46 / 47
神のみぞ
6.終わりよければすべてよしとはいうけれど終わりはまだまだずっと先
しおりを挟む
■
きらきら。きらきらきらきら。
神が降臨されていたという奇跡、それ以上に、神と対峙して会話を交わしたという奇跡、そうしてもう尊き姿はすでにないのだという喪失感に襲われて、今更ながらにその場にいた誰もが呆然としていた。
きらきら。きらきらきらきらきらきらきらきら。
「この光……あー! もしかして神様来てたんですか? って。……あれ、俺ってば、生きてるじゃないですか。え、なんで? アレクサンドル様をお守りして本懐を遂げたんじゃ?」
人々の視線を集める中、ごくごく普通に寝ているところから目覚めたようにゴルド・ドルバガその人が立ち上がり、焦った様子で自分の体をまさぐる。
「うわっ、どこにも傷がない! 大変だ、アレクサンドル様のお命をお守りできなかったっていうことか」
アレクサンドルの姿を探し、立ち上がったゴルドの視界が、暗くなった。
「え、あ。アレクサンドル様」
抱きしめられるように、抱え込まれるように。その腕の中に包み込まれた。
「おお、ご無事でしたか! よかったよかった」
「よくない。全然よくないぞ、ゴルド・ドルバガ。いや、わが妃よ」
「え、あの? アレクサンドル様、ちょっと離れて貰っていいですか」
元の体であるならいざ知らず、今のか細いゴルドからすれば見上げるほどの大男であるアレクサンドルの腕の中にすっぽりと抱え込まれてしまい、さすがに息苦しくなったゴルドは、その腕をバンバンと叩いて、放すように要求する。
「嫌だ」
「ええぇぇ?」
元のゴルドの半分の太さもないアレクサンドルの腕だが、今のゴルドからすれば丸太のように太く硬い。内側から幾らもがいてみてもびくともしなかった。
「覚えているがいい。俺はもう、お前に守られてやることはない。俺が、お前を守る。いいな、これは絶対だ。命令だ。俺は、お前の夫なのだから」
アレクサンドルはそう言うと、暴れるゴルドを縦に抱え上げ、下から試すがめす怪我の有無を確認して、肌だけでなくドレスに穴すら開いていないことに目を眇めた。
──神は、死んでしまったら戻せないと思わせたがっていたようだったが、破れたレースを直すことはできるようだ。
「まぁいいか。お前が助かった。それだけで十分だ」
「横暴すぎですよ。いいじゃないですか、妻が夫を守ったって!」
「俺に力くらべで勝ったら、考えてやらんこともない」
「よっし! 約束ですぞ」
考えてやらんこともないということは、考えることすら約束していないという意味であることにゴルドが気が付くことは多分ない。
けれど、それでいいのだ。
それが、ゴルド・ドルバガという人間なのだから。
「ゴルドおねえさま良かった。だいすきですわ!」
「お。クラウディア。わはは。ありがとう」
うわぁんと泣きながら、長く引く婚礼衣装の裾に、目を真っ赤にしたクラウディアがしがみついた。それに続くように侍女や令嬢たちがすぐ傍まで駆け寄ってくる。
ゴルド親衛隊は今日も健在だ。
「おい。お前たち結婚式の邪魔をするな。もう時間が押しているんだぞ」
「ケチなおにいさま。けち臭い男は嫌われるんですよ」
イーだとクラウディアが舌を出した。
「お前に嫌われるならむしろ歓迎する」
「きぃぃぃ!」
