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永遠の愛を誓います

永遠の愛を誓います-2

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「……二人がおれを連れてきたかったっていうのは、つまり、この屋敷ってことだな?」
「ああ、そうだ。驚いたか?」

 悪戯いたずらが成功したような、無邪気な笑顔をおれに向けてくるガゼル。
 驚いたかって? もちろんめちゃくちゃ驚いてますよ!?
 ま、まさかのサプライズプレゼントが、家!
 おれの予想をはるかナナメ上にぶっち切っていく贈り物に、正直、動揺が隠せないぜ……!

「あまり大きくない家ですから、タクミの御眼鏡にかなうかどうか少し心配していたのですが……気に入ってくださったようでよかったです」

 そう言って、薔薇ばらの蕾がほころぶような、嬉しげな笑みを浮かべるフェリクス。
 い、いや……確かに気に入ったか気に入ってないかで言ったら、めちゃくちゃ気に入ったけどね? でも、あの、そういうことじゃなくてね?
 あと、この規模の屋敷を「大きくない」って言っちゃうフェリクスの感覚すごいね!?
 さすが伯爵家の三男だぜ……それにしても、なんだか珍しく二人がグイグイ来るなぁ。
 っていうかなんだろう、この逃げ道が完全に絶たれている感覚は……?

「あとで二階も見に行こうぜ。タクミの部屋は二階の角部屋がいいかと思ってるんだが……希望があったら遠慮せずに言ってくれ」
「あ、ありがとう、ガゼル。でも、その……」

 おれは両隣に座るガゼルとフェリクスから顔を逸らし、自分の手元に視線を落としながら呟いた。

「三人で住む家、って言うけれど……二人は、その、いいのか?」
「いいって、なにがだ?」
「おれは……ガゼルとフェリクスのことが好きだ。その……親愛以上の意味で、なんだが」

 おれの呟きに対し、フェリクスがおれの手を掴む力を、ガゼルが肩を抱く力をそれぞれ強めた。

「このまま三人で一緒にいられたら、おれは嬉しい。けれど、二人はそれでいいのか?」

 すると、肩に回されたガゼルの手がおれの頬をやわらかくなぞった。

「前にも言っただろう? 俺は、お前のためになることなら、なんでもしてやりたいと思ってる。お前がこのまま三人でいたいって言うんなら、無論そうするさ」
「ガゼル……」
「もちろん、私も同じ気持ちですよ、タクミ。貴方が三人でずっと一緒にいたいと願うのなら――そうすることで、貴方がここにいてくださるのなら」
「フェリクス……」

 でも、本当にそれでいいのかなぁ?
 このままずっと三人で一緒に過ごせるなら、二人のことが大好きなおれとしては願ったり叶ったりなんだけれど……けれど、なんだろう、この感覚?
 なんかこう、知らぬ前に包囲網が敷かれているような、そんなおかしな感覚がするんだよなぁ?
 そんなことあるはずがないのに。うーん……?

「――あ」
「ん、どうかしたか?」
「いや、その……雪が、ずいぶんとひどくなってきたみたいだ」

 なんとも言えない胸中で、ふと顔を上げた先。
 窓の外を見れば、先ほどよりもずいぶんと雪がひどくなっていた。空は分厚いねずみ色の雲に覆われており、これではもう馬車を手配するどころか、馬車自体が運行できるかも怪しそうだ。

「ああ、本当ですね。これでは今日は隊舎に帰るよりも、ここに泊まっていったほうがいいでしょう」
「そういや、書斎には前の住人が残した本がそのままだって話だったな。俺らの好きにしていいって話だったが……タクミ、あとで見に行くか?」
「本? おれが読んでもいいのか?」

 書斎に、本ですと!? えー、うそ、めちゃくちゃ嬉しい!
 黒翼騎士団に入隊してからというもの、読書とか全然してなかったからなぁ……!
 座学で配られる教本を読んだりするぐらいだ。
 城下町には王立図書館もあるそうだけれど、入場料だけで金貨一枚はするというから行っていなかったのだ。

