本編完結 彼を追うのをやめたら、何故か幸せです。

音爽(ネソウ)

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番外編

ヨハンの恋煩い

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侍従関係だという垣根を越えようとするヨハンは今日も愛しいメイドの姿を探している。
裏庭で洗濯していると執事から聞いたのだが、エイミの姿はすでになかった。ガクリと肩を落とすヨハン。

「なぜか近頃、彼女に避けられている気がする……」
日によっては廊下ですれ違うことすら無いこともあった、偶然にしては続き過ぎていると彼は気が付いて心が苦しくなる。あからさまに避けられていると自覚して以来、食欲も失せてきて食堂に顔を出さない事が増えた。

「完全な恋煩いの症状ですね、そんなに好いてらっしゃるのですか?」
「……あぁ、そうだな。こんな気持ちは初めてさ」
サロンの一角で、執事に無理矢理に軽食を摂らされているヨハンはサンドイッチひとつ食べるのも億劫なようだ。何を食べても味が感じず食欲は萎えて行くばかりらしい。

ヨハンの趣味は各地を巡り紀行文を書く事だ。
さらにそれを纏めたものを書籍化して販売までしている、著者として彼の名はそれなりに広まっていた。”南の島見聞録”という著書は貴族の青少年たちの冒険心を擽り大ヒットした。
そんな彼を生家に留まらせるほどエイミの存在は日々大きくなっていたのだ。
「今頃は気候が安定しているから旅に最適だというのに、はぁ玄関を開けるのも億劫だよ」
「ぼっちゃま……」

幼少期から彼に仕えてきた執事は主の為にどうにか出来ないかと頭を捻る。
ヨハンは継ぐ爵位がないので何れは市井に下る身だ、今時点でも身分差は大きいがエイミと婚姻しても問題はない。
それでもエイミの気持ちを無視するわけにもいかないので、名案が浮かばないまま梅雨の時期を迎えた。

ジメジメした鬱陶しい時期に誰もが気落ちする。
なかでもヨハンの様子は酷い有様で、食欲不振と寝不足がたたり、とうとう寝込むまで体力が落ちた。
そんな様子を見て執事は不幸中の幸いとエイミにお世話係に任命したのだ。

「良いかエイミ、御子息はたいへん疲弊していらっしゃる、誠心誠意お仕えしなさい」
「で、でも!私は下働きのメイドでして、洗濯と掃除が」
「それは今後しなくて良い、ヨハン様がご回復するように尽力しなさい」
「はい……」

強引過ぎる命令だったが、執事はこれしかないと踏んだ。
メイド如きが侍女の仕事にいきなり就くなどあり得ない事だが、苦肉の策だったのだ。
渋々と従い子息の部屋へ向かう彼女の背中を見送り執事は小さく懺悔の言葉を吐いた。
「すまないエイミ、ぼっちゃまの心の安寧とキミの幸せのためだのだ」

***

「本日よりお世話係を言いつけられました。しがないメイドですが仕事に就かせていただきます」
寝具に沈んでいたヨハンは愛しい姿が目の前に現れて瞠目した。
「え、エイミ!?どうして」
「執事長のご指示でございます、至らないことが多々あるかと思います。なんならすぐに交代を」
「だ、だめ!エイミが良い!エイミじゃないとダメだ!」
「は、はあ?」

さっそく辞退しようとするエイミを必死の形相で止まらせるヨハンはわかりやすい。
エイミとて十分に彼の気持ちを察していたが、男性不信に陥っている心は凍ったままなのだ。この頑固な氷結をヨハンは溶かすことが出来るのか。


メイドのエイミが彼の世話を始めた途端に、床に臥せっていたヨハンは血色が良くなった。食欲も戻ったしずっと続いていた微熱と頭痛もどこへやらである。
だが、回復したとわかればエイミは世話係から外れるに違いない。そう思ったヨハンは姑息にも弱ったふりをし続けた。
「あぁ、眩暈がする……手を貸してくれないか?」
「……畏まりました」

エイミはすぐに演技だと見抜いたが、執事長も見て見ぬふりの態度を貫くので従うほかないのだ。
元の下働きに戻したら、またも余所余所しい関係になり、ヨハンは再び寝込むことになるだろう。それを見越しての配慮でもあるが、彼女は納得できていない。
「ヨハン様、そろそろ下働きに」
「だめ!そうしたらエイミはまたボクを避けるのだろう?そしたらまた寝込むことになっちゃうよ」
「……はあ」



やがて梅雨が明け夏色の空が広がるようになった。
爽快な気分で白いシーツを干すエイミは鼻歌を奏でていた、あれから全快したヨハンは両親の怒りに触れ「私情でメイドを困らせるな」と叱責された。
さすがに我儘が過ぎたと反省したヨハンは「エイミが避けないなら」と約束させて元に戻した。

「エイミ!町の雑貨店まで付いてきてくれないか?」
「まあ」
洗濯籠を抱え片づけに入っていた彼女を待ち構えていたらしいヨハンは満面の笑みで誘ってくる。
お付の侍女ではないからと遠慮するエイミだが、彼は譲らなかった。

「看病してくれたお礼がまだだったからね!是非贈り物をしたい、それからカフェでお茶だ!」
「ヨハン様……お気持ちは嬉しいのですが」
相変わらず苦笑して対応するエイミだ、傷つけてばかりのクラレンスの事を度々思い出してきた彼女も近頃ようやく忘れるようになった。

「仕方ありませんね!まったく、子供なんだから」
「ふふ、三つ年下なだけじゃないか」
「三つもです!あんまり我儘言うなら怒りますよ?」

あれから25歳になったエイミと22歳になったばかりのヨハンは付かず離れずな関係を築き始めている。
凍り付いた彼女の心を癒すのは彼だけかもしれない。



さらに数年後、仲睦まじく手を取り合い街中を行く若夫婦の姿が目に付くようになったのは別の話である。
「ヨハン!また無駄遣いして」
「ん、だってエイミに似合うと思ったんだ」
「もう、仕方ない人ね」
銀細工の美しい髪飾りを、愛しい妻の髪に付けながら夫になったヨハンは相好を崩すのだった。




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