まるで子犬の兄弟がじゃれ合うような二人に、ゴルドが声をあげて笑った。
身体が揺れた拍子に、長い髪がたなびいた。
「わはは。お二人は本当に仲がいいですなぁ。……ん?」
「良くない!」「いい筈がないですわ!」
再びぎゃんぎゃんと吠える二人を前に、ゴルドが自分の髪を指で掴んで引っ張る。
そうして、「うわぁ」と叫んだ。
「髪が……髪の色が、また変わった!」
「あぁ。より神に近づいたようだな」
銀の川のようだった髪の色が、今は淡く金色を帯びている。金ではない。銀でもない。不思議な光を帯びた髪だった。
長い綺麗な髪を両手でひっぱって眺めていたゴルドへ、二人は励まそうとして声を掛ける。
「ちなみに、瞳の色も変わってるぞ。夜明け前の空のような濃い藍色に金色の星が飛んでいたのが、夜明けのやわらかな青とピンク色が混ざり合いそこに金色の光が混ざり合う明るい瞳になった」
ぱっと見は金色がかったピンク色だ。これまでの藍色と違い一目で違いがわかるような色合いで、かなり派手である。
「夜の闇が去り、希望溢れる夜明けを迎えたようですわ。とても素敵です」
懸命に明るい雰囲気へもっていこうとしたのだが、話題の選択に失敗したのか、ゴルドは受けた衝撃からなかなか戻ってこなかった。
「おにいさまが追い打ちを掛けるような話題を出すから」
「後で知るよりいいだろう」
だんだん不安が勝り、やはり拙かったかと小声で互いに責任を擦り付け合っていると、ようやくゴルドが口を開いた。
「うーむ。どんどん人から離れていくようですなぁ。まぁ鏡でも見ない限り自分にはわかりませんしな。関係ありませんな。わはは」
≪≪楽しんでましたよ。ゴルド・ドルバガというそれまで堅実に積み上げてきた人間としての礎を失ったにもかかわらず、どこまでも能天気でいるところや無駄に明るい明後日な努力をする姿を≫≫
神の言葉を思い出す。そうだ、こういう奴なのだ、とアレクサンドルは胸が熱くなった。
勢い、ゴルドを縦抱きにしたまま、アレクサンドルはバルコニーの先まで出ていく。
「うわっ。ちょっと」
王宮前広場は、今も人の波で埋め尽くされている。
先ほどまであった騒動にまるで気が付かなかったのか、民衆は今も、大王と聖女の婚姻を寿ぐ声をあげて、その慶事を喜んでいた。
ゴルドを抱き上げたアレクサンドルの姿を認め、観衆が手を振り、ひと際高く歓声をあげた。
「アレクサンドル様、ご結婚おめでとうございますー!」
「聖女様ー!」
ゴルドを抱きかかえた腕とは逆の手をあげ、観衆の視線を集める。
その腕の動きだけで、まるで魔法のように、民衆の声が静まった。
静寂が、鳴り響く。
「今日、俺は神へ、共に歩む妃との生涯を誓った。俺のすべてを捧げるとも。この誓いを違えることはないと、そなたたち民にも誓おう。俺たちの関係は、一般的な夫婦とは違う形に見えるかもしれない。不思議に思うこともあるだろう。だが、心配はいらない。俺たちは、この国を平和で幸せな国にするための尽力を惜しまない!」
「えー、あー。聖女、と呼ばれるのは苦手だ。できれば、ゴルドと呼んで欲しい。それと、お……、んんっ、わ、わたしも、平和のための努力を惜しまない。それが、神の御使いとして、神から奇跡を許された者としての使命だからだ」
「寿げ! 祝え! 今日は俺たちの結婚を祝う日だ!!」
うおぉおぉぉぉおおぉおぉ!!!