「ええ、もちろんですよ。ここに住んでいた先代子爵夫人のご趣味だったそうで、私も覗いてみましたが、なかなかの蔵書量でした。歴史小説から娯楽小説、果ては魔術書まで、色々と取り揃えられていましたよ」
「そうなのか……! ここに持ってきて、暖炉だんろの前で読んでもいいか?」
「かまいませんとも。ここはもう貴方の家でもあるのですから」
「ああ。やっぱり寮の相部屋だとなかなかくつろげねぇだろ? たまには三人で読書でもしながら、紅茶でも飲んでゆっくり過ごそうぜ」

 二人の笑顔に押されるようにして、おれはソファを立ち上がると応接室を出て、二階にあるという書斎へ向かうことにした。
 うーむ……まさかのサプライズプレゼントが家だなんて、かなりビックリしたけれど、でも、ガゼルとフェリクスが三人で一緒でもいいって言ってくれたのは、とても嬉しい。
 しかし……どうしてガゼルとフェリクスはいきなり、こんなに大きなサプライズを?
 このお屋敷は確かに素敵だけれど……。二人は「安かった」「破格の値段だった」って言ってたが、一体いくらなんだろうか? 元の世界で買ったなら絶対に億はくだらなそうな敷地と建物なんですが……やばい、怖くて聞けない!
 確かに二人には、少し前から「三人で一緒でもかまわない」と言われてはいたものの、同時に「でも、それはそれで、タクミが自分を選んでくれれば嬉しい」とも言われていたはずだ。
 だから、おれもちゃんと誠実に答えを返さなければと今日まで迷っていたのだが……いきなりのサプライズプレゼントといい、一体、二人にどういう心境の変化があったんだろうか?
 それに二人の進め方や話しぶりから、なんだかまるで、おれの逃げ道を塞ぐような空気をひしひしと感じるんだけれど……いや、きっと考えすぎだな。
 だって、二人がわざわざおれの退路を断つような真似をする必要はどこにもないしね!
 さーて! そうと決まれば、さっそく書斎に行こう。
 ふふふー、暖炉だんろの前で読書とか、イギリス映画みたいなシチュエーションだなぁ。
 こっちの世界の娯楽小説って見たことないから、どんなものがあるのか楽しみだ。それに、ガゼルとフェリクスはどんな本が好きなんだろう。
 考えるだけでわくわくしちゃうぜ!


   ◆


「――忘れてた。おれ、元の世界に帰るんだった……!」

 さて。昨日はガゼルとフェリクスの三人で、ゆったりとしたひと時を過ごした。
 前の住人が残してくれた書斎の本棚を三人で眺めて、どんな本があるか、互いの好みのジャンルはなにかを話すのも楽しかったし、応接室のソファに戻って、思い思いの時間を穏やかに過ごしたのも充実していた。
 その後はやはり雪が止まなかったため、そのままメイドさんが作ってくれた夕食を食堂でとった。とても美味しかったです!
 なお、あの屋敷にいた執事服の初老の男性を含む使用人さんたちは、前の住人がずっと雇っていた人たちらしい。
 本来、あの屋敷が売られることになれば、使用人たちも新たな仕事先を探さねばならなかったそうだ。けれど、ガゼルとフェリクスは屋敷を買い上げると同時に、そのまま使用人たちも屋敷で雇い続けることに決めた。
 だから使用人さんたちはガゼルとフェリクスに感謝しているようで、どの人もおれたち三人に非常に好意的だった。
 それとなく話を聞いたところ、「奥様の移られる本家にはすでに自分たちよりも優れた使用人が何人もいる。紹介状は頂いたが、年齢的な問題で次の雇用先が見つかるかは分からなかった。だからこの屋敷ごと自分たちを雇ってくれるというガゼル様とフェリクス様には感謝しかない」ということだった。

「だから、もしもあの屋敷を買わないってことになれば、あの人たちは雇用先を失うんだよな……」

 新たに生じた問題に、おれは頭を抱えた。
 彼らの嬉しそうな笑顔を思い返してますます頭が痛くなる。
 な、なんで昨日の時点で気付かないかなぁ自分!
 でも、気付いたとしてもあの状況じゃあ、「あ、おれはこの世界から元の世界に戻るつもりなんで! この家は返品します!」とは、とてもじゃないけど言えないな……っていうか、家って返品できるのかな?
 頭痛のしてきた頭を押さえつつ、おれが訪れた先は、城下町の大通りの一角にある香水屋『イングリッド・パフューム』だ。

