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新婚旅行は波乱万丈でした
新婚旅行は波乱万丈でした-1
「―――ふむ?」
おれは鏡に映る自分の姿を見つめた。
そこに映っているのは、黒髪黒目の人間だ。さほど特徴もない平坦な顔立ちの人物が、小首を傾げてこちらを見つめ返している。
普段ならばそれでなんの問題もないのだが――
今、鏡に映っているのは、おれの実年齢から五、六年ほど前の姿だ。
どういうわけか、若返った自分の姿なのである。
「え、えーっと……? ちょ、ちょっと待って。ちょっと状況を整理してみよう、うん」
鏡に映る自分の姿から顔を背けて、こめかみを押さえる。
そう――事の始まりは、ちょうど一ヶ月前のことだ。
◆
「――旅行?」
「ええ、そうです。国内で問題になっていたモンスターの大量発生も収まりましたし……タクミはこの世界に来てから、リッツハイム市の外に出たことがほとんどないでしょう? よければ、三人で旅行にでも行きませんか?」
『この世界に来てから』というのは――おれは元々、この世界の人間ではないからだ。
おれは日本という国に住むただの平凡な学生、なんの変哲もない一般人だったのだが――ある日突然、この異世界に来てしまったのである。
しかも、ここはただの異世界ではなかった。おれが元いた世界で遊んでいたRPG『チェンジ・ザ・ワールド』の世界だった。
ゲームの世界に突然来てしまったおれだが、幸いにも、そこで出会った人々に助けられ、この世界でなんとか生きている。
そして、すぐそばにいる――おれの右隣でポットからティーカップに紅茶を注いでいる男性、フェリクスもその一人だ。
三つのカップに紅茶を注いだ彼は、そのうちの一つをおれに手渡した。
「ありがとう、フェリクス。それにしても、旅行か……もちろん行ってみたいが、ガゼルとフェリクスは、あまり長くは黒翼騎士団を離れられないだろ?」
「一週間程度ならば大丈夫ですよ。さっきも言った通り、モンスターの発生もぐんと減りましたし……なにより、たまには羽休めも必要ですよ。私にも、貴方にも」
薔薇の蕾がほころぶような微笑み。
フェリクスは片手をおれの右手に重ねると、その指先でそっと手の甲をなぞってきた。
表情からも、触れ方からも、こちらに対するフェリクスの愛情がこれでもかと伝わってきて、めちゃくちゃ恥ずかしくなる。
あ、相変わらずのイケメンっぷりだぜ、フェリクス……!
彼との付き合いは一年以上、しかも、去年の冬からこの家で同棲している身であるけれど……いつまで経ってもこういう扱いに慣れない。っていうか、慣れる気が全然しない!
――フェリクス・フォンツ・アルファレッタ。
彼は、おれの所属する黒翼騎士団の副団長を務めている人物だ。
さらさらの金髪と紫水晶色の瞳を持つ、まるで白馬の王子様を体現したようなイケメンである。
というか、実際に名のある伯爵家の三男なので、王子様とまではいかなくとも、れっきとした貴族のご子息なんだけれど。
フェリクスに微笑みを向けられ、あわあわしていると、不意に頭をくしゃりと撫でられた。
その大きな掌は、おれの左隣から伸びてきたものだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫だぜ、タクミ。黒翼騎士団には続々と新入団員が入ってきて、後進も育ってきてるしな。俺らがいなくても、何も問題はねェよ。むしろ、俺やフェリクスがいないほうが羽が伸ばせるから、皆、喜ぶかもな!」
白い歯を見せてにかりと笑ったのは、おれの左隣に座っていたガゼルだ。
彼の名前は、ガゼル・リスティーニ。
黒翼騎士団の団長を務める、おれとフェリクスの上司にあたる人物だ。
ワインレッドの髪と金色の瞳、陽によくやけた筋肉質の身体を持つ、フェリクスとはまた方向性の違う精悍なイケメンである。
そんなガゼルの笑顔や言葉には、無条件で人を安心させるエネルギーがある。その力に、おれはこの世界で幾度となく助けられた。
なので今回も、ガゼルのその言葉だけで、おれの心は「ガゼルがそう言ってくれるなら行っちゃおうかな! たまにはいいよね! 旅行なんて、この世界じゃ初めてだし楽しみだなー!」という方向にあっさりひっくり返る。
しかし、そこまで考えて、おれはふと気になった。
……一週間、黒翼騎士団を留守にする間……つまり一般人風に言うなら、その間、会社をお休みするわけだけれど……ゆ、有給休暇とかは使えるのかな?