「よくわかんねぇけど、すげえ」
「お后様、お綺麗ねぇ!」
「聖女様、銀というより金色だったなぁ」
「ばっか。聖女様じゃなくてゴルド王妃だろ。今言われたことを忘れんじゃねぇ」
「大王様幸せモンだな!」
「幸せ者……」神より授けられた聴力は健在のようで、広場で騒ぐ民たちの祝福する声が、ゴルドの耳に届く。
視界を埋め尽くす人々のどの顔も、どの声も、まるで我が事のように喜びで溢れている。
まるで、この先の未来には幸せが確約されているように。
「俺に、この国を、……あなたを、幸せにできるでしょうか」
目の前に広がる光景を眩しそうに見つめて、ゴルドが呟いた。
「国を治めるのは大変だからな。俺としては、その責の半分を請け負ってくれるだけで、十分だな」
「うっ。書類仕事は苦手です」
どちらかといえば、動物的な勘に頼って軍を率いてきた自覚がある。
論理立てて物事を判断したこともない。そんな自分に、国の行く末を決めることなど本当にできるだろうかと思うと不安しかない。
なによりも、大男であったゴルドの大きくて太い指には細すぎるペンでちまちまと書類を埋めていく作業は苦行であった。
しかし、神の姿を写し取り、美しい少女の姿となった今は、そんなことはない。
力を入れすぎてペン軸を折ってしまうことも、ペン先を割ったり、紙を破いてしまうこともなくなった。その上、神からこの世に関する膨大な知識まで得ているのである。自覚がないだけで途轍もなく優秀だのだ。自覚はないが。
「だが、半分ずつだ」
「なるほど半分ずつですか」
「あの愚兄に、一人であの島から抜け出してサシャを唆すことが出来るはずが無い。教会も、教皇一人を潰したとて諦めて大人しくなるはずが無い」
捜査はこれからだが、アレクサンドルは確信をもって告げる。
「まだまだ問題はありまくりですな」
「神が、この世界で生きている俺たちを見放すのも当然だ。神がやはり人間はダメだ、と諦められても仕方がない程度には、俺たちという存在は失敗作なんだろうよ。その位には腐ってやがる」
「問題山積ですからなぁ」
もちろん善良な者はたくさんいる。しかし、人は間違うものである。失敗もする。善良なだけではない。
それぞれに劣るものがあり優れるものがある。出来ること、出来ないこと。だからこそ協力し合うことができる。
「それでも。……だからこそ、人々というものは補い合うんだろうよ」
お互いにカバーし合えるならば、どんな苦難でも乗り越えられる気がしてくる。
「一緒に神に俺たちを認めさせてやろう。お前とならできる気がする。俺は、お前なら背中を任せられる。お前で、よかった」
ずっと腕に抱え上げていたゴルドの身体を下すと、アレクサンドルはその場に跪いた。
「え? あ、アレクサンドル様?!」
突然、主君から見上げられて慌てるゴルドの手を取ると、アレクサンドルは、その指先、手の甲、そして手のひらへと、くちづけを落としていく。
指先へのくちづけは、賞賛。
手の甲へのくちづけは、敬愛。
そうして手のひらへのくちづけは、懇願を意味している。
神から与えられた知識が、ゴルドにそれを教えてくれる。
「結婚してくれ」
主君からの求婚の言葉。それを受けてゴルドの視線が下がる。視界に入り込んだ唇の柔らかい感触が残る手を見ることができずにゴルドは結局目を閉じた。
花弁のようなピンク色の唇がもにゅもにゅっと歪んだ。形の良いすんなりとした眉も。
なぜこんなことになったのだろうという思いばかりが頭を締める。
この申し出を、拒否することはできない。けれど、それでも勝手に肩が震えてしまうし、目じりに涙すら滲んできてどうにもならない。
結局、敬愛する主君に恥をかかせる訳にはいかないゴルドは小さく頷くことしかできなかった。
「……はい」
それを確認して嬉しそうに笑ったアレクサンドルが、パリュールの最後の一つである指輪を、ゴルドの指に嵌めてくれた。
この国の王妃の指輪だった。
きらきら。きらきらきらきら。
神が降臨されていたという奇跡、それ以上に、神と対峙して会話を交わしたという奇跡、そうしてもう尊き姿はすでにないのだという喪失感に襲われて、今更ながらにその場にいた誰もが呆然としていた。
きらきら。きらきらきらきらきらきらきらきら。