「――いらっしゃいませ! ……あっ、タクミさん、お久しぶりです!」

 その人物は、店先に出て雪かきをしているところだった。
 こちらを見上げて顔を輝かせる彼に、片手を挙げて挨拶をする。

「やあ、マルスくん。昨日はすごい雪だったな」
「ええ、本当に……ここまで来るのも、道路がぬかるんでいて大変だったでしょう。お疲れ様です。今日は発注書の件ですよね?」
「ああ、そうだ。店主はいるか?」
「義姉さんがいるのですが、ちょうど今しがたお客様が来ておりまして……お待ちいただく間、よければお茶でも召し上がってください」

 そう言って、にこりと微笑んでおれのために店のドアを開けてくれるマルスくん。
 十代前半の少年とは思えないほどの礼儀正しさと気遣いっぷりである。
 正直、まぶしすぎてコミュ障のおれには目が痛いぜ!
 実年齢からすれば三百歳以上なんだけど、記憶を失っているのだから、彼の精神年齢は外見通りなはずなのに……!
 ――そう。この『イングリッド・パフューム』にて、朝からせっせと店の前の雪かきをして働く少年。彼こそが、おれを元の世界に戻れるように取り計らってくれた人物である。
 血の色のような濃紅色の瞳に、玉虫のような光沢のある緑の髪。そして、その頭には二本の角がにょっきりと生えている。その奇妙な色の髪と角、そして切れ長の瞳とシャープなラインの顔立ちがあいまって、どことなくエキゾチックな雰囲気のある美少年マルスくん。
 だが、その正体は、三百年前にこのリッツハイム魔導王国を混沌におとしいれ、異世界から召喚された勇者に封印された『魔王』である。

「久しぶりにタクミさんと会えて嬉しいです」
「ああ。おれもマルスくんと話せて嬉しいよ」

 とはいえ、彼は自分が『魔王』であった時の能力を失っている。
 おれにその力の大部分をゆずり渡したためだ。
 くわえて、死にかけた彼が一命をとりとめた際に、何故かこのような幼い姿に変貌してしまっており、記憶もさっぱり失ってしまった。
 だから今や彼が『魔王』であったということを知るのは、この国ではおれとガゼルとフェリクスの三人しかいない。いつか、マルスくんが記憶を取り戻す日もあるのかもしれないが……
 ……そうなんだよなぁ、マルスくんの問題もあるんだよ。
 おれの中にある魔力は、このマルスくんが『魔王』であった頃におれにゆずってくれたもの。
 彼は同じ『異世界人』であるおれをおもんぱかって、意識を失う間際に、自らの力をゆずり渡してくれたのだ。
 彼の気持ちを思えば、おれは元の世界に帰らなければいけないのだと思うし……おれ自身、元の世界に未練がある。
 まだ返却してなかったDVDとか、来週発売されるはずだった漫画の最終巻とか――家族にお別れを言えなかったこととか。そういったものを思うと、帰らなければいけないとは感じる。
 でも……魔力はもらっても、肝心の帰り方が分からないんだよね!
 っていうか、元の世界に帰るのには召喚儀式の逆バージョンである、送還の儀式が必要らしいんだけど……その儀式の方法が分からないし!
 確かゲームだと、送還儀式ってリッツハイムからは失伝しちゃってて、隣国の古い遺跡から主人公が偶然に発掘するんだよね。
 ポーションやエリクサーの生成方法を求めて遺跡を訪れた際に、古ぼけた魔法陣の書かれた神域を発見するのだ。
 送還の儀式を実行するには、専用の魔法陣と、その魔法陣に膨大な魔力を注ぎ込むことが必要だった。その遺跡で主人公が魔法陣を見つけたことによって、主人公は周囲の皆の魔力をちょっとずつ頂いて元の世界に帰れたんだけど……魔力問題はいいとして、その専用の魔法陣を手に入れる方法がないしなぁ。
 おれ、元の世界ですら海外旅行なんてしたことないのに、隣国なんて行ける気がしないよ……そもそもリッツハイム市から出る時点でハードル高すぎるし!
 ガゼルとフェリクスは「できる範囲で送還儀式について調べてみるが……悪いが、あまり期待するなよ? まぁ、もしも帰れないとしても俺たちがずっと一緒にいてやるから寂しい思いはさせねェさ」とか、「召喚儀式はリッツハイム王家の秘中の秘ですので、できる限りで調べてはみますが、おそらくは望む結果は出ないでしょう。でも、タクミの傍にはずっと私たちがおりますから、ご安心ください」って励ましてくれたけど……
 うう、忙しい二人に無理をさせてしまっているようで申し訳ないなぁ……