っていうか、この国――リッツハイム魔導王国には有給休暇制度はあるのだろうか?
どうしよう。一度考えたら、どうしてもそのことが気になってしまう。
今、おれはこの屋敷でガゼルとフェリクスと暮らしているから、お金に不自由しているわけじゃないけれど、将来を見据えて貯蓄とかしておきたいじゃん?
それに、このすごいお屋敷の購入代金も、おれは一円も出してないんだよー……ガゼルもフェリクスも「気にしないでいい」って言ってくれたけど、三人で住んでるんだし、おれだって自分の住んでる分くらいはちゃんと払いたい。
そんなことを考えていたら、がぜん、この世界に、ひいては黒翼騎士団に有給休暇制度があるのか気になってきた。
うーん、でもガゼルとフェリクスにはさすがに聞きづらいな……二人はおれの恋人ではあるけれど、同時に上司でもあるわけだし。明日、騎士団に行ったらイーリスにでも聞いてみようか。
「タクミ、なにか気になることでもあるのか?」
そんなことを考えていたら、ガゼルがおれの顔を覗き込んできた。
金色の瞳に間近に見つめられて、どきりと心臓が跳ねる。
ちょっ、ちょっとガゼルさん!
いきなりそんなに至近距離に来られると心臓に悪いぜ……!
いや本当、ガゼルとフェリクスの二人と正式に恋人同士になってずいぶん経つけれど、ぜんっぜん慣れないなぁ……
「なにか心配事があるなら、遠慮はいらねェからなんでも言ってくれよ」
「いや、その、別にたいしたことじゃないんだが……」
紅茶のカップをテーブルに置き、ガゼルからそっと視線を逸らす。
口ごもるおれを、ガゼルがじっと見つめてくる。その真摯な顔に、ますます言葉が出てこなくなる。
ど、どうしよう……この状況で「旅行の間って有給申請できる?」ってすごい聞きづらい……!
ああ、もう、おれの馬鹿! 聞くなら最初にさらっと質問しちゃえばよかったのに!
変に口ごもったせいで、余計に言いづらくなったじゃん!
「その、実は……」
「――ああ、もしかして、お前の髪と目のことか?」
…………へっ?
「確かに、騎士団の奴らや、この城下町にいる人間は、お前を見てももう騒ぐことはないけどよ、よその町に行ったらそうはいかねェもんな」
「……騒ぐ?」
「旅行先で、お前の黒髪黒目の容姿を見た連中が騒ぎ出したら、ゆっくり楽しめねェって話だろ?」
そう言って、うんうんと頷くガゼル。
おれは、そんな彼の言葉に全力で乗っかることにした。
「あ――ああ! そうなんだよ、実はそれが心配だったんだ。おれの黒髪黒目は、このリッツハイム魔導王国じゃ珍しいんだろう? 自意識過剰かもしれないが、それで、その、旅行先で変に人目を集めたら嫌だなぁと!」
背中に冷や汗をかきながら、あせあせと早口で応える。
すると、反対隣に座っていたフェリクスが気遣わしげな表情を浮かべて、労るようにおれの背中に手を添えた。
「そうか……そうですよね、タクミの不安に気付かず、誠に申し訳ございません」
「い、いや。別に不安とかじゃないんだ。ただ、その、それで注目されたらせっかくの旅行が楽しめないかなーと」
「いえ、貴方の危惧はもっともです。……心細く思う貴方に気付かず、一人浮かれていた我が身をお許しください」
まるで叱られたゴールデンレトリバーのごとく、しょんぼりと肩を落とすフェリクス。
その表情に、おれの罪悪感メーターは振り切れた。
ご、ごめん、フェリクス!
そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ……!
っていうか、おれ自身も『リッツハイム魔導王国には異世界転移者しか黒髪黒目の人間はいないから、ものすごく珍しい』なんて話、ガゼルに言われるまですっかり忘れてたし!
おれはただ黒翼騎士団に有給休暇制度があるのか聞きたかっただけなんだ……!
でも、団長と副団長であるガゼルとフェリクスにはさすがに言いづらかったから、ガゼルの勘違いに乗っかっただけなんだ……!
「なるほど、旅先じゃどんな人間がいるかも分からんしな。もちろん行く場所は治安のいい町を選ぶつもりだが、どんな町にも悪巧みをする連中はいる。前に、タクミを誘拐したオッドレイとかな」
「まぁ、あれはかなり特殊なケースだと思うが……」
オッドレイというのは、黒髪黒目の容姿の人間に執着するあまり、異世界転移の儀式を実行し、新たな転移者をこの世界に呼び込んだ挙句、おれを誘拐した男の名前だ。
黒髪黒目ってだけで誘拐されるとは思わなかったから、あの時は本当にビックリした。でも、あんな人はそうそう世の中にいないと思う。そう信じたい。
「まあ安心しろ、タクミ。お前が旅行先で窮屈な思いをしないよう、俺とフェリクスが対策を考えておくからな。目途がついたら、また改めて言うぜ」
そう言って、ガゼルがまたもやおれの頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。
ごつごつとした節くれだったガゼルの指で頭を撫でられるのはけっこう好きだ。特にソファの上でそうされると、なんかこう、自分が飼い猫にでもなったような気分になる。
「ありがとう、ガゼル。……いつもいつもガゼルとフェリクスに任せきりにしてすまないな。おれにもできることがあったら、なんでも言ってくれ」
「いいんだよ。お前のためにあれこれ準備するのが、俺はいっとう楽しいんだぜ?」
ガゼルが唇を弧の形にすると、再びおれに顔を寄せてきた。そして、前髪をかき分けて額にちゅっと口づけをする。瞬間、思わずぴくりと肩が震える。
う、うおぉ……こういうスキンシップもいまだに慣れないぜ……!
「タクミ。私も、貴方が旅行先で心置きなく楽しめるように、身命を賭して準備させていただきますから!」
「あ、ああ。……いや、別に身命は賭さなくてもいいからな、フェリクス?」
今度はフェリクスがおれの手を握りしめ、ぐっと顔を寄せてきた。
アメジストの瞳を縁取る金色の睫毛に、すっと通った鼻梁と、染み一つない肌。そんなフェリクスの整った容姿を見ていたら、さっきの自分の言葉がとんだ道化に思えてきた。
……あれ? どう考えても、旅行先で注目されるのはおれじゃなくて、ガゼルとフェリクスじゃない?
よく考えたら、こんなイケメン二人とおれが歩いてても、誰もおれなんか気にしないだろう。
せいぜい、「あら、黒髪黒目の人間なんて珍しいわね。そんなどうでもいいことより、一緒にいる美形のお二方は誰なのかしら……」程度の認識じゃないだろうか。
自分の自意識過剰っぷりが途端に恥ずかしくなる。
だが、フェリクスはそんなおれの手を恭しく掲げると、その手の甲に静かに唇を寄せて口づけた。
「いえ、今回の旅行は特に大事なものですから、貴方に心置きなく楽しんでいただきたいのです」
「大事?」
「だいぶ遅くなりましたが……ほら。この旅行は、私たち三人にとって、いわゆる新婚旅行にあたるわけですから」
そう言って、にっこりと笑うフェリクス。
その言葉と表情に、今度こそ自分の頬が熱くなった。
し、新婚旅行、とな……!?
そ、そっかー……でも言われてみれば、そうだね……おれとガゼルとフェリクスは、正式にリッツハイム市に婚姻届を出した関係であるわけだし、こうやってお揃いの指輪だってつけてるし……
そ、そっかぁ。新婚旅行かぁ……
……ますます有給休暇の話とかしづらくなっちゃったな!