「この光……あー! もしかして神様来てたんですか? って。……あれ、俺ってば、生きてるじゃないですか。え、なんで? アレクサンドル様をお守りして本懐を遂げたんじゃ?」
人々の視線を集める中、ごくごく普通に寝ているところから目覚めたようにゴルド・ドルバガその人が立ち上がり、焦った様子で自分の体をまさぐる。
「うわっ、どこにも傷がない! 大変だ、アレクサンドル様のお命をお守りできなかったっていうことか」
アレクサンドルの姿を探し、立ち上がったゴルドの視界が、暗くなった。
「え、あ。アレクサンドル様」
抱きしめられるように、抱え込まれるように。その腕の中に包み込まれた。
「おお、ご無事でしたか! よかったよかった」
「よくない。全然よくないぞ、ゴルド・ドルバガ。いや、わが妃よ」
「え、あの? アレクサンドル様、ちょっと離れて貰っていいですか」
元の体であるならいざ知らず、今のか細いゴルドからすれば見上げるほどの大男であるアレクサンドルの腕の中にすっぽりと抱え込まれてしまい、さすがに息苦しくなったゴルドは、その腕をバンバンと叩いて、放すように要求する。
「嫌だ」
「ええぇぇ?」
元のゴルドの半分の太さもないアレクサンドルの腕だが、今のゴルドからすれば丸太のように太く硬い。内側から幾らもがいてみてもびくともしなかった。
「覚えているがいい。俺はもう、お前に守られてやることはない。俺が、お前を守る。いいな、これは絶対だ。命令だ。俺は、お前の夫なのだから」
アレクサンドルはそう言うと、暴れるゴルドを縦に抱え上げ、下から試すがめす怪我の有無を確認して、肌だけでなくドレスに穴すら開いていないことに目を眇めた。
──神は、死んでしまったら戻せないと思わせたがっていたようだったが、破れたレースを直すことはできるようだ。
「まぁいいか。お前が助かった。それだけで十分だ」
「横暴すぎですよ。いいじゃないですか、妻が夫を守ったって!」
「俺に力くらべで勝ったら、考えてやらんこともない」
「よっし! 約束ですぞ」
考えてやらんこともないということは、考えることすら約束していないという意味であることにゴルドが気が付くことは多分ない。
けれど、それでいいのだ。
それが、ゴルド・ドルバガという人間なのだから。
「ゴルドおねえさま良かった。だいすきですわ!」
「お。クラウディア。わはは。ありがとう」
うわぁんと泣きながら、長く引く婚礼衣装の裾に、目を真っ赤にしたクラウディアがしがみついた。それに続くように侍女や令嬢たちがすぐ傍まで駆け寄ってくる。
ゴルド親衛隊は今日も健在だ。
「おい。お前たち結婚式の邪魔をするな。もう時間が押しているんだぞ」
「ケチなおにいさま。けち臭い男は嫌われるんですよ」
イーだとクラウディアが舌を出した。
「お前に嫌われるならむしろ歓迎する」
「きぃぃぃ!」
まるで子犬の兄弟がじゃれ合うような二人に、ゴルドが声をあげて笑った。
身体が揺れた拍子に、長い髪がたなびいた。
「わはは。お二人は本当に仲がいいですなぁ。……ん?」
「良くない!」「いい筈がないですわ!」
再びぎゃんぎゃんと吠える二人を前に、ゴルドが自分の髪を指で掴んで引っ張る。
そうして、「うわぁ」と叫んだ。
「髪が……髪の色が、また変わった!」
「あぁ。より神に近づいたようだな」
銀の川のようだった髪の色が、今は淡く金色を帯びている。金ではない。銀でもない。不思議な光を帯びた髪だった。
長い綺麗な髪を両手でひっぱって眺めていたゴルドへ、二人は励まそうとして声を掛ける。
「ちなみに、瞳の色も変わってるぞ。夜明け前の空のような濃い藍色に金色の星が飛んでいたのが、夜明けのやわらかな青とピンク色が混ざり合いそこに金色の光が混ざり合う明るい瞳になった」
ぱっと見は金色がかったピンク色だ。これまでの藍色と違い一目で違いがわかるような色合いで、かなり派手である。
「夜の闇が去り、希望溢れる夜明けを迎えたようですわ。とても素敵です」
懸命に明るい雰囲気へもっていこうとしたのだが、話題の選択に失敗したのか、ゴルドは受けた衝撃からなかなか戻ってこなかった。
「おにいさまが追い打ちを掛けるような話題を出すから」
「後で知るよりいいだろう」
だんだん不安が勝り、やはり拙かったかと小声で互いに責任を擦り付け合っていると、ようやくゴルドが口を開いた。