「タクミさん?」
「あ、ああ、すまない。ちょっとぼーっとしていた」

 店内の椅子に腰かけたおれの顔を、マルスくんが覗き込んできた。
 ついつい考え込んでしまったようだ。
 気を取り直して、おれはマルスくんに微笑みかける。

「それにしても、今日はお義姉さんは忙しいようだな。なんなら日を改めるが――」

 ひそひそとマルスくんにささやく。
 いつもならアルケミストのメガネっ子店員さんがおれを出迎えてくれるのだが、今日はまだこちらに来ない。というのも、彼女は今、カウンターでお客さんの相手をしているからだ。
 おれが店に入ってから、メガネっ子店員さんは十分以上ずっとあのお客さんの応対をしている。しかも見た感じ、まだお客さんは彼女に色々と質問を重ねているようだ。あの調子ならまだしばらくかかるだろう。

「うーん……実はあの方、どうも、純粋にうちの商品を買われに来たわけではないようでして」

 困った顔のマルスくんが首をひねった時だった。

「――しらばっくれないでよ! 全部分かってるんだから!」

 甲高い声が店内に響く。
 ただならぬ様子に、おれとマルスくんは声のした方向を見た。
 見れば、カウンターにいるメガネっ子店員さんは困った表情で、目の前の客をなんとかなだめようとしている。だが、お客さんはますますヒートアップするばかりだ。
 こちらからは後ろ姿しか見えないが、焦茶色の髪を肩口で切りそろえた女の子だ。張りのある声の感じからして、十代前半というところだろうか。

「ちょっと様子を見にいこうか、マルスくん」

 おれは椅子から立ち上がり、涙目であわあわとしているメガネっ子店員さんとお客さんのいるカウンターへと向かった。

「話の途中ですまない。一体、なにがあっ――」
「いい!? 私には全部分かってるんだからね!」

 おれの言葉を遮って、女の子が声を張り上げた。

「――あんたなんでしょう!? この『チェンジ・ザ・ワールド』の世界を散々引っ掻きまわしているのは!」

 その言葉に、声をかけようとしたおれはピタリと硬直した。
 焦茶色の髪の女の子はといえば、そもそもおれとマルスくんの存在に気付いた様子すらなく、半泣き状態のメガネっ子店員さんに人差し指をビシッと突き付けている。

「さ、さっきから説明していますが、誤解ですぅ……わ、わたし、その、ちぇんじざわーる? っていうのがなんなのかもさっぱりですし……」
「ふん、とぼけたって無駄よ!」

 眉を八の字にし、困惑しているメガネっ子店員さんに対し、女の子は自信満々に鼻を鳴らした。
 まじまじと女の子を見る。身長は百五十センチくらいだろうか? ほっそりとした顔立ちに、アーモンド形のぱっちりとした瞳が可愛らしい。
 服装は生成り色のシャツにベスト、臙脂えんじ色のひざ丈のスカートだ。その手には外套がいとうを抱えている。
 見た感じ、着ているものはリッツハイム製だが、顔立ちや肌の色は黄色人種のそれだ。リッツハイム魔導王国の人間ではない。
 よく見れば、焦茶色だと思った髪も瞳も、おれと同じ黒色だ。生まれつき色素が薄いのか、髪も目も光が当たると明るい色に見えるため、焦茶色だと思ったのだった。
 つまり――彼女はまさしく、この国にはおれ以外に存在しないはずの日本人だった。