◆
「…………」
一ヶ月前、ガゼルとフェリクスが旅行の話をしてくれたことを思い返していたおれは――自分の至らなさをありありと思い出し、ちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。
思わず、鏡の前でガックリと項垂れる。
ちなみに有給休暇制度はちゃんと存在していた。黒翼騎士団がホワイト企業でよかったよ!
時たま命の危機にさらされる職場だけどね!
まぁ、有給休暇の件はさておくとして。
「ええと……その後は、ガゼルとフェリクスが、姿を変える魔法薬を調達してきてくれたんだよな。それで、『十日間だけ髪と目の色を変える薬』だっていうそれをこうやって飲んでみたわけだけれど……」
おれはもう一度、自分の姿を鏡で見てみる。
……先ほど聞いた話では、ガゼルとフェリクスが持ってきてくれた魔法薬は、おれの目と髪の色を明るい茶色に変えるもののはずだ。
でも、どう見ても鏡に映る自分の姿は、黒髪黒目のままだ。
っていうか、自分の過去の姿だ。
この姿だと……実際の自分より五、六年ほど若返っているのか……?
「な、なんでこんなことに!? もしかして、用法用量を誤って飲んだとかか? 本当は食間に服用すべきだったのか?」
慌てて、洗面台に置いた魔法薬の空瓶を手に取って見てみる。
しかし、ガラス瓶には何も記載されていない。
っていうか、そもそもラベルの類はなにもない。
うーん……?
ガゼルとフェリクスからは、この薬をひと瓶飲み干せばいい、としか聞いてなかったけどなぁ。
もしかして、おれが「せっかく目と髪の色が変わるなら、髪の毛が銀髪で目の色がオッドアイみたいな、強キャラ感溢れる感じのカラーリングがよかったな~!」とか、中二病っぽい邪念を抱いていたのがよくなかったんだろうか……
「――タクミ、どうだ? 大丈夫そうかー?」
聞こえてきた声にはっと顔を上げる。
ガゼルとフェリクスは今、応接間でおれが来るのを待っている最中なのだ。おれは、服用後の自分の変化を見るために、魔法薬を持って風呂場に隣接するユーティリティルームにいる。
おれが戻るのが遅いからだろう。応接間から響いてきたガゼルの声は、いささか心配そうだった。
「大丈夫だ、すぐ行くから待っていてくれ」
ガゼルに心配をかけまいと、反射的にそう返事をした。
が、どう考えてもあんまり大丈夫ではない。
「……でも、まぁ、もしかするとこのあとに髪と目の色が変わるかもしれないし……身体も元に戻るのかもしれないし……」
あまったシャツの袖と、ズボンの裾をくるくると折り返しながら、そう独りごちる。
うんうん、おれが知らなかっただけで、もしかすると魔法薬ってもともとこういう副作用があるのかもしれないしな!
いったん幼い姿になってから、髪と目の色が変わる……みたいな!
花粉症の薬だって、副作用で眠くなるやつとかあるし。姿が昔のものになっちゃうとか、意外とありふれた副作用なのかもしれない。
どのみち、いつまでも鏡の前でぼーっとしてるわけにもいかない。
旅行の出発は、いよいよ明日なんだ。今日は準備しなきゃいけないことがたくさんある。
「よーし! なら、ガゼルとフェリクスにちょっくらお披露目してくるか!」
◆
「……………………」
「……………………」
意気揚々と応接間に戻ったおれを出迎えたのは、しかし、ガゼルとフェリクスの絶句だった。
あー……そうだよね。やっぱりそうなるよねー……
「…………え? あ、あの、タクミ、ですよね……?」
「い――いや、ちょっと待ってくれ。なんだ、それ? いったいどういうわけだ?」
しばらく沈黙が続いたあとに、二人が戸惑いと驚きに満ちた顔で、恐る恐る尋ねてきた。
二人とも、応接間の扉の前に立つおれを、頭の上から爪先までジロジロと見つめてくる。
そんな彼らの様子に、おれは顎に手を当ててふむふむと頷いた。
「やっぱり、この姿は二人にとっても想定外なんだな。てっきり、魔法薬っていうのはすべてこういうものなのかと思った」
「な、何故そんなに落ち着いていられるのですか!?」
「いやいや。タクミ、もっとなにかこう……驚いたりとか、パニックになったりとかしねェのかよ?」
いやー、そりゃ最初はおれもめちゃくちゃビックリしたよ。
さっき、一人きりで今の自分の姿を見た時は、かなりパニックになったし。
でも、二人がおれの予想以上に驚いてるもんだから、逆に冷静になったというか。
「むろん驚いている。最初は、魔法薬の副作用なのかと思っていたのだが……二人の反応を見る限り、そういうわけではなさそうだな」
「だからなんでそんな落ち着いてるんだよ?」
「タクミはよくそこまで冷静でいられますね……?」
戸惑いからいまだに抜け出せないといった表情の二人。
うーむ……おれがこの姿になったのが、二人にとって想定外の事態となると……おれが飲み方を間違えたか、もしくは、薬のほうになにか問題があったのかな?