「うーむ。どんどん人から離れていくようですなぁ。まぁ鏡でも見ない限り自分にはわかりませんしな。関係ありませんな。わはは」
≪≪楽しんでましたよ。ゴルド・ドルバガというそれまで堅実に積み上げてきた人間としての礎を失ったにもかかわらず、どこまでも能天気でいるところや無駄に明るい明後日な努力をする姿を≫≫
神の言葉を思い出す。そうだ、こういう奴なのだ、とアレクサンドルは胸が熱くなった。
勢い、ゴルドを縦抱きにしたまま、アレクサンドルはバルコニーの先まで出ていく。
「うわっ。ちょっと」
王宮前広場は、今も人の波で埋め尽くされている。
先ほどまであった騒動にまるで気が付かなかったのか、民衆は今も、大王と聖女の婚姻を寿ぐ声をあげて、その慶事を喜んでいた。
ゴルドを抱き上げたアレクサンドルの姿を認め、観衆が手を振り、ひと際高く歓声をあげた。
「アレクサンドル様、ご結婚おめでとうございますー!」
「聖女様ー!」
ゴルドを抱きかかえた腕とは逆の手をあげ、観衆の視線を集める。
その腕の動きだけで、まるで魔法のように、民衆の声が静まった。
静寂が、鳴り響く。
「今日、俺は神へ、共に歩む妃との生涯を誓った。俺のすべてを捧げるとも。この誓いを違えることはないと、そなたたち民にも誓おう。俺たちの関係は、一般的な夫婦とは違う形に見えるかもしれない。不思議に思うこともあるだろう。だが、心配はいらない。俺たちは、この国を平和で幸せな国にするための尽力を惜しまない!」
「えー、あー。聖女、と呼ばれるのは苦手だ。できれば、ゴルドと呼んで欲しい。それと、お……、んんっ、わ、わたしも、平和のための努力を惜しまない。それが、神の御使いとして、神から奇跡を許された者としての使命だからだ」
「寿げ! 祝え! 今日は俺たちの結婚を祝う日だ!!」
うおぉおぉぉぉおおぉおぉ!!!
「よくわかんねぇけど、すげえ」
「お后様、お綺麗ねぇ!」
「聖女様、銀というより金色だったなぁ」
「ばっか。聖女様じゃなくてゴルド王妃だろ。今言われたことを忘れんじゃねぇ」
「大王様幸せモンだな!」
「幸せ者……」神より授けられた聴力は健在のようで、広場で騒ぐ民たちの祝福する声が、ゴルドの耳に届く。
視界を埋め尽くす人々のどの顔も、どの声も、まるで我が事のように喜びで溢れている。
まるで、この先の未来には幸せが確約されているように。
「俺に、この国を、……あなたを、幸せにできるでしょうか」
目の前に広がる光景を眩しそうに見つめて、ゴルドが呟いた。
「国を治めるのは大変だからな。俺としては、その責の半分を請け負ってくれるだけで、十分だな」
「うっ。書類仕事は苦手です」
どちらかといえば、動物的な勘に頼って軍を率いてきた自覚がある。
論理立てて物事を判断したこともない。そんな自分に、国の行く末を決めることなど本当にできるだろうかと思うと不安しかない。
なによりも、大男であったゴルドの大きくて太い指には細すぎるペンでちまちまと書類を埋めていく作業は苦行であった。
しかし、神の姿を写し取り、美しい少女の姿となった今は、そんなことはない。
力を入れすぎてペン軸を折ってしまうことも、ペン先を割ったり、紙を破いてしまうこともなくなった。その上、神からこの世に関する膨大な知識まで得ているのである。自覚がないだけで途轍もなく優秀だのだ。自覚はないが。
「だが、半分ずつだ」
「なるほど半分ずつですか」
「あの愚兄に、一人であの島から抜け出してサシャを唆すことが出来るはずが無い。教会も、教皇一人を潰したとて諦めて大人しくなるはずが無い」
捜査はこれからだが、アレクサンドルは確信をもって告げる。
「まだまだ問題はありまくりですな」
「神が、この世界で生きている俺たちを見放すのも当然だ。神がやはり人間はダメだ、と諦められても仕方がない程度には、俺たちという存在は失敗作なんだろうよ。その位には腐ってやがる」
「問題山積ですからなぁ」
もちろん善良な者はたくさんいる。しかし、人は間違うものである。失敗もする。善良なだけではない。
それぞれに劣るものがあり優れるものがある。出来ること、出来ないこと。だからこそ協力し合うことができる。
「それでも。……だからこそ、人々というものは補い合うんだろうよ」
お互いにカバーし合えるならば、どんな苦難でも乗り越えられる気がしてくる。