「とっくに調べはついているんですからね! 貴女が私と同じ――異世界からトリップしてきた人間だってことは!」

 そして、その日本人っぽい少女は自信ありげに、またもやメガネっ子店員さんに人差し指をズビシッと突き付けた。
 ……そう。おれではなく、何故かメガネっ子店員さんに。

「お、おい、君……?」
「あら? でも見た感じ、肌の色も顔立ちもこちらの国の人っぽいわね……じゃあ、トリッパーじゃなくて憑依ひょういってことなのかしら? まぁ、どっちでもいいわ」

 横合いから声をかけてみるが、女の子はベラベラと喋り続けて、話を聞いてくれない。
 というか、まだおれの存在に気が付いてないっぽい。

「と、トリッパー……? ひょーい、ですか?」
「そうよ! あんたも私と同じ、日本からこの世界にやってきた人間なんでしょう?」
「す、すみませんが、私は本当にお客様がなにをおっしゃっているかさっぱりなんですぅ……! それに、私は生まれも育ちもリッツハイム市なんですが……?」
「ふん、まだしらばっくれるのね。でも、これを見てもまだとぼけていられるかしら?」

 メガネっ子店員さんは、別にしらばっくれているわけではない。本当に、彼女は生粋きっすいのリッツハイム市民だ。
 だが、女の子はメガネっ子店員さんの訴えに耳を傾けようとはせず、その代わりに、肩から下げていたポシェットからゆっくりとなにかを取り出した。
 それは、ガラス製の小瓶だった。

「これを最初にリッツハイム魔導王国で作ったのは、あんたなんでしょう?」

 女の子はそう言って、メガネっ子店員さんの前にずいっと小瓶を突き出す。
 瓶の中でちゃぷりと揺れた液体は、ここにいる誰もが見慣れたものだった。

「「「……ポーション?」」」
「そうよ! このポーションは、リッツハイム魔導王国では絶対に作れないものよ。だって、製造方法どころか、存在すらこの国では失伝してるんだもの。だから、このポーションの製造方法を正規の手段で入手するなら、隣国へ行って古代遺跡から作り方を探し出さなければいけないはずなんだから……!」

 ……あ。おれ、この女の子がなにを言いたいか、そしてどんな勘違いをしているか分かってきたぞ。

「けれど、隣国の遺跡へ行ったこともないはずの黒翼騎士団の人たちが、このポーションの製造方法を発見したって聞いたわ。……それはつまり! ゲームの知識を持った人が私より先にトリップして、このポーションの製造方法を黒翼騎士団の人に伝えたということ!」

 くわっと目を見開いて、メガネっ子店員さんを睨みつける女の子。
 それを見たマルスくんが、おれの服の裾をくいくいと引っ張ってきた。しゃがみこむと、マルスくんが顔をしかめながら耳打ちをする。

「タクミさん……この人、もしかすると薬物中毒者でしょうか? 言っていることが支離滅裂です」
「い、いや、そういうわけじゃないと思うが」
「僕はひとまず人を呼んできますので、タクミさんは義姉さんをお願いできますか? なにかあった時、タクミさんなら彼女をうまくなだめられると思いますから」
「……分かった。なんとか落ち着かせてみるよ」

 マルスくんはおれに向かって頷くと、そっとその場を離れて、店のドアへと向かった。
 女の子はといえば、マルスくんが出ていったことには気付かなかったようだ。むしろ、彼の存在に気付いていたかどうかも怪しい。
 女の子はますますヒートアップして、メガネっ子店員さんにくってかかっている。

「だから、私は怪しいと思って調べてもらったの! 黒翼騎士団にポーションやエリクサーの製造方法を伝えたのは誰なのか……! そうしたら、どれもここの香水屋で試作されたものだっていうじゃない! それに、今も騎士団にポーションをおろしているのはこの店だって聞いたわ!」
「た、確かに私は、試作品の製作に関わらせていただきましたが……でも、騎士団にポーションをおろしているのはうちだけではないですよ?」
「やっぱり貴女がポーションを最初に作った人間なのね! じゃあ、やっぱり貴女が私と同じ異世界人なんだわ。ゲームの知識があったから、それをこの国の黒翼騎士団に売り込んだんでしょう!?」
「だ、だから、私は黒翼騎士団の皆さんにお願いされて調合と錬成をしただけで、私がポーションを開発したわけじゃないですぅ……!」
「だから、騎士団の人がポーションの製法を知ってるわけがないのよ! だって、もうそれはこの国には存在しないものなんだもの!」

 涙目どころか今にも泣きだしそうになっているメガネっ子店員さんに、女の子はすさまじい勢いでまくし立てる。
「なんでなのよ……あんただけ、ずるいじゃない! せっかく『チェンジ・ザ・ワールド』に来られたのに、ポーションはすでに開発されて王都では一般に販売されてて!? しかも、今ではモンスターの被害もすっかり落ち着いてきて、むしろポーション作りの材料のためにモンスターの養殖を考えるぐらいだとか!? いえ、この国が平和なのはいいことだと思うけどね!? でも、それとこれとは別なのよ!」

「そ、それはどうもありがとうございます……?」

 混乱したままお礼を言うメガネっ子店員さん。
 ……そ、そろそろ、無理やりにでも割って入ったほうがよさそうだな。あの女の子も、たぶん自分がなにを言ってるかだんだんワケ分かんなくなってるっぽいし。

「おい、そこの君」

 おれは少し強めの口調で声をかけながら、女の子の肩を叩いた。
 ハッとしたように女の子が振り返る。どうやら本当に、今の今までおれの存在に気付いていなかったようだ。

「あっ……だ、誰、貴方?」
「おれは黒翼騎士団の人間だ、名前はタクミという」
「っ、黒翼騎士団の人……!?」
「少し落ち着け、今のままじゃまともな話し合いなんてお互いできないだろう? 一度、向こうでおれと話そうじゃないか」

 とりあえず、この女の子と二人きりで話をしたい。そして、異世界からやってきたのはメガネっ子店員さんではなく、このおれなんだと伝えたい。
 ……メガネっ子店員さんやマルスくんには、おれが異世界から来たってことは知られたくないからな。二人のことは信用しているけれど、あまりにも荒唐無稽こうとうむけいな話だろうからなぁ。

「ぁ……」

 しかし、おれを見つめた女の子は、一気に顔をさあっと青ざめさせた。
 突然、顔色を一変させた彼女に驚いていると、彼女は一歩、二歩と後ずさった。
 ん? なんだ、もしかしておれが同じ日本人だってことに気が付いたのか? まぁ、リッツハイム市にはいない黒髪黒目だもんな。
 けれど、それにしては少し様子がおかしいような……

「っ……!」
「あっ!? おい、待て!」

 顔を青ざめさせた女の子は、くるりと身をひるがえし、脱兎だっとのごとく駆け出した。
 慌てて彼女の肩口を掴んだおれの手すら振り払い、そのまま一直線に出入り口へ向かうと、ほとんどドアに体当たりするような勢いで店を出ていってしまった。
 あとには、ぽかんと口を開いたおれとメガネっ子店員さんが残される。

「な……なんだったんでしょう、今のお客様……?」
「……なんとも言えないな。ただ、なにか致命的な勘違いをしているようだ」

 しかも彼女、おれの世界のRPG『チェンジ・ザ・ワールド』のことを知っているようだった。
 つまり、『魔王』や『勇者』のようなゲーム中の登場人物としての『転移者』ではない――本当におれとまったく同じ世界から来た異世界人なのだ。となれば、『チェンジ・ザ・ワールド』の正規の主人公が召喚されたわけでもない。
 それにくわえて、彼女の着ていた服。
 おれはこの世界に来た時は、自分のもともと着ていた洋服のままだった。
 あの女の子がリッツハイム製の服を着ていたということは、彼女に衣食住を提供している人間がいるということだ。
 それに、彼女の言葉についても気になるところがあった。

『だから、私は怪しいと思って調べてもらったの! 黒翼騎士団にポーションやエリクサーの製造方法を伝えたのは誰なのか……! そうしたら、どれもここの香水屋で試作されたものだっていうじゃない! それに、今も騎士団にポーションをおろしているのはこの店だって聞いたわ!』

 ……確かにハッキリと「調べてもらった」って言ってたよな。
 つまり――リッツハイム市の誰かがあの女の子を保護し、面倒を見ている。
 そしてなおかつ、彼女のためにポーションやエリクサーの製造に関わった人間を調査してあげたということだ。
 一体、どういうことなんだ?


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