「おれが服用方法を間違えたのか?」
「いや、んなことはねェ。ただ飲めばいいだけの代物だ……くそっ、こうしちゃいらんねェ。フェリクス、悪いがちっと研究所に連絡してもらえるか?」
「ハッ、すぐに行ってきます!」
――そうして、あれよあれよという間に、ガゼルとフェリクスは、この魔法薬を手配した先に連絡をしてくれた。
なお、この魔法薬は、ガゼルとフェリクスの伝手で、リッツハイム市にある国立魔法薬研究所から取り寄せたものだ。
姿を変える魔法薬は通常、市場には出回っていない。犯罪に悪用されたら大変だしね。
当然、一般人が研究所から魔法薬を購入することもできない。
だが、今回はガゼルとフェリクスが黒翼騎士団の団長と副団長であり、その立場と現在までの実績を鑑みて、魔法薬を特別に卸していただけることになったそう……だけれど……
「――届ける薬を間違えた、だと!?」
連絡を受けて、我が家にすっとんできた国立魔法薬研究所のお偉いさん。
そのお方が、ペコペコと頭を下げて説明した内容は、なんとも単純明快なものであった。
「も、申し訳ございません! うちの職員のミスでご迷惑をおかけし、なんとお詫びをしたらいいか……!」
なんでも、今回、研究所では二種類の魔法薬を調合していたのだという。
ガゼルとフェリクスが頼んでいた『髪と目の色が変わる魔法薬』と、別の人物が頼んでいた『一時的に若返りをする魔法薬』である。
だが、どうやらその魔法薬の宛先が、途中で入れ変わっていたらしい。
先方も届いてすぐに魔法薬を服用したらしく、ちょうど同じタイミングで、研究所に問い合わせの連絡が来たそうな。
「ハァ……まぁ、詫びとか大層なモンはいらねェよ。こっちは正規の薬と、タクミの姿を元に戻すことができればいい。解除薬はあるんだろう?」
ガゼルは大きくため息をつき、肩をすくめる。
だが、対する研究所のお偉いさんは、何故かそこで黙りこくってしまった。
「……おい、どうした? なにを黙ってんだよ」
「そ、それが、そのですね……」
研究所のお偉いさんは、額に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら、しどろもどろに説明を続けた。
「新たな魔法薬も、その解除薬も、材料がとても希少なものでして……それを調合する時間も一日や二日とはいかないものでして……」
「……おい、じゃあまさか……」
「も……申し訳ございません! じ、実は、私がここに来る前にもう一方のお客様にすでに正しい薬と『解除薬』を引き渡してしまいまして……! 『解除薬』はそれで最後となっていました! そして、『目と髪の色を変える魔法薬』も、今から調合するとなると最低でも十日はかかってしまいます……! 申し訳ございません!」
がばりと床に這いつくばるようにして謝る研究所のお偉いさん。
その姿に、ガゼルは一瞬呆気にとられたようだったが、次の瞬間、驚くほど冷めた視線を向けた。
「――すると、じゃあなにか? とどのつまり、こっちが依頼してた薬は用意できねェし、タクミの姿を元に戻すこともできねェ。自然に魔法薬の効果が切れるのを待てと……そういうことか?」
「っ……お、仰る通りでございます、本当に申し訳ございません……」
床の上で小さくなって、ぶるぶると震え出したお偉いさん。
おれは居た堪れなくなり慌ててガゼルに視線を向けるも、彼が気付く様子はない。
そのため、今度は、傍らに立つフェリクスを見上げて助けを求める。
しかし、フェリクスはガゼル以上の絶対零度の眼差しで、お偉いさんを見下ろしていた。
「……呆れました。どんな良薬であっても、扱う人間が愚鈍であれば毒に変じるという諺を聞いたことがありますが、まさしくその見本のようですね」
「も、申し訳ございません……」
お、お偉いさんがとうとう、申し訳ございませんとしか喋らなくなってしまった!