「一緒に神に俺たちを認めさせてやろう。お前とならできる気がする。俺は、お前なら背中を任せられる。お前で、よかった」
ずっと腕に抱え上げていたゴルドの身体を下すと、アレクサンドルはその場に跪いた。
「え? あ、アレクサンドル様?!」
突然、主君から見上げられて慌てるゴルドの手を取ると、アレクサンドルは、その指先、手の甲、そして手のひらへと、くちづけを落としていく。
指先へのくちづけは、賞賛。
手の甲へのくちづけは、敬愛。
そうして手のひらへのくちづけは、懇願を意味している。
神から与えられた知識が、ゴルドにそれを教えてくれる。
「結婚してくれ」
主君からの求婚の言葉。それを受けてゴルドの視線が下がる。視界に入り込んだ唇の柔らかい感触が残る手を見ることができずにゴルドは結局目を閉じた。
花弁のようなピンク色の唇がもにゅもにゅっと歪んだ。形の良いすんなりとした眉も。
なぜこんなことになったのだろうという思いばかりが頭を締める。
この申し出を、拒否することはできない。けれど、それでも勝手に肩が震えてしまうし、目じりに涙すら滲んできてどうにもならない。
結局、敬愛する主君に恥をかかせる訳にはいかないゴルドは小さく頷くことしかできなかった。
「……はい」
それを確認して嬉しそうに笑ったアレクサンドルが、パリュールの最後の一つである指輪を、ゴルドの指に嵌めてくれた。
この国の王妃の指輪だった。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
ある日、私は聖女召喚で呼び出され悪魔と間違われた。〜引き取ってくれた冷血無慈悲公爵にペットとして可愛がられる〜
楠ノ木雫
恋愛
気が付いた時には見知らぬ場所にいた。周りには複数の女性達。そう、私達は《聖女》としてここに呼び出されたのだ。だけど、そこでいきなり私を悪魔だと剣を向ける者達がいて。殺されはしなかったけれど、聖女ではないと認識され、冷血公爵に押し付けられることになった。
私は断じて悪魔じゃありません! 見た目は真っ黒で丸い角もあるけれど、悪魔ではなく……
※他の投稿サイトにも掲載しています。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
召喚失敗!?いや、私聖女みたいなんですけど・・・まぁいっか。
SaToo
ファンタジー
聖女を召喚しておいてお前は聖女じゃないって、それはなくない?
その魔道具、私の力量りきれてないよ?まぁ聖女じゃないっていうならそれでもいいけど。
ってなんで地下牢に閉じ込められてるんだろ…。
せっかく異世界に来たんだから、世界中を旅したいよ。
こんなところさっさと抜け出して、旅に出ますか。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~
しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。
豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。
――食事が、冷めているのだ。
どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。
「温かいごはんが食べたい」
そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。
地下厨房からの高速搬送。
専用レーンを爆走するカートメイド。
扉の開閉に命をかけるオープナー。
ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!?
温かさは、ホッとさせてくれる。
それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。
冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、
食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ!
-
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる