
「王太子殿下と? ……しかし、温室での噂が」
「アデルもその噂聞いたの!? まったく、誰が見ていたのよ」
「え、本当に……? ジークフリード卿は怪我をしていますから、殿下と……ですよね?」
アデルが目を丸くして聞いてきた。
「まさか、これから庭園で──」
「こんな真昼間から、いかがわしいことなんていたしません! ダンスだけよ」
「いや、別にいかがわしいことをするとは──え、夜ならしてたんですか?」
アーデルハイドが素で返してきた。
まあ……ほら、最後だし? キスくらいしてくれないかなーって……。
いえ、ダメね。離れがたくなるし、彼はもうすぐイザベル嬢のもの。
キスを求められても、流されない! 拒絶するんだから!
気の進まない様子のアデルと庭園を歩いていく。
見晴らしの悪い場所には、必ず王宮警備隊の衛兵が立っていた。私を見かけると敬礼してくる。
元服の儀式のため、宮殿内の警備体制は万全らしい。
その分、密会はバレやすいのだろう。
アデルを入口に残し、私は背の高い生垣の迷路内へと進む。
この中なら、プライバシーは保たれるはず。頬が熱くなる。
べ、別に? 二人きりになったからって、えっちなことはしないんだからね? 本当なんだから!
「……最後のお別れを……するだけよ」
そう呟き、メモ紙を頼りに迷路を進む。指定された中心部に辿り着いたところで、背後の垣根が揺れた。
「アル──」
思ったより早い。笑顔で振り返ったが、そこにいたのはマルガレーテ嬢だった。
彼女は息を整えながら、か細い声で囁く。
「……どうしても、聞きたいことがあって。さっきは途中で邪魔が入ってしまいましたし……」
だから、ジークと待ち合わせしているわけではないわよぉ……。
「シルヴァン様とは、どういうご関係なの?」
マルガレーテ嬢が一歩近づく。
うわーん、しつこい!
「……古い友人です」
「恋人? ご結婚なさるの?」
さらに詰め寄ってくる。
う……結婚……。帝位に着けば確かに可能性はあるけど……今は考えられない。
私の中からアルフォンスが完全に消えるまで、彼と……いえ、他のどんな男性とも、結婚なんて無理。
答えに躊躇う私を見て、マルガレーテ嬢は眉を吊り上げた。
「救済院でシルヴァン様は、命がけであなたを庇ったわ。彼、あなたのこと大事なんだわ!」
それは否定しない。ジークフリードは自分の命より、私を優先する。
マルガレーテ嬢の声が急に低くなった。
「まるで皇女を守る騎士のようだった」
聞き間違えかと思い、私は首を傾げた。
「……え?」
「それに、あの侍女──アデル。スリの少年を、熟練の護衛のようにねじ伏せていた。変だと思いません?」
マルガレーテ嬢の視線が鋭くなる。
「あなたの髪と瞳も、不自然。……染めているのでは?」
扇子を握る彼女の手に、力がこもった。
「あなたは──一体誰なのかしら? ずーっと……知りたかったの」
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