少し迷ったあと、おれはガゼルとフェリクスの怒りを宥めるべく声をかけた。
「ガゼルもフェリクスも、そんなに怒らないでやってくれ。再発防止に努めてくれるなら、おれは構わないから」
「タクミ……でもよ、お前だってあんなに旅行を楽しみにしてたじゃねェか」
ん? もちろん、明日からの旅行はめちゃくちゃ楽しみですよ?
ガゼルだってそうじゃないの?
それなのに、なんでガゼルはまるで明日の旅行が中止になったかのような口ぶりなんだろう。
「もちろん楽しみだぞ。まぁ、かなりイレギュラーな要素が加わったが……まぁ、この姿なら、大人の時よりも注目されにくいんじゃないかと思うし」
「え。お前、その姿で行く気なのかよ?」
「そうだ。正しい薬ができるまで十日もかかるんだろう? せっかく都合をつけて三人の休みを確保したんだ。次の機会がいつになるか分からないし、こんなことで中止にするのはもったいないだろう」
「いや、『こんなこと』って……かなりとんでもない状況だと思うんだが」
まぁ、確かにこんな姿になった当初は、おれもビックリだったけれど……でも、これでせっかくの旅行を中止するのはいやだしさー。
それに、大人の姿のおれが旅行先で「わーいわーい!」とはしゃいでたら、かなり悪目立ちするだろうけど、この姿ならそんなに目立たないんじゃないかな? つまり心置きなく楽しめるってわけだ。
「どのみち、これから旅行に行くたびに、ガゼルとフェリクスに魔法薬を手配してもらうわけにはいかないと思っていたんだ。なら、これもいい経験だと思って、次回への試金石にしようじゃないか」
「……はぁ。タクミがそこまで言うなら、しょうがねェな」
ガゼルは苦笑いを浮かべた。
どうやら、お偉いさんへのお叱りもこれで終わらせてくれるようだ。
ついで、おれはフェリクスを見上げた。彼もまた、おれと目線が合うと「タクミがそう仰るなら、仕方がないですね」と微笑を浮かべた。
フェリクスも怒りをおさめてくれたのかと思ったが、しかし、彼はすぐに冷たい視線をお偉いさんに向けた。
「ですが――今回の件は、我々の私的な用事であったからいいものの、これが騎士団の任務などに関わることであればかなりの問題でしたよ。努々、今後はこういったミスをおこさないようにしてください。くれぐれも、タクミの優しさに甘えることのないように」
「あ……ありがとうございます! タクミ様も、本当にありがとうございます! もちろん、今後はこういったことが決してないようにいたします!」
ほっとしたように顔を上げたお偉いさんは、涙を流してガゼルとフェリクス、おれに向かってペコペコと頭を下げ続けた。
なんだかまるで、命乞いを聞き入れてもらったかのような表情である。いや、でも彼の胸中はそれに近いのかもしれない。
さっきのガゼルとフェリクス、怖かったもんなぁ……
ま、なにはともあれ、せっかくの旅行が中止にならなくてよかった。
あとは旅行鞄の準備を……あっ!?
そういえば、今気付いたけれど……おれ、身体が小さくなってるから、着替えが一枚もないじゃん!?
こ、こうしている場合じゃない!
今から買いに行かないとー!?
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